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類人園アルテラ  作者: J・S・フランコ
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口移し

 町の人口は三百人ほどで、そのうち武器や魔術を扱えるものは百人弱だった。彼らは地下道を通じて町の外を捜索し、またある時は迫りくる「何か」を食い止めようとそこに防壁を構築していた。

 地下道は無数の十字路を設けており、どこに出られるのかも明らかでなかった。町を整備する傍ら、彼らは「何か」とこの世界の手がかりを得ようと、カイトを中心に幾度も部隊を派遣していたのだった。

 町と人々をまとめているのが、生きている者では最古参となってしまったクロエである。宮廷魔術師であった彼女は王子の教育係も務めていたといい、教養深く人を扇動する術に長けていた。


 ここで暮らす以上、ナタリとハーリンは自分の役割を見出そうとした。捜索隊を構成する戦士の中には、カイトのほかにも彼らと同年代の少年少女がいた。自分たちだけ、非戦闘員として甘えようというつもりにはなれなかった。


 ハーリンは実戦経験の浅さから捜索隊の候補として、非番の戦士に稽古をつけてもらうと決まった。新たに宛がわれた剣を手に意気揚々と臨んだのもその日の朝のうちで、日が暮れる頃にはしゃべる気力もないほど疲弊していた。相当揉まれたらしいとナタリは苦笑いした。


 ナタリは修復術師として、今までの暮らしと同じ仕事を与えられた。町にはほかにカンディドの信徒がおらず、その魔導書もなかったために、彼の能力を知ったクロエたちは大いに喜んだ。製鉄の設備もないこの町において、武器は破損すればどこかに転がる死体から漁ってくるか、木の棒に削った石を括りつけただけの原始的な物しか用意できなかったからだ。


 彼らは居住施設にそれぞれ一室を宛がわれた。人口に比べ建物の数は多く、まだ手付かずのものもあるらしい。


「ふう」


 日が暮れ、部屋に戻ったナタリはベッドに仰向けで倒れ込んだ。仕事場となる倉庫で、山のような武器や鎧を前に一日中自分の中の信仰心を確かめていた。しかし魔力の量にそれほど余裕のない彼では、一時間としないうちに自身の神へ捧げる糧が枯渇してしまった。クロエは焦らなくていいと言ってくれたが、彼は歯がゆかった。


 優れた魔術師、それこそクロエくらいになれば、体内の魔力の残量や消費を計算することができる。だがナタリにはそれもできない。魔術が使えなくなってようやく、体の奥底がからからと干上がったような感覚を実感する。前々から自覚していたとはいえ、自分には信仰心があるだけで、魔術師としての素養に欠けることを恨まずにいられなかった。


 今日はもう起きている気力もなくなって、そのまま目を閉じようとしたナタリは、不意にこつこつとドアを叩く音で上体を起こした。


「よう」


 フィオーレが右腕で杖に寄りかかり佇んでいた。空いた左手で拳を作って、ドアに置いている。入っていいかどうかの確認をしたわけではなかったことに、ナタリは少し困ったような顔をした。


「ど、どうしたの」

「いや、なかなか広い部屋じゃないか」

「まあ……ブレアで借りてたとこより広いけど、実際」


 あくまで部屋の広さだけならの話で、内容や家具は最低限のものしか置かれておらず、生活感に乏しい殺風景さだった。こうして彼が寝ているベッドも固く、シーツも埃臭く感じる。

 フィオーレは杖で床を突きながらひょいひょいとやってくると、躊躇いもせず自分もそこへ寝転んだ。がばと起き上がるナタリ。


「な、何」

「嫌かよ」

「そうじゃなくて……自分の部屋は?」

「あるけど、何もしないやつには周りの視線が冷たくてな。ここの方が何かと楽だ」

「僕の部屋に居座る気!?」

「嫌かよ」

「嫌だよ!」


 内心は嫌というわけではなかった。ただ同じ部屋で寝泊まりすることに、気恥ずかしさからくる抵抗が先立った。


 何より、自分は男で相手は女だということ。

 彼の理性と本能の葛藤を見透かしたようにフィオーレは笑う。無防備に寝転んだまま、前に彼がそうしたように指をさして言った。


「お前、女としたことないんだろう」

「な、ないよ! そんな相手もいなかったし……」

「こっちは足が言うことを聞かないんだ。非力なお前でも寝込みくらい襲えるぞ」

「も、もうやめてよ! そんな風にからかうのっ!」


 初めて彼女の姿を見て、その美しさを認識した時。地下通路で彼女の唇を間近にした時。寄りかかった彼女の膨らみが二の腕に当たった時。そしてそれらを含めて彼女の女性的魅力を再確認した今、ナタリは自分の中に本能からくる欲求が芽生えていることを否定できなかった。それさえ当然のように見透かした風に彼女がにやにやとするので、彼の顔は灯りのない部屋の薄暗さでも明らかなほど赤くなっている。


