微笑う女 (5)
イザイア王子との初夜にあたり、城でそれを行うことはマリアが拒否した。
――これ以上、厄介事を城に招き入れたくない。
というわけで、王家所有の別荘で改めて初夜を迎えることになるのだが、そこの準備が整うまで、オーシャン人たちはエンジェリクに留まるわけで。
……さっさと出て行ってほしい。
「だが……君の体調を考えたら……」
マリアは初夜の準備を急かすが、ヒューバート王の返事は芳しくない。マリアの状態を考えれば、王が前向きな返事ができないのも当然なのだが。
「私のことを気遣ってくださるのは有難いのですが――私も、できれば我が子を危険にさらしたくはありませんし――でも、彼らをさっさと追い返すほうが優先です。連中が城に留まっているほうが、私の胎教にも悪いです」
「……君がそう言ってくれるなら。僕も、実を言えば不安でならなくて。エステルが、無邪気にピエタ王女に懐き始めて……」
「存じております。気が気ではないとおっしゃる陛下のお気持ちも、よく分かりますわ」
同じ王女という立場にあるせいか、エステル王女はオーシャンの王女ピエタのことが気になるらしい。
積極的に親しくしてほしくないと思うのは、マリアも同じ。だからこそ、さっさと彼らには城を出て行ってほしいのだ。
マリアは、メレディスの絵のモデルをしているオフェリアに視線をやった。
マリアたちはいま、城の中庭にいる。
日差しが柔らかく差し込み、庭は秋の気配を感じさせていた。花を愛するヒューバート王が整えた中庭は花が咲き乱れ、そんな花を背景にメレディスはオフェリアの肖像画を描いていた。
臨月が目前となったオフェリアは、ゆったりとしたドレスを着て、無理のない程度に椅子に座って、モデルを務めている。
エステル王女は、メレディスが連れてきたスカーレットに夢中だ。大好きないとこが遊びに来ているから、今日はピエタ王女を探す様子はない。
スカーレットと二人で、寝そべったマサパンを花で飾りつけている……。
マサパンが、ぱさりと尻尾を振った。
「あっ、ピエタだ」
顔を上げたエステル王女の言葉に、マリアもヒューバート王もドキッとした。振り返れば、またふわふわとした雰囲気でピエタ王女がこっちへ来ていた。
「こんにちは。今日はお友達が一緒なのね」
「いとこのスカーレットよ。私の大親友なの。スカーレット、この人がオーシャンの王女のピエタよ」
「ご機嫌麗しゅう。初めまして、ピエタ様」
スカーレットは、優雅な淑女の礼を取ってピエタ王女に挨拶する。ピエタ王女は可愛らしい笑顔でスカーレットを見つめ、よろしくね、と答えた。
そのまま視線を移し、ピエタ王女はメレディスたちを見つめる。
「あれは……あの画風、見覚えがあるわ。もしかして、彼はメレディス?」
「父をご存知なんですか?」
「ええ。私の兄が――一番上の兄が、彼の大ファンで。あなたのお父様だったの」
ピエタ王女は誘われるようにふらふらとメレディスたちに近づき、後ろからメレディスの絵を覗き込む。
オフェリアは目を瞬かせていたが、絵を描くことに集中しているメレディスは、自分のすぐそばまで来ている王女に気付く様子はない。
「父は、絵を描き始めると他のことが見えなくなる人で」
「芸術家らしいわ」
ピエタ王女は可愛らしく笑い、まだメレディスの絵をじっと見ていた。
「メレディスの作業風景を私が見たって知ったら、お兄様は歯ぎしりして悔しがりそう」
「メレディスはオーシャンにもファンがいるのね。スカーレットは、メレディスみたいな絵描きになりたいんだって。スカーレットも絵が上手なのよ」
エステル王女は無邪気に話す。
「そうなの?ぜひ見てみたいわ」
「父に比べれば、ままごとみたいなものです」
