それぞれの終幕 (3)
オーシャン王の堕落のすべてが、デメトリアに原因があったわけではない。
王妃――オズヴァルト王太子やダンテ王子の母親が亡くなったあと、それまで誠実で真面目な夫であったはずの王は公然と女漁りを始めた。
そんな王に目を付けられた女の一人が、デメトリア。
当時まだ十四歳のあどけない少女で、由緒ある家柄ではあったものの貧乏貴族だった彼女は、王の寵愛を受け、贅沢の味を覚えてしまった。
男児を生んだことで王妃にまで取り立てられたが、本来ならそのような地位に就くはずもなかった少女は、無教養と無責任さを改めるはずもなく……彼女を利用して甘い汁を吸おうとする人間の傀儡となっていった。
やがて、少女も年を取り、美貌も色褪せて王の寵愛を失い始める。焦る彼女に、おぞましい誘惑が――王の寵愛を取り戻すため、自分の権威を保つため、純粋無垢だった少女は、やがて悪魔に魂を売った魔女へと変わっていった……。
「デメトリア本人は、最初から悪魔崇拝の趣味があったわけではない。彼女の心の隙に付け込み、彼らが近づいてきた。そうしてまんまと深みにはまり、いつしか……美貌を保つことだけに執着し始めた。何のために美を求めていたのか、本来の目的も忘れて」
オズヴァルト王太子は、静かに話し続ける。
「彼女は父の晩年を狂わせたが……元を辿れば、父が彼女の人生を狂わせた。父は、その報いを受けただけかもしれん」
兄の話を、ダンテ王子は複雑な面持ちで聞いている。
彼らにとっては、それでも敬愛する父親だった。愛された記憶も、幸せだった思い出もある。デメトリア王妃は、そんな父親の命を縮めた憎い敵……けれど、そんな女を作り出してしまったのは、他ならぬ王自身でもあるわけで。
すべてデメトリアが悪いと、そう言い切ることはできない――王子として、真実から目を逸らすわけにはいかない。
……でも。
「私には、すこぶるどうでもいいことです」
きっぱりとした口調で、マリアは冷淡に言い放つ。
事実、どうでもいいことだ。
デメトリア王妃や、オーシャン王家にどのようなバックボーンがあろうとも、マリアにとっては他人事――巻き込まれさえしなければ。
そしてマリアは、彼らと他人同士に戻ろうとしているのだから。
「そんなことより、イザイア王子は離婚届にサインしてくださったのですか。彼との離婚は、絶対条件だと言っておいたはずですが」
兄の命だけは助けてほしい――そうピエタ王女に懇願された際、マリアは色々と条件を提示した。そのうちの一つ……イザイア王子との離婚は、何が何でも絶対に譲れない条件だ、と強く念押ししている。
デメトリア王妃たちに薬を飲まされ……禁断症状を克服するためにも、マリアは三日ほど療養に努めた。それから王都に戻ってきて、城でこうしてオズヴァルト王太子たちと対面して……王太子たちは、聞いてもいない王妃の過去をグダグダと話し始めて。
正直、ちょっとイラっとしている。
マリアが聞きたいのはそんな話ではない。それは、彼らも分かっているだろうに。
「貴女とイザイアの離婚について、こちらも異議を唱えるつもりはないのだが……少し、問題が」
「問題」
マリアは、訝しむようにオズヴァルト王太子を睨む。
「……口で説明するより、見てもらったほうが早い」
そんな誤魔化しは通用しない、というマリアの内心を察したように、オズヴァルト王太子は腰かけていた椅子から立ち上がる。
……仕方がない。ここで揉めて、離婚が先延ばしになっても面倒だし……マリアは、大人しく彼について行くことにした。
オズヴァルト王太子とダンテ王子が向かった先は、貴賓室のひとつ……たぶん、イザイア王子が滞在している部屋だ。
マリアが療養している間にイザイア王子はオルディス領にある屋敷から引き上げ、城に移ったと聞いていた――兄王子たちと共に、オーシャンへ送り返す予定だと。
王太子が扉をノックする。室内から、返事はない。
構わず、オズヴァルト王太子は扉を開けた。
「ひっ……!」
部屋の片隅に、イザイア王子はいた。マリアたちが入ってくると小さな悲鳴を上げ、怯えた様子で窓に駆け寄り、カーテンに包まって身を隠す。その仕草は、幼い子供のような……。
「イザイア」
ダンテ王子が努めて優しく声をかけると、カーテンに包まった王子はびくっと身をすくませ、ちらりと顔をのぞかせる。
オズヴァルト王太子……ダンテ王子……そしてマリアを、忙しなく見つめている。
「く、来るな……!ぼ、僕は王子だぞ……!勝手に部屋に入ってくるなど……無礼者め!うぅ……うわぁあああん……!」
マリアは目を瞬かせ、呆気に取られていた。
意味不明に怯え、突然怒り出し……おまけに、駄々っ子のように泣き出す。これでは、まるで……。
「イザイアお兄様、どうしたの?あら……」
マリアたちの後ろから、ピエタ王女が顔をのぞかせる。ピエタ王女を見つけ、イザイア王子は急いで妹に飛びつき、その後ろに隠れた。
「ピエタ!知らない人が、勝手に僕の部屋に入って来たんだ!みんな、怖い顔して……」
「大丈夫よ。怒ってるわけじゃなくて、オズヴァルトお兄様はもともとああいう顔なだけだから」
オズヴァルト王太子はムスっとした表情で、眉間に皺を刻み込む。ダンテ王子が声を殺して笑っていた。
「……驚いたでしょう。イザイアお兄様、あの廃墟で気絶して……目が覚めたら、ちょっとおかしくなってたの」
ピエタ王女が、マリアに向かって苦笑いで説明する。
