マリー=アンジュの悲劇 (3)
マリー=アンジュ城はもともとフランシーヌのものであったため、城の構造は敵も熟知していた。
広い城は階段も多く、おかげで敵の注意も分散してはいるのだが……やはり、ここが最大の乱戦場であった。
一階の踊り場――潜んでいたフランシーヌ兵が飛び出してきて、ノアとアレクが攻撃を防ぐ。銃を持っている兵士はいない。ノアが先に出て、強引に道を切り開く。その隙間を縫い、マリアの手を引っ張ってアレクは乱戦場から飛び出た。
一階に降りて、廊下をいくつか曲がって裏口へ向かう。わざと迂回をして、最短ルートは避けた。マリアが外へ出ようとしていることは向こうも気付いているはず。最短ルートは見張られている――でも、うろつく時間が長ければ、敵に見つかる機会も増えてしまう。
「アレク……!」
「分かってるから!黙って走って!」
長い廊下をアレクに引っ張られて走りながら、マリアは彼に呼びかけた。自分たちの後ろから追いかけてくるフランシーヌ兵が……男の手に、銃が見える……。
全速力で走り抜け、曲がり角の直前、アレクがマリアの手を一際強く引っ張ってきた。バランスを崩して倒れ込むマリアを、アレクがかばう。二人揃って、曲がり角に飛び込むようにして倒れた。
同時に、銃を撃つ音が聞こえてきて――アレクの声も聞こえてきたような気がして、マリアは息を呑んだ。
起き上がり、急いでアレクを見る。自分は無事だが、かばったアレクは……。
「マリア様!アレク君!」
ノアの呼びかけに、マリアは廊下を振り返った。マリアたちを追っていたフランシーヌ兵を片付け、ノアがこちらへやって来る。
「ノア様、アレクが撃たれたの!」
銃が撃たれる直前に廊下の曲がり角に飛び込んで、なんとかやり過ごそうとしたが……アレクは、右足の大腿部を撃たれていた。
剣や弓に比べればちっぽけなものなのに。たった一発の弾が足に食い込み、おびただしい出血が……。
「どうしよう……血が止まらない……」
ノアが止血を試みるが、布で押さえたぐらいでは血は止まらない。マリアも必死でアレクの出血部を押さえるが、マリアの手も血で赤く染まっていくばかりで。
「……いいから。さっさと行って。君がやるべきことは僕を助けることじゃなくて、エドガーを見つけ出すことでしょ」
「でも……なら、アレクも一緒に……行きましょう……!」
負傷した右足のせいで立ち上がることもままならないアレクの身体を支え、マリアが言った。
アレクは痩身で、身長もマリアとさほど変わらない。それでも、マリアが全力で踏ん張ってようやくだ。成人男性の身体を支えるのは容易なことではない。結局アレクが自分で支えてくれないとマリアだけではどうしようもなくて。
十メートルと進まない内に、バランスを崩したアレクに引きずられ、マリアも転倒した。
「……行って。僕は弱くない。一人でだって平気だ。でもあの泣き虫は……弱っちいし、すぐやられる……。早く、君が助けに行ってあげないと」
アレクはなんとか身体を起こし、壁にもたれかかる。立ち上がることはできず、廊下の片隅でうずくまるばかり。いつもの憎まれ口で話し続けるけど、声からも、すでにアレクの限界が聞き取れた。
足を撃たれたのだ。一人で移動だなんて……このまま、手当てをせず放置すればどうなるか……考えなくても分かる。
……考えたくもない。
「ごめんは止めてね。あいつにも言っておいて――僕は、自分で選んで、ここまで来たんだ。誰かのせいだとか、そんなふうに思われたくない。僕が選んできたことを、憐れまれたくない……」
マリアは手を伸ばし、アレクの頬に触れる。
ララと共にエンジェリクに逃げてきて。マリアと会い、マリアたちを助けてきてくれた。自分の運命に、無関係のはずのアレクをずっと巻き込んできてしまった――ララもまた、それをずっと気にしている。
マリアの肩に、ノアがそっと触れてくる。マリアはノアに振り返り、彼を見た。
