約束 「美しくも恐ろしいもの」
やく−そく 「守らないと咬まれる恐れあり」
食事を済ませた五人を連れて、ジークハルトはテッセラとデュオの寄生する客間へと向かった。
先日デュオの雷玉が吹き飛ばした窓は修繕が済んでおり、雑然とした室内も綺麗に片付けられていた。
四人掛けのソファーにテッセラとデュオ、ジークハルトに座るように言われたシルベスタが腰掛け、二人掛けのものにシズルとザカリ、もう一脚の二人掛けの椅子にはジークハルトがどっかり腰を下ろした。
「縄張り宣言は後でじっくり追求するとして、お前たち一体何をやってるんだ」
ジークハルトはじろりとシズルを見た後、一同を見回すとデュオが一番初めに苦情を言った。
「そこの混ざりも、シズルが俺の私物を破損させたんだ」
魔物と混ざった理由を知った後では、さすがに蔑称で呼び続けることは躊躇われたのか、デュオは初めてシズルを名前で呼んだ。
壊したのは事実だったが、シズルにとっては正当な理由があっての行動だった。
「セラス、魔素が入った小瓶だというから、てっきり『原初のミゼン』の奴だと思ったんです」
「ミゼン、ナイ。ティポタ」
「と、ザカリが言うので手を出さずにいたら消えちゃいました」
「だからその『ティポタ』ってなんだよ」
妙に息のあったところをみせた使い魔とその主人に、デュオが顔を顰めて食堂と同じ質問をした。
「ティポタミゼン 、イッショ。イッショナイ」
「それは前にも聞いたよ。つまり、違うものだけど性質は同じものってこと?」
今度はテッセラが通訳に割り込んだが、ザカリからは相変わらずさっぱり要領を得ない答えが返ってくる。
「ティポタ、ニンゲン、マモノミンナスキ。ミゼンチガウ」
じっと考え込んでいたシズルがおもむろに口を開いた。
「じゃあザカリの言う『ティポタ』っていうのは神さまなの?」
「カミサマ、チガウ。デモイッショ」
「むー。つまり頂点の唯一神じゃないけど、その下部組織の神さま属性の構成員みたいなものか」
「何だそれは。お前は何故それで納得できる」
「人間の組織図だってそうでしょう? 例えば魔導士。頂点はミゼンという魔導士だけど、その下の人たちだってちゃんと魔導士じゃないですか」
「人間と神を同列に扱うな」
眉間に皺を寄せ、ジークハルトが言った。
組織だの構成員だの、とても尊崇する神に連なるものを呼び表す言葉ではなかった。しかしシズルは、ジークハルトの苦言もさして気にならない様子で、今度は人も神も同じようなものだと言わんばかりの発言をした。
「人間という『種族』と神さまという『種族』でしょう? たくさんいれば人間と同じようなものですよ。それに私の世界には色々な神さまが居りまして、人種によって信仰の対象も様々なんです。私の国に至っては、そりゃあもう八百万っていうくらい神さまがいるんですよ」
「八百万?!」
「人間の数より多いんじゃないか、それ」
テッセラとシルベスタのふたりが驚き呆れている。
「そんなことはないですよ。私の世界の人間は今、七十六億人くらいですかね。私の国だけでも一億二千万人以上いますから、えーっと、八百万の十五倍? 断然人間の方が多いですよ」
「想像もつかん」
「まあそう考えれば『原初のミゼン』も神さま属性になったんでしょう。その元人間の『ミゼン』と、人も魔物も大好きな『ティポタ』も同じ神さま属性の存在だけど、ふたりはそれほど仲がよろしくない、と。でも人に憑依したり、近づきすぎて捉えられたりとか、ふたりともいかにも人間的ですね。成る程、それなら神さまらしくない行動も納得できます」
「神は全てにおいて平等ではないのか?」
「平等ですよ? だから何もしないじゃないですか」
大体どこでも神さまっていうのはただ見てるだけですよ、とシズルは身もふたもないことを言っている。
ジークハルトが唸っていると、シズルはデュオにひたりと冷たい視線を向けた。
「神さま談議は置いといて、そこの魔導士はとっくに魔力が回復してますよね? いつまで居座るつもりなんですか」
「何のことかなぁ。魔力が戻ったのは、テッセラを手伝ったつい昨日のことだぜ」
シズルの言う通り、早いうちにデュオの魔力が回復していたことを知っているテッセラが微妙な顔をしている。
「すっとぼけないでください。ここに連れてこられてから割りとすぐに戻ってたじゃないですか」
「あああれか、お前に腕を燃や」
言いかけてデュオはむっつり黙り込んだ。全裸の男にのしかかられた一件まで思い出したからだった。シズルは勝ち誇ったように嘲笑った。
「どうやら記憶の消去が上手くいっていないようですね。お手伝いしましょうか?」
ジークハルトの耳には燃えるとか燃やすとか聞こえた気がして、睨み合うふたり、特にシズルに問い詰めたかったが、取り敢えず魔力が戻ったらしいデュオに退去の勧告をした。
「それならデュオ殿、最初の約束通り、即刻邸を出て城へ転移をしてもらおうか」
「そんな、追い出すみたいに言わなくてもいいじゃないですか伯爵」
実際追い出すつもりなのだが、相変わらずへらへら対応するデュオにジークハルトだけでなく、何故かシズルが眉を顰めた。
「・・・そういえばお城には何しにいくんですか」
魔導士は自分の欲望にとても忠実だ。
