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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その悪名伝~  作者: 星見だいふく
第六部01 沈む太陽
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戦火に包まれたキシリア (3)


クリスティアンの名を聞いた途端、立って歩くのもやっとなほどの疲労を忘れ、イサベル王女は駆け出した。

セシリオも王女のあとを追い、ダフネ王女を背負ったマクシミリアンは、少し遅れて追いかけてきた。


林を出てクラベル商会のもとへ戻ってみれば、クリスティアンの姿が。ウィリアムに呼び出され、セシリオが戻って来るのを待っていた。



「クリスティアン!」


イサベル王女がクリスティアンに飛びつく。クリスティアンも王女をしっかり抱きしめた。


「クリスティアン……あなたに会いたかったわ!お願い、ダフネを助けて!ひどい熱なの……このままじゃ……私には、もうあの子しかいないのに……!」


クリスティアンの腕の中で、クリスティアンを見上げ、イサベル王女が必死に訴える。大丈夫ですよ、とクリスティアンは安心させるように答えた。


「医者もおりますし、薬や食料も十分に用意してあります。お二人の世話は、男の僕では不都合が多いので、やはり彼女に――クレア」


呼びかけられ、女性が急いで王女たちに駆け寄ってきた。

彼女の年齢はイサベル王女と同じ。王女の侍女を務めているが、友人にも近い関係だった。


「クレア……」


侍女のクレアを見て、イサベル王女が顔を曇らせる。

クレアはすでに結婚しており、ロランド王が倒れた頃、出産のために城を離れていて、以降イサベル王女たちとは離ればなれ。久しぶりに再会できてとても嬉しい……でも。


「いいんです。イサベル様。何もおっしゃらないで。騎士の家に生まれた女ですよ。そう簡単にへこたれたりしません。私も、母も」


クレアは、イサベル王女の乳母ベスの娘。マクシミリアン・ガードナーのいとこだ。

乳母のベスは、あの砦に残った。フェルナンド軍に降伏した後、王女たちだけ脱出して……その後どうなったか、考えないようにしていた。


「そんなことより……お二人とも、すっかりおやつれになって。なんてお可哀想に……。すぐに身を清めて……それから、美味しいものをたくさん召し上がって、しっかり休みましょうね」


クレアの言葉に、イサベル王女が頷く。ダフネ王女をマクシミリアンから引き取り、クレアは女性専用の馬車に向かった。


王女たちを見送った後、ウィリアムも兄との再会を喜んでいた。


「セシリオ様……兄上……お二人も、よくぞご無事で……!」


感極まったウィリアム・ガードナーの目には、涙があふれている。兄マクシミリアンは笑いながらも、つられそうになるのを堪えていた。


「おまえのおかげだ。おまえこそ、よくぞ無事にクラベル商会に合流してくれた。おかげで私たちも助かった」


兄弟のやり取りにクリスティアンもくすりと笑い、改めて自分の弟を見る。セシリオも笑っているが……複雑な感情が渦巻き、何を話すべきか悩んでいるようだ。クリスティアンはあえてそれに触れず、弟の肩を叩く。


「もう少し移動するぞ。おまえも馬車に乗って休め。疲れただろう――いまは何も考えず眠れ」


セシリオは頷き、マクシミリアンに声をかけ、共に馬車に向かった。




クラベル商会の一団はゆっくりと移動を続け、落ち着ける場所を見つけて夜を過ごすことになった。

商会の従業員も、半分が休んでいる。だがクリスティアンを含め、寝ずの番を務めている者もいた。

……フェルナンド軍のいる砦から、馬で一日程度の距離しか離れていないのだ。厳重な警戒体制を取っていた。


「イサベル様とダフネ様のご様子は?」


王女たちが乗る馬車に近づくと、彼女たちの侍女のクレアが降りてきた。

クリスティアンの問いに、お休みになられました、とクレアは答える。


「とても大変な旅だったのでしょうね。お食事を少し取られた後、ほとんど気絶するように眠られて、目を覚ます気配もありません」

「そうか……。起こす必要はない。だが、夜が明ける前には出発する。王女たちにとっては負担になるかもしれない――特にダフネ王女の体調には細心の注意を払ってくれ。医者の話によると、思った以上に危険な状態だったそうだ。危ないと思ったら、すぐに報告を」


クレアが頷く。クリスティアンは、じっと彼女を見つめた。


「砦が降伏し、フェルナンド軍は首謀者のシルビオを処刑した。他の者の情報は聞こえてこない。健在なのかどうかも……」


慰めにも何もならないことだが、彼女には話しておくべきだとクリスティアンは思ったのだ。


「そのお話は、イサベル様やダフネ様には内緒にしておいてください。母のことならば……私も、とうに覚悟はできております。私たちガードナー家は、アルフォンソ王妃様のおかげで生き延びることができたのです。いまこそ、アルフォンソ様へのご恩に報いる時。母も、いとこたちも、みな想いは一つ……」