――行かなくては。
そう訴えてくる彼に、マリアは目を伏せて頷く。
分かっている。無情な選択をするしかない。助からない命にこだわっている余裕はない。マリアには、助けるべき命があって。
「……分かったわ。ごめんなさいは言わない。ありがとう、アレク。私たち、あなたに会えてとても幸せだった。あなたがエンジェリクに来てくれて……あなたに会えた幸運に、とても感謝している」
「うん……」
マリアの言葉に、アレクは笑った。その笑顔は、出会ったばかりの頃の少年の時のまま。
マリアがそう言うと、よく不貞腐れていて。そんなところも、出会った頃から変わっていない。
アレクの頬にキスをして、マリアは立ち上がった。
置き去りにする彼に背を向け、振り返ることなく裏口へ向かった。
分厚い壁で築かれた城の外は、静かだった。ところどころ人はいるみたいで、ノアは警戒し、マリアが他の人間と接触しないよう細心の注意を払っていた。
暗い庭では、近くを駆け抜けていく人物がエンジェリク人なのかフランシーヌ兵なのかも分からない。敵か味方か……見極めている余裕もない。ひたすら出くわすことを避け、庭を通り抜けて東棟を目指した。
「……なんで、こんなことに……」
東棟の裏口が見えてきた頃、ヒソヒソと話す男たちの声が聞こえてきた。絶望に満ちた声……その話の内容は、単に今夜の襲撃を嘆いているだけではないような。
「オルディス公爵や、そのガキ共を殺すだけじゃなかったのか……!?」
「こんなに大勢だなんて……!」
「なあ……俺たち、逃げたほうがいいんじゃないか……?このまま……もし、フランシーヌ兵が暴露したら……」
マリアは密かにため息をついた。
どうやら、フランシーヌ兵を手引きしたエンジェリク騎士たちが、この期に及んで自分たちがしでかした事の重大さに恐れおののいているらしい。
……なんと愚かな。
「誰だ!?」
身を潜めていたが、やはり騎士だけあって、気配には敏感だ。
というか、フランシーヌ兵だけではなく、同胞のはずのエンジェリク騎士も、彼らにとっては敵である。警戒心だけは、この城でも一番強いかもしれない。
「オルディス公爵……」
「……呆れたわね。フランシーヌ兵の甘言にまんまと乗せられて。どうせ、私を殺すため、とか言いくるめられたんでしょう」
国に巣食う悪女――キシリアの魔女を、共に討とう。
そんなことを言われて、協力したのだろう。ところが、乗り込んできたフランシーヌ兵は予想以上の大人数で。裏切者たちの思惑に反して、エンジェリク王や王子を狙ってきて。
取り返しのつかないことをしてしまったのだと、彼らはようやく気付いた。
「……くそっ!こうなったら、せめて魔女だけでも!」
自棄になって騎士たちは叫び、剣を抜く。ノアも剣を抜き、応戦した。
ノアにかばわれながら、マリアは庭を走る。彼らを煽る発言をすべきではないと分かっていたのだが、どうしても、嫌味のひとつぐらいは投げつけてやりたくて。
あいつらの浅はかな行動のせいで、エドガー王子は危険に晒され、無為に血が流れ……散っていく命も……。それを思うと、打ちひしがれる彼らを嘲笑ってやりたかった。彼らの愚かさを、鼻先につきつけてやりたかったのだ。
「マリア様、先に城の中へ!中に入ったら、扉に鍵を掛けてください!」
裏切者の騎士たちの攻撃を防ぎながら、ノアが言った。
背を向けて指示を出すノアに、マリアは一瞬だけ足を止めて振り返る。走り続けたから、息が上がる。息を整えることも忘れ、マリアはまた走り出した。
東棟に向かって全速力で駆けて行き、城の中に入ると、ノアに言われた通り内側から閂をかけた。
東棟も静かだった。遠くで人が動く気配はする。味方を見つけないと……。
でも、いったい誰を頼れば……。
答えを見つけられないまま、マリアは裏口のある部屋を出て、二階に上がる階段を探そうとした。長く、灯りの消えた暗い廊下をまた走り出す。
