ある日突然に (4)
「うーん。意外と、牢屋というのも居心地良く作られているものなんだね」
「そうですか?私は、やっぱり埃っぽくて嫌です。もうちょっとお掃除をしっかり……ほら、またあそこにも蜘蛛の巣が」
初めての牢屋入りにきゃっきゃうふふしているヒューバート王とマリアの会話を聞いて、ノアは頭を抱えたくなった。
――だからこの二人の協力は、遠慮したかったのに。
そんなノアの声が、聞こえてくるようだった。
華やかなエンジェリク王国――その王都。どのような場所にも、暗い影というものはできるもの。
下町にある移民街。南から、東から、様々な国の人間が集う雑多な場所。そこにはセイラン人もいて……それは、特に変わったことでもなかった。遠い異国ではあるが、セイランは大きな国で、優れた文化を持っている。エンジェリクを始め西方の国でもかの国の品物は人気が高く、遠路はるばる売り込みにやってくる商人も後を絶たない。
リッチー伯が買った薬壺。その出処を追い、マリアはここに辿り着いた。ヴェールを頭から被り、そのくせ少し露出の多いドレスを着て……なぜ、こうも胸を強調するような衣装が相場と決まっているのか。
「あなたがお花屋さん?」
移民街にある静かな酒場。異国から流れて来たよく分からないがらくたが所狭しと並べられた酒場だが、お客は大人しく酒を楽しみ、行儀が良い。
役人に目を付けられるような真似は、ここではご法度だとか。
マリアが声をかければ、手酌で一人酒を飲んでいたセイラン人が顔を上げる。エンジェリクでは珍しい風貌。けれど、頭頂部が薄くなるという特徴はどこの国でも同じ……白く光っている頭の一部を見て、マリアはヴェールの下でくすりと笑った。
「私にもお花を売ってくださる?これで、譲っていただけるだけ全部……」
胸元から巾着を取り出し、そっとテーブルの上に置く。セイラン人は中身を確認し、懐から薬壺を出した。
掌に載る程度の、小さな薬壺。再び酒を飲もうとする男の隣に座り、マリアが彼の盃に酒を注いだ。白い小さなコップに、丁寧に……。
マリアが知っている酒用の盃よりはるかに小さい物なのだが、彼はこれで満足なのだろうか。
「お花はこれだけ?」
「残念ながら」
セイラン人のエンジェリク語は、ぎこちなさはわずかにあるが発音は美しい。商人として諸外国を渡り歩いているだけあって、勉強熱心なようだ。
「俺も、流れて来たのを手に入れただけなもんでね。こんなに売れるんなら、もっと確保しておきたかったが……これ以上は俺もヤバいんだ」
マリアの胸元にちらちらと視線をやりながら、セイラン人は話す。空になった盃に、マリアはもう一度酒を注いだ。
「この薬は、とある商人たちが作っていたものだ。半年ぐらい前だったか……そいつら、どうも解散しちまったらしいんだよ。詳しくは分からん……というか、知りたくもないな。命が大事なら、深入りしないことが大事だ。とにかく、作ってた連中が解散して、そのゴタゴタで、そいつらが独占していたはずの品が俺たちみたいな部外者も手にする機会ができてな……」
「それで、あなたはエンジェリクに?じゃあ、他の国でもあなたのように売って歩いている商人がいるの?」
「たぶんな。だから、まあ、もっと欲しけりゃ俺以外のやつが売りに来るのを待つことだ。俺はそこそこ荒稼ぎさせてもらったから、このへんで手を引くぜ……」
「いいわ。なら私も、これで引き上げね」
セイラン人の首に腕を回し、男の頬にキスする。柔らかい唇の感触……自分の身体に押し付けられた女の肌……下心丸出しに、セイラン人はでれっと鼻の下を伸ばした。おかげであっさりと、マリアは右手の指輪で男の首を刺すことができて……。
塗られた薬の効果で、男はマリアにもたれかかるように眠りこんだ。倒れ込んでくる男の身体を、ノアが連れの男と共に支える。連れの男は、白金の髪を黒く染めたヒューバート王だ。
「あとはこちらでお任せを。もう少し尋問をして――」
素早く男を連れ去ろうとしたノアを遮ったのは、酒場にやって来た乱入者たちだった。
