突き付けられて (1)
ホールデン伯爵とドレイク宰相は、リッチー伯の遺物を吟味しながら待っていたようだ。
マリアが戻ってくると、二人とも振り返ってきた。
「メレディスとスカーレットは落ち着いたか?」
伯爵に尋ねられ、マリアは頷く。
「メレディスのお兄様も訪ねてきてくださって、いまは二人でお話しています。スカーレットのほうは、兄妹たちが」
「……メレディスのほうは、私も彼から話を聞きたい。少し、邪魔をさせてもらうか」
そう言って、ドレイク宰相は執務室を出て行った。残った伯爵に、マリアはシルビオから聞かされたことを説明する。
「狙いはスカーレット……それからメレディスか」
「はい。メレディスのほうも、生け捕りの指示が出ていたそうです。二人を利用しようとした……やはり、私かマクファーレン伯に圧を与えるためでしょうか……」
「その可能性は極めて高いな。メレディスはともかく、スカーレットが、そのように執拗に狙われる理由を持つはずがない。君や、伯父のマクファーレン伯が理由と考えるほうが自然だ」
伯爵もマリアと同意見だった。
伯爵の言う通り、メレディスはまだしも、幼いスカーレットが狙われる理由が他にありえない。母親のマリアか、伯父のマクファーレン伯か……はたまたその両方か。
「私も、メレディスから話を聞いておくべきなのでしょうね。ちょっと部屋を覗いてきます」
メレディスの休んでいる部屋を訪ねてみれば、ベッドのそばに椅子を置いて弟を気遣うマクファーレン伯、少し離れたところでドレイク宰相が、ベッドに座ったままのメレディスから話を聞いていた。
マリアが部屋に入ると、三人ともそちらに振り返る。
「やあ、マリア。ごめんね、たくさん心配かけちゃって。スカーレットは大丈夫?」
メレディスが、笑顔で言った。
マクファーレン伯が立ち上がり、自分の椅子をマリアに譲る。彼の親切に甘え、マリアは椅子に腰かけ、メレディスを気遣った。
「まだちょっと動揺しているけれど、だいぶ落ち着いたわ。あなたは大丈夫なの?スカーレットは、シルビオがしっかり守ってくれたみたいだけど……」
「うん、大丈夫。戦えない男だと思って、向こうも完全に油断してて……画材道具は大変なことになっちゃったけど……」
メレディスがうなだれる。身を守るためとはいえ、画材道具を使って人を傷つけたことに、かなり落ち込んでいるようだ。
「そんなもの、また買えばいい。金で解決できるなら安いものだ。おまえやスカーレットが無事で、本当に良かったよ」
マクファーレン伯が、優しく笑いかける。
メレディスの兄アルフレッドは、弟をとても可愛がっている――それは、マリアのオフェリアに対する感情に似たものがある。弟のことを心配する彼の気持ちは、マリアにもよく分かった。
「今日はこれで帰ることにしよう。おまえも、今日はもうゆっくり休みなさい。まだ顔色が悪い――絵を描くのに夢中になって、ちゃんと寝ていないんだろう。しばらくこちらで厄介になって、寝食をきっちり取る生活に慣れてきなさい」
兄の小言に、メレディスは困ったように笑う。
マリアはマクファーレン伯を見送り、それから、ドレイク宰相も見送った――帰り際、馬車に乗り込む直前で、ドレイク宰相がそっとマリアに近づいてくる。
「マリア……話をしている間、メレディスは何度か咳をしていた」
宰相は声を落とし、小さな声でマリアに話しかける。彼の言葉を聞き漏らさないよう耳を立てながら、マリアは目を瞬かせて彼を見つめた。
「私の母は、胸の病を患って亡くなった」
「……存じております。生前、ジェラルド様のお父様がお話しくださいました」
「亡くなる直前の母と同じものを、メレディスから感じる――マクファーレン伯には話さなかったが」
マリアは息を呑み、黙り込んだ。とっさに反応ができず――頭が真っ白になって、何も考えられなくなって。
「……私の杞憂だと信じたい」
そう言って、ドレイク宰相はマリアの頬に挨拶のキスをして、馬車に乗った。
マリアは、宰相の乗った馬車が見えなくなっても、しばらくそこに立ち尽くしたままだった。
気が付いた時、マリアは自分の部屋にいた。メレディスの描いた絵を、ぼんやりと眺めていて……。
そんなマリアを、後ろから誰かが優しく抱きしめる。自分を包む優しい腕の持ち主が誰かなんて、考える必要もなかった。
「何か、気になることでも起きたのか?」
「……この絵」
自分を後ろから抱きしめるホールデン伯爵に甘えるようにすり寄りながら、マリアが呟く。
「複製画なんです。オリジナルを見ているので、メレディスからこれを渡された時、すぐに気づきました。その時は、オリジナルは自分のものにしたんだと思って……ちゃっかりしてるんだからって、ちょっと呆れて……」
「彼には前科があるからな」
伯爵が笑う。