そう言いながら、スカーレットはかたわらに置きっぱなしにしていたラフ画のまとめを差し出す。ちらりと、マリアのほうをさりげなく振り返りながら。
長女のスカーレットは、クリスティアン並みに敏い子だ。たぶん、マリアがピエタ王女のことを気にしていることを察して、彼女の関心を自分に引き付けているのだろう。
ピエタ王女は、スカーレットのラフ画を眺めていた。
「ピエタ様……立ち入ったことを、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「どうぞ。私もお喋りは好きよ」
ラフ画をめくりながら、王女が答える。
「ピエタ様は結婚されていらっしゃいませんが……それは、ピエタ様ご自身が選んでいらっしゃるのでしょうか。私、父と同じく絵描きを目指しておりまして――そうなると、私も生涯独り身を貫く覚悟が必要となりますから。もし、ピエタ様も同じ覚悟を貫いていらっしゃるのなら、と……不躾な質問で申し訳ありません。王女殿下にお聞きしてよいことではないのは分かっていたのですが、お優しそうなピエタ様を見ていたら、つい」
不敬にならないよう言葉を選びながら、スカーレットが尋ねる。
ピエタ王女は気を悪くした様子もなく、顔を上げてスカーレットを見た。
「んー……半分ぐらいは、結婚できないっていうのが事実。お母様たちは一所懸命売り込んでるんだけど、向こうからいつもお断りされちゃうの。直接お会いすると余計にね」
それは……何となく分かってしまうような。
王族の結婚適齢期を超えているであろうピエタ王女がいまだに未婚な理由は少し気になっていたが、結婚できない、と言われてしまうと妙に納得してしまう。
ピエタ王女は不思議な雰囲気を持っていて、普通の男なら、ちょっと遠慮したくなるような女性だ。醜女というわけではない――ではないが、やっぱり変人オーラは漂っているし、なぜか素直にかわいいと褒めにくい傾向がある。
「もう半分は、私自身が結婚したくないから。だから相手の方に好かれる努力もしないし、断られるのは当然なの」
「結婚なさらないのは……では、やはりピエタ様ご自身の意向でもあるのですね」
「うん。私、聖女になりたいの」
せーじょ、とエステル王女が目を丸くして単語を繰り返す。きょとんとピエタ王女を見つめ、首を傾げる。
「聖女……つまり、尼僧ということですか?」
不思議そうにしているエステル王女に代わって、スカーレットが考え込みながらさらに問いかける。
かたわらで話を聞いていたマリアも、思いもかけぬ返答に考え込んだ――聖女、とは。それはまた……予想外な発想だった。
「そうよ。尼僧。だから結婚できない。お母様やお兄様――すぐ上の兄は大反対してるし、他の人たちも、あんまり良い顔はしないけど。私は尼僧になって、オーシャン王家の守護聖女になりたいの」
「尼僧……聖女……。申し訳ありません、私が考えていた以上に壮大なお言葉が返ってきて……その、私もちょっと混乱を」
スカーレットも、さすがに困惑が隠せないと判断したらしい。素直にその内心を明かして、王女に謝罪した。
娘任せにしてしまおうかと思ったが――マリアも、スカーレットが相手にするには、いささか重荷過ぎる王女だということを察した。
いくらスカーレットが実年齢以上に聡明で利発な子だと言っても、やっぱりまだ幼い。
寝そべったままだったマサパンが、ぴくっと反応した。瞼を開け、中庭に面した回廊に視線を向ける。
「ピエタ。こんなところにいたのね。またあなたはフラフラして……」
デメトリア王妃が、娘を探して中庭にやって来た。
……本当に娘を探していたのか、娘を探すふりをしていたのか。つい、そんなことを考えてしまう。
