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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その悪名伝~  作者: 星見だいふく
幕間(小話たち) 幸せのかたわらで
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ある日、夕暮れ時に


アレン・マスターズは、エンジェリクの王都で働く役人である。ドレイク卿が警視総監を務めていた頃の部下であり、彼が宰相を兼任するようになってからは、役人たちをまとめるのは彼の仕事となっていた。

そんなマスターズには息子がおり、勤務中はクラベル商会に預けていた。


「アレン、そろそろ帰るぞ」


マスターズが息子を迎えに行くと、息子アレンはカタリナと遊んでいた――遊び相手になっていたといったほうが正しいだろうか。

カタリナは、どうもアレンに幼くも可愛らしい恋心を抱いているようで、アレンも、無邪気に自分を慕うカタリナを可愛がっている。


そんな光景を、カタリナの父デイビッド・リースは非常に複雑な思いで見ており――アレンの父親はナタリアを巡る恋敵なので、娘がそんな彼の息子を慕っているのは、なんともヤキモキさせられるらしい。

マスターズのことも、少年アレンのことも、決して嫌いじゃないけれど――自分の妻にずっと横恋慕する男に対してそんな寛大な態度を取れるあたり、デイビッド・リースという男はかなりのお人好しだ。


「アレン、一緒に帰りましょ。お母様、アレンともっと一緒にいたいわ」


カタリナのその言葉に、マスターズはナタリアもここにいることを察した。カタリナの視線の先を追って、ナタリアを探す。

どうやら、ナタリアは夫への差し入れを持ってクラベル商会に来ていたらしい。ちょっと困ったように笑い、デイビッドを見る。


「そう……ね。旦那様、もう少しだけ、カタリナをアレン様と一緒に遊ばせてあげてもよいでしょうか?」


つまり……マスターズたちと一緒に帰ることを許してほしい、と。

自分に横恋慕している男と。さすがにそれがよろしくないことなのは、ナタリアにも分かっていた。

でも、大好きなアレンと一緒にいたい娘の気持ちをむげにすることはできないし……自分たちも、そろそろ帰るつもりだったから……。


「お願い、お父様」


最愛の娘に懇願されては、デイビッドも強く反対できるはずもなく。

……内心ほくほく気分で、マスターズはナタリアたち親子と途中まで一緒に帰ることになった。


黄昏時、夕陽に包まれた道を、アレンとカタリナは手を繋いで歩いていた。賑やかな店が並ぶ道を歩き――パン屋が、売れ残りのパンを安く売っている。

売れ残りの中に、木苺のパイが一切れ……ちょっと季節外れなそれを、食べたい、とカタリナがねだりだして。


それを買い、ベンチに座って二人で半分こにして食べるアレンとカタリナを、マスターズとナタリアは少し離れたところから見ていた。

……ナタリアは、二人からさりげなく距離を取り、小さな声でマスターズに声をかける。


「あの……お父様のこと……お悔やみを申し上げます」

「恐れ入ります――そんな顔しないでください。両親は高齢でしたし、母が亡くなってから父もめっきり老け、きっと近いうちにこうなるだろうとは思っていましたから」


マスターズは、半年前に母親が亡くなり、そして一ヶ月ほど前に父親も亡くなって、つい最近、二度目の葬式を終えて王都に帰ってきたところだった。


ナタリアが、夫への申し訳なさを感じながらもマスターズと共に家に帰ることにしたのはこれが理由だ――王都に帰って来てから、アレンが落ち込んでいるようで。デイビッドも、そのことは気にしている。


「息子は、祖父母のことで落ち込んでるんじゃないんです。いえ、可愛がってもらってましたから、まったく悲しくなかったわけじゃないですけど――両親のことで、息子を連れて何度か故郷に帰ってましたから……あの子の母親と出くわす機会もあって」


あ、とナタリアは息を呑む。

アレンの母親――離婚したマスターズの妻は、非常に身勝手な理由で夫と息子を捨てた。それも、夫の財産だけはしっかり奪っていくという悪質なおまけ付き。

当時、幼い息子を抱えていたマスターズは妻に制裁を与えることはしなかったが……。その後のことは、ナタリアも聞いていない。そこまで踏み入れるほど、図々しくはなれなくて。


「彼女、一度は実家から追い返され、周囲からも非難されたんですけど……その後、金持ちの男と再婚してました。孫が生まれたことで、彼女の両親の態度も軟化して……周囲も、もう許してやってもいいんじゃないかと……そんな空気です。もう一人息子がいること……彼女は、すっかり忘れてしまってるみたいですね。それを、うっかりアレンに知られてしまって」


ナタリアは、アレンを見た。

王都に戻って来てから、アレンは普段と変わらない様子で振舞っていたが、どこか辛そうで……まだまだ幼い少年だ。母親がそんな女だと知って、傷つかないはずがない。


「……湿っぽい話になってしまいましたね。ナタリアさんたちは、いつも通りに接してあげてください。アレンも、カタリナさんの無邪気さに、とても救われてるんです」


笑うマスターズに、ナタリアも控えめに微笑んだ。


アレンとカタリナがパイを食べ終えると、ナタリアたちはまた帰路を歩き始めた。


ナタリアは、もうマスターズの前妻のことについて話すのを止め、何気ない世間話をして歩いて――遠くに馬車を見つける。

見覚えのある馬車……ナタリアと同じ方向へ帰っていく。たぶん、彼女のほうが先に帰り着いてしまうだろう。ちょっとゆっくりし過ぎた。


「おい、いまの……オルディス公爵様の馬車だぜ」


通りすがりの町の人たちが、そんなことを話しているのをナタリアは聞き取った。


「ちらっと見たけど、噂通りの美人ねぇ……あの美貌で、王様やオーシャンの王子様を誑かしたんだろう……?」

「恐ろしい女だよ……王子様誑かして……夫が死んだばっかりだって言うのに、もう新しい男と結婚したってさ……」

「親子ほども年の離れた男だっけ?」

「そうそう。大富豪の男……どう考えたって金目当てだ……」


無責任な噂……誰も真相を知ることはなく、知ろうともせず、マリア・オルディスの悪名だけが愉快に伝わっていく。尾ひれも背ひれもついて……。

……でも。


「まったくのデタラメと言い切れないのが、何とも苦々しいです」


町の人たちの噂話を聞き、ナタリアは苦笑する。マスターズも笑っていた。


「あながち大間違いというわけでもなく、客観的に見れば、なかなか悪辣なんですが……近くにいると、自然とあの人に魅かれてしまうんですよね。ドレイク様なんか、初めて会った時からずっと、オルディス公に夢中ですよ」

「もう、マリア様ったら、本当に……。主人の悪評を聞いて、私は、本来なら腹を立てなくてはならないのに……」


――そんな主人が好きな自分が、一番問題なのかもしれない。

早く帰ろう、と自分たちに振り返るカタリナに手を振り、ナタリアは心の中でこっそりと呟いた。


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