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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その悪名伝~  作者: 星見だいふく
第一部02 消えない亡霊の影
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ある日突然に (2)


五度目の出産を終えてしばらくの休養の後、マリアは仕事に来ていた。ただし、いまは城のほうではなくクラベル商会で。

ナタリアが妊娠したことで、デイビッドが仕事を休みがちになったのだ。あれほど仕事人間で、一日中、時間があったら仕事をしていたいデイビッドが。

誰もが驚いたが、それほどまでにデイビッドも子どもができたということが嬉しいのだろう。水を差す気にはなれなかった。


不在がちになるデイビッドに代わってクラベル商会で働くマリアは、時折ホールデン伯爵に同行することもあった。

クラベル商会にはたびたび働きに来ていたのだが、伯爵の秘書を務めるのはずいぶん久しぶりだ。馬車に揺られながら、上機嫌でさきほどの商談内容をまとめていたマリアを見て伯爵が苦笑する。


「今日はずいぶん美しく装っているな」

「ようやく体型が戻りまして。せっかくなので、少し気合いの入った衣装を選んでみました」


マリアは自分の容姿に無頓着な方なのだが、魔女と呼ばれるようになり、羨望の眼差しを向けられる地位に立ったことで、努力するようになっていた。産後のお腹では、着れる服も限られている。

だから伯爵から様々な美容法やダイエットを聞き、懸命に絞って……やっぱり、伯爵の隣に立つのなら美しくありたい。特に今日みたいに、伯爵の秘書として一緒にいる時はマリアの外見が彼の評価にも繋がるのだから……。


「君を美しく飾らせるのは好きだが、複雑な気分だな。君の美しさに惹かれる男を、これ以上増やしたくはないと言うのに」


マリアは悪戯っぽく笑い、隣に座る伯爵にもたれかかる。マリアのご機嫌取りに対し、伯爵もまんざらでもなさそうに笑っていた。


「……あら、馬車が止まりましたね」

「騎士が馬車を検閲しているようだ」


馬車の揺れが止まったことに気付いてマリアが言えば、窓から外を見て伯爵が答えた。御者席に座っているノアが、馬車のドアをコンコンと叩いて来る。


「伯爵、マリア様、失礼します。巡回中の騎士が、協力を求めております」


ドアが開き、王都の治安を守る騎士たちが丁寧な態度で馬車の中を検めにきた。クラベル商会の会長のことは、騎士たちも当然知っている。ホールデン伯爵に対して敬意を払い、速やかに検閲を終えた騎士たちは恭しく頭を下げた。


「ご協力ありがとうございました!」

「ご苦労。君たちも大変だな」


馬車から外を見てみれば、検閲を受けているのはマリアたちだけではなかった。道のあちこちで馬車が止められ、身分に関係なく検閲は行われていた。

だが、検閲にあたる騎士たちは身分があまり高くなく、高位の貴族相手になかなか手こずらされているようで……その内、王国騎士団団長が駆り出される羽目になってしまうだろう。侯爵位にあるライオネル・ウォルトンでも来なければ、大人しく従いそうにない連中ばかり……。


「ヴィクトール様、少し待っていて頂けますか」


見覚えのある人物を見つけ、マリアは馬車を降りて彼に近づいた。

いかにも訳ありのお忍びと言った装いで、騎士の質問に困惑する中年貴族……連れている女性を見て納得した。彼女は多分、そういった職業の……。


「ご機嫌よう。思わぬところでお会いしましたね」


マリアが声をかければ、外務大臣リッチー伯はぎくりと身を竦ませる。恐るおそる振り返り、相手がマリアと分かるとホッと胸を撫で下ろした。


「いやはや、これはオルディス公!あなたに会えて、私は実に幸運だ。公爵は、王国騎士団に顔が利くそうだが……」


声を潜め、ヒソヒソとリッチー伯がマリアに尋ねる。マリアはリッチー伯爵を取り調べていた騎士を見た。

マリアは王国騎士団団長と懇意の仲だし、ララがよく出入りしていることもあって、騎士たちとは知り合いだ。目の前の騎士にも見覚えがある。


「彼と、彼の連れの身元については私が保証します。通して頂けませんか?」


上目遣いにお願いすると、騎士はちょっと顔を赤らめ、仕方ないですね、とリッチー伯への検閲を終了させてくれた。


「いやぁ、助かった!恩に着ますぞ!」

「今回だけですよ。それに、これで彼が咎められることになったら、全て暴露してリッチー様に責任を押しつけますからね」


予定にない出会いだったが、外務大臣にちょっとした恩を作っておくのは悪くない。マリアは笑顔で立ち去ろうとしたが、リッチー伯から呼び止められた。


「今日は普段の装いと比べて、一段とお美しい!公爵も、どなたか良い人とお出かけの最中だったのかな?」


大きなお腹を揺らし、意味ありげな笑顔を浮かべてリッチー伯は問いかける。マリアも含みのある笑顔で、ええ、と頷いた。


「いまは就業中ですわ。クラベル商会のホールデン伯爵のお供をしておりますの」

「クラベル商会!そりゃ都合が良い!」


リッチー伯は重い身体を揺らして小走りに自分の馬車に駆け寄り、同乗者に声をかけた。


「ベティ!予定変更だ――そう、怒らないでくれ!クラベル商会にちょっと用ができて――そう――そうだよ、それさ!君にも何か買ってあげよう、だからご機嫌を直して――」


同乗者と行き先の変更を話し合っているようなのだが、リッチー伯はどうやらクラベル商会に来るつもりらしい。マリアは、少し離れた場所で自分を待っている馬車を見た。御者席では、相変わらず崩れることのないポーカーフェイスを貫くノアがじっとこちらを見ている……。