マリアに芸術的センスはないが、メレディスの絵は、そんなマリアでも心惹かれるものがある。だから、オリジナルと複製画の違いはすぐに分かった。
特に、この絵は最愛の娘スカーレットを描いたものだ。その出来栄えは格別で、マリアもよく覚えている。
メレディスから、完成した娘の絵を渡された時に、これがよく似た複製画であることもすぐに分かって……仕方ないわね、と思いながら黙って受け取った。
……少しだけ、胸の奥で騒ぐものに、見て見ぬふりをして。
マリアは、スカーレットの部屋を訪ねた。
他の子どもたちはもう寝静まった時間。スカーレットはまだ眠れないようだった。スケッチブックを片手に、ベッドに腰かけてぼんやりしている。
「スカーレット」
マリアに呼びかけられ、ハッと娘が顔を上げる。マリアは優しく微笑み、娘の隣に腰かけた。
「お母様……」
マリアに抱き寄せられ、スカーレットは母親を見上げる。その瞳は、不安と怯えに揺れていて……。
さっき話した時も、勘付いてはいた。娘が何か隠している、と。
ひどく怯えている娘を、追い詰めてしまっていいのか……マリアもためらってしまったのだ。
でも、この隠し事はスカーレットには重すぎる。娘に背負わせるべきではない。
「お父様に、口止めされたのね?」
マリアが言えば、スカーレットはスケッチブックをぎゅっと抱きしめ、唇を噛んだ。
「いいのよ。スカーレット、全部話していいの。母親に隠し事なんて、できるはずないわ。それが父親のこととなれば……隠すことができないのも当然よ」
マリアの腕の中で、スカーレットの身体が小刻みに震えた。必死で嗚咽を抑えようとする娘を、マリアは優しく抱きしめる。
「私たちについた血は、返り血じゃないの……」
涙を堪えながら、スカーレットが打ち明ける。
「お父様、血を吐いたの……」
人が入ってくる気配に、シルビオは静かに顔を上げた。
彼もまた、長椅子にもたれかかったままぼんやりとした様子で……でも、相変わらず気配には敏感だ。ノックもせず部屋に入ってきたマリアに、驚く様子もなく視線をやった。
「……スカーレットが喋ったのか」
マリアの態度から、シルビオは何も言わずとも察したらしい。自分を訪ねてくる心当たりもあるからだろうか。
「あいつのことは責めてやるな。父親に頼み込まれては、黙っているしかない――俺も、さすがにこれは気楽に話せなくてな」
シルビオとメレディスは、腐れ縁という感じで。当人らは否定してきたが、友人と言っても差し支えない関係だ。やはりシルビオも、多少は動揺しているのだろう……。
「改めて、何があったか聞かせてもらえる?」
マリアが言えば、シルビオは姿勢を直し、再び話し始めた。
メレディスとスカーレットを狙う連中から二人を守りながら、シルビオは屋敷の脱出を目指していた。
敵はたいして強くないのだが、いかんせん、数が多い。
自分一人なら強引に斬り捨てて逃げてもいい――が、戦えないメレディスや幼いスカーレットを連れていては。
できるだけ戦闘は避けたほうがいいだろう。そう判断して、戦闘は最低限で済ませようとしていた。
屋敷内を、敵から身を隠しながら進んで――。
メレディスが突然咳き込みだし、シルビオはぎくりとなった。
「おい……!」
諫めるが、メレディスの咳はおさまらない。かなり派手に咳き込み、背を丸め、苦しそうに何度も咳き込む。娘のスカーレットが、メレディスを心配そうに見上げていた。
「いたぞ、こっちだ……!」
予想通り敵に気付かれ、こちらに集まってくる。シルビオは舌打ちし、物陰から飛び出して敵が集まりきる前に厄介な連中を斬り捨てた。
敵を斬るのは簡単だが、やはり数が多い。いつまでも相手にしていてはきりがない……ある程度片付いたところで、シルビオは物陰に隠れたままのメレディス、スカーレットのもとに戻った。
二人の元に戻り……手を血で濡らしたスカーレットを見つけ、さすがのシルビオもゾッとした。
「怪我をしたのか!?」
敵は逃さず始末したはずだが――負傷の有無を確認しようとシルビオが手を伸ばせば、スカーレットは怯えた表情で首を振る。そして、父親を見た。
メレディスの服にも血が……咳は落ち着いたようだが、ぬぐう口元にもうっすらと血の跡が。
「おまえ……」
それが何を意味するか、シルビオも瞬時に悟った。メレディス自身も、自分の身体に何が起きているのか理解しているのだろう。シルビオたちに見つかって、気まずそうに視線を逸らしている。
「……ごめん。誰にも言わないで。スカーレットも……お願いだから、このことは見なかったふりをしてほしい。マリアにも……」
シルビオはぎゅっと唇を結び、行くぞ、と短く声をかけた。
いまは、それについて話している場合ではない。二人を安全な場所まで連れて行かなければ――だから、いまは見なかったふりをしておこう。
それ以上の詮索はせず、シルビオは二人を連れて屋敷を脱出することを優先した。




