移動 「魔窟へ移ること」
い−どう 「邸から城という魔窟へ移ること。そしてそれはやっぱり甘くない」
「綺麗だ」
デュオがシズルにそう呟くのをシルベスタが聞いたのは二度目だ。
最高位に近い魔導士だが、本音をいえばデュオのことは気に入らない。
散々シズルを貶めたことも、研究対象の面白そうな「物」としか見ていないところも、それから出会い頭の塔でのことも。
綺麗だ? どこが? 何が?
この男はシズルの何を知っているというのか。確かに興味はあるのだろう、魔導士としては。
だがそれは表面上のことであって、シズルのことをひとりの人間として見て興味を持っているわけではない。
破天荒で、いいかげんで、真面目で、ずる賢くて、優しくて、意地っ張りで。
何があってもどんな目にあっても、けろりとしてなんでもないように飄々としているが、時々ふっととても寂しそうな目をする。あの綺麗だった黒い瞳が変化してしまった今でもそれは変わらない。本人は途轍もなく強いが、守ってやらないとと思ってしまう。
綺麗なのはデュオが見えているという魔素などではない。シズルという人間そのものが、しなやかで強靭で美しいのだ。
そこまで考えてシルベスタはぐぐっと眉間に皺を寄せた。
確かにシズルのことは「好き」だ。しかし愛しているかと聞かれると首を傾げざるを得ない。なんだか取り返しのつかないことになりそうな予感がしたシルベスタは、それ以上考えることをやめた。
考え込んでいるうちに、抑えていたザカリの力が抜けたのを感じて手を離し、シルベスタはその背を撫でた。
「ほらザカリ、もう降りろ」
シルベスタがそう声をかけると、ザカリはデュオの上から渋々といった様子で降り、再び人型に戻った。
「マダ、カンデナイ」
不服そうなザカリの背中を宥めるようにぽんぽんと叩いて、シルベスタは苦笑した。
デュオはザカリから解放されると、どこかに飛ばしてしまった眼鏡を探すのを諦め、小物入れから身の回り品の圧縮解除をして、予備の眼鏡を取り出した。
特製眼鏡をかけ、咳払いをひとつしてシズルに向き直った。
「わかったよ。守るっていう約束はできないが、城の只人の様子を確認してお前に教えてやる」
「私のことを調べなくてもいいんですか?」
「おっかねぇのが周りに何人もいたらこっちの身が危なくて、じっくり落ち着いて調べることなんかできるかよ」
デュオはそう言ってシズルの周りを取り囲み、デュオに剣呑な視線を向ける男たちを見回した。その中にはテッセラも含まれていた。
デュオはすっかりあちら側に回ってしまったテッセラに苦笑し、一体何が、あの自尊心の強い居丈高なテッセラを変えてしまったのか考えていた。
さっき目の当たりにしたシズルの、あの禍々しいまでの美しい魔素に取り込まれたようには見えないが、デュオ自身も一瞬吸い込まれるかと錯覚したあの闇黒に、何か少なからず影響を受けたのではないかと思った。
だが、何もかもを吸い込んでしまいそうな、あの暗闇の奥に何かがありそうな気がするのも確かだった。それが何か是非とも知りたいと魔導士デュオは思った。
「まぁ、もうちょっとみんなと仲良くなってから、改めて調べさせてもらうことにするわ」
とテッセラを見ながらデュオはにやりと笑った。
その後デュオは王城へ転移の先触れを出したが、何故か帰城の時間を指定する旨の返事が来た。
王城では祝祭や謁見があるときには、転移の間の混乱を避けるために稀に転移の時間を細かく指定されることがある。王城の転移の間はひとつではないし今現在は特に何もなかったはずだが、ミゼンから帰城の催促があったので待たされるよりは、とデュオは深く考えずそれに従うことにした。
現在デュオの見送りのため、話し合いの時に客間にいた全員が伯爵邸の転移の間にいた。実際は確実に城へ転移するかどうかを監視するためだ。
「なんだよ、そんなに俺が信用できないのかよ」
「何を当たり前なこといってるんですかね、この人は」
シズルが呆れたように言った。
「あれだけいろいろなことをしでかしておいて、一体あなたのどこを見て、何を信用できるっていうんですか」
シズルの後ろに張り付いているザカリも、デュオをずっと睨みつけたままだった。いろいろ『しでかした』のはシズルも大差なかったが、今は誰もそのことには触れなかった。
「それはそうとテッセラ、お前は帰らないのか?」
テッセラはデュオの言葉に少し考えた後、はっきりと言った。
「城には帰らないよ。あそこにいても新しい事は何も起こらないからね。いつもどっちが上だとか下だとか、ただ力の強さを競うだけで何も楽しい事はないし。それに・・・」
テッセラは何故かもじもじと言い淀んだ。