「ようし、話は決まりだ!オルディス公爵――すまんが、君の馬車にわしらも同乗させてもらえんかな。ホールデン伯爵と話したいことがあって――ついでに、彼女にも何かプレゼントを買ってやらんと!」




帰りの馬車はずいぶんせまかった。

ホールデン伯爵は長身だし、リッチー伯はかなり体型が良いし、ベティと呼ばれる連れの女性はなかなか豪奢な装いで。

ベティは恐らく、高級娼婦。そういった職業の女性と対面するのはマリアも初めてで、彼女の美しさや妖艶さ、何気ない仕草にも表れる色気に感心してしまった。それにとても教養があって……娼婦という仕事に就くにも、なかなか大変そうだ。


「おほほ。真面目に感心されてしまうと、私も照れますわ。女公爵の噂は私たちの間でも有名でして……時の人に会えて、私も光栄です」


リッチー伯から、娼婦の平均で言えば彼女は年を取り過ぎているのだと教えられた。それでも色あせぬ色気と知性に、大金を積んで彼女と一夜を望む男は絶えず……その極意、いずれマリアも真剣に伝授してもらう必要があるかもしれない。


商会の本店に着くと、ベティは店の商品を眺め、マリアは彼女の案内……を、しようと思ったのだが、リッチー伯から呼ばれて相談の場に同席することになった。気を遣って連れの女性と共に席を外したつもりだったのだが、リッチー伯はマリアにも用事があったらしい。


「わしは週に一回程度は下町を歩くようにしていてね。雑多な場所は、何を隠すにも都合がいい。外国からの流れもの……そういったものを把握しておくのも、外務大臣の使命だ――ということを大義名分に、眺めに行くのが好きなのだ。胡散臭い空気が漂っておるが、あの活気がわしのお気に入りでな」


茶目っ気たっぷりに、リッチー伯が言った。


「それで……最近、気になる商品を見つけた。これなんだが……」


ごそごそと懐を漁り、ポケットから小さな薬壺を取り出した。

それをマリアたちに向かって差し出し、ホールデン伯爵が受け取って品物を検める。


生憎マリアは芸術に疎くて……ただ、その薬壺がエンジェリクで作られたものではないことだけは分かった。独特の模様は、海を渡った先……もっと東から来たものだ。


「こういった薬壺に、私は見覚えがあります」


薬壺を眺め、ホールデン伯爵が言った。商人として本気を出した伯爵の迫力は、マリアでも息を呑むものがある。

でも、なぜいま――薬壺を見て、伯爵は明らかに顔色を変えていた。


「いまから数十年前、エンジェリクで密かに出回りました。その大半は貴族向けに売られた物でしたが、一部は庶民も手にすることとなり……ほどなくして、その薬壺はすべて国が回収を始めました。当時の私はまだ若輩者で、そういった商品を取り扱えるほどの身分ではありませんでしたが、回収協力の依頼がエンジェリク中の商会に来たことは存じ上げております――そして、それらについての口止めも」


伯爵が薬壺を開けると、中には小さなチョコレートが。チョコレートは、リッチー伯のものだ。


「そう。薬壺自体は東方で売られているどこにでもある商品だった。問題は、その中身」


東から来た薬。

エンジェリクで……それも貴族に向けて売られて。その後、国を挙げて回収するほどのもの。

――不吉な予感が、マリアの胸を占めた。


「……ホールデン伯爵。すまんが、わしをオルディス公爵と二人きりにしてはくれないかね。公爵、せっかくの機会だ……これ以上の情報は、君が引き出してみたまえ」


そう言って、リッチー伯は好色な視線を隠すことなくマリアに向ける。ホールデン伯爵は険しい表情を崩さず、じっとリッチー伯を見据える。


「気楽に話せることではないのだよ――君もこれの正体を察しているのなら、理解できるだろう。わしは、できれば見なかったふりでやり過ごしたいと思っておる。この薬壺の正体……数十年前、闇に葬られたように、今回も闇へ消えてしまえばいいのではないかと思うのだ……」


ホールデン伯爵が、今度はマリアを見た。マリアは目を閉じ、大きく溜息を吐く――そして、にっこりと微笑んで伯爵を見つめ返した。


「私からも、お願いいたします」

「……私は」


伯爵も、苦渋の溜息をつきながら話す。


「従業員に、性的な接待を強要するような真似はしたくない。これは私の商人としての信念から大きく外れることだと言うこと、あなたにもご理解いただきたい」

「分かっておる。いささか度を越えた――恥知らずな提案であることはな。わしとて遊び方は心得ておるのだ、普段ならこのようなことはせぬ。ただ、オルディス公爵が相手となれば話は別だ――キシリアの魔女……傾国が相手では、わしも闘争心が抑えきれぬ……」


にやりと笑うリッチー伯に、マリアも怯むことなく微笑んで見せた。

リッチー伯が男としてマリアをやり込める気なら、何も遠慮する必要はない。女として――負けるつもりなど、マリアにはなかった。


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