ドレイク家には縁がない
暖かなある日。美しく咲いた真っ赤なクラベルの花を手に、エドガー王子はいとこのアイリーンに言った。
「アイリーン。大きくなったら、僕のお嫁さんになってください」
五歳の誕生日を迎え、ちょっぴり大人になったエドガー王子の可愛らしいプロポーズ。
幼いながらに父親譲りの美しいアイリーンの表情は、微動だにしない。
「無理よ」
ばっさりと断られ、エドガー王子は涙目になる。それでもアイリーンは表情を変えることなく、だって、と冷静に説明し始めた。
「私は歌手になりたいから。おばあ様みたいに舞台に立って、多くの人を感動させる……そんな歌手に」
ニコラス、アイリーンの祖母――ジェラルド・ドレイク宰相の母親は、エンジェリクでも有名なオペラ歌手であった。ジェラルドが少年時代に亡くなっており、アイリーンたちは父親から祖母の話を聞いただけ。
だけど、祖母の思い出を、どこか柔らかい表情で語ってくれる父を見ている内に、アイリーンは彼女に憧れるようになって。
歌手になりたいという夢は、母からは反対された。オルディス公爵家とドレイク侯爵家の血を引く娘が、家を捨てて歌手になるなんてとんでもない、と。
――私は反対し続けるけれど、それでもなりたいというのなら、精一杯やってみなさい。
母なりの優しさであることはアイリーンにも分かった。だから、母に認めてもらえるよう、アイリーンは頑張るつもりだ。
「歌手になるのが、アイリーンの夢なの?」
プロポーズを断られて涙目になりながら、王子が言った。
「分かった。僕、応援するよ!アイリーンが歌手になる夢を叶えたら、僕と結婚してね」
「だから、それが無理なのよ」
歌手になるということは、身分を捨てるということ。舞台女優なんて、まっとうな家柄の女子がやることではない。
エドガー王子は未来のエンジェリク王なのだから、彼と結婚する女性は王妃になる資格を持っていなくてはならない。ただの市井の女がなれるはずもない。
アイリーンが夢を叶えば、自分との結婚なんてありえなくなるのに――幼いエドガー王子は、そのことを理解できているのか……。
「エドガー殿下のプロポーズを断ったそうだな」
家に戻ると、仕事から帰宅した父にそんなことを言われてしまった。咎めているわけではなく、少し面白がっているような口調だ。
なぜ父がそれを知っているのか――微妙に視線を逸らしているニコラスを見て、おまえか、とアイリーンは察した。
「私はオペラ歌手になりたいんです。王子からの求婚なんて、お断り一択に決まってます」
「もったいないことを。おまえを嫁にもらってくれるような奇特な男、二度と現れるかどうか」
ぽつりと毒を吐く双子の弟を、じろりとアイリーンは睨んだ。ニコラスは素知らぬ様子だ。
二人とも、父親から受け継いだポーカーフェイスで、傍目にはあまり変化がなかったけれど。
「私は、おまえの選択に口出すつもりはない。エンジェリク王子の結婚だ――さすに、もっと慎重に考えるべきだろう。いささか、オルディス家に力が偏り過ぎる……実際に結婚するとなると、様々な障害が」
「私のことより、他に結婚のことを真剣に考えるべき人間がいるでしょう。ニコラスに……お父様ご自身も」
アイリーンがチクリと言えば、ふん、と父は鼻で笑い飛ばすばかり。
宰相一族に生まれ、顔だって悪くない。ひそかに好意を寄せる女性も少なくはないのに、女どころか、人を寄せ付けない雰囲気でいまだに独身を貫いていて。
……まあ、母一筋で、他の女なんか目にも入らないのだろうけれど。
「いまさら、父上に結婚なんか無理だろう。母上にぞっこんなのは有名だし、そんな女性との間に子供まで作ってるんだ。もう訳あり女ぐらいじゃないと――そんな女性を義理の母とあおぐのも……」
「もちろん私も嫌よ」
そうじゃなくて。
――それ以上の言葉は、アイリーンも口には出さなかった。いくら父親贔屓になるのは当たり前と言っても、不謹慎すぎるから。
父が、いつかマリアと結婚してくれたら。
ホールデン伯爵を夫に迎えて幸せそうな母を前にして、そんなことが言えるはずもないし。父も……母の幸せを壊すようなことは望んでいない。
そのくせ、ちゃっかり母との関係は続けているが。




