血にまみれる
宰相による強引な粛清は、当然貴族たちの反感を買うこととなった。
王や大臣たちが集まる謁見の間――口火を切ったのは、内務大臣ケンドールだった。
「ずいぶんと派手に立ち回っているようですな、ドレイク宰相殿」
内務大臣とドレイク卿の険悪なやり取りは、昔からのものだった。
だから、こんな光景もいまさら……なのだが、今回ばかりは周囲も固唾を呑み、口出しすることもできないでいた。
ドレイク宰相が背負うオーラが、あまりにも不穏で。
「この一週間だけでも、貴公らが逮捕し、処刑された貴族の数は二桁となっている。かなり強引なやり方で……私の耳にまで、恨みの声が届いている。もう少し、謙虚に振舞ったほうがよろしいのではないか」
「ご忠告痛み入る」
皮肉まじりの内務大臣の言葉に、ドレイク宰相は短く返す。
「しかし、内務大臣殿はご自分の振舞い方を改めるべきかと」
「なに――?」
険呑としたドレイク宰相の返答に、内務大臣は眉を吊り上げた。だが大臣が問い詰めるよりも先に、円卓の間に人が入って来る。
その人の姿を見て、一同がざわつく。
法務長官マレット―ドレイク宰相が取り立てたことにより、その地位に就いた男。有能で誠実な人柄ではあるが、身分を考えると、やはり宰相の意向による就任であり宰相の部下も同然だ。
「モーリス・ケンドール侯爵。スペンサー・リッチー伯爵の一件について、あなたにも嫌疑がかかっております。大臣殿の権限を一時停止し、監査を行います――ケンドール候、どうぞご理解の上、ご協力くださりますよう……」
内務大臣は不愉快そうに顔を歪めた後、宰相に鋭い視線をやった。
宰相は相変わらずのポーカーフェイスで、この状況にまったく反応する様子はない。だが、誰の差し金で法務長官が動いているのかは見え見えだ。そして宰相も、それを隠すつもりはないらしい。
大臣は憤然とした様子で立ち上がり、法務長官と共に部屋を出て行った。
内務大臣の更迭は、貴族たちに大きな衝撃を与えた。
内務大臣は、宰相に対抗できる数少ない人間――決して敵ではない。しかし、宰相は内務大臣をあっさりと城から追放した。若い王は宰相の言いなりだし、もう彼の行いを咎められる人間はいない……。
「あら、本日はステファニー様もご一緒だったのですね」
警視総監の執務室を訪ねたマリアは、かつて自分が秘書として座っていた席に座る女性を見て笑った。
ステファニー・ケンドール侯爵令嬢――すでに既婚者で、婿を取ってケンドール家の次期女当主となることが決定している女性だ。
夫のアイザックは、ドレイク宰相の指名を受け、新たな警視総監に就任した。
マレット法務長官の秘書を務めていたが、本人の希望もあって――貴族ではあるが平民と変わらぬ暮らしをしていた彼は、平民たちに寄り添う職を求めていた。人柄も実力も不足なく、ケンドール侯爵の後ろ盾もある彼ならば安泰だ。
マリアはここ数日、新しい警視総監に引継ぎ業務を行っており、今日はステファニーも同行していた。
「夫は城のことにまだまだ疎いので。昔から父の仕事を手伝って、こういうことをするのは慣れっこなので」
「では、新しい警視総監殿の新しい秘書は、ステファニー様で決まりですわ。お若く可愛らしいステファニー様なら、お役人様たちや騎士様方も張り切るでしょうし」
ドレイク宰相やウォルトン団長の教育によって、役人や騎士たちは実に勤勉で有能だ。
だが難点がひとつ――みな、事務仕事を嫌がる。
意外とドレイク宰相は部下に甘く、さぼりがちな部下の仕事をフォローしがち。ウォルトン団長は、自分も事務仕事は苦手なのでその分野に関しては大目に見ているようで。
それを笑顔と優しい言葉でなだめすかしてやらせるのがマリアの仕事でもあった。これからは、ステファニー嬢がその役目を引き継ぐことになるだろうか。
「モーリス様は、いかがお過ごしで……?」
「ゆったりしております。久しぶりの休暇なので、母の墓参りに行って、領地でのんびりと釣りを。父にしては珍しく自堕落な生活が続いて、少し不摂生気味ですの。お腹が出てきそうで心配なので、オルディス公爵が喝を入れてくださると有難いのですが」
冗談めかして話すステファニーに、マリアも笑う。
ステファニー嬢にも警視総監の秘書としての引継ぎを行い――そして部屋を出た。
新しい警視総監……新しい秘書。引継ぎが終われば、マリアがこの部屋を訪ねることもほとんどなくなるだろう。十年近く通い続けた部屋だった。
ドレイク警視総監はいなくなり、彼に報告と書類を届けに来るマスターズの姿もそこにはない。秘書の席に座って、マリアが二人のやり取りを眺めることも……。
もう二度と見ることのない光景。帰ってくることのない日々に、胸の奥で痛むものがあったような気がした。
廊下を歩くマリアの行く手を遮るように、必死の面持ちで貴族が縋り付いて来る。マリアのドレスの裾をつかむ勢いの彼を、ララが振り払った。
