庵 「ミゼンの住まうところ」 【挿絵あり】
いおり 「凶悪な安全対策がある、治外法権地帯」
辺境から転移でやってきたのは全員で五人だった。
招待された本人のシズルとその使い魔である魔狼のザカリ、辺境伯ジークハルトと側近兼護衛のシルベスタ、そして何故か城には戻らないと話していたはずの四番目の魔導士テッセラまでいた。
転移陣の上には、たった今転移してきたばかりのジークハルトほか二名。
転移陣から少し離れたところに、不穏な発言をしたトリアから引き離すべくシズルを背後から抱え込んだザカリ。
シズルに蹴りを入れられて、両手両膝をついていたデュオは復活して立ち上がり、その先には呆けて座り込んだままのトリア。
最後にデュオとトリアの喧嘩から逃れて壁にへばりついて、必死で気配を殺そうとしているペンテ。
転移の間は大混雑の上大混乱だった。
「ザカリ、離しなさい。そこの貴方、壁にへばりついてないで、着ているそのローブを貸して下さい」
シズルがザカリを振りほどいて、壁際に避難していたペンテに声をかけた。
「ふぁっ? ぼ、僕?」
「そうですよ、さあ早く」
半ば強奪するようにペンテからローブを剥ぎ取ると、シズルは再び座り込んだままのトリアに近づいていった。
「怪我してないですか? 立てますか? 綺麗なドレスが破れちゃってます」
シズルはそう言ってからトリアに、ペンテから奪ったローブをふわりとかけた。
よく見ると、天鵞絨のような艶のある、深紅のドレスのあちこちが破れ、ところどころ焦げたような跡も見受けられる。深く裂けた裾からはすらりとした綺麗な脚が覗いていて、とてもちょっと小突いて倒れ込んだようには見えなかった。
シズルはぎっとデュオを睨んだ。
「・・・この女性に一体何したんです?」
デュオは自分の言い分を一切聞かず、ひたすらトリアを気遣うシズルに、言いようのない腹立たしさを感じ、そしてその怒りのままシズルに真実を告げた。
「そいつがルカを転移陣に放り込んだ張本人だ」
ゆっくりと言葉の意味がシズル全体に染み込んだ途端、シズルの雰囲気ががらりと変わった。
先程までトリアに向けていた慈愛が一変して、体の芯まで凍りつきそうな冷たい何かがシズルから噴き出した。
そして一語一語ゆっくりと噛みしめるように、トリアに疑問を投げかけた。
「ほんとうですか? 貴女が瑠花ちゃんを?」
「ち、違うわ! 異世界人が勝手に作動中の陣に飛び込んだのよっ!」
シズルは無言で、トリアの豪奢な金の髪を乱暴に掴んで上向かせ、薄青の瞳を覗き込むと低く、静かに告げた。
見たこともないシズルの凍るように冷たく強硬な態度に、その場の全員が動けなくなった。
「真実を。それ以外喋るな」
トリアは顔を真っ白にして赤い唇からゆっくり言葉を絞り出した。
「ほ、んとうは、うしろか、ら、つき、とばしました」
トリアの告白を聞いたシズルは黙ったままふう、と溜息を吐いた後、あっさりトリアを解放した。トリアは茫然としていて微動だにしない。
「おい」
「何もしてませんよ?」
眉間に皺を寄せたジークハルトから声をかけられたシズルは、さっきまでの恐ろしいほどの冷気をあっさり引っ込めた。
いつもの飄々とした態度に戻ったシズルを見て、ジークハルトは深く息を吐いて肩の力を抜いた。
「全く、おまえといると寿命が縮む。俺を殺す気か」
「そんなガタイしてて簡単に死ぬわけないでしょう。全くジークハルト様は私のこと何だと思ってるんですか、いくらなんでもいきなり相手に暴力を振るったりしませんよ。野獣じゃないんですから」
「違うのか?」
出会い頭に投げ飛ばされ、今も背後からいきなり蹴り倒されたデュオが、ふたりのやり取りを見ながら嘲笑った。
シズルがぎろりと睨み付けると、いきなりデュオの尻に火がついた。