「だ、だいたいそっちこそ……まるでしたことがあるみたいに……」

「どうだったかな」

「え?」

「したことあったかもしれないし、なかったかもしれない。よく覚えてない」

「な、何それ……」

「記憶にある限りではしてないと思う」


 笑うのをやめてけろりとフィオーレは言った。嘘をついている素振りがなく、本当に覚えてないといった風だった。同時に、自分の貞操でさえどうでもよいことのようにしていて臆面もない。ナタリに熱烈な処女信仰はなかったが、彼女のその投げやりさに出会いの当初から抱き続けてきた違和感を思い出し、拭いきれなくなった。


「……昔のことも忘れるくらい、長く生きてるとでも?」

「さあな。長くってのがどれくらいなのか」


 ナタリは寝転んだままの彼女を見つめ直した。白く滑らかな肌の、その細部まで観察しようとする。しかし部屋の薄暗さもあって、彼女の齢のヒントを得るには至らなかった。


 そういえば、魔力を多く持つ人間は老化が遅いとも本で読んだ。


 実際、クロエにもある程度の歳を重ねていそうな成熟ぶりをナタリは見たが、その姿はまだ二十代の後半に差し掛かろうかというところだった。


 それなら、この少女はどうか。


 「何もしてなかった」と言う「ただの村娘」が、ここまで不敵に振る舞えるものか。危機が迫っても、沈着冷静に動くことができるのか。実は凄腕の魔術師で、何か理由があって素性を隠しているのではないか。


 穿鑿しても仕方がない、それより先にやることがあると触れずにいた違和感に、ようやく向き合おうと彼は決心した。今度ははぐらかされまいと肩に力が入る。


「……君、本当は誰なの?」

「誰、と言われても……」


 初めて、彼女が困ったような顔を見せた。ベッドから上体を起こし、ナタリから視線を逸らす。その先には窓があり、階下にまだ補修の済んでいない建物があった。二階部分の壁に穴が空き、地上にその瓦礫が積み重なっている。

 ふむ、と口元に当てた右手の人差し指を、フィオーレが舐めた。ナタリに向き直ると、指の腹を上にしてそれを差し出す。


「ん」


 何かあるのかと思って、ナタリはそれを覗きこむ。だが指は彼女自身の唾液のぬめりで、窓の外の星灯りをうっすらと反射させるだけでしかなかった。


「な、何?」

「舐めてみ」

「舐め……は、な、なっ!?」

「魔力供給の方法ぐらい知ってるだろ」


 魔力は人体を構成する全ての成分に含まれている。魔力を回復する際には水分を補給し、体内物質として変換されるものを増やすのが一般的である。

 しかしその生理現象を待つのでは時間がかかりすぎるため、緊急で魔力を補給する際は、他者の体液を摂取する形を取る。唾液を舐めることは最も簡単な方法である。

 だがそれは緊急時の手段であって、何より衛生的、道徳的な価値観から通常は憚られる行為だった。


「そそそ、そんなことできない」

「意気地なしめ。それじゃ、窓の外のあそこ。崩れかけの建物があるだろ」


 濡れた指の上下を返して、フィオーレが窓を指さす。つられてナタリもその景色に視線をやった。視界からフィオーレの姿が消える。


「こっち向け」


 そう囁いた彼女の声が異様に接近していて、何事かとナタリは向き直った。


 自身の唇に伝わったぬめりと生暖かさが、彼女のそれからもたらされたものだと認識するのに、しばらくの時間を要した。

 そのしばらくの間で、フィオーレの唇から染み出した彼女の唾液が、ナタリの口内に滴り、彼の血となり肉となっていく。

 下半身の疼きと共に、体の奥底を洪水が襲ったような湿度が満たした。干上がるような疲れがあったことさえ思い出せないほどだった。


 やがて唇を離したフィオーレは、涼しげな顔のままもう一度、窓の外を指した。


「直してみろ」


 興奮のあまり呆然として思考力を失い、言われるがままナタリは再び窓の奥の建物を見た。震える理性でもって、信仰心に訴えかけた。神の力を借りる許しを請った。


 積まれていた瓦礫と砂埃が風に吹かれたかのように軽く舞い、二階の壁の穴に吸い込まれていった。気が付くと、壁はいつかもそこにあっただろう姿を取り戻している。


 それが、自分の願いによってもたらされた光景だと信じられず、彼の視線は窓とフィオーレの顔とを何度も往復した。あれだけの風化を直せたことなど一度もなかったのに。しかも体の奥の潤いは、未だ渇く気配を感じさせないでいる。


「……まあ、ひとまずこれを、誰かって質問の答えにしてくれ」


 ほんの口づけだけで、膨大な魔力を譲渡できる少女。


 魔術師でなくとも、生まれつき魔力の高い人間はいる。何の特技も職にもついていない村娘であっても、例外ではないだろう。


 しかしこの少女の体で生成され、循環している魔力の全容とは皆目見当もつかないものだった。唾液の数滴だけでこれほどなら、あるいはそれ以上だって。


「部屋に置いてもらうぶんの家賃ってことだ。その方がお前も仕事が捗るだろ」


 それはこれから自分が、彼女の唇を独占できることだともナタリは理解した。その特権を享受したい欲求の方が、彼女の正体や膨大な魔力の全容への好奇心に軽々と勝ってしまった。


 とどのつまり、彼は魔術師である以前に男だった。

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