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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その悪名伝~  作者: 星見だいふく
第四部02 聖女と悪女 女の顔
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微笑う女 (1)


「あなたのお友達は、私の息子に危害を加えました。このオルディスで、領主の子を害した――そのようなことをすればどうなるか、あなたもよくご存知だと思いますが?」


言いながら、マリアは夫を観察し――さっさとここを出て行きたい気分だった。


特にこれと言って惹かれる要素のない男……それなりに整った容姿はしているのに、その間抜け面が台無しにしていた。

ぽかんと口を開け、魂が抜けたようにマリアを見つめる夫イザイア。マリアの話を聞いているのかいないのか……。


「あら……でもぉ……彼らはオーシャンではとても重要な人たちでしてよ。ただの一領主に、彼らをどうこうする権限などないと思いますけど……」


一人の女がイザイアに近づき、するりと彼の肩にしなだれかかる。エンジェリク人だ。

なんとなく見覚えがあるような顔立ち……そうか、彼女がマージョリーか。

コンラッドがマリアに説明していた女。見覚えがあると思ったら、軽薄そうな笑い方が、以前会ったプラント家の人間にそっくりなのだ。


「ねえ、イザイア様?それより……彼らを傷つけた人間こそ罰せられるべきではありません?オーシャン側に引き渡すべきですわ」


媚びるようにイザイアを見つめ、マージョリーは豊満な肉体を彼に押し付ける。

娼婦のよう……というか、娼婦以下の女だ。


イザイアは相変わらずぼーっとしていて、マリアの言葉にも、マージョリーの言葉にも、ああ、と繰り返すばかり。

余計な口出しをする女より、このアホっぽい夫のほうが、マリアをイライラさせた。こんな男のために時間を割かなくてはいけない――それが、何よりも腹が立つ。


「エンジェリクにも面子はある。相手は、王国騎士団の団長だ。軍部のトップを、そう簡単に外国へ引き渡すことはできない。王子のイザイア殿なら、そういった事情は理解してもらえると思うが」


ヒューバート王が口を挟む。

まだイザイアはぽかんとしたまま、ヒューバート王を見ているのかいないのか――上の空で、ああ、とだけ相槌を打った。


マージョリーはじっとヒューバート王を見つめ、品のない笑みを浮かべる。含みのある視線をマリアに向け、ニヤニヤと。


「噂で聞いていた通り、オルディス公爵には素敵なお友達がたくさんいらっしゃるのですね。羨ましいわぁ」


皮肉というか、嫌味を言われているのだろうな、ということはマリアにも分かった。

ヒューバート王も、なんとなく察したに違いない。


マリアに大勢の愛人がいること――ヒューバート王のことも、マリアの愛人の一人だと勘違いしているのだ。

彼女は所詮、田舎貴族の娘。おつむも軽薄そうだし、ヒューバート王の顔を知らないのだろう。

……正す気にもなれない。


「うふふ……誤解しないでくださいね。私、公爵のことを尊敬しているのですよ。正妻を追い出して、自分が女主人に……憧れちゃうわ……」


マリアは、初めて、マージョリーに真っ直ぐ視線を向けた。

イザイアのおまけ程度にしか見ていなかったが……この女……。


「……そう言えば……正妻の子は、事故で亡くなったんでしたっけ。すごい強運ですよね。その子が死んでくれたおかげで、公爵の子が跡を継げるんですから……羨ましいって、本気で思ってるんですよ。何もかも公爵に都合の良いことばかり……私も、公爵の幸運にあやかりたいものですわ」

「旦那様――私の用は以上です。旦那様の楽しいお時間を邪魔するつもりはありませんから、あとはどうぞごゆっくり……役人をこちらへ寄越しますから、お友達の引き渡しだけよろしくお願いいたします。遺体でも、一向に構いませんので」


ああ、とまだ呆けたままイザイアは返事をした。

マリアの話をまともに聞いていなさそうだし、役人はきっと苦労するだろうが……マリアは、もうここに居たくない。


この阿呆面にもうんざりだし、敵意を抑えて冷静を装うのも、そろそろ限界だ。

マリアはヒューバート王と共に、夫の暮らす屋敷を出た。


かつてマリアは愛人の立場で人の夫を寝取り、その正妻と子を死に追いやった。そんなマリアの過去を、夫の愛人から指摘されるなんて……マリアに強い敵意を植え付けさせるには十分だ。


マリアの番だと、彼女は言いたいのだろうか。

夫を奪われ、子を喪い、最後は自らも破滅を――宣戦布告は結構だが、子どもの死を暗示するような挑発は悪手だった。

余計なことを思い出させたものだ……そう思いつつ、マージョリーには感謝の気持ちもあった。


おかげさまで、マリアも重要なことを思い出せた。

愛人にうつつを抜かす夫と、そんな夫に近づいて正妻の立場を危うくさせるような女は、放置しておくとろくなことにならない。

相手は王子なのがちょっと厄介だけど……潰しておかなくちゃダメだって、せっかく教えてもらったんだから。期待には、ちゃんと応えることにしよう。




「マージョリー・プラントについてはどうにでもなるが、イザイア王子のほうはそう簡単にはいくまい。あれでも、やはり他国の王子なのだから」


マリアとヒューバート王から事の仔細を聞かされたドレイク宰相が、考えながら言った。


「やはり、そうなんだろうな……。オーシャンとて、王妃派と王太子派が睨み合っているとは言っても、エンジェリクに対して優位を取れる機会を見逃すはずがない」


どちらにとっても、国の利になることなのだから……。

オーシャン王国は、国家としては弱小の地位にある。かつては最高の文化と栄華を誇っていた国であったが、それももう、昔の話。かつての栄華を取り戻すことはオーシャンの悲願でもある。

