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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その悪名伝~  作者: 星見だいふく
第五部03 ある人の物語
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明けて、朝 (3)


王都ウィンダムへと戻り、リチャードとチャールズを連れて、マリアは城へ赴いた。


チャールズの帰還は一部の貴族にだけ知らされている。

謁見の間に向かう途中、マリアが連れている男は誰なのか不思議そうに視線を送って来る人間と、問題児が帰ってきたと顔をしかめる人間の半数に分かれていた。


「お姉様、その子がリチャード?」


誰もが遠巻きにマリアたちを見ている中、オフェリアだけは親しげに声をかけてくる。

ええ、と頷き、マリアはリチャードに妹のことを紹介した。


「リチャード、この人が、私の妹……あなたにとっては叔母様にあたるわね。エンジェリク王のお妃様」

「はじめ、まして、叔母さん。僕、リチャードです」


ちょっと緊張気味に、リチャードがたどたどしいエンジェリク語で自己紹介する。

オフェリアはにこにこと、可愛らしい笑顔で甥と向き合う。


「エンジェリク語が上手なんだね。初めまして、リチャード。私はオフェリア。この子は娘のエステルと、息子のエドガー。この子たちも、セイランから来てくれたいとこに会えるのを、すごく楽しみにしてたんだよ」


エステル王女も笑顔でリチャードに挨拶し、幼いエドガー王子はリチャードを見つめて不思議そうに首を傾げている。

リチャードが子どもたちに気を取られている間、オフェリアはチャールズを見た。見知らぬ男性と接するのは苦手なオフェリアだが、少し戸惑いながらも、自分からチャールズに声をかける。


「初めまして……っていうのも、おかしな挨拶だけど。でも……」

「初めましてでいい。互いに顔は知ってるが、まともに話すのはこれが初めてなんだから」


言いながら、チャールズもまた、自分たちの関係の曖昧さに苦笑いしていた。


ヒューバート王の弟。マリアの妹。相関図で描いてみれば近い関係のはずなのに、いままでこうやって互いに向き合うことすらなかった。

顔は知っているが、初めまして、という挨拶が正しいだろう。


「お姉様たちは、ユベルに会いに来たんだよね。リチャードは私が見てるから」


オフェリアはきっと、チャールズとヒューバート王の複雑な関係を知らない。でも、リチャードを同席させないほうがいいと察してくれたような気がする。大人の話し合いに、子どもはいないほうがいいということは理解しているだろうし。


「頼む。リチャード、ヒューバート王との謁見に行っている間、おまえはエドガーたちと遊んで来い。エンジェリクの城も、色々と面白いものがあるぞ」


リチャードは元気に頷き、エドガー王子たちと一緒に城の中の探検に行ってしまった。


笑顔で駆けて行ったリチャードを見送り、マリアはチャールズと共に謁見の間へ向かう。謁見の間にはすでに王から召集を受けた貴族が集まっており、部屋に入ってきたチャールズに一斉に注目した。

視線の意味合いは様々だ。近衛騎士隊のラドフォード副隊長は、あえて表情を出さないようにしているようにも見える……。


「チャールズ」


玉座の前で、ヒューバート王はチャールズの参上を待ち構えていた。

王の右手側にドレイク宰相が立ち、マリアは左側に――チャールズは王の前に跪き、頭を垂れて恭順の意を示す。


王の次の言葉を、一同は待った。

どのような展開が待ち構えているのか――。


「長年に渡るセイランでの任務、ご苦労だった。君の働きには、僕も非常に満足している」


動揺を懸命に堪えながらも、根が素直なチャールズはつい反応してしまう。わずかに目を見開き、頭を上げてしまって。


マリアと宰相は、表情ひとつ変えずに王の言葉を聞く。一瞬だけ、マリアは目線でチャールズに訴えておいた――素知らぬ顔で、王の言葉にあわせておくべきだ。


「ここにいる者のほとんどは、その噂を耳にしていることだろう。我が祖父――偉大なるリチャード王を堕落させた、東方の国の人間のことを。朱の商人と呼ばれた死神……エンジェリク王家の敵。父王も、彼の者をみすみす取り逃したことはずっと気にしていた」


貴族たちは目に見えて動揺していた。

朱の商人と呼ばれたセイラン人――あまりおおっぴらに口にしていい話題ではない。だから貴族たちも、知らないふり、何も聞いていないふりで話題には出さないようにしている。

それを、ヒューバート王が自ら。


ヒューバート王の祖父リチャード王が、セイランの商人から怪しげな薬を買い、それに溺れて破滅したこと――すべての真実が公になっているわけではないが、当時の貴族たちの間ではそれなりの騒ぎになったし、自分の親からその一件を聞いている者も多いだろう。


