生活
翌日、ナタリはブレアの町にいた頃の一週間分の仕事をした。武具の修理が半日とかからず終わってしまったので、建物や防壁の補修に引っ張りだことなっていた。
「こう言っては悪い気もするけど、あなたが来てくれて本当に助かったわ」
クロエからそう称賛されたことを、ナタリは素直に受け容れた。どこであれ、どんな経緯があれ、人から必要とされ、人を助けることができているという実感が、彼にとって日々を生きる糧となった。
「ちょっと、試してほしいことがあるのだけど」
「はい?」
「あなたの術を『何か』に向けて、使ってみてくれる?」
言って、クロエは捜索隊が回収してきた「何か」の残骸を指した。袈裟斬りにされ動かない。傍らにはそれを破壊したであろうカイトも佇み、見守っている。
「何か」が生物でないのであれば、無機物にしか効果を発揮できないナタリの術が作用するだろうということだった。言われるがまま、彼はその残骸にもとあった姿を再現するよう、願った。一日中術を使い続けても、魔力は未だ渇きを知らなかった。
右肩から左脇にかけて両断されていた「何か」は、みるみるうちその傷跡を忘れていった。離れていた胴が再び繋がった瞬間、仰向けに寝かされていたそれが見えない手で引き起こされたかのように立ち上がった。驚きにナタリは術を止める。
再び動き出した「何か」が、右腕の丸鋸を掲げて彼に歩き出した。森で聞いたのと同じ、けたたましい回転音をうならせる。周りにできていた人だかりからも悲鳴が上がった。
「下がれ!」
カイトが剣を抜いて立ち塞がる。迫る「何か」を前にして、とっさにナタリは彼が斬撃を繰り出すよりも早く願った。自身の神に今ある全ての魔力を投げ打つつもりで、先ほどとは逆の現象を再現する許しを請った。森でハーリンの剣を破壊したのと同じ願い。
直後「何か」はその全身を塵に変え、崩れ落ちた。原型を完膚なきまでに忘れさせられたそれは、地面に広がってしまうと砂埃との判別がつかなくなった。
剣を振るいかけた体勢のまま、カイトがナタリを振り返った。初めて見る、彼の驚きに満ちた表情だった。
ナタリは肩で息をしている。心臓が高鳴って治まらない。突然襲われそうになったことと、思わず魔力の全てをつぎ込んでしまった疲労、そして数万年の時間の経過を叩きつけて相手を破壊した自分の行為とを、彼の意識は一度に処理しきれずにいた。
「……やはり、思った通りだった!」
一人嬉々としていたのはクロエだった。ナタリに駆け寄ると、彼を誇るようにして指しながら群衆に呼びかけた。
「カイトだけではない、彼もまた『勇者』よ! この力をもってすれば『何か』を蹴散らすことなど造作もないこと! 必ず私たちを帰還に導いてくれる!」
彼女の宣言の後に沈黙が訪れたのも一拍のことで、間もなく町の群衆が歓喜の声を上げてナタリを称えた。あまりにも大勢からの好意に、彼はそれをどう受け取ればいいのかわからずきょろきょろとするばかりだった。その中にあるクロエの姿は、普段の理知的な指導者としてのそれではなく、扇動者としての魅力を最大限に発揮して映った。
「それ、私も見たかったなあ。というか、そんなに強いなら最初からあんたが戦えばよかったのよ」
その日の夜、食堂でナタリとハーリン、フィオーレの三人で卓を囲んだ。昼間の出来事を聞いたハーリンが、文句を垂れるように彼を睨んだ。
「いやその、通用するとは思わなかったし……それに剣を壊したので魔力、ほとんど使っちゃったから、あの時は」
「どんだけ私に全力出してたのよ」
「だ、だって殺されるかと思ったし、はは……」
はぐらかしながら、ちらと隣のフィオーレを見た。行儀悪く机に肘をつき、ナイフで木の皿に乗った肉をつついている。何を考えるでもなさそうな無表情だった。
彼女から魔力を受けなければ、これほどの魔術は使えないということを、今のところナタリは明かさなかった。明らかにしない方がいいだろうと思うところもあった。
あの夜の口振りからしても、彼女が単に高い魔力を持っているだけの只者、というはずがないと、ナタリは信じていた。それも素性を明かさないでいるのは、相応の理由があるからに違いないとも。
もしかしたら、何かしらの事情で追われている魔術師とか。
