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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その悪名伝~  作者: 星見だいふく
第六部01 沈む太陽
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去る (2)


港に停まった巨大なエンジェリク海軍船。

マストの中央にある高い見張り台を目指し、リチャードとエドガー王子は登っていく。二人に付き添うのは、リチャードの兄ローレンス。

マリアはそれを、船から見上げていた。


リチャードは快調にロープを登っていき、見張り台に着くと、まだ半分も登れていないエドガー王子に向かって呼びかける。


「早く、早く!すごく良い眺めだぞ!」

「待って……そんなに早く登れないよ!」


自分を急かすリチャードに、エドガー王子は困ったように言った。焦らんでいい、とエドガー王子のそばで一緒に登っていたローレンスが口を挟む。


「焦って、手を離したり足を滑らせたりしたら大変だ。自分のペースで登っていけ。リチャード!おまえも、急かしてやるな!」


エドガー王子が登って来るのを待っている間、リチャードは見張り台からあちこちを眺め、甲板にいる母を見下ろして手を振って――マリアも、笑顔で手を振り返した。

それから水平線に視線をやったリチャードが、今度はローレンスに呼びかけた。


「ローレンス!沖に船が見えるよ!」

「船?海賊船か?」

「うん!うーん……?海賊船かは分かんない。でも、ついてる旗がエンジェリクのじゃないよ!」


リチャードの返事に、ローレンスが反応する。マリアの隣で甲板からローレンスたちを見上げていたベンも、わずかに表情を変えた。


「どこの旗や!?」

「うーん……うーん、分かんない!ここからじゃ見えないよ!色がエンジェリクのと違うことしか……」

「ベン!エドガーを頼む!」


言うが早いか、ローレンスが素早くロープを登っていく。ローレンスの動きに合わせてロープも大きく揺れるので、エドガー王子は怯え、ロープにしがみついて悲鳴を上げていた。

そんなエドガー王子を登ってきたベンが支え、王子をおぶって甲板に戻ってきた。ローレンスは見張り台に登り、水平線を見ていた。


「あれは……ベン、水夫たちを集めろ!オレゴン船だ!」


オレゴンの船。マリアは思わず息を呑んだ。


オレゴンは、キシリアに隣接する国。キシリア王にとっては領土争いを続ける永遠の宿敵であり、その名前に、マリアは条件反射で反応してしまう。

エンジェリクとキシリアの友情はすでに終わっているのだし、いまさらオレゴンを警戒する必要はないのだが……そうと分かっていても、長年の認識をそう簡単に変えられるはずもなくて。


マリアたちがオレゴン船が向かってくる港に行くと、船を見ようとする野次馬の中にクリスティアンの姿を見つけた。クリスティアンも、クラベル商会の仕事で港に来ていたのだ。


「母上たちも来たのですか。やっぱり気になりますよね。僕も、オレゴン船が近づいてきていると聞かされて」


話している間にも、船は近付いて来る。オレゴンの旗がたなびく船――エンジェリクで見かけることは滅多にないそれに、集まった野次馬たちも注目した。


船が港に着き、乗っていた人たちが降りてくる。

どんなオレゴン人が、いったい何の目的で。周囲の誰もが、そう考えていた。


そして、降りてきた人の中から知った顔を見つけ、リチャードが飛びついていった。


「ジンラン!」


リチャードの声に反応してチャールズも振り返り、飛びついてきた子を抱きしめる。

どうして彼がオレゴン船から、とマリアも目を丸くしながら、人混みを掻き分けチャールズたちに近寄った。


「チャールズ様、ラドフォード伯……それにマオも。みなさん無事に帰ってきてくださって良かった。良かったのですが……でも、なぜオレゴン船に?」

「フレデリクを出る際に、俺たちに協力してくれたオレゴン人がいたんだ。エンジェリク船は見張られてるから助かった」

「オレゴン人の協力者ですか。どこへ行っても、変わった人がいるものなのですね」


マリアが一人納得していると、不意ににぎやかになった。船から降りてきたオレゴン人が、親しげにクリスティアンに声をかけてきたのだ。


「クリスティアン!久しぶりだな!いやー、相変わらず美人だなぁ。それに、本当に母親そっくりなんだな」

「カルロス王子……」


オレゴン人たちの中でも、若い青年だ。王子、という呼びかけにマリアは声を上げそうになった。


「オレゴンの王子なんです、この人。信じがたいとは思いますが」


怪訝そうな表情をするマリアたちに、クリスティアンは苦笑しながら紹介する。カルロス王子は、友好的な態度で……というか、ちょっとヘラヘラした様子でマリアたちに挨拶した。


「初めまして。えーっと、クリスティアンにそっくりなあんたが、オルディス公爵なんだよな?ん?妹もクリスティアンに似てるんだっけ。えっと、妹さんのほうじゃないよな?さすがに……母親、だよな?」

「はい。私がクリスティアンの母、マリア・オルディスでございます」


いくらなんでも、クリスティアンの妹には見えないはずだ。童顔で、年齢より幼く見られがちだが、十代は無理があり過ぎる。

……と、あとでそんな話をしたら、案外迷うぞ、とララたちには返されてしまった。さすがにないって。


「カルロス王子、チャールズ様たちをお助けくださって、ありがとうございました。ですが、なぜ?オレゴンはいま、エンジェリクと敵対してはおりませんが、あなた様にとっては、何の義理もない相手なのでは?」

