襲撃と襲撃
フィオーレはなおも森を進んだ。足取りには躊躇いがなかったが、その実あてがなく果てしない歩みでもあった。
彼女が何も言わないこともあって、後に続くナタリは次第に不安を思い出し、彼女へ問いを重ねて気を紛らわそうと試みる。
「……この森、どこまで続いてると思う?」
「さてな」
フィオーレの返事は早く、素っ気なかった。
「死んでる人たちって、いったい何に……」
「さてな」
ぽつぽつと、様々な死体が転がっている。重い鎧を下の肉ごと粉々に砕かれた者、魔術師と思しいが首のない者、胴が二つに分かれた者、飛び出たはらわたを隠そうとするかのようにうつ伏せのまま腐乱しかけた者、焼け焦げている者。フィオーレは興味ないとばかりに一瞥もくれず、ナタリは直視できずに、二人とも足元に目を落とさない。
「ほかにも、生きてる人がいると思う?」
「………………」
「ね、ねえ」
返事を促したところ、彼女は立ち止まり振り向いた。表情は冷ややかで呆れの色が浮かんでいる。
「うるさいよ、お前」
「そ、そんなこと言われても……ここが何なのか、どうすればいいのか考えなきゃいけないわけだし……」
「それはお前が、お前の頭の中で勝手にやってればいい。森と死体しかない景色を眺めて思いつくことがあればいいな」
そこまで言わなくても、と思いつつも、ナタリは唇を噛むだけで反論はしなかった。彼女を言いくるめられるだけの弁も度胸も立たなかった。武人でも魔術師でもないはずのフィオーレの肝の据わり方に、自分が及ぶべくもないと諦観に近い感情さえ抱いていた。
あるいはそんな彼女なら、すでにこの状況にも見当がついているのかもしれない。そう思いもしたが、それなら自分に情報を共有しないのはおかしいからあり得ないと、単純にそう考えた。自分が勝手についていっているだけで、彼女自身は協力し合おうとは思っていないのでは、という想像は、あえてしないようにした。
やがてフィオーレは前に向き直り、そんな彼女に当面ナタリは従順でいようと歩を再開しようとした。
がさり。
すぐ隣の茂みが揺れる音がして、ナタリは一歩を踏み出しかけた姿勢で固まった。
茂みの中に、黒髪の少女がいた。少女は彼めがけ向かってくるところだった。決死の形相で、突進といって差し支えない速度を発揮している。
彼女の体が完全に茂みから露わになった時、その両手に銀の光が握られているのをナタリは見た。人を殺せる鋭さの、剣。
「うわ!?」
とっさに後ろへ飛び退ると、つい今までナタリの首があった高さを少女が斬り上げた。斬撃を外した瞬間で、すでに少女は二撃目を繰り出そうと彼を見据えている。
今まで視界の端に映った死体の数々が、彼の脳裏をよぎった。
「ま、待って! 待って!」
何事かと振り向いたフィオーレも、この時ばかりは目を丸くしていた。だが少女は一見無防備な彼女ではなく、逃げ腰ながらも身構えたナタリへ向かっていく。
「は、話を聞いて!」
「黙れッ!」
短い怒声と同時に、少女は二撃目を振り下ろした。それをナタリが避けられたのは体が動いたからというより、腰が抜けて尻餅をついたためだった。すぐさま逃走しようとするが、足が働かない。少女は鋭利な銀色の刃を、彼の心臓めがけ突貫させようと走る。そのすぐ後ろを走るフィオーレが、少女の背中に張り付くほど迫っていた。
「あっ!?」
フィオーレの体当たりを受けて、少女は前に転んだ。ナタリの左隣だった。しかし剣は右手に握られたままで離す気配がない。痛みに悶える素振りもなく彼女は跳ね起きた。
「魔術は!」
フィオーレの怒鳴り声が自分に向けられたものだと気付いたが、ナタリはなお困惑するしかなかった。彼は戦う術を知らない。町で修復術師を営み、図書館に入り浸るだけの日々を送っていて、戦場を見たことさえない。
「ぼ、僕のはそんな、無理だよっ」
「直すだけじゃないだろ!」
フィオーレの二度目の叫びの時には、少女が再びナタリめがけ走り出していた。彼の思考が生涯最大の速度で回転する。抱いた信仰と、体を巡る魔力を尽くして、自分は「物」を直すことができる。生まれつき備わった魔力の量からして、彼が操作できる「物」の規模は小さい。武器や家具程度で、城壁の補修や攻城兵器の復旧といった大掛かりな術は使えない。だがそれこそ彼女が手にしている剣ぐらいであれば。そして時間を戻すだけでなく進めることができるなら。