「うわっ! てめぇこの野郎!」
「やった! 今度は成功しました。ははん、どうです? エロ魔導士とは違って私は日々進歩してるんですよ」
得意げに胸を張って言ったシズルの頭に、ジークハルトの拳骨が勢いよく炸裂した。
「ぎゃん!」
「大人しくするというから登城の許可を出したんだ。着いた早々何をやってる!」
「いつにも増して痛いっ酷いっ! だから大人しく、そこの綺麗なくそ女への制裁は我慢したじゃないですか」
「シズル、言葉が汚いぞ」
シルベスタが顔を顰めて注意する。その時、動かないトリアに近寄って顔を覗き込んでいたテッセラがぽつりと言った。
「ねぇ、トリア気絶してるよ?」
つんつんとテッセラがトリアを突っついているが反応はない。
「あ、あの、じゃあぼ、僕のローブ、返してもらっても良いかな?」
場の空気を読めないペンテが手を挙げておずおずと発言した。
シズルが現れたほんの数分で、あっという間に混沌と化した転移の間で、デュオは尻についた火を消しながら城へ呼びつけたことを早くも後悔していた。
尻の消火が済んだ後、デュオは廊下を彷徨いていたトリアの取り巻きのひとりを捕まえ、器用に座り込んだまま意識を失っている彼女の介抱を任せ、シズルたちをミゼンの元へ案内することにした。
デュオに連れられた一行は、シズル曰く『ダイミョウギョウレツ』のようにぞろぞろとミゼンの元に向かった。
ミゼンは魔導士の地位としては最高位だが、あまり表立った行動はしないらしく、平素は城の敷地の隅の簡素な建物でひとり、魔術書を編纂していることが殆どのようだった。
ミゼンの住まうこの場所はあまり人の手が入らないのか、雑草や木が生い茂りちょっとした森のようになっていた。
そんな周囲を雑木林に囲まれたその中にミゼンの住まいがあった。
入り口にはまるで鳥居のような背の高い、扉のない門がありその奥に、石造りではあったが、日本で見たことのある庵のような佇まいの建物が建っていた。
周囲の王城の西洋建築の建造物とのアンバランスさに、シズルは一瞬ここがどこだかわからなくなってしまった。
そのこじんまりとした建物の見える門の前に、ミゼンが静かに立って一同を待っていた。
銀髪で長身痩躯の年齢不詳なその男は、『0』の証でもある左右色違いの瞳を持っていた。
シズルは自分では見ることができなかったが、シズルの瞳の変化を目撃していたテッセラによると、今目の前にいる魔導士ミゼンと同じく、海の青の左目と森の緑の右目をしてたらしい。
目の前の男はそれと同じ配色の瞳でシズルをじっと見ていた。
ミゼンが身に纏っている魔導士のローブは、ほかの魔導士たちが着用している白いものと何ら変わりはなかったが、そこに銀糸の刺繍は一切施されていなかった。
寧ろそのことが、ミゼンが特別な存在であるとの証左のようだった。
「よく来てくれた、異世界からの招聘者殿」
「・・・はじめまして、シズルといいます。ミゼンさん、とお呼びすればいいですか?」
「それで構わない、シズル」
ミゼンはただ立ってるだけだったが、ザカリは本能的に自分より強いものがわかるのだろう、緊張しているのが伝わってくる。それはザカリと繋がっているシズルも同じだった。目の前の魔導士からは途轍もない大きな力が感じられていた。
しかしそれはシズルに憑依していた『原初のミゼン』とは性質の異なるもので、目の前の魔導士ミゼンから感じるものには、あの食堂の時のような不快感はない。
例えていえば、長い長い間に蓄積された記録と記憶の染み込んだ歴史書を紐解き、その中身を覗き込んだような、そんなとても静かで深い力を感じていた。
緊張しつつミゼンに導かれ、門の中に一歩踏み入れた途端、ザカリの変化が解け元の魔狼の姿に戻ってしまった。
