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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その悪名伝~  作者: 星見だいふく
こぼれ話
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イヴァンカにて


イヴァンカ大公国――北の大王と呼ばれ、一年と国土のほとんどを雪で覆われた国。

クリスティアンは従者フェリクスとクラベル商会の一部従業員を連れてこの国を訪ねていた。


イヴァンカ大公国で密かに動いていたクリスティアンは、弟セシリオから届いた手紙を読み、長い溜息をついた。しばらく、誰もいない部屋で一人物思いに沈み……顔を上げ、フェリクスを呼んだ。


「セシリオから手紙が来た――おじ上が戦死なさったそうだ」


クリスティアンから聞かされた訃報に、フェリクスは息を呑む。

エンジェリク王ヒューバートが……。勇猛果敢な軍事王。彼が敗北する姿なんて、想像することもできなかった……。


「……父上は、きっと酷く落ち込んでいるでしょうね」


フェリクスは、父マルセルのことを思った。ヒューバート王に忠誠を捧げ、その生涯を賭けている男だ。早まった真似をしなければいいのだが。


「陛下が戦死なさったのなら、エンジェリク軍は?まさか、敗北……?」

「いや。騙し討ちによってヒューバート王を喪ったことで、かえってエンジェリク側の士気は上がったそうだ。フランシーヌ国都にいる本隊を牽制して終わるはずが、復讐に燃えるエンジェリク軍のし烈な報復を招くこととなり、フランシーヌ軍はもはや壊滅――その勢いに乗じてフレデリクへ向かっている。この手紙を書いている時には、まだセシリオたちはフレデリクに到着していないが、すでにフランシーヌ兵の降伏や脱走が相次ぎ、ほぼ勝利は確実だと……」


セシリオの手紙に目を落としたままクリスティアンが説明すれば、そうですか、とフェリクスも控えめに笑った。


優しくも偉大なエンジェリク王の死は胸が痛むが、エンジェリク側の勝利に少しだけ気分も浮上した。


「フェリクス。君宛にも手紙が届いている」


クリスティアンが言い、一通の手紙を見せる。頭を下げて手紙を受け取ろうとしたフェリクスから、クリスティアンが手を引く。手紙を持ったまま。

手紙を受け取り損ねたフェリクスは、目を瞬かせた。


「……座ってくれ」


そう言って長椅子をすすめるクリスティアンに、フェリクスは遠慮しようとした。だが、クリスティアンの表情から、座らなければならないのだと察し、大人しく腰かける。

クリスティアンは、改めてフェリクスに手紙を差し出した。


差出人はマルセル――なぜ、父が自分に……?

イヴァンカに出発する直前、父とはケンカになった。どうしても城仕えの騎士にしたい父と、城仕えの騎士にはなりたくないフェリクス。改めて、口論となり。

結局、強引に押し切るかたちで国を飛び出した。帰ってきたら、父はカンカンになって、もう自分に会おうともしないかも……そう思っていた。


手紙を読み始めてすぐに、何か異変が起きたことは分かった。

几帳面な父の字は乱雑で。父の心の乱れをよく表していた。


最初は、ヒューバート王が崩御したせいだと思った。それ以上に父の心を乱す出来事なんか想像もできなくて。

だが、手紙を読み進め……やがて、手紙を持つフェリクスの手が震え始める。激しい動揺を、フェリクスも堪え切れなかった。


騎士の息子として生まれ、向かう場所は違えど、自分も騎士の道へ。

父との別れも、命を賭ける覚悟も、とうの昔にしていた。何があろうとも冷静に受け入れる――それができると、過信していた。

……当たり前のように、自分が置いていく立場だと思っていた。まさか彼女に置いていかれるだなんて……傲慢にも、そう考えたことはなかった……。


「すでに計画も終わり、僕たちも帰国の準備を始めていたところだ――とは言え、明日朝一にイヴァンカを発ったとしても、葬儀には間に合わないだろうが……」

「いえ」


帰国を早める算段をしていたクリスティアンに、フェリクスは首を振る。


「……父からは、エンジェリクに戻ってから改めて葬儀を行うが、私は帰って来るなと――自分の反対を押し切ってまでイヴァンカへ来たのなら、己の務めを果たせ――そう書いてあります」


