狭間 「シズルの決意」
はざ−ま 「転移の道の外側。時間と空間の、もしくはあの世とこの世の」
物騒な安全対策の施された見た目よりも広い雑木林を抜けて、一同はやっとの思いでミゼンの庵に到着した。
ザカリはずっと大きな体の魔狼のままだったため、庵の外で待たされてしまうのかと思っていたがそのまま入室しても問題ないようだった。
「壊れやすいものもあるのでね、暴れないでくれたまえよ」
ミゼンがザカリにそう言った。ザカリはまだ少しミゼンが怖いようで、シズルにぴったり張り付いて、心なしか縮こまってそろそろ歩いていた。シズルは苦笑してザカリの背を撫でた。
庵の入り口を抜け前室から奥の部屋に移動するとそこは、壁一面が天井まで書棚になっていて、その中央に赤い髪の壮年の男がひとり木製の質素な椅子に腰掛け何かを読み耽っていた。
「何をしておられる」
ミゼンが呆れたように声をかけると、男は顔を上げ人懐こい笑顔を浮かべて言葉を発した。
「遅かったね、『狭間』で迷子にでもなったのかと思ったよ」
「陛下」
ミゼンを除いた全員が臣下の礼をとった。
「私もそちらのお嬢さんに会いたかったのだよ」
エデル国国王バシレウスの視線はシズルに向いていた。
シズルはすっと姿勢を正した。
「お初にお目にかかります、国王陛下。私は守山静流と申します。モリヤマ、が家名になりますが、私の国では身分制度はございませんのでこの世界の慣習通り、どうぞシズルとお呼びください。淑女教育は一切受けておりませんので、失礼があるやもしれませんがどうかご容赦くださいますようお願い申し上げます」
そう言って胸に手を当て深く頭を下げた。淑女の礼などやったことがないしできるわけがないので、これが今シズルができる限り精一杯の丁寧な挨拶だった。
だが、シズルの周囲にいる男たちは、普段のシズルを知っているので目を丸くしていた。
「・・・へー意外。ちゃんとした挨拶もできるんだ」
誰かがぽそっと言った。シズルは平然と聞き流したふりをして、その声の主に後で制裁を加えることを心に誓い、頭を下げたままさらに続けた。
「ここにいる魔獣は私と使い魔契約を結んでおります。しかしまだ完全な成獣とは言い難く、私の側から離れるのを厭うのです。国王陛下におかれましては、魔物と同席するのは気分を害されることでございましょうが、どうかこの場に留まることをお許しください」
「心配ない心得ているよ」
そう言って微笑んだ後バシレウスは真顔になり姿勢を正した。そうして一国の国王がひとりの平民の娘に頭を下げた。
「シズル嬢。この度のことは本当に済まなかった。国を治める者としてまた父としても貴女に心からお詫びする」
「謹んで謝辞をお受けします。この世界に来ていろいろな方から謝辞をいただきましたし、既にご高配も賜っております。どうぞ陛下もそれ以上御心をお砕きなさいませんよう」
周囲はしんとして、ふたりのやり取りを見守っていた。
さっきは軽口を叩いたデュオだったが、とても付け焼き刃ではないシズルの丁寧でそつのない巧みな措辞に舌を巻いた。
こいつはもしかして、むこうの世界ではかなり身分の高い人物ではないのだろうか。
冷静になって考えれば、喧嘩慣れしている上に、拳で会話するのが得意な女性の身分が高いわけはないのだが、シズルの雰囲気に呑まれデュオは盛大な勘違いをしていた。
「ありがとう。貴女には、これからも手間をかけさせるかもしれないがよろしく頼むよ、異世界の貴婦人どの」
そう言ってバシレウスはすっとシズルに手を差し出した。
握手を求められたと思ったシズルは反射的に手を差し出したが、バシレウスはその手を取ると軽く手の甲に口づけを落とした。
慣れない行為に驚いて一瞬力が入ったシズルを見て、バシレウスは愉快そうに笑った。
「初対面の王に対しても物怖じせす豪胆なのに、随分と可愛らしい娘さんだ」
「義弟さんもそうですが貴族は曲者揃いですね」
「そうだよ、王様は特にそうでないとね」
