微笑う女 (2)
ダンテ王子の視線を受け、トマーゾは口を開く。
外国人にも聞き取りやすいよう、丁寧なオーシャン語で。
「ダンテ王子。私はオーシャンという国を愛しておりますし、オーシャン人であることを誇りに思っております――だからこそ、イザイア王子の振る舞いに、とても憤慨しております」
同胞のトマーゾからの厳しい言葉に、ダンテは虚を突かれたような顔を……でも、どこか、やっぱり、と言いたげな気も。
「イザイア王子はマリア・オルディス公爵と結婚した後、オルディス公爵領の住居にて生活しておられます。生活費の一切は公爵が支払っており、王子は結婚後、自らの費用の出どころについて考えることもなく遊び呆けています」
トマーゾの声は冷たい。
彼は銀行家で、元は労働階級の人間だ。
自分で稼ぐことなく、人の金で贅沢をするような人間は、例え自国の王子相手であっても軽蔑すべき対象――ラッセルの評価通り、公正かつ信頼できそうな男だ。
「イザイア王子の住まいには、オーシャンからのご友人がひっきりなしに遊びに来られます。彼らとの交遊費などもオルディス公爵が負担しております。そのような状況に関わらず、王子はご友人たちに気前よく振る舞い――」
トマーゾの口調が、さらに厳しいものになっていく。彼が何を言おうとしているか、ダンテ王子含むオーシャンの使者たちも全員察したようだ。
マリアは素知らぬ顔で、沈黙を守っていた。
「イザイア王子のご友人には、女性が何人か。妻の金で愛人に貢ぐなど、我が国の王子は実に素晴らしい御方ですな」
オーシャン国は、不倫の許されぬルチル教。それも、エンジェリクよりずっと厳しい。
王族ならば愛人を囲っているのも珍しくないことではあるが、おおっぴらに歓迎されることでもない。ましてや、婿入りした身分で……。
「ま、待て、その言い分はおかしい!」
使者の一人が、気まずさを誤魔化すように殊更重苦しい口調で口を挟む。
「いくら婿に出したとはいえ、イザイア様は我が国の王子。王子の生活費について、王家も支援している!オルディス公爵だけの手柄のように言われるのは……その、おかしい!」
厳しいままのトマーゾの視線を受け、最後のほうは少し身を縮めながら使者は主張する。
結局、オルディス公爵家がイザイア王子の生活費を負担している事実には変わりないし、オーシャンの国庫から王子の生活費を支出しているということは……つまり、オーシャン国民の税金で贅沢していることにもなる。
もとは税金を納める立場だったトマーゾからすれば、よりいっそう、王子への軽蔑が深まるばかり。
「私が――オーシャン人の私が、不当にオーシャンを貶めるとお思いですか。オーシャン王家からの金など、一切受け取っておりません。すべての帳簿をひっくり返してお調べ頂いても結構ですが……」
その発言には、オーシャン側もざわめいた。
オーシャンが送っているはずの金が、イザイア王子のもとに届いていない。それは聞き捨てならない発言だ。
もちろん、マリアにとっても初めて知る事実――余計な口出しはせずトマーゾに任せ、事の成り行きを見守った。
「エンジェリク側に、嘘をついている人間がいるのでは?」
使者の一人が、ちらりとマリアに視線をやった。
その結論が出るのは当然だろうな、と思いつつ、マリアは涼しい表情で視線を受け流す。
「ありえません」
もう一人の管財人ラッセルが答えた。
オーシャン人とのやり取りは、オーシャン人のトマーゾに任せたほうがいいと彼も判断して自らは沈黙していたが――ラッセルは、努めて冷静な口調で、私的な感情を出すことなく説明する。
「オルディス公爵はつい最近まで外国に赴いており、公爵領の財政は領主のエリオット・オルディス氏が執り仕切っておりました。我々が管理している財産について、彼には何度も報告にうかがい、オルディス領の収支帳簿も確認させていただく機会もございました。帳簿に不審な点はございません」
「――はっきり申し上げまして」
ラッセルの説明を聞いても怪訝そうな表情をしている使者たちに向かい、トマーゾが再び口を開く。
「彼らとは、三年近く共に仕事をしてきました。私からすると、彼らよりあなたがたのお言葉のほうがよっぽど信頼できません。それぐらいに、彼らの実力はたしかです。オーシャン人の私としては……エンジェリクを疑うよりも、オーシャン側で何かあったという前提で調査すべきだと考えます」
使者たちは難しい顔で眉を寄せ、ダンテ王子もただ苦笑いを浮かべるばかり。
この様子から、マリアは察した――イザイア王子への金の管理をしているのは、王妃派の人間なのだろう。だから、不敬とも取れるトマーゾの進言に反論できない。
心当たりが多すぎるのだ、彼の指摘に対して。
「オーシャンからの送金は、僕も初耳だった。エンジェリク側でも改めて確認しておこう――それと同時に、オーシャン側にも自国の調査を要請する。オルディス公爵。公爵領の財政収支に関して調査するが、構わないだろうか」
「ええ、もちろん。私たちに後ろ暗いことはございませんもの。どうぞご存分にお調べください。もし、万が一にも、オルディス領にてイザイア王子への送金を着服している事実が見つかれば、私、謝罪でもなんでも致しますわ」
マリアはにっこりと微笑み、ダンテ王子を見る。
「でも、そうでなければ……さきほどの発言は撤回しませんから。ごくつぶしの役立たずな夫……オルディスの金を食いつぶす寄生虫。私やオルディスの民にとって、イザイア様はそう評されても仕方のない男です」
ダンテ王子は困ったように笑うばかりで、反論しない。
