魔女 「三番目(トリア)」
ま−じょ 「三番目、女魔導士、妖艶な美女。そのほか一名、おんな は こわい」
今は聖女ルカと呼ばれる『偽りの聖女』の魔術の教育係をやらされているが、カマリエラは公爵家の生まれで本来ならば王太子妃候補の一人のはずだった。
魔力が強かったためか、何故か両親に魔導士になるように命じられ、番号持ちの高位魔導士になるべく王城に入った。が、自信があった魔力も現在三番目になっているトリアには敵わず、番号持ちにはなれなかった。しかしカマリエラは、妖艶な美貌を持つトリアが裏工作で三番目になったと、根拠のない確信を持っていた。
今はヘイスの配下の魔導士に甘んじているが、生まれつき魔力の強い者の例に漏れずカマリエラも人一倍上昇志向が強かった。
王太子のルーデリックよりは年上だったが、離れすぎというほどでもなかったし血筋に問題もなく、自分もいずれは予言の魔女と呼ばれるオルタンシア王妃同様、国の頂点に立つとカマリエラは信じて疑わなかった。
カマリエラは本心ではこの度の聖女召喚には懐疑的だったが、ヘイスに逆らうのは得策と思えず、召喚術に興味があるふりをして召喚の場に紛れ込んでいた。
召喚でふたりの女が現れたが、どちらも魔力のない只人でカマリエラの脅威になるとは思わなかった。
ルーデリックがひと目でルカを気に入ってしまうまでは。
何の力も持たない只人であるにもかかわらず、ルーデリックの肝いりで王家の住まう敷地内にある部屋のひとつを与えられ、周囲の者たちにちやほやされ、自分が聖女であると信じ込まされているルカが滑稽でもあり煩わしくもあった。
日が経つにつれ、ルーデリックが本気であると思い知るに至って、初めてカマリエラに焦燥が生まれた。万が一億が一にもルーデリックがルカを王太子妃の座に据えることがあったら、自分は一生魔力も持たない只人に傅くことになってしまう。そんなことは魔導士としても公爵家の人間としても、許しがたく堪え難いことだった。
魔導士に女性は珍しく、また同じ女性ということでルーデリックからルカの魔力を開眼させる手伝いを任され、またヘイスからもルカの監視を言い渡され、嫌々ながらルカに仕える形になっていたカマリエラだったが、表面上はルカと仲が良かった。
ルカは城から放逐された、もうひとりの只人のことをいつまでもめそめそと気にしていた。それもカマリエラの癇に障っていた。
どうにかしてルカを排除できないかと思案していたところに、トリアが頼みごとがあると持ちかけてきた。
トリアは今ではその三番目という立場と美貌で、魔導士の男たちの羨望を一手に集めるようになっていたが、将来の王妃であるカマリエラにとってはいずれ自身の下につくものと、大して嫉妬も抱かず興味もなかった。トリアとは特段仲が良いというわけではなく、話しかけられて正直驚いた。
トリアは、ルーデリックに知られることなく、ルカを転移の間に連れ出して欲しいという。ただそれだけでカマリエラの願いが叶うと微笑みかけられどきりとしたが、何もかも見透かしたようなトリアの誘惑には勝てなかった。
トリアがルカに何をするつもりにせよ、カマリエラにはどうでもよかった。寧ろトリアが何かしてくれるのであれば、自分に何ら瑕疵がつくことはなく好都合であった。
ルーデリックは公務でルカの側にはいない。
この好機を逃す手はないとルカを上手く丸め込み、転移の間へと連れ出した。もうひとりの只人の元へすぐにでも行ける方法があるのだといえば、何も疑わずカマリエラの後をついてきた。真綿に包まれてちやほやされているだけあって、人を疑うことを知らない愚かな娘だとカマリエラは可笑しくて堪らなかった。
転移の間でトリアが待っていた。
トリアは魔導士の癖に、正式な場所以外では普段はローブを着ていない。その代わりに、自分の美貌を見せびらかすような深紅のドレスに銀糸の刺繍を施したものを身に纏っている。
「お待ちしておりましたわ、ルカ様。まもなく辺境伯のところと『道』が繋がりますから、さあさあ早くこちらへお入りくださいませ」
ルカはトリアに誘われて転移の間に入る前に、振り返ってカマリエラを見た。
「静流さんのところに行ける方法を教えてくれて、本当にありがとうエラ。ルークがどうしても許してくれなくて困ってたの。でもわたしどうしても、もう一度静流さんと会って話がしたかったの」
ルカはそう言って涙を浮かべ、笑顔で馴れ馴れしくカマリエラを愛称で呼んで感謝した。カマリエラは貼り付けた笑顔で黙って頭を下げた。
トリアは艶然と微笑みを浮かべて、カマリエラからルカを引き取った。
後のことはカマリエラの知ったことではない。
せいせいしたと心の中で思いながら、カマリエラは最初で最後の、本物の笑みを浮かべてルカを見送った。
相変わらず野暮ったくて垢抜けない男。
待ち構えていた転移の間で、微笑みながら出迎えてトリアは思った。何年か振りに会ったというのにまともな挨拶も返せない平民の魔導士。
だけど澄んだ菫色の瞳は初めて会った時と変わらない。
ミゼンと話している時には輝きを増し、優しい笑みのかたちになる美しい野の花のような自由な菫色。