「幼児退行を起こしてるらしい。それでまあ、色々と記憶も失ってて……俺や兄上のことも、誰なのか分からなくなってる、ピエタだけは、辛うじて認識できたみたいで……ピエタは、小さい頃とそんなに変わってないからな」
最後は冗談めかした口調で、ダンテ王子が言った。
「打たれ弱い奴だったからなぁ。一度に色んなもの見る羽目になって、耐えられなくなったんだろう」
「この有様では、婚姻を継続するのは不可能だ」
オズヴァルト王太子は、ピエタ王女の後ろで怯える弟を見つめながら言った。
イザイア王子はちらちらとマリアを気にしてはいるが、目が合うと、悲鳴を上げて王女の後ろに引っ込んでしまうばかり。
「それで……私は、王子イザイアにはこのまま死んでもらうべきだと思っている。世間から忘れられ、ただの人間としてひっそりと……そのほうが、イザイアのためでもあるかと」
「お兄様たちがね、ついに私が尼僧となることを認めてくれたの」
ピエタ王女が、嬉しそうに話す。
「だから私、オーシャンに戻ったらお城を出て、尼僧院に入るわ――イザイアお兄様と一緒に」
それは、と言いかけて、マリアは口を噤んだ。
マリアはもう、彼らと他人となるのだ。兄妹の決意に口を挟む立場にはないし、詮索する意義もない。
男のイザイア王子が尼僧院へ……本来なら有り得ないことだが、たぶん、王家と尼僧院で特殊な契約を結んで、イザイア王子の入居を許すのだろう。もう二度と、イザイア王子を俗世へ出さないことを条件に……尼僧院の奥深い場所で、なるべく他人との交流を避けて。
それは、軟禁……もしくは幽閉に近い……。
「……すまない、ピエタ。結局、おまえは母や兄の道連れに……」
「いいのよ」
申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にする兄に対し、ピエタ王女は明るく笑う。
「それが私の夢だったんだから。オーシャン王家の守護聖女になれるぐらい、しっかり修行に励むわ。それから……お母様や……お父様、お兄様たちの罪が少しでも許されるよう、生涯を掛けて神様にお祈りし続けるわ」
両親の罪、最後まで無責任なまま逃げ出した同母兄……それらを背負い、若くして世俗を離れることになったというのに、ピエタ王女の眼差しは希望に満ちている。妹の笑顔に、オズヴァルト王太子とダンテ王子も笑っていた。
「お前は……神様が遣わしてくれた、本物の聖女かもな」
ダンテ王子が言い、妹を抱きしめる。
それを眺め、マリアもふっと笑った。
「……そうですね。ピエタ様は、本当に……オーシャン王家を守る聖女なのかもしれませんわ」
兄を助けたくて、遠いエンジェリクまで自らやって来た少女。全てを知っても、それから目を逸らすことなく、せめて自分で守れるものは守り抜こうと……。
夫ごと、始末してしまうつもりだった。でも、彼女の必死な想いに……マリアもつい、心を動かしてしまった。
――妹のお願いには弱いのだ。昔から。
オズヴァルト王太子が、改めてマリアと向き合う。
「弟の死について、様々な憶測が飛び交うことだろう。貴女にも、きっと不穏な噂が付きまとう――」
「構いません。そんなもの、もういまさらです」
すでにマリアの名は、稀代の傾国……魔女として有名だ。それに、ほんのちょっと逸話が加わるだけ。
これで晴れて自由の身になれるのなら、夫の不審な喪失ぐらい、好きなように世間に語らせておけばいい。
「そうか……恩に着る」
言いながら、オズヴァルト王太子が一通の紙を差し出す。
美しい装飾が施された、上等な文書……マリアが彼らに依頼していたものの一つだ。マリアはそれを有難く受け取り――オズヴァルト王太子はなぜかそれを手放さず、険しい表情でマリアをじっと見つめる。
「――実は、私からも貴女に頼みが。個人的なことで……あくまで、私個人としての私的な頼みだ。貴女が断ったからと言って、エンジェリク側に不利益な振る舞いをしたりしない……必ず……そう誓う。だから、あまり深く考えずに聞いてほしいのだが……」
「何です?」
あまりにもまどろっこしい言い方に、マリアは堪らず口を挟んだ。
やたらと念押ししてくるが……いったい、マリアに何を頼もうと言うのだ。
オズヴァルト王太子はキョロキョロと視線を泳がせ――冷静沈着で表情のあまり変わらない王太子にしては珍しく、明らかに戸惑っている。
「貴女は……画家のメレディスと親しいと聞いた」
そう言えば、とマリアは思い出した。
兄はメレディスの大ファン――ピエタ王女が、そんなことを言っていたような。
「オーシャンに帰る前に……私もぜひ、彼に会いたい。彼の邪魔にならないよう、配慮は怠らないようにする」
そう話すオズヴァルト王太子は、憧れの人に想いを馳せる乙女のようで。さすがのマリアも、ちょっと吹き出してしまった。
それで、オズヴァルト王太子はあっさりエンジェリクへ来ることを承諾してくれたわけか。
ピエタ王女の協力に応じた後、マリアには待ち時間が発生した――子どもを生むまでは、計画を実行に移すことができない。
どうせ待つのならと、オーシャンの王太子にも参加させようと思い、彼にエンジェリクへ来るよう要求した――オーシャンの王になるのなら、前王の尻拭いは自分でやるべきだと。
もっと手こずるかと思ったが、あっさり彼はエンジェリクへやって来て。
王太子としての責任感もあっただろうが、憧れの画家に会えるかもしれない――そう妹にそそのかされ、その誘惑に乗ったらしい。
気難しそうな王太子に見えたが、思いのほか、彼にはミーハーなところがあるようだ。




