あらわす (1)
まだベッドに入ったまま療養しているオフェリアの隣に腰かけ、エステル王女は生まれたばかりの弟を抱いていた。
ちょっと手つきが危なっかしく、母親に支えられて……でも、赤ちゃんの扱いはマリアの子どもたちで経験しているから、思っていたよりは悪くない。
「あっ。エドガーが笑った!ねえ、お母様。エドガーが、私のこと見て笑ったわ!」
「エドガーはエステルのことが大好きなんだよ、きっと」
幸せな母子の姿。ヒューバート王もその光景を見つめ、幸せを噛み締めているようだった。
「オフェリア」
マリアと共に部屋に入り、ヒューバート王が声をかける。
「出発の前に、マリアが訪ねてきてくれたよ」
「伯母様、オルディスに帰っちゃうのよね」
エドガー王子を抱っこしたまま、エステル王女はちょっと寂しそうに言った。
「ええ。でも今回も、連れて行くのはリリアンだけ。スカーレットたちは王都に残るから……子どもたちのこと、お願いね」
スカーレットが残ってくれるなら、とエステル王女は嬉しそうだ。
父親がオルディスにいるから、リリアンだけは置いていくわけにはいかなかったが……それすら、マリアにとっては不本意なことだった。
子どもたちを、いまのオルディスに連れて行きたくない。
「気を付けて……君の身も、僕は心配だ」
「ありがとうございます。私も、いまは無茶をしないよう控えますわ」
ヒューバート王に見送られ、マリアは最後の挨拶をして馬車に乗り込む。本当はこれも、馬が良かった。馬車は時間がかかるし、乗馬のほうが好きなのに。
だけど、さすがにいまは。
城を出て、いったん屋敷に戻ってリリアンと合流する。リリアンは父親に会いに行けるからご機嫌だ。
残る子どもたちは母やリリアンに笑顔で手を振り――出発直前に、クリスティアンが近づいて小声で尋ねてくる。
「……母上。ノアまで連れて行って、何を企んでいるんですか?危ないことは、してはいけませんよ。いまの母上は、何よりも自分の身体を大切にしなければならない時期なんですから」
相変わらずのお説教に、マリアは苦笑いする。心当たりしかないから、特に。
馬車に乗ると、リリアンは窓から外を眺め……遠ざかっていく王都の町並みに、少しだけ寂しそうにしていた。父親に会えるのは嬉しいけれど、兄妹たちと離ればなれになるのはやっぱり寂しいらしい。
甘えるように自分にすり寄って来る娘を、マリアは優しく抱きしめた。
揺れる馬車は心地良く、リリアンの瞼は次第に重くなっていく……。
「寝てていいわよ。宿に着いたら起こしてあげるから」
馬車での旅は、時間がかかる。オルディスに着くまで、三日ぐらいだろうか……途中で宿に寄りながら……身重のマリアに、幼いリリアンを連れていては、休憩をこまめに取らないといけないし、もっと日数がかかってしまうかも……。
母親にもたれかかってすやすやと寝息を立て始めたリリアンの髪を撫で、マリアはぼんやりと考えた。
――オフェリアが、ついに王子を生んだ。
これで、王妃としてのオフェリアの地位は安泰のものになった。
王子を生むことができなかったから、ヒューバート王の再婚話なんかが持ち上がって、オフェリアは危うい立場に追いやられかけたのだ。マリアが結婚させられる羽目になったのも、そんな再婚話を潰すため……オーシャン王女との再婚を回避するために、代わりに王子のほうと……。
でも、そんな我慢もこれで終わりだ。
オルディスの屋敷に着いたのは、王都を出て三日目の夕方だった。やっぱり、マリアが考えていた通り、旅は少し長引いてしまった。
あらかじめ訪問は知らせてあったから、領主であるおじがマリアたちを出迎えてくれた。
「お父様!」
リリアンは父親に会えて大はしゃぎだ。旅の疲れも見せず、離れていた間のことをあれやこれやと喋っていた。
ベッドに入る時間になっても、まだお父様とお喋りしたいのに、と珍しくワガママを言い出した。
「じゃあ、今夜はお父様に寝かしつけてもらう?」
取りなすようにマリアが提案すれば、リリアンは満面の笑顔で頷き、おじと一緒に部屋に向かった。
仲間外れみたいになってしまったのはちょっと妬けるけれど……このお腹では。正直、おじに代わってもらって助かった。
「ララ、ノア様は、もうオルディスに着いてるのかしら」
ノアは、マリアの頼みを引き受けて、ホールデン伯爵のそばを離れていた。オルディスで、調べてほしいことがあって……。