デュオを除いて戸惑う一同に、ミゼンが薄く笑みを浮かべて静かに理由を説明した。
「申し訳ない。ここには特殊な蔵書や魔道具が多くあるので、それらに影響を及ぼさぬために私の庵では私以外のものは魔術が使えないようになっているのだ。魔力自体が削がれる、ということではないので安心してもらいたい」
そういうと全員を先導して進んでいく。
少し進んだところでシズルは違和感を覚えた。門の入り口から見た時よりも踏み入れたこの場所の、門から庵までの空間が異様に広く感じられたのだ。
「・・・凄い。ここって門の外と次元が違う?」
「おや? わかるのかね」
シズルが感嘆のあまり、立ち止まってぽつりと漏らした言葉を拾ったミゼンが愉快そうに表情を変えた。
「はい。どこか別なところと繋がってるんですか?」
「狭間に繋がっている」
突然始まったミゼンとシズルの会話に他の者は耳をそばだてた。特にデュオは、いつになく嬉しそうなミゼンの声の変化を聞き逃さなかった。
「私の知る『狭間』だと大変危ない感じなんですが、大丈夫なんですか?」
「そうだな、招かれぬものには危なかろう。建物の中に入れば『元』の空間に戻るので心配は要らない」
「泥棒避けとかですか? 随分物騒ですね、過剰防衛じゃないですか」
「面白いことをいう娘だね。確かに少し大袈裟かもしれないが、門外不出なものが庵には沢山あるのだよ」
ミゼンは笑っているが、シズルはその後も神妙な顔で、これはちょっとやり過ぎですとぼやいている。
好奇心に負けたテッセラが、皆を代表するようにシズルの袖を引っ張って小声で問いかけてきた。
「何なの? ねぇ」
「ここの安全対策が殺人的に強固ってことだよ。ミゼンさんの招待なしにここへ踏み込んだが最期、命の保証がないってこと」
テッセラは驚いて目を見開き、くるりと背後を振り返りミゼンと親交が深いデュオを見ると、そういうことだと言わんばかりにこくりと頷いている。
「ここがどっちの狭間に繋がってるのか知らないけど、『時間と空間』の狭間なら生きたまま永久にさ迷うことになるし、『あの世とこの世』の狭間の『中有』だったとしても生きたままじゃあの世に行けないし、この世に戻ってこれないんじゃあ結局さ迷うことに変わりはないよ」
「なに、死にはしない、ここから消えるだけだ」
ミゼンが訂正する。
「何言ってるんですか、同じことですよ。下手をするともっと酷いじゃないですか。明らかに過剰防衛です」
「ふ、確かに人道的とは言い難いかもしれない。では次からは無許可の侵入者のために、門の前に注意書きの高札でも立てておこう」
「ぜひそうしてください」
デュオ以外が顔を蒼くするなか、シズルは憮然としミゼンは楽しそうだった。
面白い。
デュオだけでなく、ミゼンもきっとそう感じているだろうと思った。
シズルのことは異世界からの招聘者で只人、現在は半人半魔の混ざりものということしかわからない。ルカとは違いシズルの出自は誰も知らない。
誰も聞かなかったからだ。
ジークハルトのところで漏れ聞いたこと以外は全くの謎だ。
元々の身体能力の高さ、意志の強さ、時折見せる博識ぶり、開眼した異能。
ひとりの人間が見せているとは思えないほど、刻々と変化する万華鏡のような不思議な生態。
そしてあの今まで見たこともない魔素の輝き。
欲しい。
シズルが欲しい。
あれは一体どういう『もの』なのか、ますますデュオの好奇心を刺激する。
ルカの件は不幸な事故だったが、この機会を逃さず必ず『あれ』の秘密を能力を全てを、なにもかも暴いて調べ尽くしてみせる。
デュオは溢れる哄笑いを抑えるのに相当の努力を必要とした。
トリアを、城の魔導士たちを毛嫌いしながら、いつのまにかその魔導士たちと同じ思考をしていることに、好奇心の塊になったデュオは気づいていなかった。