こうやってマリアに縋ってくる貴族は、これが初めてではない。でも大きなお腹を抱えたいまは、見知らぬ人間に触られたくはなかった。
「オルディス公爵!どうか――どうか、命ばかりはお助けを……!」
彼らがなぜマリアに迫ってくるのか、もう問いかけるのもうんざりだ。その内容はいつも同じ。盛大な溜め息は内心におさめ、マリアは優しく微笑んだ。
「ドレイク宰相に、どうか取り成しを!私は彼らに誘われただけで――断り切れず、仕方なく――」
「なら宰相閣下に、自らすすんで情報を提供すればよろしいだけのこと」
優しい声色は崩さず、しかしきっぱりとした口調でマリアは言った。
「ドレイク卿とて、有益な協力者を失うことは避けたいはず。断り切れないしがらみがあっただけだと言うのなら、すべてを話してしまっても問題ないでしょう?ドレイク卿には、私から口添えしておきますわ――貴方は、閣下の敵ではないと」
マリアの言葉に、貴族は夢中になって頷く。ホッと胸を撫で下ろすと、周囲をきょろきょろとうかがい、貴族はすぐに立ち去った。
「裏切るのも命がけね。ジェラルド様は怖いけど、自分が裏切ったことが発覚するのも怖い」
足早に去っていく貴族の後ろ姿を見届けた後、マリアが言った。ララも呆れたように首を振る。
「でもお前も気をつけろよ。そろそろ向こうも、追い詰められ過ぎて破れかぶれになる頃じゃねーの」
「そうね。ろくでもないことには勤勉な人たちみたいだし」
メレディスやスカーレットを捕えて利用しようとしたり、マスターズを殺したり、そういったことは迅速に手を下す連中だ。
マリアも、そろそろ次の動きがある頃だろうと考えていた。子どもたちの守りは固めてあるし、身近な関係者はそのほとんどが武術に長けている――残された選択肢の中で、一番狙われやすいのがマリアだ。
次は、自分を狙って動くはず……。
「こんにちは、先生」
城の医務室をノックして、マリアは笑顔で挨拶する。
侍医は慣れた様子でマリアに応じ、診察用の長椅子にマリアを勧めた。
城の侍医――本来は王族のための医者だが、マリアはもう何年も、彼のお世話になっていた。両手の指を使わなければ数えきれないほどの妊娠と出産を繰り返して、侍医はその大半を助けてくれている。
ケンカ仲間でもあって、マリアも信頼する相手だ。
「予定日は過ぎましたが、まだ生まれてきません。赤ちゃんは大丈夫なんでしょうか……」
「予定日は、単なる医者の予想――遅れることもさほど珍しいことではありませんよ」
定期検診は終わっているはずだが、今回の子はずいぶんのんびりしていて、まだマリアのお腹の中にいる。
侍医は、マリアに薬湯を手渡した。それを受け取り、ゆっくり一口飲む。
マリアは、大きく息を吐いた。
「……先生との付き合いも、ずいぶん長くなりました。子どもたちが元気に生まれてこれたのは、先生のおかげですわ。オフェリアが助かったのも、先生の尽力があったからこそ」
オフェリアの最初の出産は大変な難産だった。二度目はその経験を踏まえて、オフェリアのための準備とフォローをしっかり整えてくれて。
王も、彼には強い信頼を寄せている。
マリアが微笑んで彼を見つめれば、侍医の顔色はいよいよ悪くなった。
医務室には、マリアと侍医の二人しかいない。
必要があれば助手も入ってくるが、定期健診ぐらいならば侍医一人で行う。公爵の肌に触れて良い男は限られている――信頼の厚い侍医だからこそ許された特例。
護衛のララも、ここだけは一緒に入って来ない。護衛は必要ないはずなのだから。
「私、先生のことを信じております。赤ちゃんは、助けてくださいますわよね?」
長椅子に座ったまま、マリアはふわふわとした感覚に包まれていた。瞼が重くて、抗いがたい睡魔に促されるまま、長椅子に横になる。
目を閉じても、すぐには意識を失わなかった。毒には耐性がある――睡眠薬は、専門外だ。
「ご協力感謝します。さすがは王の信頼厚い侍医殿だ……警戒心の強いこの女も、あっさりと……」
「……孫を返すのが先だ!孫の安全が確認されるまでは、公爵の引き渡しには応じぬぞ……!」
暗闇の中、誰かと言い争う侍医の声が聞こえる。
あの医者は、間者には向かない。動揺が思いっきり顔に出て……高名な医者だけあって、マリアに気付かれない薬を使いこなしているというのに。
薬湯を飲む時に、侍医はあからさまなぐらい狼狽していた。あれでは、薬湯の中に何か仕込んだのがバレバレだ……。
「公爵に手荒な真似は……公爵は妊娠しておられる……明日にも生まれるやもしれぬ身で……!」
「安心なされよ。赤ん坊は、我々にとっても重要なアイテムだ――せっかく手に入るというのなら、大事に取り扱うさ……」
ふわりとした感覚――何者かがマリアの身体を抱えている。いささか乱暴な手つきだが、お腹だけは気遣っているようだ。
頭が重くて、自分で身体を動かすことはできない……。
それを最後に、マリアの意識は闇に沈んだ。