「あっちは馬で移動してるからな。とっくにオルディスには来てるだろう。今夜は遅いし、報告に来るのは明日の朝じゃないか」
「そうね……ノア様って、結構気を遣う人だし」
ノアには、夫の友人たちの遊び場を調べてもらっている。
クロフト候の話によると、細々としたルールを守らなくてはならないことを面倒がって、彼らはあの店には通っていないそうだ――ということは、自分たちの遊び場を見つけているはず。
その遊び場は、オルディスにある可能性が極めて高い。
なにせ夫イザイアの住居は、オルディスでも賑わいから外れた場所。できるだけオルディスの民に近づいてほしくなくて、中心からは引き離したのだ。
逆に考えれば、人目を避けるにはうってつけの立地。廃屋も多いし、デメトリア王妃も合流したなら、その活動も本格的なものになるに違いない。
「……それにしても。おまえの旦那、おまえにドハマりしてるみたいだな」
先ほどおじからこっそり渡された手紙に視線をやりながら、ララが言った。
テーブルの上には、夫の書いた手紙がごっそりと。
つらつらと偉そうに説教じみたことが書かれているが……要約すると、夫の自分のもとに、妻としての役目を果たしに来い――もっと端的に言えば、ヤらせろ、とのこと。
「あんな目に遭って、それでも閨に来いだなんて。そういう性癖かしら?」
「今回はマジでそうかもしんねーな。実はあいつ、あーいうプレイが好みだったのかも」
意外にもあっさりララが同意するので、マリアは顔をしかめた。
……冗談のつもりだったのに。
「んー……俺はそんなに意外なことにも感じねーぜ。だってあいつ、王子だろ?それも、かなり甘やかされて育った感じのボンボン。てことはさ、あーやってバシッと言われて、完全に女のいいようにされるなんて経験、したことなかったんだろうな。だから気付かなかっただけで、本当は、そうやって女の尻に敷かれてるほうが性に合ってる男だったんだよ。案外、おまえとは相性が悪くない相手だったってことさ」
ララの言い分には妙な説得力があって、マリアも乾いた笑いしか浮かばない。そんなことがいまさら分かっても、マリアと夫の関係が変わるわけでもないのだから。
「和解が無理なのは当然だな。いくらなんでも、背後についてるやつがヤバ過ぎる。あの王子自身にその趣味がないって言っても……たぶん、母親を捨てられるタイプじゃねえ。そうなりゃ、王子ごと始末するしかないだろうな」
「理解してもらえてよかったわ。変に情が湧きそうなことを言ってくるものだから、遠回しに反対しているのかと」
「反対はしてるさ。いまのおまえに、あえて危ない真似させたくねーもん。妊娠してること、さらっと教えちまうし」
それでララは怒っていたのか、とマリアは納得した。
マリアが夫と正式に初夜を迎えてから、どこか不機嫌そうな様子だから……てっきり、初夜そのものが気に入らなかったのかと思っていた。
自分の子をお腹に宿した状態で、他の男に肌を許す――単なる嫉妬だけではなく、生理的にも受け付けないこと。マリア自身、あれは本気で不愉快だった。
でもララは、それ以上に、妊娠していることを暴露してしまったのが気に入らないのだ。
我が子を囮にしないと、そう話していたくせに……と。
「この子を囮にはしないわよ。それは私の本心……自分が口にしたことを違えるのは、プライドが許さないわ。ただ……あの女の関心を、私に引き付けられるなら、とは思ったのは事実ね」
妻との初夜のことをペラペラ喋るような男だ。きっとマリアの妊娠のことも、母親に喋ってしまうだろう。
赤ん坊を欲しがっている王妃が、その矛先をオフェリアではなくマリアに向けてくれれば……という期待がなかったと言えば、嘘になる。
「オフェリアに執着されて、城を出て行かないなんて言い出したら困るもの。標的を私に替えることで、オルディス行きを納得させたかったの――」
部屋をノックする音が聞こえ、マリアは言葉を切った。
ララが立ち上がり、部屋を出て行く仕草を見せる――リリアンの寝かしつけが終わって、おじがマリアの部屋に訪ねてきたのだ。一応、ララは従者の立場にあるから、気遣って部屋を出てくれたのだろう。
「ありがとうございました、エリオット様。リリアンったら。屋敷に着いた途端、エリオット様にべったりなんだから」
わざと拗ねて見せれば、おじは笑いながらベッドに腰かけた。