マリアは、もう一度チャールズに視線をやった。チャールズは動揺を収め、静かに頭を下げ直している。

……チャールズは、この事件のことをどこまで知っているのか。


「弟のチャールズに、その者を追わせていた。チャールズは王子時代、罪を犯し、国を害した――その償いとして、果てのない旅に出た」


王が言えば、謁見の間の空気が変わった。


チャールズ王子の罪……その幼稚さと傲慢さが、愚かな結果をいくつも招いた。ついには彼を最後までかばっていた伯父までも窮地に追いやり、実父にも見捨てられた。彼の浅はかな振る舞いに、貴族たちも辟易させられた。

城に、チャールズの居場所などなくなっていた……。


「正直に言えば、帰ってくることはないだろうと思っていた。彼もその覚悟で引き受けたものと思っていた。だからこのことはごく一部の者にしか明かさず、記憶の奥底に封印していた――彼が帰ってきたことを、僕もまた意外に思っている」


だが、と王が言葉を続ける。


「弟は見事困難に打ち克ち、エンジェリク王家の長年の敵を討った。この功績を持って、僕は再び彼を王家に迎え入れようと思う。無論、諸侯らにも言い分はあるだろう」


顔色を変える貴族たちに向かって、王がとりなすように言った。


「決定事項というわけではない。諸侯らとの協議を行い、改めて方針を定める――エンジェリク王家も、多くの血が流れた。できることなら、兄弟同士、手を取り合ってエンジェリクのために生きていきたい」


ヒューバート王は微笑み、チャールズは神妙は面持ちでただ頭を下げるのみ。


王のあの笑みが、単に優しく愛情深いだけのものでないことは貴族たちも知っている。王としての貫禄と余裕――絶対の自信があるからこそ、微笑んでいられるのだ。

たぶん、貴族たちの説得など無駄だろう。話し合いの場を設けるとのたまったが、おおよそのことはすでに決定したも同然……。


王のそんな決定に、一番衝撃を受けたのは、他ならぬチャールズ本人だった。




「いますぐ俺を始末してしまうつもりは、ないということだろうか」


謁見の間から退出したチャールズは、自分に下された処遇がいまも信じられないようで、戸惑いながらそう呟く。

そういうことでしょう、とマリアは頷いた。


「以前のようなお立場に戻れるわけではないでしょうが、とりあえずは――懐かしいエンジェリクで、いましばらく自由に過ごしていればよいのではありませんか。リチャードと一緒に」


マリアが話している間にも、長い廊下の向こうから、エドガー王子を連れてリチャードが駆け寄って来る。

ひとつ下のいとこと、リチャードはすっかり打ち解けたらしい。


「ジンラン、おじさんとの話は終わったの?」


無邪気に問いかけてくるリチャードに、ああ、とチャールズは返事をする。

リチャードはご機嫌で、エドガー王子と一緒に城の探検をしてきたんだ、と自分も報告する。


「エンジェリクのお城もすごく広くて、迷子になりそうだったよ。エステルはスカーレットが来たから、お人形遊びしたがってさ。だからエドガーと二人で行ってきた!エドガーは怖がりで何度も泣いてたけど、僕は泣かなかったよ」


エドガー王子は、見た目は母親似だが、いささか内気で。中身はどうやら父親に似たらしい――泣き虫なところだけ、オフェリア譲り。


いとこの泣き虫を告げ口するリチャードの額を、チャールズが軽く小突く。


「相手が本当に嫌がってるなら、無理やり連れて行くんじゃなく止めてやれ。そういう優しさがないのを威張っても、本当の意味で強い男にはなれないぞ」


リチャードをたしなめるチャールズに、マリアはくすりと笑った。

思っていた以上に、チャールズはリチャードのことをちゃんと教育している。リチャードはちょっとだけ不貞腐れたような表情をしたが、うん、と素直に頷いていた。


「リチャード。私たちの用は終わったから、そろそろ帰りましょうか。お城にはまた連れてきてあげる。エドガー王子も、時々は私たちの屋敷にお泊りに来てくれるし、またいつでも遊べるわ。マオやリーシュがどうなったのか気にしてるでしょうから、早めに安心させてあげなくちゃ」


仲良くなったいとこと、もうバイバイを言わなくてはいけないのが、リチャードは残念そうだ。でも、また遊べるという母の言葉を信じて、また素直に頷いた。


「ジンラン様。リチャードと一緒に、エドガー王子を部屋まで送ってくださいませんか。私は他に寄りたいところが――長引くかもしれませんので、先に二人で帰っていてください」

「お母さんは、一緒に帰らないの?」

「ええ。用事は終わったって話したけれど、ちょっと話をしておきたい人がいて。私もなるべくすぐ帰るようにするから」


寂しそうにしているリチャードの頬にキスをして、マリアはチャールズたちと別れた。


彼も、そろそろ自分の職場に戻っている頃だろうか。

ここへは、マリアよりも従者のララのほうがよく出入りしている。ララも一緒に連れてくればよかったかしら、なんて考えていたが、すぐに知り合いと会うことができた。

王国騎士団副団長カイル――マリアを見て、のんびりと声をかけてくる。


「こんにちは、オルディス公爵。えーっと、ウォルトン様を訪ねてきたんですか?わざわざこんなところにいらっしゃる理由が、他に思いつきませんし」

「ごきげんよう。おっしゃる通りよ。レオン様にお会いしたくて。こちらに戻られてるかしら?」


さっきまで、謁見の間で王とチャールズのやり取りを聞いていたはず。

彼も忙しい人なので、王国騎士団の詰め所にいるタイミングは限られている。事務仕事が嫌いでそれから逃げ回っているから、という理由もある。書類を避けるためにも、詰め所にはあまり戻ってこない。


