魔女狩り
誰かに揺すられる感覚で、ナタリは目を覚ました。体が横になっていないことから、瓦礫の影にもたれるうち眠ってしまったことを認識する。
重い腕を上げて寝ぼけ眼をこすると、そこに一人の少女がいた。星灯りのみの薄暗さであっても、どこかで見たことのある顔だと彼は思った。
横を見て、砂だらけのシーツにくるまったフィオーレが寝息を立てているのを確認してから、もう一度少女に視線を戻す。やはり見覚えがある、と思った瞬間、彼女の顔が記憶の一片と結びついてナタリは瞬時に覚醒した。
初めて町に来たあの日、地下通路に自分たちを案内した少女だった。
「き、君……無事だったの……!? 今までどこに……」
「話は後。今すぐ彼女と、ここから逃げて」
ナタリが気付くや、少女はフィオーレも揺すりながら淡々と促した。
「に、逃げるって、どこへ……どうして」
「町の人間たちが、彼女を狙ってる。あそこ」
フィオーレを揺するのと反対の左手で、少女は瓦礫の壁の向こうを指した。焚火を囲む数十人の人影。高台にでも立っているのか、火の灯りで赤く照らし出されるクロエらしい人物の姿があり、それを囲む群衆に何やら呼びかけている。
昼間のカイトの言葉から、彼女がまずフィオーレの正体に気付いたことを思い出す。いや魔族というのが真実なのかは定かでないが、真偽はこの際重要なことでなかった。
「周りは防壁で覆われてる。地下の通路から逃げるしかない」
「けど、地下はいくつも道が分かれてて、どこに続いてるのか……」
「どこに出ても安全とは言えない。けどここにいるよりは、まだ望みはある」
「そんな……」
「早く。私はこれ以上干渉できない」
ナタリの返事も待たず、少女は立ち上がると焚火を囲む群衆と逆の方に駆けていった。思わず後を追おうと彼は腰を上げたが、どれだけ目を凝らしてもその背中は夜闇に溶けたように見えなくなってしまった。
「んむぅ……何だこんな時間に怪我人起こして、怒るよ……」
入れ替わったように、フィオーレが目を覚ました。一瞬の逡巡がナタリの体を止めたが、記憶がカイトの冷酷な姿を脳裏に再生して、彼に決心させた。
「フィオーレ、ここから逃げよう」
「どこに……」
「わからない。とにかく地下通路からどこかへ」
「明日でいいだろ……眠くて死にそうだ……」
「このままだと、本当に殺されちゃうよ……!」
寝ぼけた彼女の頬を、右の手のひらで軽く叩いた。それでスイッチが入ったように、いつものどうでもよさそうな無表情が現れた。
「何すんだよ」
「あいつら、君のことを魔族だと思ってる。昼間もカイトから、君と関わるなって言われた。何をしてでも僕と君を引き離すつもりだ」
「お前な、そんなことになってるなら寝る前に教えろよ」
「だ、だって……その時は逃げようとまでは考えなくて、それに不安がらせたくなかったし……」
「わかったわかった……行けばいいんだろ……」
前のように肩を貸し、フィオーレを立たせた。昼間に見つけた槍の柄を杖代わりに持たせる。
ふと向こうを見ると、焚火が消えていた。敵がもう迫っているとナタリは恐怖した。初めて、人間に対して覚えた恐れだった。
人々は数人ごとで固まって動いていた。それぞれ瓦礫の影を覗いて回っている。灯りとなるものがなかったのが幸いし、二人は彼らの目をかいくぐって広場まで近付くことができた。中央には、地下通路へ続く穴。その周りに人影はなかった。
地下通路に逃げたところで、どこへ出るかは定かでない。「何か」がどこから襲ってくるかも知れず、ましてや歩くのに不自由する彼女がそこを逃げると思う者はいなかったのかもしれない。
今のうちだと、瓦礫の影から踏み出そうとするナタリだったが、ふと後ろに気配を感じて、動きを止めた。
「そこで何してるの」
振り向きながら、慣れ親しんだ相手の声であることに安堵した。ハーリンが佇んでいる。それもほかに連れている人の姿はなかった。
だが彼女の右手に握られた剣を見て、緩みかけたナタリの顔は凍り付く。