でも、その笑顔はちょっと影があるような。
マリアはおじの隣に座り、どうされました、と尋ねた。
「ん?ああ……顔に出てたかな。リリアンを見てたら、ふと……マーガレットのことを思い出して」
マーガレット・オルディスは、マリアやオフェリアのいとこ……伯母の娘で、おじにとっては義理の娘――不義の子であった。
見た目も中身も、難のある少女だった。
オルディス家が欲しいマリアにとっては邪魔な娘で、オフェリアに悪意を抱いていたこともあって、マリアが死に追いやった。おじには、後々その事実を教えたが、マリアを責めなかった。
おじが責めたのは、自分だった。
「マーガレットも、生まれた時からあんな子だったわけじゃなかった。ローズマリーたちがあの子に必要な教育をしてこなかったから、あんな娘に育ってしまって……。近くにいたのに、僕はいつの間にか諦めて、あの子を見捨ててしまった」
いとこは、たしかに大人たちのエゴの犠牲者でもあった。
伯母は夫を疎み、恐れていた。自分の保身のために、わざと夫以外の男の子どもを生んだ。そうして生んだ娘に、母親としての真っ当な愛情を抱くことなく……。
見た目も中身も酷い少女だったが、あれは生まれ持ったものではなく、適切な教育を受けられなかったがために、歪みきった結果だったのだろう。
いとこがもっとまともな娘であったら、マリアたちとも共存の道があっただろうか。
考えて、マリアは一人嘲笑する。
――もしも、なんて考えるのは好きじゃない。
マリアはいとこから義理の父親を奪い、命も奪った。何もかも取り上げて、彼女の母親も破滅させた。それが事実だ。
「仕方がなかったことですわ。当時のおじ様は色々と抱え過ぎていて、伯母様が囲い込んだ義理の娘のことまで手が回らなかったのです。オルディス領は存続の危機に瀕していて、おじ様はそれを優先すべきだった。そんな状態で……あれ以上抱え込んでは、おじ様が倒れていましたわ、オルディスを支えていたのは、おじ様一人だったというのに」
優先順位を取捨選択したら、やはりいとこのことが放ったらかしになってしまうのは仕方がない。
だって、いとこには彼女を真っ当に育てる義務を持った実母がいるのだから。本当はオルディスのことだって、伯母が支えるべきだった。何もしない伯母に代わって、本来ならオルディスに縁もゆかりもないおじが支えてくれた。
それだけで、伯母はおじに頭が上がらない――生涯に渡って感謝すべき相手なのに、伯母はおじを蔑ろにし続けた……。
「……そうだね。自分の行いを正当化するつもりはないけれど……あの時の僕には、マーガレットのことまで手が回らなかった。そこまでの器量は、僕にはなかった……」
でもやっぱり、気の毒なことをしてしまった、という後悔は拭い去れない。自分に娘が生まれたから、特に。
……本当に。善良も、度が過ぎると生きにくい。
「私も、いとこのことは反面教師にするようにします。娘が、死んで誰にも悲しんでもらえないような女になってしまうのは、あまりにも辛過ぎますもの」
マーガレット・オルディス――そして、その母ローズマリー・オルディス。
二人とも……生まれ持ったものよりも、育ちがその人格に大きな影響を与えているような気がする。
ローズマリー・オルディスも、優秀さの片りんはあったのに、妹を妬み、大きく道を外れてしまった。彼女の境遇は、マリアとさほど差はない。
でも、ローズマリーは死に、マリアは生き残った……まだ、マリアの結末がどうなるは分からないけれど。
マリアたちのいとこマーガレット・オルディスは、
マリアからデブでブスで豚以下のマナーと酷評されてしまうほどの少女でしたが
それは周囲の大人たちから受けた優しい虐待の結果で、
最初キャラ設定をしていたときは、マリアやオフェリアのいとこなんだから
見た目ぐらいはそれなりに可愛らしい少女に……と考えてました。
けれど、優しい虐待を受けて我慢や自制心を培うことなく育った子が、
可愛らしい容姿を保っていられるはずないよなぁ、ということで
見た目もひどい少女という設定になってしまいました。
美少女のオフェリアに嫉妬して執拗にいじめたりと、
乙女心がなかったわけではないのですが、
だから自分が美しくなる努力をするという選択はしない子で。
やっぱりマリアたちのいとこですから、
真っ当に育っていればかなりの美少女だったという裏設定があったり。