「ちょうど戻ってきたところだ。君が、僕に会いに来るんじゃないかと思ってね」


背後から声が聞こえてきて、マリアは少し驚きながら振り返った。

いつの間にか、自分のすぐ後ろに。一流の騎士は、気配を殺して人に近づくのもお手のもの。驚くマリアに、悪戯っぽくウォルトン団長は笑う。


「チャールズ殿下のことで、君は絶対に僕の機嫌をうかがいにくるだろうと、そう予想してたんだ」


やっぱりな、と言わんばかりにウォルトン団長が説明する。

団長室へ案内されながら、マリアも隠すことなく同意した。


「だって、気になりますもの。チャールズ王子が城に戻ってきてしまって……特に軍部の方々は、彼の存在をすんなり受け入れられるはずもないでしょうし……」

「まあ、な。僕も、正直に言えば複雑な思いはある。王子チャールズがしでかしたことで、王国騎士団も迷惑を被った――それでも、近衛騎士隊よりはましだろうがな。王国騎士団の騎士は、大半が平民。貴族と関わることなんて、極一部の人間だけだ。チャールズ王子のことも、伝聞でしか知らない者がほとんど」


マリアに長椅子をすすめ、自分も団長室の大きなデスクに腰かけながら、ウォルトン団長が話を続ける。


「殿下に何のしがらみもなく接するのは無理だ。だが、彼を責めすぎると、陛下やマルセルが落ち込むだろう。君も、ひどく気にする――そんなそぶりを見せてはくれないが」


からかうようにウォルトン団長は言い、マリアは返事をすることができず、思わず彼の笑顔から目を逸らしてしまった。

一見すると軽薄そうな男なのに……ウォルトン団長は、本当に食えない男だ。


「先々代の近衛騎士隊隊長……ガードナー伯のこと。陛下やマルセルは、彼の首を獲って、いまの地位の足掛かりにしたことをずっと気に病んでいる。君も、あの反乱を起こした責任をずっと感じている。僕は、自分の態度が原因で陛下を落ち込ませたいとは思わないし、君を悲しませるような男にもなりたくない。君を慰める機会を得られるのは大歓迎だが、自分が原因になっておいてそんな役割を引き受けられるほど、厚顔じゃないつもりだぞ」


おどけたように話すウォルトン団長に同調して、マリアも苦笑いする――不自然にならないよう気を付けながら、そう装った。


チャールズは王子時代、スティーブ・ガードナーという人間を破滅に追いやった。彼の父親に、彼を斬らせるという最悪の事態を招き、スティーブの父マクシミリアン・ガードナーは反乱を起こした。

マクシミリアン・ガードナーは、当時、近衛騎士隊の隊長であった。半数近い近衛騎士も城を離れ、ガードナーの反乱に加わった。反乱を起こした近衛騎士隊の鎮圧するため、王国騎士団は出動し……首謀者のマクシミリアンは討たれ、反乱は終息した。


マクシミリアン・ガードナー伯は、悪人ではなかった。個人としては好ましい人物で、彼を討たなくてはならなかったこと……彼を討って、出世へと繋げた己のこと……ヒューバート王は重い十字架を背負っていた。マルセルも同様に。


そして……あの反乱。きっかけを作ったのはチャールズ王子だったが、王子を破滅させたかったマリアが企んで、そう仕向けた部分もある。


チャールズには罪と責任がある。間違いなく。

そしてそれと同等以上に、マリアにもまた罪と責任があるのだ。誰も、そのことでマリアを責めないけれど……。


「ほら、そんな顔をする。君は泣きつくことが大嫌いだからな。べたべたに甘やかしたいのに、そうさせてはくれない。となると、僕としては、せめてそんな顔をさせないようにするだけだ。殿下へのわだかまりなんて、君を前にしてはどうでもいいことなのさ」

「……もう。レオン様ったら。本当にお口がお上手なんですから」


内心のバツの悪さを誤魔化すようにマリアが言えば、ウォルトン団長は意味ありげに笑いつつもそれ以上追及はしてこなかった。


素直になれないくせに、強がりきれない愚かな自分。

なのに、周りはそんなマリアを甘やかすばかりだから、結局いつも自分はそれに甘えてしまって。


故郷を逃げ出し、エンジェリクで頂点を極めて……それでもまだ、自分は守られてばかり。

いまも、それを痛感していた。


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