「……ハーリン、君も……」
「私たちの世界で、魔族っていうのがどれだけ忌み嫌われてるか、わかってるでしょ」
そういう認識があることは、ナタリも否定しようがなかった。人と違う異形の姿を持ち、理由もなく人を襲う。理性はなく、言葉も通じず、目の前に奪える命がある限り、殺し尽くす。
もともとはハーリンも、魔族を狩るために傭兵を志した。狩ろうとする覚悟を作るだけの価値観が彼女の根底にあるのなら、握る剣を手放すことはしないだろう。
ましてや、カイトは国を滅ぼされている。説得も命乞いも聞かず、問答無用で斬りかかってくるに違いない。
「クロエさんがみんなに言ってた。全て魔族のせいだ、やつを血祭りに上げろって」
「本気で、そうだと思ってるの……?」
「……わからない」
「本当に、フィオーレが魔族だとしても……それだけで殺すだなんておかしいよ。だって彼女、誰も傷付けてないじゃないか」
「……なあ、くっちゃべるのは後にして、早く行かないか。眠い」
寄りかかるフィオーレは相変わらず投げやりで、まさに自分に迫った危機でさえどうでもよいと見なしているかのようだった。なぜ焦らないのか、ともすれば諦めているんじゃないかと思うと、彼女の全てが悲痛なものに見えた。
「……ハーリン、一緒に来てとは言わないから……せめて、見逃してほしい」
「………………」
「頼むよ……お願いだから……」
自然と、ナタリは泣きそうな声を絞り出していた。フィオーレを死なせたくないという以上に、仲間だと思っている彼女に斬られたくないという感情が強くなっていた。
ハーリンは何も言わず、きつい目つきでもって二人を見据えている。その眼光は彼らの足を動かさない十分な威力があった。右手に握る剣を離す気配もない。だがその切っ先はかたかたと震えてもいた。
「どうした、いたか」
ハーリンの後ろから、男の声がした。ぞろぞろと四人の人影が近づいてくる。険しい表情のまま、彼女は二人に背を向け、彼らに歩み寄った。とっさにナタリはフィオーレと物影に隠れる。駆け出すと気付かれると思い、様子を窺うしかなかった。
「ねえ、思うんだけど」
ハーリンが男たちに呼びかけた。相手は全員、彼女よりも大柄だった。けれども彼女が手にした剣の震えは止まっている。対峙しているのであれば、少なからぬ威圧を感じそうなものを、落ち着きすぎているようにも見える。
「フィオーレのこと。彼女、魔族じゃないってことは」
「今さら。クロエが言ってただろう。人間のはずがない量の魔力を持ってたって」
「でも魔族って、もっと化け物みたいな姿なんでしょ。私は見たことないけど。彼女、どう見たって人間じゃない」
「いや、魔族だ」
「どうして」
「魔族だ、殺せ」
「やつは魔族だ」
「やつを探すんだ、絶対に殺すぞ」
男たちが思考を放棄して喚き出したその時、ハーリンが剣を振った。星灯りを受けた銀の閃きが四回。ナタリは崩れ落ちる人影を五つ見た。だが地に伏せった男たちを見て、一人の胴が二つに分かれていたことから、そう見えたのだと気付いた。
返り血を浴びたハーリンが、ふらふらと二人のもとに戻ってきた。ナタリの中に恐怖心はなかった。フィオーレを支えて立ち上がる。
「……ごめん、巻き込んで」
「いいわよ、あんなやつら。私の仲間を殺そうとしたんだもの」
ハーリンの呟きは、どこか自嘲するようだった。疲れた表情には少なからず、人を斬ってしまったことへの動揺が含まれていた。
「いいのか? 魔族だぞ私」
「うるさいわね。私の勝手でしょ」
フィオーレが言ったそれがいつもの冗談なのか、自棄になっての告白だったのかはわからない。だがそのどちらであっても構わないと、ハーリンは軽くあしらった。
斬るのが人だろうが、魔族だろうが。
逆に、助けるのが魔族だろうと、人であろうと。
それを決めるのは彼女自身であって、周りの者たちが強要することではない。
彼女の勝手。
「もう、自分だけで逃げるつもりもないし」




