地下道
建物に入ってすぐ、瓦礫の影になる形で床に穴が開いていた。自然の地下道ではなく、壁面が建物と同じコンクリートで覆われていた。地上の荒廃がそれほど及んでおらず、埃が溜まっている以外はさして破損もなかった。
まっすぐ伸びる道には、一定の間隔で点々とした灯りが設けられていた。当初彼らは火が灯っているのだと思ったが、近づいて見るとそれとは違うらしい。雷の神インドリアへの信仰があっても、それによってもたらされるものを「電気」として開発する技術や概念は彼らの世界に生まれていなかった。
こつこつと、歩く五人の靴の裏がコンクリートの床を蹴る音だけが響いている。進めども先に光が見えないことにナタリは不安を抱いたが、やがて十字路に差し掛かったことで納得した。
「こっち」
向かって右の道を進もうとする少女。だが後ろの四人が曲がり切らないうちに、彼女はぴたと足を止めた。
「どうした」
「静かに」
少女は耳を澄ませていた。訪れた静けさに、遠くから異音が迫ってきていることに、四人もまた気付かされる。
「後ろ!」
ハーリンが短く叫んで振り向いた。自分たちが今まで通ってきた道。その奥から点々と灯っている光が、徐々に暗闇に呑まれていく。
闇そのものが迫ってくるように思えたそれは、やがておびただしい数の「何か」が押し寄せ、光を塞いでいたことによるものだとわかった。幾重にも聞こえる異音はその足音。いずれも人の形をしてはいたが、生物と呼ぶにはあまりに無機質な白い体を光らせ、それぞれが手に据え付けた凶器を掲げていた。
「あんた、やっぱりっ……!」
ハーリンがすかさずダガーを突きつけるが、少女はそれどころでないと怯むことなく、四人に促した。すでに自身が走り出していた。
「早く! 走って!」
罠かどうかを考える余裕は四人のいずれの頭にもなかった。とにかく先へ逃れなければ、あの津波に呑み込まれて死ぬ。全員、考えるより早く床を蹴って少女を追った。
走れど、先の光は見えてこなかった。十字路が続く。少女が曲がるたび、次こそは出口がとナタリは期待した。しかし現れるのは闇ばかり。そして後ろからもまた、闇が迫ってきている。疲弊を見せない「何か」たちは着実に、距離を詰めている。
「はあっ、はあっ……!」
九度目になる十字路を曲がったところで、ナタリは悲鳴に近い息を上げていた。次の一歩を繰り出すごとに、足がどこまでも重くなる。地を蹴るたび、足の裏が床に吸い付いて離れたがらないようにさえ感じられた。
気付けば、ナタリが最後尾を走っている。走り始めより明らかに速度が落ちていた。十度目の岐路を曲がって未だ出口の光が見えなかったその時、彼は不意に立ち止まったコーエンを追い越した。
「コーエンさんっ!?」
「止まるな! 先に行け!」
斧を抜き、迫る「何か」たちに向き合いながら、彼はナタリに怒鳴った。
それに思わず足を止めそうになる自分を踏み殺す思いで、ナタリはその言葉に従った。それに彼は「死ねない」と言っていたから勝算もあるのだと言い聞かせた。でなければ、彼ほどの戦士が自分を逃がすために死ぬはずもないと確信しようとした。
間もなく衝突音が聞こえた。彼の斧が「何か」を叩き潰したものだろう。その雄姿を目にしようとナタリは振り返る。「何か」の頭を潰しながら、コーエンの背中を太い棘が貫いていた。瞬く間も置かずに彼の体は四方へ断裂し、そのはらわたをまとった「何か」を先頭に、なおも凶器の津波が迫る。
疲労と、焦燥と、恐怖のために、ナタリは彼の名を叫ぶことも忘れた。絶望する余裕もなかった。何より、その光景が信じられなかった。しかしひたすら逃げるべき局面にあっては、彼の死を反芻するために思考を働かせる暇もなかったことがむしろ幸運といえた。
十一度目の十字路で、ついに奥から地上の光がこぼれているのが見えた。
混乱するナタリは希望を思い出すことさえ忘れていた。ただ走ることそのものが目的と化して、本能的に光を目指すほかなかった。だが次の一歩を繰り出そうと振り上げた左足の下を、小さな何かが駆け抜けていく。一瞬のことで、それがどのような形状をしていたかまでは彼には捉えきれなかった。
「あっ!?」
駆け抜けた何かが、ナタリの前を走るフィオーレの右足首をかすめた。そこから血を吹き出して、短く叫んだ彼女は倒れ伏す。走っていた勢いのまま、床に体を打ち付けていた。
それにナタリも立ち止まり、彼女に縋り付いた。考えた上での動きではなかった。ただこうしなくてはいけない、このままにしては行けないという感情だけがあった。それで自分が何かできるかどうかは意識にない。
「フィオーレ! フィオーレっ!」
「お、お前っ……バカっ……」
彼女の声色は息が上がっているのを差し引けば、それほど逼迫しているという風ではなかった。森で彼をうるさいと罵った時と同じような調子でさえある。
間もなく凶器の波は二人を呑み込もうとしている。ナタリは床に伏せるフィオーレの上体を抱き起こそうとした。彼女が立ち上がれれば、まだ走ることができるならと。
だがフィオーレは立とうとせず、意を決した面持ちでもって彼を見つめるばかりだった。その口元は最後の望みを蓄えた形に結ばれる。彼女は首をもたげ、彼の顔に近付こうとした。
その真意が彼にはわからない。だが死の寸前に見る光景としてはあまりに場違いで、しかし蠱惑的なほど美しくて、思わずそれに応えようとする自分がいた。
その二人の頭上を、誰かが飛び越えた。自分たちを通り過ぎたその影が、地上の光の方向から駆けてきたことに、ナタリははっとしてその行く先を見た。
その姿は少年のものだった。しかしナタリのようなあどけなさはなく、精悍な猛々しさをたたえている。彼は二人を飛び越えた速度のまま「何か」の群れに向かっていく。
その右手には一振りの剣。
それだけでは捌き切れないだろう数と勢いの「何か」たちに臆することなく、彼は突進する足を止めようとしない。
だがその剣の一薙ぎでもって、彼はその凶器の暴流を消し飛ばした。銀の刃の閃きが「何か」たちの体を二つに分けた。平行な断面を晒して、「何か」たちは少年に道を譲るようにその両脇へ散乱した。
なおも追ってくるものはない。地を蹴る足音ひとつ聞こえず、地下は光と静寂を取り戻していた。
少年が振り向く。その鋭い眼差しは、へたり込んだままの二人を冷徹とも、憐憫とも取れるような微妙な色を浮かべて見据えていた。同時に途絶えることのない緊張を醸し続けてもいて、それは戦闘者であることを忘れられないでいるような哀れさを感じさせもした。
そんな彼の顔を、ナタリは前に見たことがあった。そしてその名前も、コーエンの時とは違ってすぐに記憶の引き出しから探し当てることができた。
彼は「勇者」だ。




