マリー=アンジュの悲劇 (2)
「ありがとうございます、レオン様。命拾いしましたわ」
「君が騎士に呼び出されたと聞いて追いかけてみれば、背筋が凍ったぞ。銃口が狙っている先に、まんまと飛び込んで行って」
普段の親しみやすい口調ではあったが、ウォルトン団長はマリアの軽率さを責めている。申し訳ありません、とノアが頭を下げた。
「マリア様をお止めしなかった私のミスです。ウォルトン団長、本当にありがとうございました」
「まったくだ。たまには、尻を引っぱたいてでも止めろ」
「無理無理。ノアがマリアにベタ甘なの、いまさらだもん。もう変えられないって」
目の前にマリアがいるのに、酷い言い草だ。普段なら拗ねて、不満のひとつでも訴えるところだが……いまは、そんなことをしている場合ではない。
「……さて、冗談はここまでだ。さっきの狙撃手……一人や二人じゃなかったな。それに、僕の読みが正しければ、あいつらはフランシーヌ兵だ」
やはり。
ウォルトン団長の言葉に、マリアだけでなくノアやアレクも頷く。
エンジェリク騎士だけで襲撃を企てるのなら、いくらなんでも仲間ごと撃ち殺すなんて計画は立てないはず。
それに、エンジェリク軍の銃は厳しく管理されている。そう簡単に持ち出せるはずがない。
あれがフランシーヌ兵で、自軍の銃を持ち込んだと考えるべきだろう。
オルディス公爵に不満を持つエンジェリク騎士たちが、フランシーヌ兵と手を組んで騒動を起こした。
エンジェリク騎士たちにとって予想外だったのは、仲間となったはずのエンジェリク兵を巻き添えにするのもためらわなかったことだろうか――元々敵同士だ。自分たちがエンジェリク軍を裏切ったように、向こうも自分たちのことをあっさり見捨てるかも、と考えないのが甘すぎる。
「母上!」
長い廊下を足早に、慎重に戻っていたマリアに向かって、セシリオとパーシーが呼び掛けてくる。どうして二人が、と言いかけて、先ほどの銃声か、と気付いた。
「何があったのですか?いまの音は……」
顔色を変えて駆け寄って来る二人に、ウォルトン団長が手短に説明する。きっと、城中の人間が異変に気付いているはず。セシリオとパーシーだけでなく、他にも駆けつけてくる者が――だって、あれだけの銃声がして……。
「――そうか。襲撃に銃を選んだのは、それが理由か」
息子たちに状況を説明していたウォルトン団長は、ハッとした表情で言った。一同が、彼を見つめた。
いつもは陽気なライオネル・ウォルトンからは親しみやすさが消え、厳しい王国騎士団長の顔になっている。
「あれだけの派手な音だ。聞き付けた者は、何事かと確認のためにやって来る」
それは……やはり、そうなるだろう。マリアでも、どこで起きたのか、何が起きたのか、確認したいと思う。
現に、音を聞きつけてセシリオとパーシーはやって来た。
「セシリオ、パーシー……おまえたちがここにいるということは、エドガー殿下の警護に当たるはずの人間はいない――そういうことだな?」
マリアは息を呑み、悲鳴を漏らしそうになった。
まるきり警備がいないわけではない。王子の部屋には見張りの騎士がついている。
……でも、王子の護衛に就いているアレクはマリアを守るためについてきてしまって、代わりに部屋で護衛役を務めるはずのセシリオとパーシーは、銃声が気になってこちらへ来てしまった。
なら、エドガー王子のそばには、ベルダ一人しか……。
咄嗟に走り出すマリアを、誰も止めなかった。マリアの行動を咎めるより、自分たちも王子の部屋に向かうべきだ。そう判断したのだろう。
廊下を走り抜け、角を曲がって――マリアはさすがに足を止めた。
エンジェリクの騎士が、血にまみれて倒れている。寝ずの番を務める騎士たちで、武器は持っているが軽装だった。斬られたような跡……アレクがマリアを引っ張る。マリアが目を白黒させていると、マリアに向かって振り下ろされた剣をアレクが短剣で防いでいた。
マリアたちの足音を聞いて、待ち伏せしていたようだ。ウォルトン団長たちも剣を抜いて応戦している。マリアを襲った兵は、ノアが素早く始末した。
「先に行け!」
部下に命令を出すように、ウォルトン団長が言った。マリアは男たちの脇をすり抜け、エドガー王子の部屋に向かった。ノアとアレクも、すぐ後ろを走っている……。
「エドガー殿下!」
部屋の見張りは、扉の前で殺されていた。部屋に飛び込むと、血に濡れた武器を持った男が一人。
「くそっ!」
男は、フランシーヌ語で悪態を吐いた。
自棄になったようにマリアを襲おうとするが、ノアが攻撃を許さなかった。フランシーヌ男はノアに任せ、マリアは奥の寝室へ――部屋にはもう一人潜んでおり、無防備なマリアを狙って襲ってきた。アレクが蹴り飛ばすのを見て、マリアは構わず寝室に飛び込んだ。
荒らされてはいるが、死体や、血の跡はなかった。エドガー王子も、ベルダもいない。
ベルダは機転が利く。すぐ異変に気付いて、王子を連れて逃げ出したに違いない。
でも……武器を持った兵には勝てない。早く見つけないと、彼女たちも危険だ。
「きゃっ……!」
「大人しくしろ!」