思わず本音を零したシズルに、バシレウスはそう言って笑いながら今度は頭を撫でた。
「では、シズル嬢にも逢えたし私はこれで失礼するよ。ジークもまたいずれ」
「今度は正式にご挨拶に伺います、陛下」
全員が頭を垂れるなか、バシレウスは奥の間へ消えていった。おそらく王城に直接いける道筋でもあるのだろう。
誰からともなく大きく息を吐き出す音が聞こえた。
「あー、緊張した。陛下は優しいけどなんだか怖いんだもん。シズルはよく平気だったね」
「平気なわけないでしょ、テッセラ君。私だって舌を噛みそうだったよ、アレは疲れるからもうやだ。しかしなんでこうみんな頭を撫でるんですか? 私の頭は『ビリケンさん』の足じゃないんですよ」
「その『ビリケンサン』ってなんだ?」
「私の世界にいっぱいいる神さまのひとりで『幸運の神様』です。その神様の像のでっかい足の裏を撫でると願い事が叶うんです」
幸運。
デュオはその頭に口づけをしたあと、ヘイスとトリアに殺されそうになったが、結果的に無事なので幸運だったといえる・・・かもしれない。
変な顔をしているデュオを尻目にミゼンは本題を切り出した。
「さて、招聘者シズル。貴女にはこれから私たちと一緒に、消えてしまったもうひとりの招聘者を探す手がかりを見つけて欲しい」
シズルの緋い目がきらりと光った。
「探す方法があるんですか?」
「お前世界と繋がってるんだろう? 探せないのか?」
身を乗り出す勢いで問いかけてきたデュオに、シズルが呆れたように言った。
「あのですね、私は万能の便利道具じゃないんですよ。どうやって探せっていうんです? まさか匂いを嗅いで探せとか言わないでしょうね? いくら魔狼と混ざってるからってそんなこと言ったら、今度こそ本当にぶっとばしますよ?」
「やっぱり無理か」
デュオががっくり肩を落とした。
「そこで諦めるから進歩しないんですよ、エロ魔導士」
「それやめろ」
顔を顰めて抗議するデュオを無視してシズルはミゼンに向き直った。
「ミゼンさん、瑠花ちゃんが弾かれていなくなった転移の『道』ってどういうものなんですか」
「わかりやすく『道』と言ってはいるが、実際は道ではない。繋げられた転移陣どうしの間にできる僅かな隙間のことだ」
「実は私の世界には転移とよく似た、『ワープ』という空間移動の概念がありまして」
「まさかまた夢語りか」
よく似た話の流れに気がついたジークハルトがツッコミををいれた。
「そうですけど、ちゃんとした研究をしてる人もいますよ。それでですね、まあそのワープもいろいろ種類があるんですが、この世界の転移の仕組みは、私の国の某戦艦が使ってる『空間歪曲』タイプじゃないかと思ってるんですけど」
「空間の歪曲?」
「えっとですね」
疑問を浮かべている面々を前にしたシズルは、部屋の中から勝手に紙とペンを探し出し、書き物机の上で何やらごそごそやり始めた。
「ここが今いる所つまり転移元、それでここがこれからいく転移先、普通に徒歩や馬ではこうやって移動しますよね?」
そう言いながら書き物机の上で紙の両端に丸をつけて、その間に一本線を引いて丸と丸を繋いで見せた。
そのあと紙を持ち上げ目の前で半分に折って、丸同士をくっつけると今度はそれをペンで貫いた
「で、こうやって途中の道程を折り曲げて飛び越えて移動する。こんな風に時間と空間を折り曲げて、転移元と転移先を直接繋げるのが、いわゆる空間歪曲というものです。転移陣も同じようなものじゃないかと思ったんですが、違いますかね?」
「いや、そうだ。転移元と転移先の時間と空間を転移陣の術式で0にする。しかしふたつの転移陣は重なっているが同化したわけではない。そこには僅かながら隙間ができる。それを『道』と呼んでいる」
ミゼンは肯定した。その色違いの目がシズルを興味深そうに観察している。
「普通なら入り口と出口は魔術で繋がってるし、大した『道』じゃないんでしょうけど、そこから弾き出されたらどこに行きます?」
