厄介 (1)
男物の服の上から、体型を完全に隠してしまう大きなマントを着て。深くフードをかぶり、顔はヴェールで覆う。
いまの季節では、かえって注目を集めてしまいそうな暑苦しい恰好だが……これがこの店のドレスコードだというのだから仕方がない。
以前も顔を合わせた見張り役に招待状を渡している間、同じような恰好でマリアの護衛としてついてきたララは、露骨に嫌そうな顔をしていた。
「……ララったら。気持ちはわかるけど、もうちょっとだけ愛想よくしてなくちゃダメじゃない」
「ふりでもできるかよ、そんなこと」
怒ってる、なんて可愛らしい表現では済まないほど、ララは不愉快さをあらわにしていた。
それも当然なのだが。
平時でも気分が悪くなるような店……自分の身体を何よりも大切にしなければならない時期に訪れていい場所ではない。
マリアも、オフェリアが絡んでいなければ来るつもりはなかった――寄り付きたくもない。
「ようこそ、オルディス公爵。まさか、あなたがまたお客様として来店なさるとは思いもしませんでした」
口調は丁寧だが、そう話す彼の表情は愛想のかけらもない。
マリアを迷惑がっているわけではなく、もともとそういう性格なのだろう。
彼――ナサニエル・クロフト侯爵の笑顔は、ちょっと想像できない。
「突然の訪問でしたのに、歓迎してくださってありがとうございます」
マリアは愛想よく笑い、礼儀正しく挨拶する。クロフト候は相変わらずニコリともせず、事務的にマリアを案内した。
マリアに長椅子をすすめ、クロフト候も向かい合って座る。今回は、積極的にクロフト候と敵対したいとは思わなかった。
「さっそく用件に入りますが……オーシャン人のお客様は、こちらへ遊びに来られているのですか?」
何度か、とクロフト候は淡々とした口調で答える。
「ただ……当店はお客様の安全を守るため、お客様自身にも守っていただくルールがいくつか。細々としたものですから、そういったものを煩わしがる方も少なくはなく。常連になった方はいらっしゃいません」
「そのお客様の中に、私の夫はいないのよね。彼にはそういう趣味はないと聞いているわ」
クロフト候が頷いた。
アホっぽくてウザそうな夫だったが……邪悪さは感じられなかった。そういうのとは無関係、という噂は、マリアもすんなり信じていた。たぶん、彼は単に贅沢好きの甘ったれなだけだ。
「でも彼の母親は、悪魔崇拝の趣味があるのよね」
「はい。ですが、恐らく彼女が当店を利用することはないかと」
そうなの?とマリアは問い返す。
「悪魔崇拝と言っても、様々なジャンルがありますので。例えば……現世にサタンを降臨させ、世界の終焉を願うとか……そういった趣味の方は、私でも裸足で逃げ出します」
もしかしてジョークだったのかしら、と思いつつ、内容も喋ってる相手にもげんなりしながらマリアは眉をしかめた。
「デメトリア王妃が願うことは、永遠の美。美しさのために、悪魔に魂を売ったのです。退屈しのぎの遊興に耽る当店の客たちとは、趣が異なっております」
「永遠の美……若く可憐な少女の血を浴びるとか?」
「ポピュラーな方法ですね」
冗談のつもりだったが……クロフト候はにこりともせず再び頷いた。
「やはり血というものは、万能の薬だと思い込みたい層が一定数いるようです。私には理解しかねます」
きっぱりと言い切る彼に、マリアは苦笑いする。店主のくせに――彼にはその趣味がないのだから、当然なのだけれど。
「永遠の美を求める女……。赤ん坊は、彼女の興味を引くものになるのかしら」
マリアが気になって仕方がなかったのが、それだ。
オフェリアと対面した時、デメトリア王妃はオフェリアをじっと見つめていた。妊娠中のオフェリアの、大きくなったお腹を。
あの視線には、冷たいものがマリアの背筋を走った。
「赤ん坊ですか……。それは、デメトリア王妃でなくても欲しがりそうなものですね」
クロフト候が言った。
「純粋無垢な命ですから、そういった連中にとっては重要な意味があるみたいです。そして需要の高さの割に、意外と入手が難しい」
「難しい……」
たしかに、赤ん坊の取り扱いは難しいと思う。
死にやすく、自分の手元に届くまでは丁重に扱わないといけない存在だ。
でも――そんな反論を口にしかけたマリアに、クロフト候が説明を続ける。
「妊婦をさらって来るというのも面倒なのです。妊婦も、子を生むまではそれなりの扱いが必要ですし、そこまで手間をかけても無事に生まれてくるかどうか。そして何より――リチャード王のおかげで、よりいっそう難しくなりましてね」
エンジェリク王リチャード。ヒューバート王の祖父。マリアがエンジェリクに来た頃にはとっくに亡くなっていた人なので、彼のことは伝聞で知っているだけだ。
「ご存知の通り、リチャード王は平民寄りの政策を行っておりました。貴族による平民搾取は、彼の代では特に厳しく取り締まられがちです」
強きを挫き、弱きを助ける――救済王リチャード。平民の味方をする優しくも立派な王様。
それが、リチャード王に対する平民たちの評価だ。
平民の良き保護者としてのイメージが強い王だが、別に、心の底から平民たちを愛していたわけではない。
リチャード王にとって、貴族諸侯というのは煩わしい存在だった。王は彼らの機嫌取りをするより、平民たちの支持を集めることにした。