デュオはその態度を訝しんだが、テッセラはそのまま俯いて黙り込んでしまった。
「なんだよ、気持ち悪いな」
「やっぱり魔導士は情操教育が足りないようですね」
シズルがやれやれ、と大げさな態度で首を振った。そしてテッセラの耳元に口を寄せこっそり囁いた。
「友達ができたもんね」
途端にテッセラの顔が耳まで真っ赤になった。
テッセラは否定しようと顔を上げたところで、シズルの背後できょとんとしているザカリと目が合ってしまった。ザカリはテッセラと目が合うと、赤児のような無垢な顔をしてにっこりと笑った。
何も言えずにますます顔を赤くするテッセラと、にこにこしているザカリを交互に見ながらシズルはくすくす笑った。
「ちっ、なんだよ。またお前たちふたりだけにわかる話かよ。おいテッセラ、俺にも教えろよ」
「デュオには絶対に教えないよっ!」
「だそうですよ」
今度はデュオを見てシズルが面白そうに笑った。デュオはぶつぶつ言いながら転移陣に足を踏み入れ呪文を唱えた。
「エナアトモ・メタキニシ・フロトモス・スト・バシリコカストロ、」
あとは作動の言葉だけだというのに、デュオはくるりと振り向いたかと思うと、転移陣の間近で自身の監視に目を光らせていたシズルに近寄り、いきなりぎゅっと抱きつき頭に軽く口づけた。そうして今回はシズルに反撃を喰らうより速くさっと陣の中央に戻り、ひらひらと手を振りながら最後の言葉を発した。
「作動」
してやったり、という笑顔だけ残してデュオは消えてしまった。
唖然とする一同の中、シズルが物凄い形相でぎりぎりと歯噛みしながらぼそりと呟いた。
「・・・今度会ったら潰してやる」
ザカリが慄いて跳び上がり、慌てて自分より小さなテッセラの後ろにさっと隠れた。
何を、とシルベスタには聞く勇気はなかった。
やはり恋だの愛だの、そんなふわふわと甘いものをシズルに感じるのは気の迷いだと確信した。
シズルへの意趣返しが成功して、浮かれ気分で王城へ転移したデュオだったが、瞬きの間ほどの移動の間に僅かな違和感を感じていた。
フロトポロス邸で、時間指定された王城の転移の間のひとつに到着すると、そこには何故か三番目が立っていた。
トリアは豪奢な背中まである金髪をなびかせ、肢体を際立たせるような深紅のドレスを愛用している。ローブ代わりに銀糸の施されたそれは、トリアの符丁のようなものだった。
特注の濃紺のローブを纏う一番目といい、このふたりの自己顕示欲の強さと選民意識にデュオはいつも吐き気がする思いだった。
「おかえりなさい、デュオ」
薄青の瞳で艶やかに微笑んでいるが、毒の棘を持った食虫植物のような女だ。
「なんでお前がこんなところにいる。わざわざ俺を出迎えに来たわけじゃないだろ」
「まあ素敵なご挨拶だこと。そうそう、つい今しがた困ったこと起こってしまったのだったわ」
デュオが顔を顰めて聞くと、ころころ笑いながら、全然困ってなさそうにトリアが答えた。
「私はお止めしたんだけど、ルカ様がどうしてもと仰って作動中の転移陣の中に入ってしまわれたの」
「何?!」
「今作動中の転移陣が辺境伯のところと繋がってるとご説明差し上げたら、どうしても逢いたい方が居ると仰って、私を振り切って飛び込んでしまわれたのよ」
どうしましょう、と言いながら口元を覆っているが目は笑っている。防ぎ切れなかった事故の態を装っているが、明らかに故意の匂いがする。
デュオは転移の途中で感じた違和感の正体がわかって戦慄した。
確かルカという異世界人は只人だったはず。
只人でなくてもこの国の二番目の魔導士と鉢合わせればどちらが弾き出されるかなど、考えなくてもわかる。
確約はしなかったが、守って欲しいと言われたばかりの相手を、よりにもよって自分がどこかへ弾き飛ばしてしまったなど、とてもシズルには話せない。
そこへ今度は示し合わせたかのようにヘイスがやってきた。デュオは思わず舌打ちをした。
「おやこれは珍しい、デュオではないか。どうしたトリア、何があったのだ?」
「それが」
トリアはそう言って、さっきデュオに説明したことと同じことをヘイスに話して聞かせた。ふたりとも真剣に話しているようだが、こちらに向いている目が嘲るように笑っている。
「なんということか! 大変なことになった。デュオ、お前ともあろうものが、転移に紛れ込んだ聖女様に気がつかなかったのか?」
瞬きほどの一瞬の転移で、気づくわけがないことを充分知っているはずの男がわざとらしく言った。
どうやらきな臭い茶番劇に付き合わされていると確信したデュオは、ミゼンの頼みとはいえ城に来たことを激しく後悔した。
デュオが長く留守にしている間に、城は以前にも増して魔導士の魔窟に成り果てているようだった。




