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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その悪名伝~  作者: 星見だいふく
第六部01 沈む太陽
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戦火に包まれたキシリア (2)


クラベル商会からの返事を父に渡すと、シルビオはついにある決断を下した。

――イサベル王女、ダフネ王女と共に、この砦から脱出する。


脱出のための手筈を父から聞かされたセシリオの表情は暗い。手紙を受け取った時には、これで必ず状況が良くなると信じていたのに。


「そんな情けない顔をするな。大仕事が待ってるんだぞ。キシリアの命運は、おまえたちにかかっていると言っても過言じゃない」


シルビオは笑い、息子の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。

その笑顔は穏やかだった。


「セシリオ、イサベル王女たちを頼む。おまえも、必ず生きてエンジェリクにたどり着け。それから……マリアに、これを返しておいてくれ」


自分の指から指輪を抜き、セシリオに手渡してくる。その指輪のことは、セシリオも知っていた。

マリアの父親の形見――セレーナ家に代々伝わる指輪。母が、父に譲り渡したもの。


両手で大事にそれを受け取り、指輪をじっと見つめる。そんなセシリオの肩を、シルビオがぽんと叩いた。


「……おまえという息子を得られて、俺はなかなか幸運な男だった。他の家族には恵まれなかったが、おまえで幸運を使い切ってしまったから仕方がないな」


父に抱き寄せられ、セシリオは大人しく父の腕の中に収まった。

少し前まで、父の腕にすっぽり収まっていたのに……あんなにも大きかった父に、すっかり体格が追い付いた。身長も、ずいぶん差がなくなっている。


「セシリオ。おまえの父として生きるより、キシリア王の臣下として死ぬことを選んだ俺を許せ」




砦内の馬小屋で、イサベル王女とダフネ王女は、すでに旅支度を済ませてセシリオたちを待っていた。


「お待たせしました。イサベル様、ダフネ様。夜明け、この砦は門を開きます。兄上が、フェルナンドの軍にクラベル商会で雇った傭兵を潜入させ、私たちの逃亡を手助けする手はずとなっております――イサベル様は私と、ダフネ様はマクシミリアンと。馬二頭で、この砦を脱出します」

「私とダフネだけ?でも……じゃあ、ベスや、他のみんなは?」


言いながら、イサベル王女は自分たちの身支度を手伝ってくれた乳母のベスを見る。乳母のベスは、穏やかに微笑んだ。


この砦には、少ないが、シルビオやイサベル王女に味方をし、共に逃亡の旅を続けてくれた仲間もいる。命がけの旅……ここまでついてきてくれたというのに、それを見捨てて、自分たちだけ。

王女が拒否したくなるのも当然だ。


「フェルナンドの目的は、王女様たちです。無用の虐殺は向こうも避けたいはず。降伏した相手を殺すよりは、王女様たちを追うほうを優先するでしょう」


明日、夜が明けたら。

シルビオたちはフェルナンド軍に降伏する。


フェルナンド軍を招き入れるために砦の門が開かれ……その隙に、セシリオたちの馬が脱出する。大勢では出られないが、馬二頭ぐらいなら、クリスティアンが用意してくれた潜入者たちに紛れ込ませて逃げ出せるはずだ。


あえて詳細は説明せず、セシリオは王女たちに手短に説明した。


「マクシミリアン。イサベル様とダフネ様をお守りするのよ。それに、あなたも……必ず無事にエンジェリクに着いてちょうだい」

「はい、叔母上」


シルビオの従者として付き従ってきたマクシミリアン・ガードナーは、叔母を抱きしめ、別れの挨拶を済ませる。乳母のベスは、セシリオよりずっと前に、シルビオから脱出計画について聞かされていたのだろう……。




