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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その悪名伝~  作者: 星見だいふく
第五部02 別れのあとに
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避けられない喪失 (4)


ベッドに横になっているメレディスの呼吸は弱々しく、その顔は死に近づいた人間のものであった。


あれから……部屋に戻ったメレディスは血を吐いて倒れ、意識を失ったまま。

医者の診察はとうに終わり、部屋にはマリアとスカーレット、アルフレッド・マクファーレン伯、それからヒューバート王が彼の様子を見守っていた。

他の者たちも心配してはいるのだが、気を遣って部屋の外で待機している。


マクファーレン伯は、彼も気絶してしまうのではないかと思うほど蒼白な顔で、メレディスのそばに付き添っていた。スカーレットも、恐怖にじっと耐えている――マリアが支える娘の身体は、かすかに震えていた。


そうして、いったいどれぐらい時間が経っただろう。

空は真っ暗になり、室内はろうそくが照らす灯りのみ。一言も会話はなく、スカーレットは父親の手をぎゅっと握り締めて、ベッドのそばから離れない。もうそろそろ。娘は休ませないといけないのだが……思い詰めた娘の顔を見ていたら、とても声をかけることはできない。


このまま、二度と目を覚まさないのでは。

そんなふうに誰もが思い始めた時、メレディスが目を覚ました。


「お父様!」


娘に呼びかけられ、メレディスは視線をこちらへ向ける。マリアとスカーレットの顔をぼんやりと見つめ、なんとなく、自分の状況を把握したようだ。


「僕、激しく咳き込んで、苦しくなって……もしかして、そのまま意識失っちゃった?」


マリアが頷けば、そっか、とメレディスが頷く。


「……僕、もう二、三日は生きられそう?」

「何てことを――そんな縁起でもない言い方……!」


マクファーレン伯が、絶望的な声で首を振る。でも、メレディスの言葉は否定できない。

メレディスが意識を失っている間に医者が来て、診察してもらって――医者は、もう数日の命だろうと宣告した。本当は、直前までパーティーに参加して、にこやかに過ごしていたことも奇跡なぐらいだと説明していた……。


「自分の身体だよ。僕が一番よく分かってる――ヒューバート様」


頭を動かし、マクファーレン伯やマリアたちから少し離れた場所で自分のことを見守っていたヒューバート王に、メレディスは視線を移す。


「陛下……陛下に、最後にお願いしたいことが……」

「僕でできることなら」


ベッドに近づき、そっとメレディスの手を握る。

ヒューバート王にとっても、メレディスは大切な友人だ。王子時代からの知り合いで、同世代の男同士、気楽に話すこともあった……。


「陛下の絵を描かせて欲しいんです。鎧を着た姿……戦場に立つ、陛下の姿を……」


ヒューバート王は、白馬の王子様という表現がふさわしい、貴公子然とした美青年だった。

しかし、そんな優男の見た目に反して、ヒューバート王は軍人王である。

王子時代から戦場に立ち続け、王となっても戦に赴くことが何度か。最近はその機会も減ったが、それでも、剣を振るわせたらエンジェリクで彼に勝てる人間は少ない。


「昔……エルゾ教徒との戦いに同行した時、陛下が戦っているお姿を見ました……。あの頃の陛下は、まだ甲冑が似合わなくて……」


昔を思い出し、メレディスが笑う。


「絵描きの僕は、戦場にはついていけないので……それ以降は陛下の鎧姿を見ることもないまま。だから、最後に……どうしても見たいんです。外国にまでその武勇が届くほど、立派になられた陛下のお姿を」


ヒューバート王はぎゅっと唇を結び、少しだけ考えて――分かった、と静かに答えた。


「レオンに頼んで、すぐ城から持ってきてもらう――僕の鎧と、剣を。僕の絵を描いてくれ、メレディス。それまでは、まだ――」




ヒューバート王に頼まれたウォルトン団長は、夜も明けない内に馬に乗り、城へ向かって一目散に駆けて行った。


オルディス領と王都を繋ぐ道はしっかりと整備されている。だから、ウォルトン団長ほどの腕があれば夜の間に馬を飛ばすことも可能だろうが……それでも、相当な無茶だったに違いない。

馬を走らせて一日ほどの距離を、一日足らずで往復して来たのだ。帰ってきた時の団長は、行きとは違う馬に乗っていた。


「城に着いた時には馬がバテバテになっていてな。帰りも急ぐので、別の馬を借りた」


マルセルと共にヒューバート王の着替えを手伝いながら、ウォルトン団長が説明する。


「……甲冑を初めて着せた時……陛下――当時は殿下か。殿下は鎧の重さで動けなくなっていてな。その時の王国騎士団団長は、護衛と共に、殿下が鎧で潰れてしまわないよう支える任も負っていた」

「そんな頃もあったな」


団長の言葉に、ヒューバート王が笑って相槌を打つ。


「時々休憩を取って、こっそり鎧を脱がせてもらっていたよ。情けないことに、甲冑を身に着けただけで筋肉痛になってしまって」

「剣に振り回されていた頃のヒューバート様……お懐かしい話ですわ」


マリアも、当時を思い出して笑った。


木の枝を武器に稽古をつけるシルビオ相手に、まったく歯が立たなくて……容赦なく、ボコボコにされていた。頼りなくて、彼が助けに来てくれても、一番役立たずが来ちゃった、なんて失礼な感想を抱いてたぐらいで。