だから、貴族が平民を虐げること、搾取することを厳しく取り締まった。
当然、平民たちは王を褒め称え……。
「王が監視の目を光らせていることで、金と権力を使ってもみ消すというやり方も通用しません。そうなると、平民たちを利用するわけにもいかず……。レミントン伯爵がこういった店を作って人脈を築くことができたのは、そういう背景があったからです」
レミントン伯爵……マリアが知っているのはレミントン侯爵だが、クロフト候が指しているレミントン当主は、リチャード・レミントンではなくその父親のほうだろう。
この悪趣味な店を作った張本人。
「レミントン伯は、もとは平民とも変わらぬ成り上がり者。平民のコネクションもよく把握しており、上手く必要なモノを集める術を心得ておりました――まあ、口を開けて待っていれば餌が運ばれてくると思っているような貴族共よりは、よっぽど有能で勤勉な男でしたから」
そうだろうな、とマリアも心の内で同意する。
レミントン当主の人となりを直接は知らないが、この店を利用している客に劣っているとは思えなかった。
生まれながらに権力と財産を与えられ、自分で何かを成すということをしてこなかったような連中ばかり……だからこそ、退屈しのぎにこんな遊びに耽っているわけで。
「リチャード王はとうの昔に亡くなり、いまはヒューバート王の治世ですが……」
「それでもリチャード王が遺した功績は大きい――グレゴリー陛下の愛妾であったオルディス公は、リチャード王に否定的な心境でしょうが、やはり平民たちにとっては偉大な保護者なのですよ」
諭すような言葉に、マリアは押し黙った。
クロフト候の言い分には一理ある。素直にそう思った。
マリアは先のエンジェリク王――グレゴリー王の愛妾で、父との確執に悩む彼に寄り添ってきた。自然と、マリアもリチャード王に対して良い印象が抱けなかった。
「リチャード王が平民保護に乗り出したことをきっかけに、王国騎士団の団長にウォルトン侯爵が就任し、役人たちの意識改革にフォレスター侯爵が尽力した……いまはその子息が跡を継いでいることは言わずもがな。グレゴリー王は平民保護にさほど積極的ではありませんでしたが、先王が築いたもののおかげでその点には苦労しなかったはずです」
「それは……クロフト候の言う通りなのでしょうね。グレゴリー様ご自身、自分の凡庸さは理解しておりましたもの。為政者としての能力は、リチャード陛下のほうが上だったと」
グレゴリー王は、優秀な人材に恵まれて、その治世を安定させていた。
独善的な父王の尻拭いに苦い思いもしつつ、父王が築いてくれたおかげで、楽にクリアできた問題もあったはず……だからこそ、父親に対して複雑な想いがあったのだ。
「平民をそう簡単に利用できないことは分かりました。けれど……赤ん坊にそれほどの需要があるのなら、あえて売りたい人間もいるのでは」
「おっしゃりたいことは分かります。昔は、娼婦から買い取るのが一般的だったようですね。出産のリスクは大きいが、見返りも大きい――底辺の娼婦なら、それを生業にしたほうがよほど儲かる。リチャード王の時代にはいささか厳しかった監視も、グレゴリー王の時代にはかなり緩みましたが……今度は外務大臣リッチー伯という新たな保護者が登場しまして」
意外な男の名前に、マリアは目を瞬かせた。
もちろん、リッチー伯の名前は知っている。政治手腕は優れた外務大臣……私的な面では、少し好色が過ぎるところが。
「娼婦の保護者という役割は、彼の趣味と実益を兼ねているようです。外務大臣という強力なパトロンを持つベテラン娼婦が、この界隈を仕切っておりましてね。彼女の目をかいくぐるのは……私も、いささか手を焼いています」
「意外なところで、意外な方が、思いもかけぬことをしているものね」
何やら話が脱線してしまったが――とにかく、デメトリア王妃が赤ん坊を欲しがっているのは間違いなさそうだ。
そんな女の目の前に、妊娠したオフェリアが。
マリアは、無意識に自分の腹を撫でた。
「……マリア。いくらなんでもダメだからな。例えオフェリアのためでも、おまえの子どもを身代わりにするのは絶対ダメだぞ!」
護衛として同行していたララが、いつになく厳しい声で口を挟む。
苦笑いを浮かべながら、分かってるわよ、とマリアは言い返す。
「クリスティアンの時に、決めたもの――我が子を囮にするのはこれ一回きりだって」
デメトリア王妃の気を引く、別のものは必要だ。そしておあつらえ向きに、ここにもう一人、妊娠している女がいる。
それを利用するのが一番手っ取り早く、確実なのは分かっている……が、それはやらないと、マリアも決めている。
我が子を危険にさらすのは御免だ。母親の意地で……それだけは、絶対にやりたくない。例えオフェリアのためであっても。
「お話を聞かせてくださってありがとう。とても参考になったわ」
立ち上がり、部屋を出ようとマントを着直したマリアは、ふとあることを思い出してクロフト候に振り返った。
「デメトリア王妃は犬に嫌われてるみたいなの。心当たりある?」
「……彼女に限らず、ここの店のお客様も、動物には嫌われる傾向にあります」
クロフト候は、至極真面目な表情で頷く。
「尋常ではない血の臭いをこびりつかせていますから。嗅覚が敏感な獣は、それに反応しているのでしょう――あくまで、私の個人的な推測ですが」