だって、王妃はピエタ王女を見るふりをして、まったく違う相手を見ているのだ。彼女が見ている相手がオフェリアであるような気がして、ヒューバート王が立ち上がり、すぐに王妃に近づいた。
「ごきげんよう、デメトリア殿。エンジェリクの城での生活はいかがだろうか。過不足なくもてなしているつもりだが、不備があったら遠慮なく言ってほしい」
デメトリア王妃に完璧な笑顔で声をかけ、オフェリアを彼女の視界からさりげなくかばおうとするのだが……やっぱり、王妃はオフェリアを見ている。
「いいえ――いえ、十分満足しているわ。あちらにいらっしゃるのが、あなたのお妃のオフェリア様ね。ご挨拶がすっかり遅れてしまって」
「妃は身重で、客人をもてなせる状態ではない。ですからあなた方も、どうぞお気遣いなく」
ヒューバート王は美しい笑顔をしっかり貼り付けているが……オフェリアに近づくな、という心の声が、かなり出てしまっている。
ピエタ王女がエステル王女に近づいているだけでも我慢ならないのに、この上オフェリアにまで、デメトリア王妃が――王が発狂してしまいそう。
「……ご懐妊のお噂は聞いていたけれど、本当だったのね。何も知らなかったから、お祝いの品も持ってこなかったわ」
だが、ヒューバート王が王妃を嫌悪する気持ちは、マリアも感じていた。
ぞわぞわとした、すごく嫌な予感が、マリアの背筋を這い回る。
マリアと対面した時、デメトリア王妃は息子の嫁にほとんど興味を持たなかった。自分のことにしか興味のない王妃が、オフェリアに興味を持っている。
とても不吉な気配しかしない。こういう勘はたいてい当たるから、本当に嫌になる。
王妃は、目の前に立つヒューバート王の存在も忘れかけているような。そのままフラフラとオフェリアのそばに行ってしまいそうで――それこそ、いつの間にか近付いてくるピエタ王女のように。
外国の王妃が相手では、そう簡単に行動を制限することができない。王妃に対する不敬を、まったく恐れない者でない限り。
「きゃっ!?ど、どうしたの、マサパン――落ち着いて!」
起き上がり、マサパンは牙を剥き出しにして唸ったと思ったら、猛烈な勢いで吠え始めた。
勇敢で、数多の敵に立ち向かってきた犬だったが、ここまで敵意をあらわにする姿はマリアも初めて見た。
エステル王女はびっくりして飛び退き、オフェリアの後ろに隠れてしまった。スカーレットはマサパンの首輪を持ってなだめようとするが……。
「犬……」
ぎくりと、王妃が顔を青くする。王妃が人間らしい表情をするのも、これが初めてだ。
美しいがどこか作り物のようだった顔が、年相応に歪んでいる。吠えるマサパンに、王妃がじりじりと後ずさった。
「ふふ……気にしないで。お母様はね。動物に嫌われやすいの」
異様な雰囲気にも一人、ピエタ王女だけはまったく動じない。相変わらず可愛らしい笑顔で、コロコロと笑う。
マサパンに近づき、激しい警戒心を剥き出しにする彼女の背を優しく撫でた。
「やっぱり……彼らには分かるのかもしれないわね。本能で嗅ぎ分けるのかも……」
ぽつりと呟くその声は、吠え狂うマサパンの声にかき消された。マリアも、辛うじて聞き取った程度。
意味深な台詞を確かめる間もなく、ピエタ王女は普段と変わりない様子でデメトリア王妃のもとに戻った。
「お部屋に帰るわ――お母様、一緒に戻りましょう」
ピエタ王女はここへ来た時と同じように、ふわふわとした様子で中庭を後にした。デメトリア王妃は一度だけ振り返ったが、すぐに立ち去って行った――マサパンを見て、何か諦めたようでもあった。
「マサパン、どうしたの?」
絵のモデルを終えたオフェリアが、まだ毛を逆立てているマサパンに寄り添う。
なだめるように、オフェリアは薄くなってしまったマサパンの毛並みを撫でて……やがて、マサパンも落ち着きを取り戻し、再び庭に寝そべった。