夜明け。

用意された、二頭の馬――セシリオはイサベル王女と、マクシミリアンはダフネ王女と共に乗り、合図を待つ。

乳母のベスが、馬小屋の外で様子を見守っていた。


全員が息を殺し、静かに待ち続ける。門が開く音……大勢の人間が砦に入って来る音……距離があるはずなのに、まるですぐそばで行われているかのように、セシリオの耳にはっきり届いた。


そして悲鳴が響き渡り、一気に砦内が騒がしくなる。

セシリオの背中で、セシリオにしがみついていたイサベル王女が息を呑む。

何が起きてるの、と恐怖に震える声で王女が尋ねてきたが、セシリオは聞こえなかったふりを決め込んだ。


「セシリオ様、マクシミリアン、いまよ……!」


馬小屋の扉を開け、乳母のベスがセシリオたちを急かす。セシリオとマクシミリアンは、思い切り馬を走らせた。


この砦には、東門と西門がある。シルビオは、まず東門を開けてフェルナンド軍を砦内に招き入れると言っていた。

セシリオたちは、仲間がこっそり開けてくれる西門に向かって走る。


東門も西門も、広い中庭に面しており、逃亡するセシリオたちが見つかるのは分かっていた。


予想通り、中庭を横切る際、フェルナンドが寄越したキシリア軍に発見された。全速力で駆けて行く二頭の馬を見て、何か叫んでいる。セシリオはそれを一瞥することもなく、真っ直ぐ馬を走らせた。

イサベル王女がセシリオの背中でまた何か呟いたが、それも聞こえなかったふりだ。


「セシリオ、あれは……シルビオが……!」


中庭に倒れ込んだ黒衣の男。血にまみれたその姿は、視界に入れまいとしたのに、いやでもセシリオの目に飛び込んできて。


――こちらが降参した後……やつらはまず、俺を殺そうとするはずだ。殺すだけの理由がある。それにフェルナンドの目的は、王女よりも俺かもしれないからな……。


フェルナンド軍は、キシリア王弑逆の大罪人であり、王女誘拐の首謀者でもあるシルビオを殺すことを優先する。

王女たちを探すのはその次。シルビオが死ねば、邪魔者もいなくなる。

ようやく目的を達して、多少油断もするだろう。そこに、クリスティアンが忍ばせた間者の手助けがあれば、十分脱出するだけの隙ができるはず。

その隙を突いて、イサベル王女とダフネ王女を連れ、セシリオとマクシミリアンは砦から脱出する。


クラベル商会は、砦から百キロ程度離れた町まで来ている。馬を飛ばせば、二日……上手くいけば、一日もあれば合流できる。

――無事に逃げ切れ。


父の言葉を胸に刻み付け、セシリオはためらわず走った。自分たちに気付いたフェルナンド軍が追いかけてきても、西門の向こう側に敵軍が見えても。


「我々が追う――任せろ……!」


背後で、追手がそう叫ぶのを聞いた。ちらりと追手を見てみれば、先頭で走る男が、まるでセシリオに見せつけるように短剣を抜く。

短剣の柄には、紫色の刻印が。


馬も騎手の腕も、追手のほうが上だった。王女を乗せている分、向こうのほうが身軽なこともあり、追手はセシリオたちに追いつき、やがて隣に並んだ。


「……そのまま突っ込め。俺たちが道を作る」


小隊長のように振舞っていた男が仲間に合図し、セシリオ、マクシミリアンよりも先に西門から飛び出した。

彼らは、クリスティアンが忍ばせておいた傭兵たちだ。


フェルナンド軍は突然自分たちに飛び掛かってきた一団に驚き、混乱していた。敵は降参して、自分たちの仕事は終わったと思い込んでいたのだろう。完全に油断していたから、大した手勢でもない一団に圧されて。