だがいまは、教皇を王に戴いていた時期もあり、教皇庁の干渉から逃れられない。


エンジェリクでイザイア王子に何かあれば、王国独自の力を欲しているオーシャンが黙っているわけがない。

実際、すでにオーシャンは異議を唱えてきているし。


「オルディス公爵。まもなく、オーシャンの使者を乗せた船がエンジェリクの港に着く。オーシャン側を黙らせるだけの材料は用意できている――貴女のこの言葉を、信頼しても?」


宰相が、静かに尋ねてくる。

平時は寛大な男だが、職務中は厳格で、容赦がない。真意を探るような鋭い目つきでマリアを見つめてきて。

……警視総監として身に着けた特技を、宰相となったいまでも大いに活用しているようだ。


マリアは怯むことなく、にっこりと微笑む。


「はい。しっかりと、準備はできておりますわ。私としてはさっさと決着をつけてしまいたいので、早く船が到着してくれないかと心待ちにしておりますのよ」


特に、いまはオフェリアが妊娠中。

この時期に騒がしくされるのは御免だ。オフェリアの出産が無事に終わるまでは、平穏に過ごしたいのに。


「パーシヴァルが助けた少女を利用するのかい?」


ヒューバート王が尋ねた。いいえ、とマリアは首を振る。


「あれは最後の切り札です。最初に使ってしまうと、オーシャン側の面子を完全に潰してしまうので……先に、別の方面から揺さぶりをかけることにします。イザイア王子も、その取り巻きも、大して賢くありませんから、こちらも大した手間がかからなくていいですわ」


マリアの返事に、ドレイク宰相も満足したようだ。

そうか、と頷き、それ以上の追及はしなかった。


オーシャンの貴族を斬り、勝手に処刑した――その件で、オーシャンは使者を寄越してきた。




オーシャンからの使者というのは、王国の第二王子ダンテだった。正確には、彼が代表者で、護衛も兼ねた部下を数十名連れてきているが。

ダンテ王子は、王太子の同母弟。異母弟のイザイア王子よりは、礼儀をわきまえた王子であった。


「よく参られた、ダンテ王子。友好国の王として、王子の訪問を歓迎し、労をねぎらいたいところだが……いまは、それも後回しにしたほうがいいだろうか」


謁見の間でダンテ王子と対面したヒューバート王は、穏やかに王子を出迎えながらも、その声には少し棘があった。

ヒューバート王にとっても、最愛の王妃の妊娠という一大事が控えているのだ。そんな時期にやって来た客を――招かれざる客を、心から歓迎する気にはなれないのだろ。


ダンテ王子もそんな王の内心を察しているのか、心なしか苦笑い気味に同意する。


「そうして頂けるとありがたいです。正直に言えば、私もさっさと片付けてしまいたくて――子どもに反撃されて醜態をさらした挙句……その親の怒りを買ったバカを擁護してやらなくてはならないなんて、私にとっても不本意なことです。だからと言って、放っておけるわけもありませんが……」


愚痴まじりに、ダンテ王子が呟く。

それは、偽りない彼の本音だったと思う。


一同は、会議などでも用いられる円卓の間に移動した。

円卓の間には、すでにマリアが召喚した人物が下座に着席していた。


夫の屋敷を管理する管財人が二人。

ダンテ王子は、彼らを見て不思議そうな顔をする。ダンテ王子も、彼らが何者なのかは分かっているだろう。

ただ、なぜここにいるのか――そう思っているに違いない。


「ダンテ殿下、ご紹介せずとも右の方はご存知だと思いますが――彼らは、私の夫……イザイア殿下のいまの住居を管理する管財人です。ラッセルと、トマーゾ」


トマーゾは、オーシャンから派遣された元・銀行家。彼はオーシャン人だ。


オーシャンの王子の住居と財産を管理する人間に、オーシャン人を選びたい――オーシャン側の強い要望を、マリアは了承した。ラッセルと二人で管財人の勤めを果たすことを条件に。


トマーゾがきっちりその勤めを果たすかどうかはラッセルに見張らせればいいし、ラッセルがしっかり働いていることを、オーシャン側に証明することもできる。

ラッセルもマリアの意を理解して、二人で屋敷を管理していた。


ラッセルからの報告によると、トマーゾという男は、心情的にはオーシャン寄りだが、管財人としては公平かつ忠実で、信頼できる人物だそうだ。

恐らく……マリアにとって、この上なく強力な味方になるはず。


「まどろっこしい駆け引きをするのも面倒なので、先にこちらの結論を述べましょう。ダンテ殿下――私は妻として、イザイア殿下をよく支えて参りました。役立たずのごくつぶしを、見捨てることなく養って差し上げました。オーシャン側は私に感謝して、少しぐらい便宜を図ってくださってもよいと思うのですが」

「ご、ごくつぶし……」


辛辣なマリアの言葉に顔を引きつらせながらも、ダンテ王子ははっきりと否定しなかった。


……まあ、そうだろうな。

そんな彼の内心が、聞こえてくるような。


オーシャンからの他の使者は、マリアの不敬極まりない発言に顔をしかめたが、マリアは涼しい笑顔で続ける。


「ラッセルやトマーゾから、イザイア殿下の近況をお聞きくださいな。イザイア様が、私の夫として、いかに無駄な存在でしかないかを」


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