それどころか、心なしかイザイア王子がぼろくそに言われることを、ちょっと愉快に思っているようにすら見える。
「そんな男の友人が、私の息子に危害を加えた――あまり大事にしないほうが、互いのためだと思いますわ。これでエンジェリクや私たちに不利益なことが起きれば、オルディスの民の怒りは爆発するでしょう。イザイア様がいまどこで暮らしているのか……そのことをお忘れなく」
「魔女め、我々を脅迫する気か!」
オーシャンの使者から反論の声が挙がるが、マリアは鋭く睨んで黙らせた。
「私を脅迫者と罵るよりも、脅迫されるような墓穴を掘っているあなた方の国の王子のことを恥じ入るべきです!私も!こんな男が自分の夫で、情けないにもほどがあります!」
ぐぬぬ、という言葉が聞こえてきそうなほど使者たちも押し黙り、先ほどから苦笑いしているダンテ王子だけでなく、ヒューバート王まで苦笑し始めた。
……同情される我が身が、なんと悔しいことか。
「……それに。下手に大事にして詳細が明るみに出ると、困るのはそちらかもしれませんよ」
一段と低い声で、マリアは言った。
「イザイア様のご友人は、ある少女を追いかけ回しておりました――息子には、その振る舞いが見過ごせぬものとして映ったようです。私は、少女に証言してもらうこともやぶさかではないのですが」
マリアの説明に、王子や使者たちが顔色を変えるのをマリアは見逃さなかった。
やはり、イザイア王子の友人について、探られたくない後ろ暗いものがあるようだ――オーシャン側も、それを把握している。
そんな友人と親交のあるイザイア王子をオルディス領に放り込んでくるとは……マリアが静かに怒るのを感じたのか、分かった、とダンテ王子がついに口を開いた。
「オルディス公爵の言う通りだ――もともと、幼い子どもを集団で襲って、その父親から報復を受けたと聞かされたときに、彼らを擁護する気は失せていた。我が国にも面子があるからとうるさく言う連中の手前、仕方なくエンジェリクまで形ばかりの抗議に来てみたが……話を聞けば聞くほど、こちら側に不利な情報ばかり」
ダンテ王子のその言葉は、マリアたちではなく、むしろオーシャン側に言って聞かせているようでもあった。
「今回の、我が国の貴族が斬られた件については、私の一存で訴えを却下させる。あまりにも彼らの非が大きすぎて、かばいだては不可能だ。エンジェリク側の穏便に済ませたい意向に甘えるべきだろう――これ以上、オーシャンの恥をさらすのは御免だ」
これで決まりだな、とマリアは思った。
オーシャンの王子がここまできっぱりと言い切って――これに反対できる人間はいないだろう。反対できるだけの材料もない。
それに――マリアの都合の良い考え方なのかもしれないが――オーシャン側も、どこかで落としどころを探していたような気もする。面子を保つために反論してはいたが、穏便に収めるつもりで――それが最善だと、彼らも考えていたような。
「エンジェリク王、オルディス公爵。このたびは、我が国の馬鹿どもが大変失礼なことをした」
ダンテ王子は愛想の良い笑顔で、王とマリアに向き合う。
「彼らの処遇については、エンジェリク側に一任しようと思う。正式な決定は王太子である兄の返答を聞いてからになるが、恐らく兄も同意見だろう」
マリアはさりげなく使者たちにも視線をやり、彼らの様子を確認する。
ダンテ王子の言葉に、反応を示す者はいない。
内心を表に出さないよう努めながら、マリアはダンテ王子の言葉の意味を考えていた。
――しょーもない一件ではあるが……王太子に決定権があるのか。王ではなく。
使者たちも王子を咎める様子から察するに、もしかしたら、オーシャンの王は……。
マリアの思考は、そこで中断された。
騎士が一人、円卓の間に入ってきて、ドレイク宰相に何やら報告をしている。報告を受けた宰相は眉間に皺を寄せ、短くため息をついた。
ヒューバート王も、マリアも、ダンテ王子も、オーシャンの使者たちも。宰相に注目し、彼の言葉を待った。
「……陛下。オーシャンの王妃デメトリア様と、王女ピエタ様が、いま、城に到着したと」
「はあ?」
真っ先に反応したのは、誰あろうダンテ王子であった。オーシャンの使者たちも目を丸くし、予想外の展開に仰天している。
――演技ではない。これが芝居だというのなら、彼らは役者になったほうが成功しそうだ。
「義母上とピエタが……?そんなこと、俺は聞いてないぞ!」
ダンテ王子はどこか怒ったように使者たちを見やり、視線を向けられた者たちは慌てて首を振る。
私たちも知りませんでした――そう主張するように。
「ここへお通ししますか?」
「ああ……いや」
ドレイク宰相に聞かれ、ヒューバート王は虚を突かれた表情のまま答えた。
「彼女たちは謁見の間へ。僕たちも、そちらへ移動しよう」
もう話し合うべきことは終わった。だからここに留まる理由もない。
一同は頷き、ヒューバート王に従って謁見の間に戻ることとなった。
謁見の間では、見慣れぬ女が二人、そこに立っていた。
豪奢なドレスを着た女性――美しいが、どこか人間離れしたような雰囲気を持ち……マリアよりもよほど魔女という言葉が似合いそう。
もう一人は、旅装束のままなのか簡素なドレスに髪もまとめず、こちらもまた浮世離れした雰囲気を持つ少女。
二人とも微笑んでいるのに、笑顔、という単語が似つかわしくない。
不気味に微笑む女と、夢見るような微笑を浮かべる少女。
彼女たちの目的が何であれ、これだけは間違いない。
……面倒事が増えた。




