虐殺
捜索隊が戻ると、クロエはじめ町の人間たちが彼らの出入りする地下通路を囲んで迎える。ナタリとハーリンもその輪の中に加わった。
やがて地下に続く穴から、戦士の一人が這い出してきた。地上に出るために最後の力を振り絞ったかのようにして、そのまま地に伏せ動かなくなった。体は傷と砂、血にまみれている。群衆がどよめいた。
それからもう一人、男が這い出した。彼は倒れることこそなかったが、地に両手足をついて荒く息をし、まともに口を利くこともできないでいる。
そして、戻る時は必ず殿を務めるカイトが、穴から現れた。外套やその下の鎧まで血に染まっていたが、彼自身には大きな傷はない。
彼を最後に、穴からは誰も顔を出さない。捜索隊は常に十数人で構成されるのに。
「何が、何があったの」
クロエがカイトに詰め寄った。彼は俯いて目を合わせず、消沈して言った。
「……五番地の封鎖中に、見たことのないやつに襲われた。床や壁を突き破ってきて、態勢を整える暇もなかった」
「ほかの皆は」
クロエの問いに、カイトは答えられなかった。しょげ返る姿に勇者としての威厳はなく、年相応の少年としての本分が思い出されたように醸されている。
「……十番地まで逃げた時点で、追ってくるのは全て倒した。そこと十一番地の通路も全て塞いだ。三人でできたのは、そこまでだ」
三人。
犠牲を免れたのは、地上に現れた彼らだけだった。
「……俺がついていながら、すまない……」
「あなたのせいじゃないわ。とにかく、その新手の話を詳しく聞かせて。早急に対策を立てなければ」
カイトはクロエに連れられ、動けなくなった戦士の二人もほかの者たちに抱えられ、群衆の輪をかき分けて穴から離れていった。後に残された人々の間ではどよめきが止まず、帰らない友人の名を呼んで泣く声も出る。一人の女が穴の前に伏せって慟哭した。誰かの恋人だったのかもしれない。
ふとハーリンを見ると、広場に向かう時に浮かべていた期待の表情は跡形もなく消え、一面が沈痛に占められていた。それだけでナタリもいたたまれなくなり、彼女を促して輪から離れようとした。
「はうッ」
穴の方から、意図しない叫びが聞こえた。声色は慟哭していた女のものに似ている。反射的に振り向いたナタリは、彼女が穴に上半身を突っ込んでいる光景を見た。
直後、穴からは鮮血が噴き出し、女の全身が吸い込まれていった。赤いシャワーが群衆に降りかかり、人々の悲鳴が爆発した。
「な、何がっ……!?」
「ナタリ!」
ハーリンの悲鳴は逃走を促すものだった。彼女の背を追い、人々をかき分けようとするナタリ。その向こうで爆音がすると、土煙と人の体が建物の高さまで舞った。落下してくる人間を、地面から突き出た白い筒のような「何か」がしなり、円筒の真ん中に捉える。落下した人間は筒に呑み込まれた箇所からすり潰され、血をまき散らしながらその体を小さくしていった。
地面を突き破る爆音は四方八方から聞こえた。転んで踏みつけられる者、宙に吹き飛ばされる者と、悲鳴は上と下からも響いた。ナタリのすぐ左を白い筒が伸び、彼のすぐ前にいた男の背中に吸い付く。体を「く」の字に折り畳みながら、男は筒に呑まれて肉塊と化していった。一瞬振り返れば、穴からも無数の筒が伸びているのが見えた。
誰かたちの血と肉片、土埃を頭から浴びて、ナタリは逃げた。散り散りになったか、襲われて数を減らしたか、間もなく前を行く人との間隔が空き、走れるようになった。ハーリンの背中を見失うまいと必死に追いすがると、彼女の足元が割れるのを見た。
「ああっ!?」
生命の危機を直感して発された彼女の悲鳴に、ナタリは全霊を投げ打って救おうと試みた。地を裂いて飛び出た白い筒に一万年分の時間を与える。それが地上に姿を現す限り願う。天を向いた先端から、白い「何か」はぼろぼろと崩れ落ちて姿を消した。
「止まらないで!」
思わず立ち止まったハーリンの手を引いて、ナタリは走った。どこへともなかった。巻き込まれるのを恐れて人の多いところを避ける。すでに壊された建物の瓦礫の影に滑り込んだ。手を握ったまま、荒く息をするハーリンの無事を確かめる。全身を血に染めていたが、彼女のものではなかった。
「あいつら、あいつらっ……」
「カイトが言ってた新種だよ、きっと……!」
「そうだ、勇者様っ……勇者様はっ!?」
ハーリンが瓦礫の影から飛び出そうとするのを、ナタリは握った手を離さず引き戻した。
「離してっ! 私も戦う!」
「ダメだ、真正面からじゃ勝ち目がないよ! カイトでさえ逃げるので手一杯だったんだよ!?」
「でもっ、でもっ……!」
ハーリンが戦士としての本分を取り戻そうとするのを、ナタリは必死で押しとどめようとした。たとえ天才的な素質があると称賛されようと、彼女は一人の人間であり、自分のような魔術も使えなければ、カイトの持つ神の加護を受けた宝剣もない。敵に挑みかかる前に足から挽肉にされてしまう。
