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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その悪名伝~  作者: 星見だいふく
第六部01 沈む太陽
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戦火に包まれたキシリア (1)


港に着いたクラベル商会の船から、次々と人が降りてくる。

降りてくる人たちに、マリアはすがるような視線を送った――あの子たちの姿を求めて。


「母上」


呼びかけられ、マリアはすぐそちらに振り返った。無事な姿を確認し、ほっと溜息をついて急いで駆け寄る。

兄弟を迎えに行っていた長男クリスティアン……そして、キシリアに渡っていた次男セシリオ。


セシリオは十四歳になると同時に父親についてキシリアへ行き、それからずっと、エンジェリクに帰ってこなかった。キシリアへ発つ際、十五になる前には帰ってきます、と言っていたくせに……十五歳の誕生日は、もう過ぎてしまった。


「二人とも、無事に帰って来てくれて良かったわ。セシリオ、もっとちゃんと顔を見せて。最後に見た時には私とほとんど背も変わらなかったのに、すっかり男らしくなって」


手を伸ばし、セシリオの顔に触れる。

父親そっくりの、精悍な男となった息子。目元はマリアのものだが、セシリオはそのほとんどが父親譲りだ。自分のもとを巣立ってしまった、キシリアの騎士……。


「母上……」


もう一度、セシリオがマリアを呼び掛ける。その声は、苦渋に満ちていた。

彼らが何を話そうとしているのか、マリアは聞かなくとも分かっていた。でもきっと、聞かないわけにはいかないのだろう。


セシリオの言葉を待ったが、息子は唇を噛み締め、何も言えないでいた。言葉の代わりに母の手を握り、そっと、母に手渡した。


「……指輪」


手の中のものを確認し、マリアは呟く。

それは、セレーナ家――マリアの生家の指輪。マリアの亡き父が身に着けていたもの。父が亡くなったあとマリアの手に渡り……マリアは、それをシルビオに譲り渡した。


「まさか……これが、私の手元に戻って来るだなんてね」


セレーナ家の指輪が、マリアの手元に戻ってきた――指輪の持ち主が、再び喪われたということ。

戦いの中で生きる男だ。こんな日が来ることを、覚悟していたつもりだったけれど。


マリアは、両手で指輪をぎゅっと握り締めた。




きっかけは、ランベール・デュナンの死。

フランシーヌ皇帝の名が、ある日不自然なほど聞こえてこなくなった。周辺諸国は当然その真実を探った。


恐らく、デュナン将軍は謀殺されたのだろう――他国の人間のほとんどがそう考え始めた頃、フランシーヌは将軍の死を公表した。


老衰による病死。年齢を考えればさほど不思議なことでもなかったが、それを信じる者は少なかった。

将軍はフランシーヌ内部の争いの結果始末され、その死を隠し切れなくなったから、慌てて公表した。将軍の死因は重要ではない。問題は……将軍が死んだことで、何が起きるか、ということ。


強大な軍事力を持って国を抑える独裁者――その抑止力は、他国にとってもメリットがあった。

デュナン将軍が抑えつけているからこそ、フランシーヌは国としてそれなりにまとまっていた。将軍という抑止力がなくなれば、暴走するのは必至。

フランシーヌに隣接する国は、次の出方をうかがっていた。


トップの座が空白となったフランシーヌでは、新たなリーダーの座を巡って後継者争いが行われ、キシリアは、それに巻き込まれることとなった。

――フェルナンド・デ・ベラルダ。再び、この男がキシリア王に反逆したのである。




沈みゆく太陽――この光景を見るのがいったい何度目になるだろうか、とセシリオはぼんやり考えていた。

砦を囲う塀から、沈む夕陽と……遠くに見える軍隊を眺める。


この砦に立てこもってから、数ヶ月が経った。数えることをやめてしまったから、正確な日付は分からない。ただ、限界はすぐそこまで来ている。もう一週間も耐えられないだろう。

薬も食糧もとうに底を尽き、人も、ここに来た当初に比べて半数が亡くなった。


半年前、ロランド王が崩御し、キシリアは再び戦火に包まれた。

フェルナンド・デ・ベラルダ――セシリオの腹違いの弟が新たなキシリア王を名乗り、王位継承を巡って争いが起きた。


ロランド王の死も、当時から不審だらけだった。


フランシーヌからならず者たちが侵入し、キシリア北部を荒らしている。

その情報を受け、ロランド王は鎮圧に向かった。オレゴンとの戦を控えていた王は、余計な混乱を防ぐため、先にそちらを片付けてしまおうと。

そして……王が戦死したと。


偉大なる武人でもあったロランド王が。誰もが驚愕し、戸惑う中、さらなる混乱を招く情報が錯綜する。

ロランド王は、臣下のシルビオに裏切られ、謀殺された――それが、シルビオを貶めるための罠であるのは明らかだった。


逮捕されたシルビオを、イサベル王女はかばった。それが罠だと分かっていたが、罠を仕掛けた人間も、その理由も分からない以上、シルビオをみすみすロランド王弑逆の大罪人として処刑させるわけにはいかなかったのだ。


まんまと罠に踏み込んで、シルビオはロランド王弑逆の大罪人として王都を逃げ出すこととなり、シルビオと行動を共にするイサベル王女たちは、大罪人に誘拐された人質――王女を奪還するため、大罪人を仕留めるため、新たなキシリア王は軍隊を送り込んだ。