それが、いまは……。


「ユベル、かっこいい」


絵を描く準備を終えたメレディスが待つ部屋にヒューバート王が入ってくると、オフェリアが感嘆の声をあげた。

オフェリアと一緒に長椅子に座っていたスカーレットも、凛々しい王の姿にちょっと顔を赤らめていた。


鎧と剣を身に着けたヒューバート王に思わずときめいてしまう気持ちは、分からなくもない。

美しくも、雄々しくて。王としての貫禄と自信に満ち溢れた姿。


マリアはキシリアの王ロランドのことを敬愛し、彼に特別な敬意を抱いてきた――ロランド王も軍人王で、勇ましく凛々しい王だ。

いまのヒューバート王の貫禄は、そんなロランド王にも劣らないように感じる。


絵筆を取り、メレディスは真剣な面持ちで絵を描き始めた。

その姿に、先ほどまでの弱々しさはない。この姿だけを見て、彼が瀕死の病人だなんて誰が思うだろう。


マリアも、オフェリアやスカーレットが座っている長椅子に腰かけ、メレディスの絵を見守った。

メレディスのそばには、マクファーレン伯が。本当は弟のことを止めたいのだろうが、止めて聞くような男ではないと、彼も理解しているのだろう。

それに……もう残り時間の終わりが見えてしまったのなら、ベッドで横になって時間切れを待つよりも、メレディスのやりたいことを少しでもやらせようと……。




ウォルトン団長のおかげで、まだ日が明るい内にメレディスは絵を描き始めることができたのだが、やがて再び夜となり、どっぷりと更けて。


長椅子に並んで座っていたオフェリアとスカーレットは、マリアにもたれかかって眠っていた。

二人も、メレディスが心配で昨夜からほとんど眠れていないし、さすがに限界だ。マリアは二人を起こすことなく、ただ静かにメレディスを見守り――メレディスが描くヒューバート王の絵に見惚れていた。


悲しみに暮れて弟を見つめていたマクファーレン伯も、絵が完成に近づくにつれ、絶望的な感情を忘れてその素晴らしさに心奪われている。

――やはり、メレディスの才能は本物だ。


鎧を着たヒューバート王の迫力と貫録にも息を呑むものがあるが、その貫禄と迫力を描き切ったメレディスの絵にも、感嘆のため息が漏れてしまう。


誰も、一言も発しない。静かな部屋に……カタ、とメレディスが絵筆を置く音だけが響く。

絵筆が床に落ちたと思ったら、メレディスの身体が傾いて。


マリアが咄嗟に立ち上がったのと、マクファーレン伯が急いで弟の身体を抱き留めたのは、ほとんど同時だった。

ヒューバート王も手にしていた剣を思わず置き捨て、メレディスに駆け寄った。


「メレディス!」


マリアにもたれかかって眠っていたオフェリアとスカーレットは、マリアがいなくなったこと、メレディスの名を叫ぶマリアの声で、目を覚ました。

マリアは二人のことを気に掛ける余裕もなく、兄の腕の中で意識を失っているメレディスのそばに跪く。


「お父様……!」


目を覚まして、スカーレットも状況を把握し、血の気が引いた顔で寄ってくる。父親の手をぎゅっと握り締めるが、メレディスの手は、スカーレットの手を握り返さない。


「メレディス……!メレディス、そんな……!」


マクファーレン伯が何度か弟を揺さぶるが、メレディスはされるがまま。脱力した四肢は放り出されたまま、まるで人形のように……。


「……マリア……スカーレット……」


それでも、かすかにメレディスの唇が動いて、マリアと娘の名前を呼んだ。

マリアも手を伸ばし、メレディスの頬に触れる。


記憶にあるよりずっと冷たくなったメレディスの肌。マリアがそっと撫でると、メレディスがもう一度目を開けた。

自分の顔を覗き込むマリアとスカーレットの姿を視界にとらえ、優しく微笑む。

――そして、瞳は閉ざされた。


もう二度と開くことはないと誰もが悟り、マクファーレン伯が慟哭した。


「そんな……!そんな、やだよぉ……メレディス……!」


泣きじゃくるオフェリアを、ヒューバート王がぎゅっと抱きしめる。抱きしめたオフェリアの髪に顔を埋め、ヒューバート王も流れる涙を誰にも見られないように。


大人が声を上げ、涙を流して悲しむ中、スカーレットは声も上げず、涙を流すこともなく、ただ茫然と父親を見つめている。

行き場のない悲しみに、泣き方も忘れてしまったような――そんな娘が痛ましくて、マリアはスカーレットを抱きしめた。


娘を抱きしめ、慰めながら……マリアも、メレディスを見つめる。

まるで眠っているように、穏やかなメレディスの顔。最後に微笑んだ、あの表情のまま……初めて会った時からずっと、マリアを惹きつけてやまなかったもの。


どうしてあんなにもメレディスに強く惹きつけられたのか。考えてみれば単純なこと。

明るく、無邪気に笑う彼に――メレディスの笑顔に、自分は恋をしたのだ。




メレディス・マクファーレン――享年三十五歳。

ジョージ・マクファーレン伯爵の次男として生まれた彼は、横暴な父親に抑圧され、反発し、家を飛び出して……紆余曲折の末に、マリア・オルディス公爵を始め多くの支援者を得て、絵描きの道を歩むこととなった。

やがてエンジェリクの王にも寵愛されるほどの画家となり、その名前は、キシリアやオーシャンなどの近隣諸国にも広く知られることとなった。


オルディス公爵との間に最愛の娘を得、公爵の心を射止めた笑顔は、最期の時まで色褪せることなく――絵描きとして至上の名誉を得た彼の名は、後世にも語り継がれている。


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