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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その悪名伝~  作者: 星見だいふく
第一部02 消えない亡霊の影
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譲れないもの (1)


膨らんだお腹にも、すっかり慣れてしまった。

……でも本当は、前回で最後のはずだったんだけどな。


そんなことを思いながらマリアが自分の腹を撫でていると、背後から自分を抱きしめるウォルトン団長が、気遣わしげにその手を腹に伸ばしてきた。


「どうかしたか?何か、体調に不安でも……」

「いいえ。至って元気です。私も、お腹の子も。すっかり見慣れた光景だなと……でも、今度こそ次で最後ですわ。少し、寂しくもあります……」


ウォルトン団長の子を生み、そしてドレイク卿と……。正真正銘、それで最後だ。だって、その出産を終えたら、マリアはセイランへ出発するのだから。


「君を一人で遠い外国へ行かせるのは、心配でならないな」


そう言って、ウォルトン団長はマリアをぎゅっと抱きしめる――お腹に負担がかからないように。


マリアのセイラン行きを知り、親しい人たちは反対し、心配した。エンジェリクの軍人は、マリアの護衛にはつけない。ウォルトン団長は退職してでもマリアについて行きたいと申し出てくれたが、マリアが反対した。

国を離れるのだ。エンジェリクを留守にする間、信頼できる人に国を――オフェリアのことを任せたい。だからウォルトン団長を退職させるなんてそんなこと、絶対に認められない。


「正直に言えば、私も不安です……それに、とても寂しい」


セイランへ行く。

そうなれば、しばらくエンジェリクに帰って来れないだろう。外国への旅――キシリアへ何度か渡ったことがあるが、かかる日数はあの時とは比較にもならない。危険もいっそう増し……。

当然、子どもたちは連れていけない。マリアは子どもたちとも長く離ればなれになってしまう。寂しくないなんて、そんなこと。冗談にもできないぐらい……寂しくて堪らない。


「子どもたちが自分の父親と一緒に帰りを待っていてくれるなら……。私、安心して旅に出れますわ。そして、何があっても必ずエンジェリクへ帰ってきます」

「絶対だぞ。君がそう言うから、僕は辞職を思い留まったんだ。オフェリアや子どもたちは僕らがしっかり守るから……必ず帰ってくるんだぞ」

「はい。でも、まずは無事に出産を終えなくては」


それまでは、マリアも子どもたちの母親であることを優先しよう。長い別れが来るまで、まだ時間はある……。


――ヒューバート王からは、ウォルトン団長とドレイク卿の子を生むまでマリアのセイラン行きを認めないと断言された。


仕方のない判断ではある。

セイランに行って、無事に帰ってくる保障はない。万が一の可能性……それを考えたら、マリアが男児を生むほうが優先されてしまう。エステル王女の婿となる――将来の王配を確実なものにしてからでなければ……。

マリアもそれに同意した。マリアに課せられた義務なのだから、それを果たすことが優先されるのは当然だ。


「命の危険もあるが、僕としては別の心配もある。セイランや、セイランに向かう道中で君のファンを増やしてくるんじゃないか心配で心配で。それで現地の男に懇願されて、エンジェリクに帰って来なくなるとか」

「ほほ、まさか」


笑い飛ばしつつも、思わず目を逸らしてしまう。そのパターンは有り得そうで。

自分でも乾いた笑いしか出ない。

そんなマリアに、ウォルトン団長も苦笑する。


「あと五人ぐらい子どもを作って、君のセイラン行きを阻止すべきかもしれんな」

「勘弁してください。それは本当に死にますわ」




子どもは増え、成長し、子どもの声が途絶える時間がない。静かになるのは眠っている時だけ――眠る我が子の顔を見て、一日の騒がしかったことを思い出しては苦笑いしてしまうこともしばしば。

長女スカーレットの泣き声を聞き、マリアは声のもとを探した。


デイビッドに抱っこされた赤ちゃんに髪を引っ張られ、困り果てているスカーレットが。母親の姿を見て、救いを求めるようにこっちを見ている。


「ママー……」

「ああ、すみません、マリアさん。カタリナがスカーレットさんの髪をつかんで放そうとしなくて……」


娘を抱いたまま、スカーレットを助けようとデイビッドはおろおろしていた。マリアはクスクスと笑って、スカーレットを救出する。

自分もよちよち歩きな赤ちゃんのくせに、カタリナのお世話をしようと一人前におねえさんぶっていて……。髪を引っ張られて泣いてたのに、スカーレットはまた、懲りることなくカタリナに近付いてあやそうとしている。


「もう、あなたって子は。懲りないんだから」


歩けるようになったら、本当に大変だ。


三男のローレンスも歩けるようになった途端、あっちへ行っては物を破壊し、そっちへ行っては兄セシリオにちょっかいをかけて、反撃されて大騒ぎ――セシリオも言葉が出るようになって、それまでの物静かさが嘘のようにうるさくなった。

これでスカーレットが本格的に参戦するようになったら……。


女の子の成長は早いと言われているが、実際に、スカーレットは兄弟の中でも一番早く喋るようになった。まだ単語程度だが、もうすぐあれなになんでどうして攻撃が始まるぞ、とララから脅されて――ララは多くの兄弟に囲まれて育ったから、娘の大変さもよく知っている。


乳母は雇っているが、屋敷は人手不足だった。もっと人を雇えばいいと言われてはいるのだが、余計な人間を屋敷に招き入れたくなくて……けれど、ナタリアが働けないのなら、やっぱり新しい人間が必要だろうか。