混乱するフェルナンド軍の隙間を抜け、セシリオとマクシミリアンはついに砦から脱出した。

クラベル商会が雇った傭兵たちは、しばらくの間、自分たちの護衛として付き従ったが、途中で離脱した。


「ここで別れるぞ――追手を食い止め、多少の時間稼ぎはしてやる。契約はそこまでだ――あとは自分たちだけで逃げろ」


所詮は金で雇われただけの傭兵。報酬分の働きをしたら、あっさりと去っていく。

それでも、おおいに助かった。


「助力に感謝する!」


セシリオはそう叫び、護衛たちと別れた。




馬をひたすら走らせたが、夜になると止まるしかなかった。

街道から少し逸れた林の中、腰を落ち着けられそうな場所を探した。


さすがに休息を取らなければ。馬も限界だし、なにより……王女たちも疲れ果てていた。特に、妹のダフネ王女が。


「お姉様……私のことは捨てていって。お姉様だけでも……。私は足手まといにしかならないわ……このままじゃ、お姉様たちまで共倒れに」


長い逃亡生活と、物資の乏しい状況での籠城生活で、王女たちはとっくに限界を迎えている。

砦を脱出する前からダフネ王女は熱を出して寝込んでいて、馬に乗るだけでもかなりの負担だった。


妹を抱きしめ、わずかな水を与えながら、イサベル王女は必死で励ました。


「気を強く持つのよ、ダフネ。お願いだから……。もうすぐなのよ……もうすぐ、クリスティアンたちに会えるの。そしたら私たち、助かるのよ……!だから、そんな弱気なこと言わないで。あなたまで、私を置いていかないで……!」


母と弟を亡くし、父を謀殺され、上の妹も旅の最中で失った。ダフネ王女は、イサベル王女に残された最後の家族だ。


今夜はもう、どこかで休んで――町か村を探して、宿を取るべきかもしれない。きちんと休める場所で……でも、近隣の町村はフェルナンド軍が見張っているに違いない。


どうしたらいいのか……。

途方に暮れるセシリオは、ハッと顔を上げた。


「……マクシミリアン。イサベル様とダフネ様を頼む。三十分経っても俺が戻らなかったら、おまえたちだけで逃げろ」


マクシミリアンも、セシリオが気付いた音を聞き取っていたらしい。神妙な面持ちで頷く。

イサベル王女は訳が分からないという顔ですがるようにセシリオを見つめ、ひたすら妹を抱きしめていた。


蹄の音……一頭や二頭ではない。小隊並みの規模で移動している集団がいる。

こちらに向かって走って来ていて。


街道へと戻り、木の影からそっとうかがう。

もし、自分たちの追手だったら。例えフェルナンド軍ではなかったとしても、キシリアでセシリオたちの味方はいない。誰かに見つかるだけでも、危険極まりない……。


馬を走らせる集団が見えてきた。

先頭で走っているのは……。


「ウィリアム!」


思わず街道に飛び出し、セシリオは叫んで、大きく手を振った。集団の先頭で走っていたウィリアム・ガードナーがセシリオに気付き、集団に止まるよう急いで指示を出した。


「ウィリアム!おまえがいるということは……兄上は……!」


駆け寄るセシリオに、ウィリアムも馬を飛び降りた。


「もちろんクリスティアン様も一緒です!隊の中ほどのほうに……誰か、クリスティアン様を――!」

「俺も連れがいるんだ――呼んでくる……少し待っていてくれ!」


長い旅の疲れも感じさせず、セシリオは全力で走った。疲れることも忘れたように。

林に戻り、イサベル王女たちが待つ場所へ。


派手な物音を立てて戻ってきたので、王女たちを怯えさせてしまったらしい。イサベル王女は妹のダフネ王女を抱きしめ、血の気を失った顔をしていた。


「マクシミリアン……ウィリアムだ!おまえの弟!」


険しい表情で警戒していたマクシミリアンに向かってそう言えば、従者は目を丸くした。それに思わず笑って。

セシリオは、満面の笑顔でイサベル王女を見た。


「イサベル様。クラベル商会です!兄上が……クリスティアンが、もうすぐそこに来ています!」


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