「……ああ。王女たちは、必ず無事エンジェリクに送り届けよう」


イサベル王女とダフネ王女のことはクレアに任せ、クリスティアンはまた見回りに戻った。


あたりは静かで、見張りをする者たちも、どこか緊迫した空気をまとっている。

ちらほらと見える人影の中に、見覚えのある姿が。


「セシリオ」


馬車に入って休んでいるはずの弟を見つけ、クリスティアンは声をかけた。夜空に浮かぶ半円の月をぼんやりと眺めていたセシリオが振り返る。

ぎゅっと唇を噛み締めているセシリオに、何も気づかないふりでクリスティアンは笑いかけた。


しばらく互いに黙ったまま。セシリオが、クリスティアンの前に手を出す。そっと開かれた掌には、セレーナ家の指輪が……。


「……そうか」


深く追及はせず、クリスティアンはただ頷いた。


「それは、必ずおまえから母上にお渡しするんだぞ。何があったか……おまえの口から説明すべきだ」

「はい……」


素直に頷くセシリオの頬を、ぽつりと涙が伝う。声を押し殺し、セシリオは懸命に自分の感情を抑え込もうとしていた。


「たまにはいいさ。弟を甘やかすのが僕の役目だ。ほら、おにいちゃまの胸で思う存分泣くといい」


冗談めかしてクリスティアンが言えば、セシリオも泣きながら笑った。

そしてクリスティアンに抱きつき、自分を甘やかしてくれる兄の胸で泣いた。


父を偲んでセシリオが泣いたのは、その一夜限りであった。




エンジェリクに渡るため、クラベル商会はキシリアの広い大陸を北に向かって進んだ。

フェルナンド軍のほうが身軽に動けるだろうし、王女たちの目的地ははっきりしている――追いつかれる危険を、イサベル王女は理解していた。


「ご安心ください。こちらとて、追手がかかるのは承知の上。早く海に出る方法を考えてあります」


クラベル商会が目指すは北にある港町……ではなく、半島の北側に流れる大河だった。

川を下って海に出る――陸路では迂回しなくてはならない場所も多いし、川用の舟に乗って海に出て、そこで航海船に乗り換える予定だ。


舟は、彼がすぐにでも出せる用意をしてくれている。


「おー、無事やったか、セシリオ!あんたがどうなってるんか、マリアがめちゃめちゃ心配しとったで!」

「ブレイクリー提督!?提督まで、キシリアに来てくださってたんですか」


セシリオは目を丸くし、驚愕した。セシリオのそんな反応に満足したように、ブレイクリー提督は豪快に笑う。


「母上が頼み込んでくださったんだ。ブレイクリー提督にも、キシリアに同行してもらえないかって」


クリスティアンは、すべてを説明するのは避けた。ようやく落ち着くことができた王女たちの負担を増やしたくなくて。


新王フェルナンドは、キシリア軍の指揮権も握っている。キシリア海軍の強さは有名だ。

……ブレイクリー提督の力を借りなくてはならない場面がやって来るかもしれない。


川を下る舟旅は、イサベル王女やダフネ王女も楽しそうだった。生まれ育った国を離れる――その寂しさはあったが、いつか必ず帰ってくることを誓って、キシリアを発とうとしていた。


「船は二隻――ひとつはクラベル商会の、もう一つはブレイクリー提督が個人で所有している旧い軍艦です。性能やスピードはクラベル商会の船のほうが上なので、イサベル様たちはこちらへ」

「ワシはあくまで護衛役やからな。丈夫さだけが取り柄やで」


川を下る舟から、海を渡る船へと移り、ついに一行はエンジェリクに向けて出港だ。

エンジェリクに逃げ込んでしまえば、キシリア王でも手出しできない。フェルナンド軍にとって、王女を奪い取る最後のチャンスでもある。

ここが最大の難所になるのは予想済みだ。


「――ま、やっぱそう簡単には行かへんよな」


船を出して五分と経たず、クラベル商会の船とブレイクリー提督の船の行く手を遮るように、キシリア軍船が次々と姿を現し始めた。


船は隠してあったが、そもそもが彼らの土地。どのあたりに隠すか、向こうも予測できるはず。

海だけは避けようがない。正面突破――そのために、頑丈なエンジェリク海軍船まで持ってきてもらったのだ。


それでも、大砲が飛んできた時にはクリスティアンも血の気が引いた。


「ワシの船の左側につけ!全部の船が大砲積んどるわけやない――多少は盾になれるはずや。そっちの船は機動力に振っとる分、装甲がもろいからな!」


ブレイクリー提督が指示する通り、大砲があるのは一隻だけ。

船の場所を特定していたわけではないから、恐らく各所を見張らせていて。だから、すべての船に大砲を載せておくわけにもいかなかった。


上手く戦力を分散させられたのは助かった。いくらなんでも、すべての船から大砲が飛んできたら、クリスティアンたちはあっという間に海に沈んでいただろう……。


「結構遠慮なく撃ってくるやんけ。あいつら、自分とこの王女が乗っとること分かってんのか!?」


フェルナンド軍全員がその認識を持っているわけではないだろうが、たぶん、王女もろとも全員が海に消えてしまっても構わないと思っているはず。

王女を直接手にかけるのはまずいが、遺体も見つからないような状況で消えるのは好都合だ。簒奪者にとって、正統な後継者である王女たちは、下手に生きていても困るのだから。


