来訪 「元凶の襲来」
らい−ほう 「王太子、赤毛のチャラい恋愛脳男」
「貴様! ここで何をしている!」
赤い髪に負けないほど顔を紅潮させた男が、全開の扉の前で仁王立ちして、シズルに向かって指を突きつけて吼えた。
チャラ男こと、この国の王太子様だった。
シズルは一連の厄介ごとの根本原因の突撃に、心底うんざりしていた。
後ろに数人引き連れたルーデリックは、さらに捲し立てた。
「貴様は誰の許可を得て塔を出ているのだ! 聖女でもない只人の貴様は、本来ならこうして、貴族の邸に立ち入る事などできないのだ! そもそも異世界人の貴様は、こちらでは何の身分もない下賤の者ではないか。こちらが温情をかけ面倒を見てやっているというのに、塔を出て叔父上の邸の中を自由気ままにうろつき廻り、それでも飽き足らず、邸の者に危害を加えているというではないか! 一体何を企んでいるのだ!」
・・・殴ってもいいかなこいつ。
と思いつつも、果たして殴る価値が、このチャラ男にあるのか逡巡して、シズルは至って平和的に、拳ではなく言葉でぶちのめすことに決めた。
「女性の部屋に前触れもなく、いきなり侵入するのがこの世界の作法とは知りませんでした。高貴な方は、傍若無人に振る舞わないといけない決まり事でもあるのですか? 貴方様は私がこちらの世界に無理矢理拉致された時にお見かけしたお方だと思いますが、私は正式にご紹介を受けていませんので、お名前を存じ上げません。失礼ですが、どちら様でしょう」
名前は知ってるけど、とシズルは心の中で密かに嗤った。
表面上は、至って冷静に対応するシズルに、ルーデリックは鼻白んだ。正論を盾にしたシズルの口撃に、渋々といった感じで名乗りをあげた。
「・・・エデル国王太子のルーデリックだ」
これから本気でぶちのめすので、覚悟しろよオウジサマ。
心の中でルーデリックにそう宣言しながら、シズルはすうっと息を吸い込んだ。
「これはご丁寧にありがとうございます。初めまして、いえお久しぶりですか? ご存知の通り、私は異世界人のシズルと申します。この世界にいきなり拉致監禁されました者でございます」
と恭しく前置きをしてから一気に話し始めた。
「あの後幸いなことに、衣食住は与えて頂けたので、暫くはお城で大人しく待っていましたが、いきなり場所を移された挙句、拉致の責任者とされる方からはその後待てど暮らせど何の音沙汰もないので、流石に今後の自分の身の振り方を考えなければいけないと思い悩んでいたところ、移動先の辺境伯であるジークハルト様が私の元にお訪ねくださって、塔では何かと不便だろうと色々心を砕いてくださったのです」
「それに加えてありがたいことに、仕事を与えて下さった上にお邸に住むよう手配までして下さったのです。何しろ右も左もわからないうちに、着の身着のまま放り出されていたものですから大変助かっています。今はこの邸でこの世界に少しでも慣れようと、努力している最中なのです」
にっこり笑ったシズルから放たれた言葉の洪水に、ルーデリックが慄いて一歩後ずさった。
「そ、それは良い心がけだ」
「ありがとうございます。もう少し慣れましたら、どこかで静かに暮らしたいと思います。元の世界には帰してもらえない、いえどうやっても帰れないそうですので」
「う、うむ」
シズルの止まらない口撃に居心地が悪くなったのか、ルーデリックは落ち着きなく視線を彷徨わせ始めた。突撃した時の勢いはもう影も形もない。
少し苛めすぎたかも知れないが、殴られないだけマシだと思って欲しいとシズルは思った。
シズルが更なる口撃を繰り出そうとしていたところ、
「ルーデリック」
タイミングを見計らったように、ジークハルトが現れた。
この策士は、絶対近くで様子を伺っていたに違いないとシズルは確信し、思わず心の中で舌打ちした。
シズルの確信が正しいという証拠に、ジークハルトのその碧い瞳が笑っている。後ろのシルベスタなどは、明後日の方を向いて肩を震わせている。
何が可笑しいのか、シズルはちっとも面白くなかった。
ルーデリックは、ジークハルトの登場に、あからさまにほっとした表情になった。
「叔父上」
「こちらの異世界の方は私が面倒を見ているよ。それよりお前の保護している、もうひとりの異世界の方が、いきなり飛び出して行ったお前を心配して探していると、今しがた私の所に連絡が来たぞ」
「えっ! し、しかし私はまだこの女に話が」
「それはまた、後日改めてでいいだろう。城にいるその方もまだ、こちらの世界に慣れていないのだろう? お前が側から居なくなって、きっと不安で仕方がないのだ。私の所に連絡が来るくらいだ、早く戻って安心させてあげたらどうだ」
