語り継がれる傾国の物語
「王を誑かし、夫を殺し、数多の男をかしずかせ……大国の歴史の影には、常に彼女の姿が――それがキシリアの魔女マリア」
「本当にその話がお好きなんですね」
クリスティアンが声をかけると、少女は読んでいた物語からパッと顔を上げ、クリスティアンを見て嬉しそうに笑った。
「クリスティアン、ようやく来てくれたのね!次に来た時に続きを話してくれるって約束したのに、なかなか会いに来てくれないんだもん。私との約束、忘れちゃったのかと思ったわ!」
拗ねたように話す少女に、申し訳ありません、とクリスティアンは苦笑いだ。
クリスティアンは、海の向こう――エンジェリクで暮らしている。少女に会いに来るためには、海を越えなければならない。そう簡単に会いに行ける距離ではない。
それでも、クリスティアンは来た。少女との約束を果たすためでもあり……母の故郷を愛しているから。
母の生まれ故郷キシリア。クリスティアンにとっても、ここは第二の故郷だ。
「さあ、さあ!お話の続き!キシリアの魔女……クリスティアンのお母様のお話、今度は最後まで聞かせてね」
「最後まで話せるかどうか……。長い話になりますし。今回は、いくつか時代を飛ばしながらのお話になるかもしれません」
十三歳で故郷キシリアを逃げ出した母は、十六歳の時にエンジェリク王の愛妾となった。十七歳ですでに傾国の称号を得たというのに……魔女の逸話は、その後も数知れず。まったく、我が母ながら破天荒な生き様だ。
「私も、自分でマリアのお話を読んでたの。世間の人の評価は散々よ。マリアのせいで、色んな国が荒れて、身を滅ぼした男もたくさんいるんだって」
持っていた物語に視線を落としながら、少女が言う。
「大衆好みにいささか脚色されていますが……概ね事実なので、僕も反応に困ってしまいます」
きっと自分は、母の名誉のため、怒って否定すべきなのだろうが……母も、自分の悪名を面白がって笑うような女性だったから。
そんな母が、クリスティアンも大好きだった。
「マリアのその後のお話で一番大きな逸話は……やっぱり結婚のお話ね」
「母が結婚した頃のことは、僕も大きくなっていましたから、よく覚えています。では、今回はその逸話をメインにお話しましょうか」
王の求愛すらはねのけた傾国の、結婚話。当然、様々な思惑があった。
母の結婚から始まって……諸外国を旅することとなり、そこでも母は男を誑かして、傾国の逸話を新たに作り続けて。
どこまでも奔放で、可愛らしくて。多くの男の心を捕えて離さない女だったのだ。母は。
傾国と呼ばれる女だったけれど、素顔の彼女は、世の人が思うほど特別な人間ではなかった。
キシリアの魔女マリア――クラベルの花のように、誇り高くも美しく咲いた、傾国の物語。