生半可な覚悟で、道を選んだわけではないだろう――自分たちの子なら、たかが親が死んだぐらいで引き返してくるな。

厳しいが……父なりに、息子のことを認めて書いてくれたのだと思う。フェリクスの背を押しているのだ。為すべき役割を果たせと。


「そうか……」


相槌を打って、クリスティアンは静かに目を伏せた。


「フェリクス。今夜はもう休め」


手紙を読み終えた頃合いを見計らって、クリスティアンが声をかける。


「ベルダは、僕にとっても家族同然の相手だった。今夜だけは、息子として彼女を悼むことを優先してほしい」


手紙を丁寧にしまい、フェリクスは頭を下げた。

部屋を出て行くフェリクスを見送った後、クリスティアンも深いため息をつき、セシリオから届いた手紙を改めて読み返した。


おじのヒューバート……ベルダ……それに、アレクとライオネル・ウォルトン団長。若い自分は、いずれ彼らを見送る立場になることは分かっていた。

でも、こんなに早く……こんな形で、別れることになるなんて。


覚悟はしていたけれど。

……やはり、とてつもなく寂しい。




イヴァンカ大公国は長きに渡って女帝を戴いていた。偉大な女王の後、かなり盆暗なその息子が跡を継いだのだが、誰もが予想した通り、どうしようもない男で。

結局、女帝が指名した息子の嫁が主権を握ることとなり、再び女帝が治める国となっていた。


彼女の政治的手腕は決して悪くないのだが、国が大きくなればなるほど問題も増えていくもので。

特にイヴァンカはその大半が不毛の土地――ちょっとしたことで、すぐに民は飢え始める。


今年、食い詰めた農民たちによる大規模な反乱が起きていた。反乱の中心となっているのはドミトリーという男。先代女帝の落胤を自称し、いまの簒奪女帝を引きずり降ろして、新たに正統な王を、と反乱を企てた。


ものすごくうさんくさい……というか、一ミリも信じる気になれない与太話だが、これがまた、なかなか口達者で。彼の弁を直接聞いていると、不思議な説得力があった。

反乱を三歩ぐらい離れた立場で傍観しているクリスティアンですら、信じたくなってしまう時がある。

ドミトリーの指揮のもと、農民たちは反乱を起こし……そして、ほとんど鎮圧されていた。


「ドミトリーの処刑は、明日の正午だったな」


静かな広場を歩きながら、自分に付き従うフェリクスに向かってクリスティアンが言った。

分厚い雲が夜空を覆い、月明かりすら届かないそこは、とても暗かった。


ほんの数日前まで、反乱を起こした農民たちと国軍が衝突し、騒音の絶えない場所だったのに。いまは、広場に配置された警備の兵しかいない。


「あの男の処刑前にはイヴァンカを出て行く。処刑が行われれば、また少しうるさくなるだろうからな――もはや僕たちが手出しせずとも、イヴァンカ国内の混乱は続く。ここでやることはもうない……」


早朝には船を出し、イヴァンカを出て行くつもりだ。

イヴァンカ国民には申し訳ないが、エンジェリクに余計な手出しをさせないために反乱に手を貸したに過ぎない。反乱の結末を見届ける義理はないし、もう大勢は決まったのだから、何かする必要も感じない。

……だから、彼に会う必要もないのだが。




「あんたが会いに来るとは思わなかったな」


対面した彼も、クリスティアンを見て不敵に……でも、ちょっと意外そうに笑っていた。

なかなか派手に痛めつけられたようだが、ドミトリーには敗北者らしい惨めさはなかった。


「助けに来たわけではなかろう?」

「生憎と」


クリスティアンがそう言えば、ドミトリーは笑った。

見張りの兵は買収してあるが、大声を出すのは勘弁してほしいものだ。全員が事情を知っているわけではない――ドミトリーを捕えた牢に、クリスティアンが忍び込んでいることがバレたら困る。