昔も今も変わらない、いつだってトリアを蔑んでまともに見てくれないその目だけは。
長く城を離れ、居所を一カ所に留めず世界中をうろついている男。平民あがりで品のない、でも魔力は三番目よりも強い男。
自信家な一番目が、もしかしたら0よりも恐れる男。
ヘイスはいつも二番目のことを馬鹿にし毛嫌いしながらも、恐れていたのを知っている。
かくいうトリアもデュオのことをいつも気にしていたからだ。
貴族ばかりの番号持ちの中で唯一デュオだけは平民で、周りの者は彼の出自を大っぴらに馬鹿にしていたが、魔力では誰も敵わず密かに恐れてもいた。
デュオは今代のミゼンに拾われその教えを受け、今の地位にいると囁かれていた。
魔力が全てと言われる魔導士だが、やはり後ろ盾がものをいうことがある。番号持ちといえども、純粋な力の強さだけで順列が決まっているわけではない。
ヘイスなどがそのいい例だった。本当か嘘かわからないが彼の後ろ盾は公爵家の人間で、本来ならば平民のデュオが一番目になるはずだった、と裏ではまことしやかに囁かれている。
ミゼンのようにこの世界の『何か』が選ぶものは例外中の例外で、どんな物事も裏では金や権力が動くのが常である。
そんな魔導士たちの中で、純粋に己の魔力だけで二番目の地位を勝ち取ったデュオは、他の番号持ちから白眼視される立場になっていた。
しかしデュオは城の魔導士たちを歯牙にも掛けていなかった。誰にも膝を折らず、平民でありながら誰よりも誇り高く本物の貴族のようだった。
トリアは強くて美しいものが好きだ。
男たちに傅かれるのも嫌いではない。トリアに頭を垂れる男たちは甘い言葉で囁き、貢物をし、トリアを女神のように扱ったが、皆三番目よりも弱かった。
しかしトリアに傅かない男もいた。
二番目は優雅さのかけらもない平民にも拘らず、美しい澄んだ菫色の瞳を持つ、トリアよりも強い男だった。普段は粗野なくせに、眼鏡を押し上げるときの魔法陣を描くときの、その指先が繊細で美しかった。
周りの貴族出身の魔導士たちにはいない、毛色の変わった男だったからトリアの興味を引いたのかもしれなかったが、あの瞳があの指先があの強さが欲しかった。
トリアがどんなに秋波を送っても一向に振り向かないどころか、終いにはトリアが視線を投げかけると憐れむような蔑むような視線で一瞥して、さっさと何処かへ行ってしまうようになってしまった。
トリアは屈辱に身を焦がす思いだったが、でもそれにも増してデュオから視線が外せなくなってしまった。
いつも切なげな視線でデュオを追いかけるトリアを見て、取り巻きの魔導士たちは嫉妬にかられ彼をどうにかしてトリアの前から排除し、またその地位から追い落とそうと躍起になったが、そのたびにデュオに手痛い返礼を受けていた。
そんな城の魔導士たちに嫌気がさしたデュオは、早々に城を出てしまった。
トリアはいつかデュオを打ち負かして、屈辱を晴らし足下に跪かせてやろうと思っていた機会を失ってしまった。
デュオからの賞賛が欲しかった。
あの指先で歓びを与えて欲しかった。
あの菫色の瞳で自分だけを見て欲しかった。
見てくれないのならいっそ全て見えなくなってしまえばいい。トリアの渇望が怨嗟に変わるのに時間はかからなかった。
ある日、どこからかデュオの帰城の噂がたった。
長年音信不通だったデュオが帰ってくるというその噂がたったとき、どうすれば彼を逃さず追い詰められるだろうかとトリアは思案した。
考えている時にふと、カマリエラのことを思い出した。
カマリエラは自己愛の強い勘違い女で、番号持ちにもなれない身分ばかりが高い落ちこぼれであるにもかかわらず、自分はいずれ王妃になれると疑わない愚か者だった。
そんなカマリエラは、城にいる『偽物の聖女』の世話を任され、陰で散々愚痴を零していることをトリアは知っていた。トリア自身も只人と知っていながら聖女として扱い、傅かなくてはならない異世界人を疎ましく感じていた。
あれを使ってどうにかデュオを追い落とせないものだろうか。ルカにいつも纏わりついている王太子が公務でいない今が絶好の好機だと思えた。
鬱陶しい異世界人を放逐して、その責任をすべて被せてしまうのにちょうどいい嫌われ者のデュオが帰ってくる。
今か今かと手ぐすねを引いて待ち構えていたが、一向にやってくる気配がなかった。数日経って所詮は噂だと諦めかけた頃、本人から先触れが届いた。
デュオを引きずり下ろすのに、この帰城の好機を逃す手はないと思った。彼がいなくなればトリアが実質の二番目になれる。そうなればもうデュオの賞賛の目など必要ない、その菫色の瞳でこちらを『見ろ』と命じればいい。
下準備は整っている。今度はトリアがデュオを蔑んで哀れんで見下ろしてやれるのだ。
どんなに微笑みかけても、どんなに魔導士としての腕を磨いても、一度たりとも自分に見向きもしなかった平民の男に仕返しがしてやれる。
その時のことを考えるだけでトリアは暗い喜びに満たされた。
そして今、その殺したいほど愛しい菫色がトリアの目の前に存在った。