今はとにかく、敵が過ぎ去るまで息を潜めて隠れるしかないとナタリは思った。他人の心配をしているどころではないと、それをハーリンにも受け容れてもらうために、彼女の手を握る力を一層強めた。
一際大きな爆音が聞こえたのはその時。
思わずその方角を振り向いたナタリは、見慣れた建物が沈んでいく光景を見た。自分が寝起きしていた居住施設。
その中には、まだフィオーレがいるはず。
決して離すまいと握っていた彼女の手を放り出すように、彼は駆け出した。彼女か、それとも彼女かという選択肢はなかった。ただ感情に突き動かされた。何も顧みることはなかった。
「ナタリ、行っちゃダメっ! 戻って!」
後ろからのハーリンの叫びは、なおも響く爆音と悲鳴の重なりで彼の背中に届かない。
回り道をしようなどと考える余裕もなかった。壁がない限り、まっすぐ彼は走った。意識を駆け巡る恐怖は自分の死よりも、仲間を失うことからくるものだった。あの生暖かさを伝える唇が冷たくなることを、生涯の何よりも恐れた。
走る彼の真っ向から、土を蹴立てて「何か」が迫る。
「ッ!」
神に願うというよりはその力を引ったくるように、彼は歯をむき出して魔術を放った。目前に迫った「何か」は数万年の時間経過に耐えられず、自身の蹴立てた土に衝突して破裂した。降り注ぐ塵を浴びながら、彼は速度を落とすことなく走った。
やがてたどり着いた時、自分の住んでいた建物は原型を留めないほど砕き尽くされていた。ナタリは割れんばかりの大声を張り上げて彼女を呼んだ。
「フィオーレーッ! フィオーレェーッ!」
「……ここ、ここだっ……」
瓦礫の影からかすかに声が聞こえて、そこに飛び込む。右足を瓦礫に潰されたフィオーレが仰向けで寝転んでいた。表情はそれほど逼迫してはいなかったが、よく見ると額から顎の先まで脂汗が光っている。
「ったく……そろそろ杖もいらないかと思ってたら……」
「フィオーレ、足がっ! 足がっ!」
「うるさいよ、もう……わかったなら早くどかしてくれ、これ……」
下半身を血に染めた彼女の姿に、落ち着きを完全に喪失したナタリは魔術を使うことも忘れて素手で瓦礫をどかそうとする。それにもフィオーレは呆れたような顔をするばかりだった。
「バカ、何やってんだ」
「すぐ、すぐ助けるからっ」
「何のために魔術師やってんだ。それともここに来るまで使いきったか?」
いやまだ魔力は残っている。だがあの「何か」たちを全滅させられるほどの量はないだろう。それでも今すぐ彼女から口移しされれば、戦えるかもしれない。
しかし戦おうというつもりはナタリになかった。欲求としてあるのは、とにかく生き延びること。彼女を救うこと。町を救おうというのは二の次で、英雄になるつもりなど想像したこともない。
瓦礫の向こうから、地中を進む「何か」が地上の全てを跳ね上げながら迫ってきた。それが一つだけではなく、見渡す限りに見える。獲物を喰らい尽くしてしまい、残りわずかとなった糧を同族同士で奪い合おうとしているかのようだった。
「なんか、やばそうな音がするな……」
あまりそう思ってなさそうな風に言って、フィオーレがナタリを見つめた。上体を起こして彼の顔に近付こうとする。前にも同じことがあった気がした。
「いつもより、多めにやるから。お前もちょっと、全力出せ」
戦うつもりのないナタリは、この期に及んで魔力を受け取ろうという気になれなかった。それどころではなかった。仮に魔力を得たとしても、囲まれてはなす術がない。迫る接吻を拒もうと身を引きかけたが、とっさに両耳を彼女の両手で挟まれた。
衝突した唇から、彼女の舌が彼の口内へと滑り込んできた。舌と舌同士が絡まり、どくどくと唾液が送り込まれてくる。毎夜の甘美な味わいよりも生臭さの勝ったそれが、彼の喉を駆け下りていく。
瞬く間に体の奥は潤いに溢れ、収まりきらない分が穴という穴から噴き出すようだった。全身の毛穴一つ一つが荒く息をしている。噴き出した汗が誰かたちの血を洗い落とすほどになる。彼は彼女の唾液の中で溺れた。むせ返り、飲み込みかけたそれが鼻にまで逆流する。
ようやく、フィオーレが離れる。二人の唇を繋ぐ糸がかかった。体を爆発させるほどの膨大な魔力の処理に、ナタリは目を白黒させる。何が見えているかを認識することもできない。「何か」の群れがすでに足元にまで迫っていることも。
「やってしまえ」
フィオーレが囁く。浮かべているのはいつもの、不敵な笑いだった。
ナタリにはもう、自身の信仰心を確かめる理性もない。ただ本能的に願ったことを、心の奥底にある神に届けるよう、叫ぶだけ。
叫びが、迫る「何か」たちの全てを塵にした。二人の周りにひしめく瓦礫までもが崩れ出し、それらと混ざっていった。砂粒よりも細かく分解されていった。生きていないものは全て、物質として在ることのできる最小限の姿へと成り果てた。
叫び続けるほど、ナタリは体内から魔力の暴流をひり出せているようで、楽になった。声が枯れると、彼の意識は眠りを求めて暗闇に落ちていった。