そう言ってふたつに折った紙を目の前でひらひら振っている。
「時間と空間の『狭間』か」
ジークハルトもシルベスタも転移陣を使用したことは数えきれないが、今まで転移陣の仕組みなどそんなことは一度も考えたことがなかった。
「まあそれで好都合といいますか、ここの庵にその『狭間』へ繋がる場所があって、そこに入れる手立てがあるわけですが」
しんと静まりかえった中で
「私、行きますよ」
シズルがなんてことないようにけろりと発言し、デュオは耳を疑った。
「はあ? 何言ってんだお前、『狭間』なんて中がどうなってるのかわかんねえのに」
「そういうとこにいるんですよ、女の子がたったひとりで」
シズルはデュオを真っ直ぐ見てきっぱりとそう言った。
「その上、あの女魔導士に騙された感じで半ば強制的に放り込まれたんなら、こっちの世界の人が迎えに行ったところで、さすがの瑠花ちゃんでも警戒するでしょうし、第一、今まで通りあなた方を信用してくれるかどうかはわからないですからね。だから同じ故郷を持つ、異世界人の私が行くって言ってるんです」
全員が言葉に詰まる。それを気にした様子もなくシズルは笑顔で促した。
「さあさあ時は金なりですよ、無駄な議論はやめてまずは行動です」
「準備するものはあるか」
ジークハルトが腕組みをしたまま、どこかに行楽でもしにいくような気軽さでシズルに声をかけている。
「そうですね・・・」
「おいっ! ちょっと待てあんたら正気か?」
デュオの問いを無視してシズルたちはどんどん話を進めていく。
シズルに頼まれごとをしたシルベスタとテッセラは、ミゼンの庵を出てどこかへ行ってしまった。ジークハルトはミゼンに呼ばれ奥の間へ姿を消した。
自分ひとりが蚊帳の外なことに堪り兼ねたデュオが、ザカリと向き合って床に腰を下ろそうとしたシズルの肩を掴んだ。
「おいシズル! 人の話を聴けよ!」
「さっきから喧しいですよ、何ですか。居場所の見当がついて探す手段がある。他に何か必要ですか?」
「お前の安全だ!」
「世界そのものを飛び越えてきてる私に、今更安全を説くなんて、は! なんて馬鹿馬鹿しい。隙間だろうが狭間だろうがそれが何だっていうんです? 何も手伝う気がないならどっか他所へ行っちゃってください、邪魔です」
シズルは鼻で笑ったあとデュオしっしと手で払った。その態度にかっと頭に血がのぼったデュオは、低い声でシズルを睨みつけた。
「・・・てめぇあんまり調子にのるなよ」
「あんたもですよ、魔導士」
デュオと睨み合うシズルの側でザカリも唸り声をあげている。
「力のない女の子ひとりを、この世界の人間はみんなで寄ってたかって振り回して。気に入らない、気に入らないったら気に入らない! 全くもって本当に腹立たしい!」
ばきんとシズルの足下の硬い木の床が割れ亀裂が走った。
「何事か」
不穏な気配を感じたのか、ミゼンがジークハルトと共に姿を現した。シズルは深く深呼吸し、しょんぼりして申し訳なさそうにミゼンに詫びた。
「すみません、修理代金はお支払いします」
シズルの足下の亀裂を見てジークハルトが眉を顰めた。
「ジークハルト様すみません、ごめんなさい。お邸の分もありますけど、まだ給金が残ってたらそこから差し引いといてください、足りない分は分割でお支払いします。・・・ちょっと外で気を落ち着けてきます。行こうザカリ」
シズルはそう言って、ザカリを連れてよろよろと扉をあけて庵の外へ出て行った。
「なんでだ、ミゼンの庵で誰も力は使えないはずだ。魔狼だって人型に変化できていない」
呆然と床の亀裂を見ているデュオにジークハルトが声をかけた。
「忘れたのかデュオ殿、あいつの力はこちらの世界の『魔術』じゃない。だが俺もこれは初めて見た」
ジークハルトは現在の、『原初のミゼン』がその理を創り出した、感情を排した魔術の成り立ちを思い出していた。
その力で太古に何が起きたのか、ということも。