彼は意識の底にある信仰を思い起こした。自分に加護を与える神が現実にいるのだと言い聞かせる。その力を借りる許しを請った。持てる魔力の全てを捧げて、その力を借りようと願った。その願いを迫りくる銀色の凶器に集中させた。
少女の体は止まらず、彼を殺そうとする剣もまたそのまま突き出された。しかし刃は彼の心臓に届くことなく、胸板に衝突すると塵となって崩れ落ちた。瞬く間に数百年分の経年劣化を与えられた剣は隅々まで風化し、少女の握力によって残りも潰されてしまった。
「なっ……!?」
少女は何が起きたのか理解できなかった。殺せたはずの相手が生きていて、自分は武器を失っている。彼女が理解しようと試みるより早く、フィオーレが再びその背中に体当たりを見舞った。うつ伏せに押し倒し、地に押さえつける。
「は、離せっ! やめろっ!」
「今だ、早く!」
早く、とフィオーレに促された意味がナタリはわからなかった。尻餅をついたまま、視線を二人の顔の間で右往左往させている。
「早く! やれ!」
「やめろ! やめてっ!」
「やってしまえ!」
「いや、やらないけど……」
二人の慌てぶりにむしろ落ち着きを取り戻したナタリは、自分が仲裁することでしか事態を収められないと踏んだ。
「ええと……僕は君を殺すつもりはないよ。落ち着いて話を聞いてくれるなら、離してあげるから」
「ふ、ふざけるな! そこらじゅうの死体を見て、そんなこと信じられると……!」
「僕たちじゃないよ……むしろ君が襲って殺したんだとばかり」
「わ、私じゃない!」
「じゃあ、僕たち敵同士じゃないでしょ。ねえ、お願いだから落ち着いて、話し合おう?」
少女は険しい表情のままながら、上にのしかかり押さえつけるフィオーレから逃れようともがく動きをやめる。それに少しだけナタリは安堵した。
「僕はナタリ。その子はフィオーレ。君は?」
「……ハーリン。クレの傭兵」
自分の住む国の名を聞いて、ナタリは目を丸くした。
「ほんとに? 僕もクレに住んでる。ブレアって港町に……」
「ブレア……ヴィゴ海の」
「そこで修復術師をしてて……」
「修復術……そうか、さっきのはあんたの魔術か」
恨めしそうな顔をするハーリンだったが、殺気はほぼ消え去って年相応の少女の顔がそこに現れていた。同郷の人間だという安心が芽生えたのを認識して、ナタリは彼女の上に乗るフィオーレに促した。
「フィオーレ、もういいよ」
「……これで襲われても助けないからな」
緊張を解かずに、というより何だか面白くなさそうに渋々、といった風にフィオーレはハーリンの背中から降りた。身を起こしたハーリンは彼女を一瞥しただけで、再び暴れ出すような気配はなかった。
「いきなり襲ったことは、その……謝るけど。なら、あの死体は誰がやったっていうのよ。それに信じてもらえるかわからないけど……私、どうしてここにいるのか、覚えてないの」
「僕たちもまるきり同じだよ」
「じゃあ、誰かに連れてこられたとしか……」
「それを確かめようってことさ」
フィオーレが腰を上げた。事が済んだなら、議論するより先に進もうと言わんばかりだった。それを追うようにフィオーレが立ち上がって呼び止める。
「ま、待って。せめて敵が何か調べた方がいい。死体の傷を見たけど、剣や弓でやられたようには見えない。魔術とも違う気がする」
「違う気って……」
言いかけたナタリが立ち上がった時、彼の後ろでまた茂みのこすれ合う音が聞こえた。三人はほぼ同時に音のした方を振り返り、いずれも同じ混乱を抱いて固まった。
茂みをかき分け現れたのは、人の形をした「何か」だった。それは彼らの目には鎧にも見えたし、皮を剥がれ筋組織のむき出しになった怪物にも映った。全身が赤く、その中に点々と白が散りばめられている。いやそれは逆で、もともと白い体が返り血で塗り潰されているのだと、彼らは一様に直感した。
「何か」の右腕の先には拳がなく、代わりに人の胴ほどの直径の丸鋸が据え付けられていた。かと思えば、それが甲高い音を立てて回転し出す。触れた茂みの葉を切り刻みながら、「何か」がずんずんと踏み込んでくる。
三人にとってそれは限りなく得体の知れない「何か」であり、そして「何か」以外の形容を発想させなかった。彼らの世界には「機械」という存在も、概念もなかったのである。
「ひとまず、これが解答のひとつらしい」
フィオーレがぽつりと呟くや、まずハーリンが駆け出していた。間髪入れずにフィオーレもその後に続いた。はたと気付いて、ナタリも二人を追って走った。三人とも「何か」に背を向け、全速力で地を蹴っていた。