休んでいるナタリアの部屋を見舞えば、ベッドに横になったままのナタリアが不安そうな視線を向けてくる。


「マリア様、カタリナの名前が聞こえたような気がしたのですが、あの子が何かしましたか?」

「何もしてないわ。スカーレットが一人前におねえさんぶってお世話しようとして、可愛い悪戯をされてただけ」


ナタリアは産後の肥立ちが芳しくない状況で、まだ伏せっていた。生まれた娘のことも含め、なんとかマリアの世話をしようとするのを、デイビッドと二人がかりで止めている状態だ。

デイビッドも、ようやく寝付いた娘を連れて妻のいる部屋に帰って来た。


「申し訳ありません、デイビッド様。デイビッド様にも、すっかりご迷惑をかけて」

「迷惑だなんて。そんな言い方しないでください。悲しくなりますよ。ナタリアさんはカタリナを生むために頑張ってたんですから、生まれたら、今度は私が頑張る番になるのは当たり前です。私に任せてゆっくり休んで……とは、言ってあげられませんかね。私じゃちょっと頼りないですし」


冗談めかしてデイビッドが言えば、ナタリアも笑う。夫に付き添われ、ナタリアは眠る娘をそっと抱いた。


デイビッドはクラベル商会を休み、妻と生まれたばかりの娘の世話に付きっきりだ。それまで仕事に夢中だったのだから、これでようやくバランスが取れるというもの――もっとも、本当にデイビッドに任せきりにするのは不安なので、やっぱりマリアやララも手伝うしかないが。


「おい、マリア。お客だ」


それぞれの腕にローレンスとセシリオを抱えながら、ララが知らせに来た。たぶん、息子たちはまた暴れてたのだろう。二人揃って。


「お客?こんな時間に?今夜は誰との予定もないはずだけれど」


マリアは妊娠中。ナタリアは寝込み、デイビッドとララは女子供の世話で手いっぱい。雑事を手伝いに来る以外で屋敷を訪れる人間はいない。さすがにいまの時期は、客の対応をしていられる余裕がないから……親しい人たちも、手伝い以外で訪ねるのは控えてくれている……。


けれど、屋敷の前には馬車が止まっていた。目立たないよう、わざと質素にしているが……あれは王妃が所有するもの。

出迎えてみれば、やっぱりオフェリアが。


「お姉様、大変なの。ベルダがマルセルと離婚しそう」


エステル王女を抱っこし、オフェリアが困ったように話す。続いて馬車から降りてきたベルダは何やらおかんむりで。何があったのかマリアが聞く間もなく、てきぱきと荷物を下ろして片付けを始めた。


「ナタリア様が動けないから、お屋敷もずいぶん荒れちゃいましたね。でも大丈夫です!私、さっそく掃除に行ってきます!」


きびきびと手慣れた様子で掃除をしてくれるので大助かり……なのはいいのだが、動作のひとつひとつに怒りが込められている。


女友達に会えて、スカーレットは嬉しそうだ。王女がスカーレットと遊び始めたのを確認すると、マリアは改めてオフェリアと向き合う。


「何があったの?」

「うん……あのね、ユベルに縁談が来てるの。私と離婚して、外国の王女様と再婚したほうがいいって。そんなお話もあって……」


それはもちろん、マリアも知っている。エステル王女が生まれた時から、ずーっと貴族たちがひそかに言い合って来たことだ。そしてマリアが、ずっと黙らせて来たことでもある。

王や内務大臣たちに、なんとか抑えさせていた。それも、そろそろ限界が来ている。新しい手を考える必要があることも、分かっていた……。


「ちょっと待って。あなたとヒューバート陛下を離婚させようとする話よね。それでどうして、ベルダとマルセルが離婚することに?」

「マルセルは、私とユベルが離婚することに賛成してるみたいなの」


あ、とマリアは察した。

マルセルはオフェリアを嫌っているわけではないが、彼が忠誠を誓っている相手はヒューバート王。王のためになることが最優先なのだ。

だからオフェリアを王妃の責務から解放することに賛成した。王妃としての面倒事は他の女に押し付けてオフェリアを寵愛すればいいと、そのほうが、ヒューバート王としては安泰だ。


けれどそれは、オフェリアを傷つけることになる。愛する男が、お飾りとは言え他の女を妻に。ベルダにはそれが許せない。例え、オフェリアに利のあることでも……オフェリアの気持ちを踏みにじる以上、そんなことは受け入れられない。

それで主人夫婦が離婚する前に、従者夫妻が離婚の危機に瀕しているわけか。もう……どっちも、自分が敬愛する主人のためになると譲らない人間なんだから……。


「私……ユベルと離婚してあげたほうがいいのかな……。私みたいな王妃じゃ、ユベルも大変だもん……もっとしっかりしたお嫁さんをもらったほうが、ユベルも、みんなも幸せに……」

「ダメよ、オフェリア。そんなことを言っては」


目尻に涙を浮かべながら呟く妹を、マリアは優しく抱き締める。


「ヒューバート王の幸せは、あなたと共にあるの。オフェリア、あなたが王妃を辞めたくてたまらないというのなら、私はあなたと王の離婚に賛成するわ。でも、あなたが陛下を愛していて、彼の妃でいたいというのなら、絶対に離婚なんて認めない――オフェリア、ヒューバート様と別れたい?」


マリアの問いかけに、オフェリアが首を振る。


「なら離婚なんて考えちゃダメ。陛下も泣いちゃうわよ。ほら、もう追いかけてきた――陛下はあなたのことが、好きで好きでたまらないんだから」


屋敷の前に、また馬車が一台。誰が乗っているかなんて、考える必要もない。

上着のフードで隠しているが、白金の髪は夜闇でも美しい光を放っていて。


オフェリアが屋敷に帰ってから一時間と経たず、ヒューバート王は王妃を追いかけて屋敷へ来た。


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