ともすれば罪人なのかもしれないし。
あるいは、もしかしたら。
しかし推測だけで彼女の正体について得られる手がかりはなく、いくら考えたところでしょうがないことだと、彼は自分に言い聞かせた。それに今こうして生きていけるのだから、無理に穿鑿する必要も、きっとないはず。彼女が何であれ、誰かを傷つけたりしているわけでもないのだし。
それにきっと、知らない方がいいだろうこともある。
「この肉、うまいな」
ナタリの漠然とした不安もよそに、小分けにした肉を口に運びながらフィオーレが呟いた。ナタリもハーリンも食べた覚えのある味だった。
もちろんその肉はこの地で調達したものであり、それはアルテラに生息する動物がここにもいるということを示している。付け合わせに盛られた野菜や果物にしても、同じことが言えた。
「……国に帰れるの、いつになるのかな」
自分も何気なく口にしていた味からそう思い出したかのように、ぽつりとハーリンが言った。
捜索隊による成果はそれほど芳しいものでなかった。ここがどこか、「何か」とは何か、未だ手がかりを得られる気配がない。
町の設備が整いつつあることで、暮らしに余裕はできてきてはいたが、こうしている間にも「何か」たちは群れを成して地下道に殺到しているか、防壁を破ろうとしているのかもしれない。物資も有限のものだ。緩やかにだが、彼らは追い詰められている。
「ここがアルテラのどこかなら、帰れるよ。いつか……」
言って、ふと窓の外を見たナタリは、夜空に光る星の配置を自身の記憶と知識に照合しようとする。かつて見た空だったか、知っている星があるか、どうか。けれどおびただしい数のきらめきは、地理が異なるという前提もあって彼に確証を見出させはしなかった。
「ふわあ……もう寝るぞ」
部屋に戻るなり、ナタリより早くフィオーレはベッドに沈み込んだ。一日部屋でごろごろしていただけのはずなのに、どうしてすぐ寝れるのか彼は不思議に思うと共に呆れた。しかしそのあまりに無防備な姿と、自身の身体の奥の渇きを認識すると、あくまで自分は彼女の手玉に取られている気がした。
「お前ももう休めよ。明日も忙しいんだろ」
言って、何でもないように自分の隣を手のひらで叩くフィオーレ。昨晩ベッドの占有権を巡る間もなく彼女が寝てしまったために床で眠りについたナタリは、その時に抱いた葛藤や羞恥心、彼女への尊重をも鼻で笑われたようで辟易した
。
「あ、あのさ。いくら何でも、一緒のベッドで寝るっていうのは」
「することしといて何を今さら」
「何もしてないよっ!? むしろしてきたのはそっちであって! そ、そういう重大なことは、まだ……!」
慌てふためくナタリを、フィオーレが寝返りを打って仰向けになり見つめた。彼はそこにある唇が、潤いをたたえたものだと気付いて、はっとする。
「来いよ」
「で、でも……」
「明日も神を頼るなら、供物がなくちゃならんだろ。やるから、こっち来い」
あらゆる躊躇よりも、あの感触を得たいという欲求が勝って、彼は言われた通りにした。魔力を補給するという本来の目的は、思考からどこかに消え去っている。
口づけはじっとりと長く、口内を満たした彼女の味と香りが、鼻孔にまで抜けていった。体の奥はゆうに満たされ、収まりきらずに溢れかえりそうなほどとなる。
「ぷはっ、はあっ、はあっ」
唇が離れると、思わずナタリは乱れる鼓動を抑えようと必死になった。性的興奮だけではなく、彼の体が経験したことのない量の魔力を得て、器官がそれぞれどう動けばいいのか混乱しているようだった。
「おっと、多すぎたか?」
自身の口元を袖で拭いながら、フィオーレは悪びれもせずそう言った。彼女と同じように彼も口元を拭うと、薄暗い部屋でもわかるほど赤々とした血がついていた。初めて自分が鼻血を出していることに気付く。その数滴だけでも、彼女から受け止めきれずこぼれた魔力で満ちている。
「それが止まるまで床で寝ろ。汚されちゃかなわん」
しっしっ、と手で彼を払うフィオーレだが、その表情はくすくすと可笑しそうに緩んでいた。それにもまた蠱惑的な魅力を覚えて言う通りにしてしまう自分がいることに、ナタリは篭絡されているのだろうかと呆然とした頭で感じた。