「は、はい! では急ぎ戻らせていただきます。失礼します叔父上」
もうひとりの異世界人、の言葉が聞こえた途端、ルーデリックは先程とは違う意味で顔を紅潮させ、あからさまにそわそわし始めた。
押しかけた先の邸の主人で、自身の叔父でもあるジークハルトへの挨拶もそこそこに、来た時と同様後ろにぞろぞろ引き連れて足早に戻って行った。
何てチョロいんだとシズルは思った。
チャラい上にチョロいとは。ルーデリックは、相当恋愛脳を拗らせているようだった。
呆れ果てたシズルは、やっぱり一発入れとくべきだったのではないかと後悔した。
ルーデリックが去って静けさが戻った部屋に、ジークハルトの忍び笑いが響いた。シルベスタに至っては、本格的に腹を抱えて笑いだした。
シズルは溜息をついた後、相変わらず礼儀知らずのチャラ男に、新たな復讐を誓った。
また先触れも無く、辺境にある転移陣が作動した。
しかも今回は、伯爵邸の転移の間にある転移陣だった。
今度はルーデリックが、王城からジークハルトの邸まで転移陣を使って押しかけてきたのだった。いくら王太子とはいえ、年長者で叔父で、しかも辺境伯である相手に対してこれはいただけない。
転移で来訪し、そのまま領主を無視して直接シズルの部屋に突撃して行ったと聞き、ジークハルトはシルベスタを連れ、シズルの元へ向かうことにした。
聖女召喚騒動からこっち、ルーデリックの暴走具合は神懸かり的だった。
良くも悪くも素直な甥っ子は、また周りの誰かに余計なことを吹き込まれ焚きつけられたに違いない。
今回間違っても、いきなりルーデリックがシズルを傷つけるような事はないだろうが、逆の可能性が捨てきれない。魔導士の時のようにシズルが先に王太子に手を出してしまえば、流石にジークハルトでも庇いきれない。
部屋に近づくと、開け放たれた扉の向こうからルーデリックの怒鳴り声が聞こえてくる。
どうやら塔から出たことに憤慨しているようだった。
ジークハルトの邸にいることも言い募っているが、そもそも当主本人の許可がない限り、勝手に邸に入ることなど叶わないというのに、もはや完全な言いがかりだった。
ルーデリックは更にシズルを貶め続け、あまっさえ放置していた事実を棚に上げ、温情で面倒を見てやっているのだと言い放った。
案の定、慇懃無礼な刺々しい言葉で、シズルの手痛い返礼を受けている。
しかし、聞けば聞くほど酷い有様だった。ジークハルトは眉を顰める。
ルーデリックは本当にシズルのことを召喚後一切無視し続け、その処遇を他人に丸投げした上で、厄介払いを決め込んでいたようだった。
現に今も、未婚の女性の部屋に許可も得ず踏み込み怒鳴り散らしている始末だ。
最低限の礼節は何処にやったんだと、ジークハルトは頭を抱えたくなった。
続けてシズルの流れるような言葉が聞こえてくる。刺々しいどころかむしろ凶器だ。
切れ味抜群の短刀、いや大鉈でルーデリックをずたずたに切り裂く勢いだった。しかも全て正論で、反論のしようがない。
今日もシズルは絶好調のようだった。
シズルの止めどない口撃は、ルーデリックに全く反論の余地を与えなかった。ふたりのやりとりはまるで喜劇のようだった。
ジークハルトは自身の腹筋がこれ以上の痛手を受ける前に、ルーデリックを救出するかどうか思案した。ちなみに後ろの従者は既に腹を押さえてひくひくしている。
しかしシズルの口撃は一向に終わりそうもなかった。このまま彼女の口撃に滅多打ちにされていると、ルーデリックが本当に死んでしまいそうだった。
ジークハルトはやはり助け舟を出すことにした。
ルーデリックに声をかけて入室し、『偽りの聖女』のことを持ち出すと、意外なほどあっさりとその場から離れていった。
あの有様では、ルカ・シノミヤという異世界人に骨抜きになっているという噂は強ち嘘ではないようで、ジークハルトの頭痛の種が増えていく。
気がつくと、シズルがこちらを非難するように見ている。どうやらジークハルトが頃合いを図りつつ、様子を窺っていたのがばれてるようだった。
静かになった部屋に、シルベスタの笑い声が響き、微かにシズルの溜息が聞こえた。
「顔を見たら、一発入れるんじゃなかったのか?」
「温情云々言われた時は、どの口が、と正直殴ってやろうかと思いました」
ジークハルトが面白そうに聞くと、シズルがむすっとしたまま答えた。シルベスタが笑い過ぎで呼吸困難になっている。
どうやらルーデリックは、物理的にも危なかったようだった。