「いいさ。ちょうど俺も、あんたと最後に話したいと思ってたんだ」


ドミトリーは厳重に拘束されている。大きなカギがかかった牢に放り込まれた上に、両手両足を固くロープで縛られていた。

地面に放り出されたままの姿だったが、ドミトリーの迫力は健在だ。

こういう姿を見ていると、先代女帝の落胤というのもあながち嘘ではないのかも、と思えてきてしまう。


「……なあ。なんで俺たちに力を貸した?」


クリスティアンは自身の正体を、イヴァンカでは徹底して隠匿していた。

エンジェリク人だということは知られていただろうが、大国のイヴァンカは人種も様々で、海ひとつ隔てただけのエンジェリクから移り住んでくることも珍しくはない。だから、イヴァンカ国民を装うのはさほど困難ではなかった。


だが……ドミトリーは気付いていたらしい。クリスティアンが、必ずしも自分たちの思想に賛同して協力していたわけではないことを。


「ずっと考えてたんだが、分からねえんだ。あんたのことを知れば知るほど。あんたが俺の与太話を本気で信じてるとは考えにくいし……この反乱が上手くいくわけないってことも、最初から分かってたはず。合理主義のあんたが協力した理由。面白半分とか、成り行きで手を貸すには、さすがに面倒くさすぎる」

「お前、意外と賢いよな」


学も教養もない貧しい農民のはずだが、ドミトリーは頭の回転がいい。ちょっとした農民たちの不満もうまくまとめて、煽って、ここまで大規模な反乱へと発展させた――さすがに、国軍相手に戦うには脆弱過ぎたけれど。

ドミトリーがいたからまとまった集団だ。彼が処刑されれば、すべてが終わるだろう……。


「……愛する人のためだ。彼女のために、イヴァンカを混乱させる必要があった。だから、お前たちの反乱に手を貸した」


あっさりとクリスティアンが説明すれば、ドミトリーはぽかんと口を開く。

女、と問い返すドミトリーに、クリスティアンは笑って頷いた。


目を瞬かせ、しばらく言葉を失ってクリスティアンを見つめていたドミトリーは、やがて大笑いし始めた。


「……ははっ。こりゃぁ、いい!イヴァンカ中を混乱させ、女王様もすくみ上らせた大反乱が、ただ一人の女のためだったとは!なんと愉快な喜劇だ!」

「笑い声はもう少しおさえてくれ――ああ、そろそろ行かないと」


周囲を警戒していたフェリクスに呼びかけられ、クリスティアンはため息を吐く。

ドミトリーの賑やかな声のせいで、他の兵士が異変に気付いたようだ。もうここを去らないと。


「さよならだ、ドミトリー。僕はお前のこと、嫌いじゃなかったよ。エンジェリクに帰ったら、口先ひとつでイヴァンカの女帝を振り回した大ホラ吹きの物語を、面白おかしく広めておいてやろう」

「頼んだぜ。俺の名前を、しっかり歴史に刻んでくれよな――あの女狐め、ざまあみろ。これで俺たちの本気を思い知っただろうよ。何の力もない農民だと思ってバカにしてると、どういう目に遭うか――あの女も、少しは考え直すだろう……」


自嘲するように呟くドミトリーに背を向け、クリスティアンは牢獄を出た。

ドミトリーも分かっていた――この大反乱は、大した功績をあげることもなく終わると。底辺でうごめく大勢の人間たちが命がけで動いても、ほんの少し、上に立つ人間に影響を与えるだけ。

……それでも、ドミトリーたちは戦った。


たしかに、クリスティアンは自分の思惑があって反乱を後押ししたが、彼らが敗北すればいいとは思っていなかった。

大きな歴史の中、名を語られることもなく消えていく人々。自分もその一人であることは、クリスティアンも自覚していた。



作中に出て来る国のモデル

時系列・文化等の設定は作者独自のものにつき真面目考察非推奨


イヴァンカ大公国:ロシア帝国

(気付いている方も多いとは思いますが、この大反乱はプガチョフの乱がモデルです)


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