ロランド王が認めたキシリア王国の後継者は、アルフォンソ王妃が生んだ娘三人だけ。

王家の血を引いているとはいえ、フェルナンドにその権利はない。だが、フェルナンドは傲慢にもキシリア王を名乗り……。


「セシリオ、手紙は届いた?」


地上から声をかけられ、セシリオは振り返った。見張り台から降り、イサベル王女に向かって首を振る。

王女は激しい落胆を懸命に堪え、そう、と力なく微笑んだ。


「きっと朝になったら届くわ。鳥って、暗くなると飛べなくなるんでしょう?だから……もうすぐ夜になるから、どこかで休んでいるのよ。明るくなったら、きっと……」


その言葉はセシリオを励ますためのものでもあり、自分を必死で鼓舞するためのものでもあった。それを指摘することはなく、セシリオも笑顔で頷く。


砦は、新たなキシリア王が送り込んできた軍隊によって取り囲まれていた。強固なこの砦は、キシリアの正規軍であってもそう簡単には落とせない。だから彼らも、よほどのことがなければここに乗り込んでくることはない。

――乗り込んでこなくても、向こうが自滅するのを待てばいいのだから。何も、自軍に損ねる方法を選ぶ必要がない。


キシリア国内を逃げ回り、シルビオは支援者を集めた。王女やシルビオの求めに応じ、手を貸してくれた者もいた。

だが国の大半は、シルビオたちを見捨てた。


フェルナンドは幼い。上手く操れば、王を傀儡に、自分がキシリアの覇権を握ることができるかもしれない――それに期待してフェルナンドについた貴族も多く。

たぶん、フェルナンドの反逆も、フェルナンド一人で思いついて実行したものではないだろう。フェルナンドの背後に、幼い新王を利用したい人間がいるはず。それも一人や二人ではなく、大勢の人間が。


シルビオが、ロランド王弑逆の大罪人となってしまったのもまずかった。

疑いを晴らさぬまま逃げ出したシルビオに、協力することを尻込みしたものも多い。シルビオと共に、国の反逆者となって王と戦う覚悟をしなくてはならない――それができなかったとしても、責められるはずがなかった。


――クリスティアンは正しかった。

父が、ぽつりとそんなことを呟くのをセシリオは聞いた。


ロランド王の父トリスタンの時代。宰相だったクリスティアンは王弑逆の大罪人として逮捕され、逃亡を拒否した。

自分も、せめて逃げ出さなければ……王女たちはもっと無事でいられただろう、と。


ロランド王とアルフォンソ王妃の三人の娘たちはシルビオと共に王都を脱出し、逃亡の旅を続けて……。


「……ブランカを、お母様やイサークのいる僧院へ早く移してあげたいわ。遠く離れたところで、一人ぼっちで眠らなくてはいけないだなんて」


たぶん、王女は口に出している自覚がなかっただろう。イサベル王女が思わず漏らしてしまった言葉に、セシリオは黙り込む。


三人の王女のうち、二番目の王女――イサベル王女の妹ブランカは、旅の途中で病にかかり、命を落とした。

逃亡の最中であったため、きちんとした僧院に埋葬することもできず。一国の王女が眠るにはおよそ相応しくない場所に、遺体を隠すしかなかった。いつか必ず、他の家族と同じ場所へ還すと固く決意して。


互いに黙り込み、かける言葉を探すことすらできずにいた頃。

夜の気配が強まった空に、鳥の影が見えた。


「セシリオ、あの鳩……!」


イサベル王女が、鳥を指差して興奮したように声を上げる。セシリオも、自分たちに向かって高度を下げる鳩に急いで駆け寄った。

長い旅をしてきた鳩は、疲れた様子でセシリオの腕にとまる。細い足に、しっかりと手紙を結び付けて。


鳩の足から手紙を取って広げれば、イサベル王女が横から覗き込んでくる。

セシリオはそれを諫めるのを忘れ、自分もまた、手紙を夢中で読んだ。


「クリスティアンの字よ!手紙は無事に届いたのね?クラベル商会から、返事が来たのよね?」


必死になって尋ねるイサベル王女に、はい、とセシリオは笑顔で頷いた。

今度こそ、心からの笑顔だった。


「父上に知らせてきます!」


セシリオは駆け出し、シルビオのもとへ向かった。

イサベル王女もどこかへ――たぶん、妹のダフネ王女のところだ。ダフネ王女にも、クラベル商会から返事が届いたことを知らせに行ったのだろう。


これで自分たちは助かる。

セシリオはそう確信した。


キシリアは自分たちを見捨てた。もう味方はいない。キシリアに、信じられる人間はいない。

でも、エンジェリクには。


母マリアは、必ずイサベル王女の味方になってくれる。母が説得すれば、エンジェリクの王が動く。

おじが、キシリアの正統な後継者のため、傲慢な簒奪者から王冠を奪い返してくれるはずだ。


そのために、イサベル王女たちはエンジェリクに逃がさなくてはならない。クラベル商会が……クリスティアンが来てくれたのなら、きっとうまくいく。


太陽は沈み、空は完全なる闇に覆われていたが、セシリオには自分たちが進むべき道がはっきりと見えていた。


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