休憩 「剛の剣と柔の剣」
きゅう−けい 「ジークハルトとの手合わせ」
ジークハルトは伯爵家の四人姉弟の末っ子の三男坊だった。
六歳離れた出来のいい長兄が、早くから領地を継ぐ事に決まっていたし、四歳上の次兄もいたので、何の心配もなく乳兄弟のシルベスタと、魔術や剣術など好きなことに打ち込んでいた。あちらこちら気ままな旅をしていたこともある。
二十歳になるかならないかの頃に、上の兄たちが相次いで亡くなった。
兄たちに継嗣はなく、ジークハルトが繰り上がりで急に領地を継ぐことになり困惑したが、周囲の者や父親の手助けもあってなんとか体裁を整えることができた。
付け焼き刃だったジークハルトが、本格的に伯爵領の領主としてひとりでやっていけるようになった頃、それまでの心労が祟っていたのか兄たちの後を追うように、父親もこの世を去ってしまった。
普段は泰然としているが、ジークハルトはまだまだ新米の伯爵だった。
十代の時には剣術好きが嵩じて、領軍に籍を置いていたこともあり、今のように執務机にかじりついているのは性に合わない。だからあまり事務仕事は好きでは無い。
そもそも決裁印を押すだけなら、ジークハルトでなくてもいいのではとさえ思っていた。
むっつりと不機嫌な顔で、あからさまに嫌そうに書類の山を捌くジークハルトにシルベスタが声をかけた。
「ちゃんと目を通して下さいよ。うちの文官たちは優秀ですが、漏れや間違いを精査するのは領主の仕事ですからね」
「そんな事はわかってる。だがこのままじゃ集中力がなくなる。休憩したい」
「休憩はさっきしました」
「・・・」
取りつく島もないシルベスタの発言に、連日の決裁書類の山を前にして、ジークハルトはついにキレた。
「したいじゃない、休憩する」
「・・・命令ですか?」
「当たり前だ。ここで使わずして、いつ強権を発動するんだ」
鼻息も荒く宣言すると、何だかんだ言ってもジークハルトに甘いシルベスタが、仕方ないですねと溜め息をついた。
事務仕事から解放されたジークハルトは意気揚々と、鈍った身体を動かすべく慣れ親しんだ兵舎の方角へ足を向けた。
鍛錬場に近くになると、何やらわいわい騒いでいる声が聞こえてくる。
「おら、腰が引けてるぞ! ちゃんと構えろ!」
「遠慮はいらねぇぞ、シズル」
「次が控えてんだ! 早くやられちまえ」
「うるせぇ! お前らおれの応援はないのかよ?!」
何やら兵士たちの会話に聞き覚えのある名前が出てきた。
ジークハルトは以前の騒ぎを思い出して一瞬どきりとしたが、兵士たちの雰囲気からは怒気のようなものは感じられなかった。
どうやらこの前のような、私闘がおこなわれている訳ではなさそうだった。
ジークハルトは誰よりも上背はあったが、流石にここからでは兵士が壁になって、何が行われているのかは窺い知れなかった。
「カリプシィ」
ジークハルトは周りに気づかれないうちに呪文を呟き、気配を消して近づいて様子を窺うことにした。
今回も、兵士たちの中心にはシズルがいた。
相手は前回とは違うようだった。
既にシズルと一戦交えたのか、腕や肩を押さえて座り込んでいる者や、興奮気味に身を乗り出して騒いでいる者までいた。周りをよく見ると、シズルの相手に野次を飛ばしている集団の中に、前にシズルに肩を外された兵士も混じっていた。
シズルは右手に木剣を下げていた。相手も同じだった。
先の兵士や魔導士との一件で邸全体に知れ渡ったシズルだが、その身元は『魔力はないがやたらと腕っ節が強い、他国から来た人間』という事になっている。
その為、前回の私闘紛いの手合わせとは違って、万が一にも、魔力のないシズルが怪我をしないようにとの配慮で木剣が使用されているのだろう。
しかしシズルへの配慮の筈が、実際にはシズルの相手への配慮になっている、というのは皮肉な事だとジークハルトは苦笑した。
事実、野次を飛ばされている兵士は本当に腰が引けていた。対するシズルは、いつも通り無表情のまま静かに佇んでいる。
シズルが、無造作に右手に下げていた木剣の先を、ほんの僅かに動かした。それがきっかけになったのか、兵士が雄叫びを挙げながら突っ込んでいった。同時にシズルも一歩踏み出し、打ち合いが始まった。
二度三度打ち合ったところで、シズルが自分の木剣を相手の木剣に絡ませるようにした。相手の木剣の軌道が変わり、剣先を自分から逸らせたシズルは、そのまま兵士の手首を鋭く木剣で打った。
体勢を崩した兵士の横をすり抜けざまに脇腹に一撃、背後から膝裏に一撃を入れた。
兵士はそのまま膝から崩れ、脇腹を抑え顔面から前のめりに倒れた。
周囲の兵士からどよめきと歓声が起こった。
「あのう、もういいですか? 私、剣術はあまり得意じゃないんですけど」
「それだけやれてて何言ってんだ。次はおれの番だぞ」
「その次はおれの相手をしてくれよ」
困ったように言うシズルに、急かすように相手を求める兵士たちの顔は何故か楽しそうだった。