「うーん、それがそうでもなくて。意外と。オレゴンも無関係じゃないんだよ。フランシーヌとのいざこざは」


カルロス王子が、困ったようにため息を吐く。


「イサベルも、この国に来てるんだろ?できれば、彼女にもちゃんと話しておきたくてさ」


チャールズたちと共に、カルロス王子は城へ向かうことになった。




「……では、オレゴン宮廷にもフランシーヌ人が出入りしているということか」


カルロス王子がヒューバート王やイサベル王女に話して聞かせたことを、マリアはホールデン伯爵に話した。

王都にあるオルディス邸で彼の身支度を手伝いながら、オレゴンで起きた異変について説明する。


「はい。オレゴン王に重用されているとのことですが、カルロス王子たちは、王はすでに亡き者にされているのではないか、と考えているそうなのです。王を密かに始末し、自分たちの意のままに宮廷を操っているのではないか……けれど、確証はありません。そんな状況でオレゴンはキシリアと同盟を結ぼうとしており、対エンジェリクで共闘する腹づもりです」

「なるほど。それでカルロス王子はエンジェリクに来たというわけか。エンジェリク王に協力を仰ぎ、外からオレゴンの不正を暴こうと」


マリアは頷いた。


「フランシーヌは、ずいぶんとあちこちに手を回しているなのだな。やはりヴァイセンブルが裏にいるのが原因か」

「いまはまだ、推測することしかできませんわ。でも、オレゴンに協力者ができるのはありがたいことです」


エンジェリクはフレデリク地方を放棄してしまい、大陸からエンジェリクの伝手は失われてしまった。

ベナトリア王はヒューバート王に友情を示してくれてはいるが、自分たちもヴァイセンブルグ帝国との本格的な戦が迫り、キシリアのことを探っている余裕はない。オレゴンに協力者があれば、キシリアの情報も手に入りやすくなるはずだ。


「ミゲラは再びオレゴンに奪われたそうだ。幸いにも支配は緩く、ほとんど中立の立場を取ってはいるようだが……。クラベル商会はミゲラ以外のキシリア支店はすべて引き上げとなり、私にもなかなか情報が入って来なくなった」

「ミゲラの人たちはたくましいですわ。きっといつか、イサベル様が王となった時に、キシリアに戻ってくることでしょう」


ミゲラは、セレーナ家が治めるキシリアの町。キシリアとオレゴンの国境にあるから、主君が変わることなんてしょっちゅう――あの町のことは心配しなくても大丈夫だ。


クラバットを結び終えると、伯爵の頬にそっと触れた。


「……まだ少し、熱があるようです。無理は禁物ですよ。お仕事を始めると、すぐ夢中になるんですから」


背伸びして彼に口付けようとすると、伯爵も手を伸ばし、指でマリアの唇に触れた――口づけを拒むように。


「熱がうつるぞ」

「人にうつすと早く治ると言います。私のほうが若いのですから、さっさと私にうつして、元気になってくださいませ。私ならこんな熱、一晩で治してしまいますわよ」


伯爵が笑い、マリアの憎まれ口を罰するように、軽く頬をつねって来る。それから、マリアにゆっくりと口付けた。


「まったく……私が自制を苦手としていることを知っているくせに、悪い女だ。いつも、君を前にすると、私はただの男になってしまう――君の魅力には抗いがたい」


マリアの頬を撫でる伯爵の手に、マリアも手を重ねた。


部屋の外がにぎやかになり、扉をノックすることもなく末娘のヴィクトリアが飛び込んできた。こら、と兄クリスティアンがたしなめるが、ヴィクトリアは構わず父親に抱きつく。


「お父様、もうお出かけ?もう行っちゃうの?元気になったなら、私と一緒にお出かけしてほしかったわ!お仕事終わったら一緒に遊んでね!」


話せるようになったら、女の子と言うのは本当に……静かな時がない。さすがの伯爵も、ヴィクトリアの勢いに押され気味だ。


「ヴィクトリア、病み上がりの父上にあれこれ押し付けちゃだめだぞ。それでなくても年寄りなんだから」

「最後の一言が余計だ」


いささか嫌味っぽいクリスティアンを、伯爵はじろりと睨む。クリスティアンは何も聞こえないふりだ。


「店を少し見に行くだけだ。一週間も寝ていたからな。そろそろ身体を動かさんと、鈍って仕方がない」


伯爵が屈んで娘に行ってきますのキスをしようとすると、ヴィクトリアはいやいやと首を振る。


「お兄様がね。完全に治るまでは、お父様とキスしちゃだめって言ってたの」

「クリスティアンめ――ヴィクトリア、そんな冷たいことを言わないでくれ。おまえにキスしてもらえないと、お父様は寂しくて堪らなくて死んでしまうぞ」

「えーっ!」

「父上。純粋なヴィクトリアに、なんという嘘を吹き込んでるんですか」


結局、行ってきますのハグをして、ヴィクトリアは母と一緒にホールデン伯爵とクリスティアンを見送った。

風邪を引き、一週間ほど療養に努めていた伯爵は、久しぶりの仕事に上機嫌で出かけたのだった。


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