ドカドカとエンジェリク人たちが酒場に踏み込み、王国騎士団の騎士たちが大声で叫ぶ。
「大人しくしろ!抵抗するなら、こちらも手荒になるぞ!」
その声を皮切りに、店は一気に騒がしくなった。客や従業員が一斉に逃げ出し、騎士が一人残さず逮捕していく。
それを見つめ、あ、とマリアは声を上げた。
「……そう言えば。レオン様が、近日大捕物があるとお話ししていらっしゃったような」
言いながら、思わず目が泳いでしまう。恐ろしいほどの迫力でマリアを凝視するノアに対し、ヒューバート王はほんわかした様子で頷く。
「年末だからね。取り締まり強化週間に入ったんだよ」
「そういうことは、ここへ来る前に思い出していただけますか」
ごめんなさい、と素直に謝り――マリアたちは大人しく逮捕された。
だって、こんなところにオルディス公爵とヒューバート国王が変装して潜入してるだなんて、そんなことを訴えても信じてもらえないもの。恐ろしいことに事実なんだけど。
こうしてマリアたちは牢屋に入ることになり、初めての経験を何やら楽しんでいた。
「たぶん、私がそれなりに上等な身なりをしているので、貴族だと思われたのでしょうね。それで待遇も、一般のものよりは良いのかと」
「そうか。そうだよね。すべての牢屋がこのレベルだったら、わざと捕まってそのまま住みつく人間が出てくるはずだ」
のんきな会話に、ノアが頭が痛いような雰囲気を出しているが、まるっと無視して備え付けのベッドに腰掛ける。それなりに待遇の良い牢屋だが、やっぱりベッドはしょぼい。
「大丈夫よ、ノア様。その内、レオン様が気付いて出しにきてくれるから」
「いえ、その心配をしているわけではなく……」
ホールデン伯爵はマリアたちがどこへ行ったか知っているし、なかなか帰ってこないとなればオフェリアやマリアの従者ララが不審がって、ウォルトン団長かドレイク警視総監に声をかけるだろう。たぶん、ここからはすぐに出られる。
……出られるが、あまりにも情けない光景だ。
「それにしても……セイランか。その名前をいまになって耳にすることになるとは思わなかったな」
ヒューバート王が、ぽつりとそんなことを漏らす。憂うような王の表情。なぜ、とはマリアも問わなかった。
愉快な気分になれないのは、マリアも同じ。
「陛下は、セイランについてどれぐらいご存知で?」
「大国だから、一応かの国の動向について調べさせてはいた――が、教師が生徒に教える程度のことしか把握できていない。深入りさせないようにしているんだ。僕たちにとっても不都合なものがあるからね」
藪を突いて、蛇を呼び出されては困る。セイランには、ヒューバート王とマリアが隠しておきたい秘密があった。
「華煉、でしたか。あの組織は解散していたのですね」
「それは僕も初耳だった。もっとも、あれは地下組織というやつだから、外国にいる僕たちの耳に届かないのは当然なのかもしれない。詳しいことを知るためには、人をやって調べさせるしかないのだろうな……」
あの店にいたセイラン人は、たぶん本当に一般人。マリアたちが恐れているタイプの人間ではない。念のため、連れ帰って尋問するつもりだったが……騎士や役人に横取りされてしまったのなら仕方がない。わざわざ奪い返すほどの価値もなさそうだし……。
「陛下、私をセイランに送ってくださいませ」
ヒューバート王は苦虫を噛み潰したような表情で、唇をぎゅっと結ぶ。
だけど一方で、やはりそうなるか、とマリアの言葉を予想していたような雰囲気もあって。
「あの連中のことは、いずれ調べておかなくてはならないと思っていた。そうなったら、君に頼むしかないことも。ただ、セイランは遠い……」
セイランへ行くと言っても、クリアしておかなければならない問題がいくつもある。
マリアがセイランへ赴く理由を作り、セイラン側はもちろん、エンジェリクの貴族諸侯も納得させなくてはならない。華煉のことは王家の秘密……それを理由にはできないから、何か別に、適当な理由を見つけて……。
