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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その悪名伝~  作者: 星見だいふく
第一部02 消えない亡霊の影
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ある日突然に (3)


マリアは上着を脱ぎ、リッチー伯の隣に座る。

上着の下は、薄手のシャツ。身体の線がピッタリと出るもので。さすがに露骨過ぎて、少し大きめの上着でこれを隠していたのだが……いまは惜しみなく出しておくべきだろう。ニヤけた視線を抑えきれないリッチー伯ににっこり微笑み返し、マリアは、先制攻撃が成功したことを確信した。


「お話の続きと参りましょうか。あの薬壺……そもそも、どのような経緯で手に入れられたのです?」


しなだれかかるようにリッチー伯にぴったりと密着し、上目遣いに見つめてマリアは尋ねた。薬壺を手に取り、リッチー伯は上機嫌で話す。


「つい最近、骨董市が立っているのを見かけてね――あんな界隈だ。大半が質の悪い紛い物なんだが、たまにとんでもないお宝が見つかったりするから発掘は止められんよ――それで、明らかにセイラン製と分かるこれを思わず手に取ってしまった」


壺に入れられたチョコレートをひとつ摘まんで、口の中に放り込む。もぐもぐしながら、食べるかね、とマリアにも勧めてきた。

マリアもひとつ食べて……。

――このチョコレート、酒入りだ。


「セイランと言えば、どうしても先々代の王リチャード陛下のことを思い出す――赤い衣を身に纏ったセイラン人がやって来て、珍しい商品を披露した。当時はわしもまだまだ若輩者でな。親に連れられてようやく城に来るようになっただけの人間だった。それゆえ……詳細は知らぬのだが」


意味ありげに言葉を区切り、愛想のよい笑顔でリッチー伯は再び薬壺をマリアに差し出す。チョコレートをもうひとつ食べろと……。

マリアも微笑を崩すことなくチョコを取って、リッチー伯の口もとに差し出す。マリアの手を押さえて、パクリとリッチー伯がチョコレートを食べる……。


「わしの父も外務大臣をつとめておった。成り上がりのレミントンが図々しくも父の座を狙い……あの男には父もなかなか手こずらされたものだ。権力への執着は感心するものがあった。あの男の息子がやがて貴族社会の中心人物となり、孫が王子に――おっと。あまり気分の良い話ではありませんでしたな。特にあなたにとっては」


そう言って再びチョコレートを差し出す。マリアは苦笑いし、今度こそ自分の口に放り込む。


「私、お酒は苦手です。飲み慣れていないもので」

「おお、そりゃいかん。これはアルコールがきついものなんだよ」


まったく悪びれることなく、リッチー伯はさらにニコニコして自分もチョコを食べた。


「セイランは大国です。かの国の文化は非常に優れており、セイランからの品はエンジェリクだけでなく、諸外国でも人気ですわ。セイランの品だからと言って、これが特別目に留まる品だとも思えないのですが」

「それはそうだな。わしも、セイランのものを見るのは何もこれが初めてというわけではない。少しばかり、特徴があるのだよ」


薬壺の蓋を裏返して見せる。蓋の裏側にも美しい花が細やかに描かれており、こんなところまで描き込まなくてはいけないなんて大変な作業だ、とマリアは妙な所に感心していた。


「ただの模様に見えるそれは、セイランの文字だそうだ。えーっと……たしか、花という文字だったかな」


セイランで使われている文字は、漢字といってエンジェリクやキシリアでは馴染みのない、不思議な形をしたものだ。能力に自信のあるマリアは、幼い頃、漢字も覚えてみせると意気込んだものの、その数が万を超えると知って諦めた――リッチー伯に説明されて漢字を表している模様を見たが、文字と言われてもなるほど分からん状態だ。


「実を言えば、わしもいまだにそれが文字に見えん。ただ……昔、貴族たちの間で流行した品に必ず描かれていたものなのだそうだ。単に回収し損ねていただけなのか、新たに出回ったのか……」


回収し損ねた物が、たまたま見つかった。

有り得ないことではないが、当然、マリアもリッチー伯もそんなことを考えるはずがない。


新しく出回った……セイランから……いわくつきのこの代物が。


「これはどちらでお買い求めに?具体的な場所は――」


問い詰めるマリアに、にっこりと笑ってリッチー伯はさらに薬壺を差し出す。

――ここから先は、追加料金が必要というわけか。


マリアは壺を受け取り、ガバッと煽った。なだれこむチョコレートに、顔をしかめてしまう。甘いものは嫌いじゃないけれど、この量は軽い拷問だと思う。


「……飲み慣れておりませんし、お酒は好きではないのですが。私、弱いわけではありませんのよ」


口元を拭い、マリアは不敵に笑って言った。

リッチー伯は目を丸くしながらも、面白がるような声を上げる。


身を乗り出し、大きなお腹を踏んでリッチー伯の身体を押し倒す。不意打ちの攻撃によろっと倒れ込んだリッチー伯に圧し掛かって、マリアはしっかりと自分の身体を密着させる。


「私の尋問テクニックは警視総監仕込みですの。洗いざらい白状させてあげますわ」




リッチー伯は満足げだった。

大きなお腹を揺らしてスキップするように歩く姿はなんとも笑いを誘うもので――待たせていた女性に声をかけ、クラベル商会をあとにした。


「マリア様」


リッチー伯を見送ると、ノアが静かに声をかけてくる。


「お帰りになる前に、伯爵にお声がけを」


いつものポーカーフェイス――けれど、どこかピリピリとしたものが伝わってくる。怒ってるのね、とマリアは苦笑した。


「怒っているわけでは……。ただ、あなたの行いは伯爵の矜持を傷つけるものだったということだけは理解して頂きたいのです。普段の浮気にも傷ついていないわけではないのですが……伯爵の商人としての誇りは、私もお守りしたく……」