そして廊下の先で、人を見つけた。王国騎士団の制服を着ている……副団長のカイルだ。
マリアは息を呑んだ。
カイルの手には、銃が――こちらに向かって、銃を構え……。
銃声が、廊下中に響き渡る。思わず、マリアは身をすくませた。
後ろから悲鳴が聞こえてきて、ドサリと鈍い音。後ろにあった背の高い飾り棚の上から、男が落ちてきた。男の装備は、フランシーヌ兵のものだ。
「……ふう。当たってよかった」
カイルは溜め息をつき、銃を下ろしてマリアに駆け寄って来る。
「駆け付けるのが遅くなってすいません」
「いいえ。ありがとうございます、助かりましたわ」
ウォルトン団長の信頼も厚い王国騎士団副団長。彼ならば信頼できる。マリアがホッとしていると、また後ろのほうで物音が。
重いものを何度も蹴飛ばすような音。マリアが出てきた部屋から。たぶん、裏口を強引にこじ開けようとしているのだ。副団長カイルはマリアを背にかばい、また銃を構えた。
閂をかけた扉が吹っ飛ぶ音がした。やがて部屋に誰か入ってきて。
廊下に、ノアが現れた。
「ノア様!」
無事に追いついてきたノアに、マリアは堪らず飛びついた。ノアも、マリアをしっかり抱きしめた。
「カイル殿、こちらの状況は?エドガー殿下は、結局見つけることができませんでしたが……」
わざわざ遠回りをしたのは、エドガー王子を探すためでもあった。どこかで、王子やベルダを見つけられたらと思ったのだが。
カイルは首を振る。
「陛下も殿下も、まだ……」
「カイル様。もし手の空いている人がいるのなら、西棟に応援を……!アレクが怪我をしていて……私、彼を置き去りにしてきたの」
もう手遅れだとは分かっていたが、それでも。もしかしたら、アレクを助けることができるかも。
マリアは必死でカイルに訴えた。
「すでに信頼できる騎士たちを西棟に送っています。殿下を保護しなければなりませんし……陛下が、エドガー王子を探して西棟へ向かったという情報もあります。フランシーヌ兵は特に西棟に入り込んでいるようですから、放置は――」
「カイル殿!」
マリアを落ち着かせるように説明するカイルを、別の騎士が呼んだ。彼にも見覚えがある。
近衛騎士のイライジャ・ハック――マルセルの部下だ。
ハックはこちらに走ってきて、マリアがいることに気付いた。
「オルディス公爵!?丁度良かった――ベルダが見つかりました!」
マリアはすぐ案内を求めた。
ハックは、一階の食糧庫へとマリアたちを連れて行く。ベルダは、東棟に逃げ込んでいた。
そして……食糧庫で息絶えていた。血だまりに伏せるベルダは、誰の目から見ても明らかだった――彼女は敵の手にかかって、命を落としたのだと。
「ベルダ……」
マリアは跪き、血まみれになったベルダを抱きかかえる。身体はすでに冷たく、血は乾き始め、見た目ほどマリアの手を汚さなかった。
「武器も持たぬ女性を襲うなど……!見下げ果てた連中だ!」
食糧庫には、他にも駆けつけた騎士がいた。皆、悲痛な面持ちだ――酷い光景に、顔をしかめている。
その時、マリアは見た。とっくに絶命しているはずのベルダの瞳が、わずかに開くのを。
ベルダの瞳がマリアを捕え、ゆっくりと動く。食糧庫内を見つめて……そのまま。今度こそ、ベルダは動かなくなった。
「ベルダ!生きているのか!?」
「……いいえ」
手当てを、と詰め寄る騎士たちに向かってマリアは首を振り、ベルダの視線の先を追った。
食糧庫内……荷物が積み上げられた一角。
ベルダの執念――マリアに伝えるため、最後の力を残しておいた。何を伝えようとしたのか、考える必要もなかった。
「そこの荷物を調べて。全部よ。エドガー王子がいるわ!」
マリアが言えば、全員が息を呑み、一瞬の沈黙ののち、ワッと荷物に飛び掛かった。
「すべての荷物を隈なくチェックしろ!中身も全部出せ!ひとつ残らずだ!」