気配を消したまま、兵士たちの中に紛れ込んで様子を見ていたジークハルトだったが、ついに我慢しきれなくなって隣の兵士に声をかけた。
「今の相手で何人目だ?」
「六人目だ。順番待ちだぞ、ってジークハルト様?!」
声を出したことで術が解け、急に姿を現したジークハルトに兵士が驚きの声をあげた。
「何で皆あんなに必死なんだ?」
「はい。シズルは変わった剣技を使うし負けなしなもんで、いつのまにか、誰が最初にシズルから一本取るかって勝負になっちゃいまして」
「なるほど。じゃあ次は俺がやる」
「おい誰だ! 次はお・・・ジークハルト様?!」
苦情の声をあげかけた兵士が、声の主を見て飛び上がって驚いた。
ジークハルトはゆっくりと集団の中から進み出て、兵士から木剣を受け取るとシズルの前に立った。
急に現れたジークハルトに、シズルはあからさまに嫌そうな顔をしている。
「面白そうな事をやってるじゃないか」
「・・・お仕事はどうしたんです?」
「休憩中だ。ほら、構えろ。やるぞ」
「嫌ですよ」
「何でだ」
「めんど、雇い主だからです」
「お前、今『面倒くさい』と言いかけたな」
「言ってません。思ってはいますけど」
怖いもの知らずなのか豪胆なのか、相変わらず面白いやつだとジークハルトは悪い笑みを浮かべた。
「なら、雇い主の命令だ。俺に本気を見せろ」
「・・・了解しました」
シズルは深呼吸した。
そして何故か木剣を逆手に構え、僅かに腰を落とした。
次の瞬間、シズルはシッと鋭い息を吐いて、一瞬その場から消えたように見えた。
それほどの速さで一気に距離を詰め、シズルはジークハルトの目の前に一瞬で現れた。シルベスタとの手合わせで見せたあれだ。
そのシズルの低い頭越しに木剣の先が見えて、ジークハルトは反射的に身体を庇った。即座に下向きに木剣を構えると、間を置かずその木剣に衝撃が来た。
シズルはそのまま逆手で振り切ると、今度は手の中でくるりと順手に持ち直した木剣で、そのまま喉元に突き込んできた。
ジークハルトは下からシズルの木剣を跳ね上げ、返す刀で上からシズルに力任せに叩きつけた。
が、素早く横に逃げられ、ジークハルトの木剣は大きな風切り音を響かせながら空を切った。
「全く、殺す気ですか。雇用環境の改善を要求します」
シズルの抗議の声が響いた。
鍛錬場は、先程までの騒がしさが嘘のように静まり返っている。
自分たち相手には見せなかった、シズルの本来の速さに兵士たちは驚い
ていた。
一方、ジークハルトが自分の護衛官であるシズルに、一切手加減していない様子にも驚いていた。
さっきの一撃など、まともに喰らえば頭蓋が割れるほどの勢いがあった。
皆、ふたりの立ち合いに言葉もなく唖然としていた。
「シルの時にも見たが、実際に目の前でやられると驚くな」
ジークハルトは体勢を立て直すと、今度は自分から仕掛けた。大きな体躯に似合わない速さで、シズルに打ちかかって行く。
縦横無尽な剣戟にシズルは防戦一方になっていた。
「どうした、手が出てないぞ」
何度目かの打ち合いの最中に、シズルの木剣が嫌な音を立てた。その音に気がついているはずなのに、シズルはそのまま思い切りジークハルトの顔めがけて木剣を振るった。ジークハルトが正面でそれを受け止めると、ばきりと音を立ててシズルの木剣が真っ二つに折れた。
ジークハルトが折れた木剣とその破片を避けている隙に、シズルは大きく後ろへと飛び退いた。
「・・・わざとやったな、お前」
「手が止まりましたね、お陰で助かりました」
言うが早いか、シズルは手に残った折れた木剣をジークハルトに鋭く投擲した。飛んできた木剣を弾き飛ばしたジークハルトは、先程同様シズルが一気に飛び込んで来ると予想し、前方を警戒して意識を集中させた。
しかし、今度は本当にシズルが一瞬で目の前から消えてしまった。
誰かがあっと声をあげた。
ジークハルトは背後に気配を感じてぎくりとして、身体ごと気配の方向へ木剣を振り抜いた。その途端、目の端に飛び込んできたものに木剣をへし折られてしまった。
いつの間にかジークハルトの背後に回ったシズルが、木剣を蹴り折ったのだ。どうやらジークハルトの木剣も、先ほどの打ち合いで損傷を受けていたようだった。
「ふたりとも武器が無くなったので、終了でいいですか?」
シズルが振り上げていた脚を下ろし、数歩下がって言った。
ジークハルトはまだ物足りなく感じ、持っていた残りの木剣を放り投げ、軽く肩を回してシズルの正面に向き直った。
「じゃあ今から、」
「ふたりともすげぇ!」
「シズル、なんだあれ?! どうやったんだ?」
「ジークハルト様を飛び越えたぞ」
ジークハルトの声をかき消すように、周囲の兵士たちから歓声があがった。
その時、興奮して騒ぎ出した兵士たちの間を掻き分けるように、シルベスタが満面の笑顔で姿を現した。
「・・・ジーク。休憩は終わったか?」
地を這うような声とともに、ジークハルトの休憩時間はあっさりと終了した。