「分かってるわ。今回は特殊な事情があった。だから私も……言っておくけど、最後まではしていませんから」


それが言い訳にならないことは分かっているが、どうしてもはっきりさせておきたくて。


リッチー伯は、やはり女遊びというものをよく心得ている。健全な店で、店主の意に反した振る舞いは慎むべき。それぐらいの節度は守っていた。

……一般的な貞操観念で言えば、節度とは、と問いたくなるような部分はあったが。


リッチー伯が狙ったのは、一夜の約束。閨の場で話すつもりだったのだ。けれど、マリアは約束まで漕ぎつけさせなかった。その前に全部白状させて……ドレイク警視総監に伝授してもらったやり方は、なかなか重宝している。正直……あまり嬉しくもない教えだ。


「ノア様も、なんだかんだヴィクトール様のことが好きなのよね」

「……そういう言い方をされると素直に同意しにくいですが、やはり敬愛しております」

「ちょっと妬けちゃうわ。ヴィクトール様をめぐるライバルとしては、なかなか手ごわい相手だもの」


マリアが言えば、ノアはかすかに口角を上げ、ほんの少しだけ笑っていた。




伯爵は本店事務所の執務室にいた。重厚な皮張りの椅子に腰かけ、書類を眺めている。

だけど、どこかぼんやりとしていて。

ノックに対して返事もなく、部屋に入ってきたマリアに見向きもしなかったが、マリアが近付くとわざとらしく気付いたようなそぶりで顔を上げた。


伯爵の膝の上に座り、マリアは甘えるように伯爵の胸に顔をすり寄せる。伯爵の手が気まぐれにマリアの髪を弄び、髪をまとめてあったリボンを解いた。


「……酒を飲んだのか」


どうやら、抱き締めれば気付くほどにマリアは酒臭いらしい。


「お酒入りのチョコレートだそうです」


リッチー伯からもらった薬壺を取り出し、中身を見せる。

ほとんど食べてしまったが、まだ二つほど残っていた。コロコロと壺の中を転がっている。

マリアはひとつ取り、伯爵に食べさせる。チョコを食べた伯爵は、かなりきついな、と感想を漏らした。


「でしょうね。歩くと、少し足元がフラついて」

「酒に飲まれて、あの男に好き放題されたのではないのか」

「私がそのような隙を見せる女だと?いくらヴィクトール様でも、侮り過ぎですわ」


ちょっと拗ねたようにマリアは言い、さらに伯爵の胸にすり寄った。


マリアは、酒には強いほうだ。集中している間は、どれだけ飲んでも酔わない。けれど集中が切れるとその反動がドッときて……実を言えば、頭のほうも少しふわふわしている。


「この薬壺は、新しくエンジェリクに出回ったものだな」

「はい。その可能性は高いですわ。リッチー伯曰く、この陶器は最近の手法で作られたものだそうです」


骨董品に目がないリッチー伯は、焼き物にも多少の知識があるそうだ。マリアにはよく分からないのだが、この薬壺はセイランで最近流行し始めた作りをしているとか。最近の技術で作られたものが、リチャード王の時代に出回っていたはずがない。


「これを買い求めた店……というか、これを売っていた商人についても白状させました。リッチー伯の話しぶりからするに、朱の商人や例の組織とは無関係のようでしたが……」


ヒューバート王の祖父の時代。

セイランからやってきた商人が持ち込んだ品に、エンジェリク貴族は夢中になった。当時のエンジェリク王リチャードも、かの商人が持ち込んだ品を愛用し……身を滅ぼした。

そういった経緯から、ヒューバート王の父王が朱の商人絡みの品はすべて国から追放させ、朱の商人に関する情報は隠匿された……はずだった。


「ヴィクトール様、あとでノア様をお借りします。こればかりは他人任せにできません、から……」


唇を塞がれ、マリアは言葉を切った。けれどマリアも、逆らうことなく伯爵からの口付けを受け止める。

伯爵の首に腕を回し、どこかぼんやりとする思考を投げ出した。

……やっぱり、自分は酔っているのかもしれない。


「私以外の男と酒を飲むのは禁止だ。あまりにも無防備過ぎる」


重厚なデスクの上に押し倒され、されるがままとなっているマリアに苦笑しながら伯爵が言った。

咎めている……のだろうか。お説教するにしても、伯爵もマリアのことを好き放題しようとするのはどうかと思う。


「こんな醜態を晒すのは、ヴィクトール様の前だけですわ」

「まったく。浮気をすると可愛らしいことを言って、私のご機嫌とりをするのは相変わらずだな」

「そんな私が好きなくせに」


クスクスと笑って言えば、また伯爵に口付けられる。噛みつくような口付け……ちょっと唇が痛い。


「そろそろ、一度きつい仕置きが必要か」

「どうぞ……ついでに、私があのような男に好き放題されるはずがないこともお確かめください――あなたに育てられた女ですよ。簡単に落とされると思ったら大間違いですわ」


一瞬、虚を突かれたように伯爵は目を瞬かせ――ニヤリと笑った


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