避けられない喪失 (2)
夫婦の誓いを互いに述べ、その証として口付けをかわす。目を開けた時、間近から自分を見つめるホールデン伯爵の顔があまりにも幸せそうで。
見慣れた姿だと思っていたのに、自分を見つめる眼差しがあまりにも愛情に溢れていて、間近からまともにそれを見てしまったマリアは思わず赤面してしまった。
「……もう少し、大きいものにすればよかった」
マリアの左手を取り、伯爵が呟く。
その手には、伯爵から贈られた結婚指輪が――二人で選んだものだ。互いに、ずっと身に着けるものだから。
これだけは、マリアも真剣に吟味した。
シンプルな、小さなダイヤがついた指輪。伯爵はもっと大粒のものを贈りたがったが、実用性も考えて断固として反対した。
「これ以上大きいと、子どもを抱っこするのに邪魔になります。これでいいんです……私には、大きなダイヤモンドよりもかけがえのない宝石ですわ……」
それは世辞ではなく本心からの言葉だった。
この結婚指輪は、どんな宝石よりも価値のある宝だ。
伯爵は黙り込み、また口付けてくる。もう誓いの口付けは必要ないのに。
そう思いつつも、マリアももう一度目を閉じた。
「お姉様、とっても綺麗よ。いまのお姉様は、世界一美しいわ!」
婚礼衣装を身に纏う姉に、オフェリアもぽーっと見惚れているようだった。感嘆の溜め息を漏らして、姉を絶賛する。
子どもたちも――特に娘たちは花嫁姿の母を囲んで、賛辞を送る。
「お母様、本当にきれい」
いつもはポーカーフェイスのアイリーンも、今日は嬉しそうに笑っていた。双子の弟と並んで、目を輝かせマリアを見上げる。
「とっても綺麗な花嫁さん。私も結婚式は、お母様と同じ白いドレスが着たいなぁ」
次女リリアンが羨ましそうに言えば、招待客としてオルディスに来ていたメルヴィンが、きっとよく似合うよ、と答える。
「リリアンの花嫁姿、いまからすごく楽しみだ」
メルヴィンは、メレディスの甥――アルフレッド・マクファーレン伯爵の次男。リリアンの婚約者でもあって、いずれはオルディス家に婿入りすることになっている。
婚約が決まって以来、二人には交流を持たせてきた。その甲斐あってか、リリアンとメルヴィンは非常に仲が良い。
「ご結婚、改めておめでとうございます。本当にお美しいですわ……今日という日を迎えられたこと……とても幸せに思っております……」
花嫁のマリア以上に感激しているのが、侍女のナタリアだった。式の準備をしている頃から感激しっぱなしで、今日は涙腺が完全に壊れてしまっている。
泣き過ぎて目が真っ赤だ。最初はからかっていたベルダも、いまはもうナタリアをなだめるばかり。
「ナタリア様ったら。ほらほら、泣いてちゃマリア様の晴れ姿もよく見られませんよ。涙を拭いて……」
「ええ……ええ、そうね。私ったら……涙が止まらなくて、どうしようもなくて……」
ドン、と背後から衝撃を受け、マリアは軽くよろめいた。
体当たりしてきた相手はそんなつもりはなかったのだろうが……彼は実年齢よりも体格が良く、力も強いから、そろそろ手加減を覚えてもらわないと、母親のマリアも怪我をしそうだ。
「母さん……すっごく綺麗だぞ。結婚おめでとう!」
後ろから、マリアの腰あたりに抱きつき、三男ローレンスが言った。色んな人に囲まれて声をかける隙がないものだから、実力行使でマリアを振り向かせることにしたらしい。
自分に抱きつくローレンスの頭を優しく撫で、少し離れたところで自分を見るセシリオに視線をやった。
次男のセシリオは、お年頃気味。前は無邪気に母親に抱きついてきたけれど、最近はそういうのを恥ずかしく感じるようになってきたみたいで。
甘えたがりで愛情表現がダイレクトな弟をちょっと羨ましそうに見つめながら、ご結婚おめでとうございます、と控え目に頭を下げた。
「母上やヴィクトール殿がとても幸せそうで、俺たちも嬉しいです」
「ありがとう。あなたたちが祝福してくれるのが、私も一番嬉しいわ」
遠慮する息子に近づき、マリアから抱きしめる。少しだけ抵抗するような様子も見せたが、セシリオは大人しく腕の中に収まり、マリアを抱きしめ返した。
「おめでとうございます、母上、父上。お二人がようやく結ばれて、子どもの僕としてはホッとしました。これで父上も、母上に捨てられる恐怖に怯える必要もなくなりましたね」
クリスティアンがニッコリと笑って言えば、伯爵が息子の頭をコツンと小突く。クリスティアンは声を上げて笑い、抱いていた妹を母に差し出した。
「ヴィクトリアも、二人の晴れ姿を見ることができて幸せそうです」
マリアも、末娘を抱き上げる。
兄と同じ髪色を持つ、可愛らしい赤ん坊。他の姉弟同様、オルディス家特有の目元を受け継いでいるのだが……マリアを見上げる愛くるしい瞳には、何だか別の特徴が浮かんでいるような。
「母上」
いつの間にやら、四男パーシヴァルがちょこんとマリアのそばに立っていた。
厳つく大柄な父親に反し、可愛らしい顔立ちのパーシーは、これまた可愛らしい笑顔で、母親を見上げる。