「クリスティアン、あの船の横を突っ切るぞ!」

「あの船を……」


ブレイクリー提督が指した船は、唯一大砲が乗った船のこと。キシリア海軍船団のリーダーが乗っているのがあの船だ。あれだけ装備が違えば、最重要人物が乗っているのが分かる。

他の船はクリスティアンたちの船を取り囲むように迫っており、恐らく壁役も担っている。あれらの船に体当たりを食らわせたところで、活路は見出せまい。


提督の言う通り、大砲を乗せたことで驕り、警戒がおろそかになっているあの船を狙うのが、一番生き残る可能性が高いが……。


クラベル商会の船に自分も指示を出しながら、クリスティアンはブレイクリー提督の海軍船の様子をうかがった。彼が何をしようとしているのか、分かったような気がして。

でもそれを止められるわけもなく、自分の船の前へと進み出る海軍船のあとを追って、スピードを出し続けた。


提督の海軍船では、提督の副官でもある双子たちが水夫に忙しなく指示を飛ばしていた。水夫は飲み水にもなっている酒樽を運んできて、船の中央に集め、固定して。


敵の船との距離が数百メートルにまで縮まった時、大砲が止み、キシリア海軍船が旋回を始めた。

大砲は、本来船の横側に装備されている。追撃用に船首にも積んでいたが、クリスティアンたちが横を突っ切るつもりだと気付いて、大砲のある側に誘導しようとしているのだろう。


大砲が止むと、提督の海軍船から水夫たちが乗り移ってきて、全員がクラベル商会の船へ。

……ブレイクリー提督と、双子の副官たち以外全員が。


「あばよ、ベン!美味しいところは、俺が頂いていくぜ!」

「言ってろ」


双子たちはそう言って笑い合い、手を握って――双子のうち、ベンと呼ばれたほうがロープをつかんだ。他の水夫たちも、ああやってロープを使ってクラベル商会の船に乗り移っている。


「ベン、ローレンスを頼む」

「了解です。あとのことは任せてください」


提督の頼みにベンは頷き、二人を残して、彼もまたクラベル商会の船に移った。船を動かすために、提督と双子の片割れが残り、エンジェリク海軍船は真っ直ぐに突っ込んでいく。

本装備の大砲を食らわせるため、向きを変えて無防備に横腹を晒すキシリア海軍船に向かって。


「……すまんかったな。ワシについてきたばかりに、とんだ貧乏くじ引かせる羽目になって」

「なーに言ってるんスか!提督についてきて、退屈する暇もなく楽しんできたッスよ、俺たち。後悔なんて、したこともありませんって!」


互いに別の船に乗っているのに、そんな二人の会話が、クリスティアンには聞こえたような気がした。


エンジェリク海軍船もスピードを上げた。向こうも、ようやく提督の船の意図に気付いたらしい。

回避するか、大砲で迎撃するか、判断に迷ったようだ。その迷いは、ためらいを捨てている提督にとって恰好の隙となった。


頑丈さが取り柄の巨大なエンジェリク海軍船が、キシリア海軍船の土手っ腹めがけて最高速で突っ込んでいく。船がぶつかった衝撃で、キシリア海軍船は大きく傾いた。

向こうも最新鋭の軍船だ。それぐらい沈んだりはしなかったが……。


海軍の戦法と言えば、昔は船同士をぶつけるというものであった。大砲の登場で、船同士の体当たりは古臭い戦法と化したが、それだけに、新しい船ほど単純かつシンプルなこの攻撃に弱かった。


提督の船のマストが、キシリア海軍の船のマストに食い込み、敵は逃げられないでいた。

その横を、クラベル商会の船が最高速ですり抜ける。


キシリア海軍船は大砲を撃って提督の船を粉砕することを目論んだが、提督は抵抗を封じ込めた。


大きな爆発に、まだそれほど距離を取れていなかったクラベル商会の船も衝撃に揺れた。

船の中央に集められた酒樽に火が点けられ、爆発し、提督の船が大炎上する。食いつかれたキシリア海軍船にも火の粉が飛び散り、提督の船を包む炎は、キシリア海軍船をも飲み込もうとしていた。


「漕ぎ手に急がせろ!全速力でこの場を離れるんだ!ブレイクリー提督が作ってくれたチャンスを無駄にするな!」


燃え盛る船に唖然とする船員たちに、クリスティアンが指示を飛ばす。提督の副官であったベンも、燃える船を一瞥することもなく船内を行き交い、水夫たちに命令していた。


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