休息
気付くと、視界いっぱいに灰色の天井が広がっていた。
いつの間にか寝てしまったのだと自覚して、ナタリは上体を起こした。目覚めは快適から程遠く、抜けきらない疲労が泥のようにまとわりついて、未だ全身に体重以上の重さがかかったようだった。
「……大丈夫?」
傍らから囁く声がして、ハーリンがいることに気付いた。その隣にはフィオーレが身を横にして、静かに寝息を立てている。二人が無事なことにひとまず彼は安堵した。
「うん。もう走りたくないくらい疲れたけど……」
「フィオーレの怪我は、治癒魔術だけだと完治できないみたい。時間をかけるしかないって」
かけられた毛布から、フィオーレの包帯に巻かれた右足が投げ出されている。寝息の穏やかさに反して寝相が悪かった。
「……魔術師もいるってことか。アルテラ中の、いろんな人が集められてるみたいだね。僕が寝てる間、ほかに何か聞いた?」
ハーリンは首を横に振る。疲労は残っていても、一度休んだことで先へ先へと急き立てる焦燥は彼の中から薄れていた。そういうことなら、フィオーレが起きてから三人一緒に話を聞いた方が、二度手間でなくていいと思った。
それから、しんと静まった空気が流れて、ナタリは何か話さなければと思った。気まずいからというより、何か話さないと不安ばかりを思い起こしてしまう。
フィオーレが怪我をした。
コーエンは死んだ。
手引きしてくれた少女もどこかに消えた。もしかしなくても、彼と同じ運命をたどったのだろう。
いずれも、自分のせいだったのではないか。自分が代わりに足を切られていれば。コーエンが自分を助けようとしなければ。死んだのは自分だし、自分だけで済んだのかもしれない。
「あのさ」
そこにハーリンが声をかけたことで、際限ない思考を遮られたのがナタリにとって救いとなった。はっと俯きかけていた顔を上げる。
「な、何……?」
「その……謝っておこうと思って」
「謝る?」
「あんたのこと、見捨てて自分だけ逃げようとしたでしょ。それも二回……最初は森で、その次は地下道で……」
「そんな、仕方がなかったじゃない。まともな武器もなかったんだし……」
「けど、私は剣士で……あんたは魔術師、それも丸腰だった」
力ない声の彼女は、やがて目を合わせることすら憚るように俯いて、その表情を隠してしまう。
「きっと、向いてないんだろうな。傭兵やろうだなんて……」
「そこまで思いつめなくたって……」
しかし彼女の口振りがナタリは引っかかった。前に彼女は自身を傭兵と名乗ったが、今の言は傭兵に「なろうとしている」者のそれに聞こえた。彼が疑問を表に出すまでもなく、ハーリンは自ら告白した。
「……本当は、今まで戦ったことなんてなかったの。人も、魔族も、斬ったことなんてない。あの日、ギルドで受けたのが初めての仕事で」
消え入るような声が、自嘲する響きを伴って震えていた。剣士であろうとすることを諦めかけた少女の体は、ほんの拍子で折れてしまいそうなほど細かった。
胸の内で渦巻いていた不安や悔恨を、半身にかけられた毛布もろとも放り出し、ナタリは彼女のもとまで四つ足で寄った。折れそうな体の支えになればと呼びかけた。
「……僕だって、今日まで死体さえ見たことなかった。それに助けられてばかりで、何もできなかった。強いて言うなら、君の剣を壊しちゃったことぐらいで……」
俯き続けていたハーリンが顔を上げた。
「でも、僕たちは生きてるわけだから……。命がある限りは、何だってできるよ。これから」
「簡単に言ってくれるけど……」
「そりゃ、簡単じゃないだろうけど……だからこそ、ここで僕たちがやるべきことを見つけていこう。すぐでなくたっていいだろうし、まずはこの場所のことがわかって、落ち着いてからでいいからさ」
気付くと、彼女にじっと顔を見つめられていて、それに気恥ずかしさを覚えたナタリが今度は俯いた。ふう、と息をついて、声に少し明るさを取り戻したハーリンが言った。
「……それなら、私の剣弁償してよね。高かったんだから、あれ」
「そ、それはその、ごめん」
「あは、殺そうとした相手なのに謝っちゃうんだ」
「こっちだってそのつもりだったんだし、お互い様だよ」
「あんたは殺す気ないって言ったじゃない」
「いやまあ、こっちがさ」
苦笑いを作ってナタリは横のフィオーレを指したが、寝ていると思った彼女はいつの間にか身を起こしていた。つまらなさそうな顔をして、自分をさす彼の指を恨むように呟いた。
「私がこっちならお前はあっちだ」