「セイランですか。あの国に行くとなると、フランシーヌに近付くことは避けられませんね」
ノアが言った。マリアも苦笑する。
そう、それが最大の懸念。
フランシーヌは海を挟んでエンジェリクの隣にある国で、長く敵対してきた。
どちらが悪いとか、何があったとか、理由なんかどうでもいい。もはやエンジェリクとフランシーヌは、対立し合うことが宿命――そんな関係なのだ。
大陸に渡ってセイランへ行くとなれば、フランシーヌに近付くことは避けられない。別の道もあるにはあるが、女のマリアが通るには危険すぎる。
女でも安全に通れるような整備された道となれば、当然近隣諸国からの交通にも優れているわけで。
「王国騎士団や近衛騎士隊を護衛につけることはできない。それをすれば、かえってフランシーヌ側の注目を集め、刺激してしまうかもしれないから。でもそうなると、道中が危険に……」
「セイランまでの護衛は、私のほうでも考えておきます。一応、心当たりは――」
外が賑やかになり、マリアは言葉を切った。聞き慣れた声と共に、男たちがマリアのいる牢に近づいてくる――。
「何故、そんなところに入っていらっしゃるんですか陛下」
案の定、王やマリアが捕えられていることに気付いて、ウォルトン団長がやって来た。部下を連れた彼は、牢に入っているヒューバート王たちに呆れかえっている。
「申し訳ありませんでしたっ!!」
マリアたちを捕えた騎士が、地面に額を擦りつける勢いで謝罪する。君は仕事をしただけだから、とヒューバート王が騎士をなだめていた。
「ユベル!もう!みんなに心配かけてー!!」
牢から出されたヒューバート王は、カンカンになったオフェリアからお説教されることになった。
マリアの従者であるララの話によると、マリアもヒューバート王もなかなか帰ってこないし、心配するオフェリアも誤魔化しきれなくなってきたし、何かトラブルでも起きたのだろうか――それなら王国騎士団に相談してみるか、とウォルトン団長に相談しに行ったとか。ララは普段から王国騎士団に出入りしているので、聞きに行きやすかったと言うのもある。
それで、マリアたちが調査に向かった店が、王国騎士団による取り締まりの対象となっていることを知って……もしかして、マリアたちも一緒に逮捕されてしまったのでは――と。
「ごめん、オフェリア……もう危ないことはしないよ」
「当たり前でしょー!ユベルは王様なんだよ、王様が危ないことして、万一のことがあったらどうするの!王様が牢屋に入るなんて、そんなこと!」
懇々とお説教される王の姿に、マリアはほほ、と声を上げて笑っていた。
……ウォルトン団長から、じとっと睨まれる。
「マリア。君もペナルティを受けるべきだと思うんだ――だから僕は決めた。君に、僕の子どもを生んでもらう。妊娠して――子どものために、少しはお転婆を控えるんだ」
「まあ。そんな不誠実な理由で子どもを作るなんてよくありませんわ」
抗議の声を無視して、ウォルトン団長はひょいとマリアを肩に担ぐ。ぽこぽこと団長の背を叩いてみたが、鍛えられた背筋はびくともしない。
「知ったことか。どうせ、もとから不純な動機だっただろう」
「むぅ。ララ、ノア様、二人もレオン様を叱ってちょうだい。神聖な行為を何だと思っているのかしら」
しかし、ララは苦笑いして首を振るばかりで。ノアもじっとマリアを見つめている――その眼差しは冷たい。
「……マリア様。伯爵からねっとりお仕置きコースと、ウォルトン侯爵からきつい束縛コース、どちらがよろしいですか」
「どっちも嫌よ。ノア様の薄情者、人でなし!」
「分かりました。侯爵による束縛コースからの、伯爵によるお仕置きコースの追加ですね。私からホールデン伯爵に伝えておきます」
「なんでそうなるの。理不尽だわ!」
私、悪くないもん!と小さな子どものように駄々をこねたが、誰もマリアに同情してくれない。男たちがよってたかって……。
まったく、みんな大人げないんだから。