「ご結婚、おめでとうございます。僕では母上のそんな笑顔を引き出せないと思うと、ホールデン伯爵にヤキモキしてしまいますが――」
ちょっとキザな動作で、パーシーがマリアの手を取る。
中身は割と父親に似たみたいで、パーシーはこの年齢ですでに女性に賛美を送ることに慣れた様子で――そんなところが似るのは、母親としては複雑だ。
「幸せそうに笑っていらっしゃる母上を見れて、僕も幸せです」
ありがとう、とマリアは素直に礼を述べたが、伯爵はわずかに苦笑いしていた。
子どもたちから祝福を受け、マリアは教会の片隅で見守っていたアレクとララに近づく。アレクの腕には、可愛らしく着飾った娘のセレンが。
……でも、ぶすっとした表情が、その可憐さを台無しにしている。
「マリアがヴィクトリアばっかり構うから。ヤキモチやいてる」
アレクがからかうように言った。
マリアも笑い、ヴィクトリアをいったん伯爵に預け、改めてセレンに手を伸ばす。セレンはいかにも拗ねたような表情で母親を見つめ、ぷいっと顔を逸らしてアレクにしがみついた。
「あらあら。すっかり嫌われちゃったわね」
でも、アレクから受け取って抱っこをしてみれば、セレンはぎゅっとマリアに抱きついてくる。
マリアがセレンの機嫌を取っていると、セレンに劣らずぶすっとした表情で、ララはアレクに詰め寄っていた。
「おまえなー、昨日からセレンを独り占めし過ぎだろ!」
「だって、僕がパパだし。ララはセレンにとって、自分のお世話をしてくれる人でしかないんだから。たまに一緒に居られるときは、父親の僕が優先でしょ」
悪びれることなく反論してくるアレクに、ララは悔しそうだ。
セレンの複雑な生い立ちを考えると――その原因を作ったのが誰かを考えると、ララは悔しくても引き下がるしかない。
「マリア」
式に立ち会ってくれたヒューバート王が、心からの笑顔で声をかけてくる。
「結婚おめでとう。君と、ヴィクトール殿がいつまでも幸せであるよう、僕も祈っているよ」
「ありがとうございます、陛下」
教会での式は簡素なものだった。
もともと、子持ちの再婚なのだから式はいらないと思っていたぐらいなのだ。伯爵たちがどうしても、というから挙げた式。
式に立ち会うのは身内だけにして……それでもかなりの人数になってしまったが、マリアを祝いたい他の人たちには、オルディス邸で待ってもらっていた。
例のごとく、式が終われば賑やかなパーティーだ。
「お母様!ヴィクトール様と結婚おめでとう。式に参加しなくてごめんなさい――お母様、とても綺麗だわ」
屋敷に戻るなり、長女のスカーレットが飛びついてくる。マリアも娘をしっかりと抱きしめた。
子どもたちは全員式に立ち会う中、スカーレットだけは屋敷に残った――父親のメレディスと共に。
「おめでとう、マリア。伯爵も、おめでとうございます」
メレディスは、車椅子に乗ってマリアと伯爵に祝福の言葉を贈る。
別に自分で立って歩けるのに、と嫌がっていたが、兄のアルフレッド・マクファーレン伯爵が許さなかった。
事実、メレディスはかなり体力が落ちていて、一日中寝たきりになっていることも増えた。
今日は調子がいいと笑って、自分で歩く様子も見せたけれど……本当に、終わりの日が見え始めてきた。
「二人の結婚を祝って、改めて贈り物を……。やっぱり、実物のほうがずっと綺麗だね。この絵、できれば描き直したいなぁ」
以前描いていたマリアの肖像画を伯爵に渡しつつも、その出来栄えとマリアの姿を見比べ、メレディスが顔をしかめる。
式が終わってそのままこの屋敷に戻って来たので、マリアは婚礼衣装のままだ。その肖像画を描いた時、マリアのお腹はぽってりと大きかったし、いまと色々違ってくるのも仕方がない。
……とても幸せで、自然と顔が綻んでしまうし、モデルを務めたときよりも上手く笑顔を作る自信はある。
「……うん。これから描き直すよ。これが傑作だなんて思われたら堪らない。僕だったら、もっとマリアの魅力を出せるはず」
自分で勝手に車椅子を動かして部屋に引っ込もうとする弟を、マクファーレン伯が諫めた。
「ダメだ。そんな無茶をして……だいたい、今日はオルディス公爵を祝うことが優先だろう。どうしても絵を描きたいのなら、医者と相談して、改めて日取りを……」
「こいつにそんな説得、するだけ無駄だろう。下手にベッドに戻すと、こっそり抜け出してまた描き始めるぞ」
シルビオが、マクファーレン伯の説教を遮る。
ぎこちなく動くメレディスの車椅子を押し、部屋へ連れて帰ろうと……。
「いっそ、俺たちの目が届くうちに描かせたほうがいい――無茶をし出したら、蹴っ飛ばしてでも止めさせて、ベッドに縛り付けるぞ」
本気とも、冗談とも取れる脅しの言葉……たぶん、どっちもだろう。
マクファーレン伯は困ったような表情をしたが、やがて、シルビオの案に同意するしかないと諦めたらしい。
シルビオ、スカーレットと一緒に、メレディスの部屋へ向かっていった。