寝室にも、フランシーヌ兵が潜んでいた。後ろからマリアを羽交い絞めにし、引きずってノアやアレクたちのいる部屋に戻る。
「この女の命が惜しくば、武器を捨て――!」
フランシーヌ兵の要求は、途中で切れた。
マリアが後ろに向かって思い切り頭突きをかまし、後頭部がフランシーヌ兵の顔に命中したのだ。痛みで拘束を緩めた隙にフランシーヌ兵の腕から逃げ出し、呻く男の急所を容赦なく蹴飛ばす――男を攻撃するときはここがいいのは知っていた。いままでは相手に遠慮して、やらないようにしていたけれど。
マリアを人質にしようとした男で、伏兵は最後だった。人の気配がなくなった部屋を改めて三人で探したが、やはり王子はいない。
「マリア!殿下は!?」
セシリオ、パーシーと共に、ウォルトン団長も駆け込んできた。いません、とマリアは急いで首を振る。
「ベルダもいないので、恐らく二人で逃げ出したかと……」
「ベルダとか。一人よりはマシだが、早めに見つけて保護しなければ……だが、私はフランシーヌ兵の排除に向かわなければならない。予想以上に、数が多そうだ。放置はできん」
「なら、私が探しに行きます」
マリアが言えば、ウォルトン団長は苦い表情をしながらも、はっきりとは反対しなかった。
「君は避難しろと言いたいが……この状況では、どこが安全なのかも分からんからな……。だが、目立つ行動は避けたほうがいい。君も、襲撃者の目的にされているはずだ」
「私もですか?」
裏切者のエンジェリク騎士に狙われるのは分かる。オルディス公爵は、すっかり憎まれ者だ。
でも、フランシーヌ兵にまで?
「フランシーヌ軍が仕留めたい相手は四人だ。一人は、エンジェリク王国唯一の男児後継者エドガー王子。特に、王子は弱く、未熟だ。一番狙われるのは殿下だろう。その次が、ヒューバート陛下。理由は説明する必要もないな。エンジェリク王だ。狙われない理由がない。三人目は恐らく私だ。軍隊のトップ――こちらも説明は不要だな」
その三人は、フランシーヌ軍にとって重要な敵。マリアも同意見だ。
そこにマリアが加わるのが、いささか不思議なのだが……。
「フランシーヌでの君の悪名は、なかなかのものだぞ。半分ぐらいは、フランシーヌ政府が自分たちの失態を隠すために吹聴したせいもあるのだが」
時の権力者が自分たちの失敗から目を逸らすために、外部に敵を作り出すというのはよくある手だ。高潔な革命家であったランベール・デュナンを誑かした、キシリアの魔女……すべては、彼女のせい。
当人からすれば、とても迷惑な話だ。
「……では、私は隠れません。囮となって、連中の目を引きつけます。フランシーヌ兵を誘き出せますし……」
マリアが狙われることで、少しでもエドガー王子から目を逸らせるなら。危険な提案だと思いつつも、誰も反対意見を唱えることはできなかった。
「僕らもついてるし、エドガーが狙われるよりはましかな」
肯定をためらって黙り込んでしまった一同の意見をまとめるように、アレクが口を開いた。ウォルトン団長も、重苦しい溜息をつく。
「非常に気は進まんが、他にどうしようもないか。マリア。ならば君は東棟を目指せ。この西棟は殿下や陛下の寝室がある――侵入したフランシーヌ兵が狙うのはこちらの棟だ。東棟は兵舎……カイルがいる。それに、最後に別れた時、陛下もそちらにいた」
「東棟……三階の渡り廊下で繋がってるけど」
アレクが言えば、そこは使うな、と間髪入れずにウォルトン団長が答える。
「この城は、もともとはフランシーヌのもの――連中も、どういう構造になっているか熟知している。一本道の渡り廊下など、真っ先に狙いに行くだろう。すでに見張られているはずだ」
「……となると……一階に降りて、裏庭を通って東棟に……」
マリアは、城の見取り図を懸命に思い出す。
西棟の裏口から庭に出て、大外周りをして東棟の裏口へ。広い庭だから逃げやすく……死角が多い。上手く敵を避けていけるかもしれないが、それを期待するにはいささか厳しい……。
「ノア、アレク、十分気をつけろよ。何せ銃を持ち出しているんだ。周囲への警戒は念入りにな」
ウォルトン団長が、険しい表情で二人に声をかける。ノアとアレクも、神妙な面持ちで頷いた。
「セシリオ、パーシー、おまえたちは私とだ。フランシーヌ兵をのさばらせておくわけにはいかない――殿下と陛下もお探ししなくては。陛下はお強いし、マルセルもいるから大丈夫だとは思うが……」
銃声が聞こえてきて、一同はハッと振り返った。
正確な距離は分からないが、どこか別の場所で……。
銃は非常に貴重な武器のはず。弾は有限だし、まだまだ研究途中、開発途中のものだから、一度使っただけで壊れてしまうような未完成品が混ざっている時もあるとか。
音が派手だからエンジェリク側にも気づかれてしまうし、意外とリスクが高い。むやみやたらと使う武器ではない――誰か、重要な人物を狙って……。
「行きましょう、ノア様、アレク。早く殿下を見つけ出さないと!セシリオ、パーシー、あなたたちも気を付けるのよ……!」
そう言って、マリアはノアとアレクを連れて部屋を飛び出た。
エンジェリク王国の唯一の後継者であり、大切な妹の忘れ形見――エドガー王子を、絶対に失うわけにはいかない。