テッセラは一番目に勧められて異世界人のシズルを試しに来た。デュオは急用があったにもかかわらず、シズルに興味を惹かれてのらりくらり邸への滞在を伸ばした。テッセラよりも更に自由人な様子のデュオは、一体何のために城へ行く気になったのか。
「まさか瑠花ちゃんに何かしにいくとかじゃないですよね?」
ジークハルトはどきりとした。シズルの勘が野生動物並みにいいのを失念していた。
デュオが沈黙しているのをシズルは肯定と捉えた。
「瑠花ちゃんには、常に番犬が張り付いてますから万が一にも変なことにはならないと思いますが、もしいかがわしことをしたら今度は蹴りだけでは済ませませんよ?」
仮にも王太子を番犬扱いするのもどうかと思うが、確かに『見極め』で何かがあったとしても、『偽りの聖女』が危険な目に合うことはないだろうとジークハルトは安心していた。
ルカに決別を告げたとはいえ、シズルがルカを完全に切り捨てることはできないのではないかと考えていたジークハルトは、もしシズルがルカのために行動すると決めたなら、それがどんなことであれ、魔物寄りになってしまった今のシズルを止めることは難しいと感じていた。
一方テッセラは、最初からシズルがデュオに異様な嫌悪感を見せていたことがずっと気になって、思い切って尋ねた。
「いかがわしい事ってデュオに何されたのさ、シズル」
シズルが仏頂面で幽閉塔での出会い頭の一件を話すと、テッセラが呆れたような声で言った。
「ぷ。シズルに抱きつくなんて、デュオは挑戦者だなぁ、いひゃいしるる、にゃにふんだひょ」
「口は災いの元、という有難い諺をテッセラ君に進呈しますよ」
シズルはソファーから乗りだすと、にっこり笑ってテッセラの頬を抓りながら言った。シズルの隣のザカリは、デュオをその緋色の瞳で睨みつけ剣呑な気配を漂わせている。
「確かに城での用件はもう一人の異世界人に会うことだが、乳臭い小娘なんかにゃ興味ねぇよ」
「ほんっとうに女性の敵ですね。でもあなたに頼むしかなさそうです」
ふうと溜息を吐いたシズルはデュオを真っ直ぐに見つめた。
「瑠花ちゃんも『原初のミゼン』の理から外れた存在です。今はまだ何の力もない只人のままのはずですけど、できれば余計なちょっかいを出されないよう今のまま普通に生活させてあげたい。できれば『聖女』なんていう、胡散臭い役職からも解放してあげたいんです」
「胡散臭いってお前」
魔導士は召喚術に深く関わることが多くデュオも例外ではない。
高度な術式を胡散臭いものと言われデュオは抗議をしかけたが、その時シズルの緋色の瞳が深く暗い赤色に変化したように見え黙り込んだ。
いつもの無表情に戻ったシズルは淡々と言った。
「気に入らないんですよ最初から。この世界のことはこの世界の人が何とかするべきです。わざわざよその世界から人を攫ってきてまで存続させる価値が、この世界にあるんですか?」
即座に価値がある、と誰も発言しなかったことにシズルは苦笑した。
「皆さんに『ある』って言ってもらわないと、連れてこられた私たちの立つ瀬がないんですけど。ですからね、せっかく異世界から連れてきたんだから、ちゃんと瑠花ちゃんを守ってください」
「俺がか?」
「事情を知ってるあなたが適任でしょう? 二番目さん」
シズルに初めてまともに名前を呼ばれ面喰らったデュオだったが、即座ににやりと悪い笑みを浮かべた。
「・・・今までのことがあるからな。さすがにタダと言うわけにはいかないぜ?」
「ではどうすればいいでしょう?」
「そうだな。魔物は調べたことがあるが、混ざりものの人間てのは初めてだ。お前のことを調べさせてくれれば引き受けてやってもいい」
「調べるとは?」
「そうだなぁ、調べるってからにはひん剥いて隅から隅まで・・・」
「ザカリ、咬んでよし」
シズルの許可が下りたザカリは即座に魔狼に変化した。『装着の組紐』効果で、服が破れることもなく速やかに魔狼に姿を変えたザカリはデュオに飛びかかった。
「てっめぇ! この野郎! これが人にものを頼むやり方かっ」
「ザカリやめろ!」
ザカリに今度は正面からのしかかられ、噛まれないように必死に魔狼の顎を押さえながらデュオが悪態をついた。シルベスタがデュオからザカリを引き剥がそうとしがみついている。
腕組みして黙って様子を眺めていたジークハルトが、デュオを助けるためとは言い難いことを淡々と言った。
「ここで人殺しはやめろ。後始末が大変だ」
随分な言い方だったが、ジークハルトもデュオに辟易としていたらしい。が、さすがに最後の一線を越えるのは不味いと思い出し、シズルに指示を出したようだった。
「ザカリ」
シズルのひと声で、デュオを押さえつけたままザカリの動きは止まったが、唸り声をあげ今にもデュオの喉笛に噛みつきそうで、シルベスタがしがみついたままザカリを何とか抑えようとしている。
混乱状態の中、シズルは平然とデュオと交渉を始めた。
「瑠花ちゃんを守るって約束してください。もし約束を破ったら地の果てまでも追いかけて制裁を加えますからね」
「そんなこ」
「できますよ? 忘れたんですか、私はどこへでも行けるんですよ。場所を知らなくても、あなたの目の前に立つということを『イメージ』すれば可能なんじゃないですかね。今度一度試してみましょうか? 少なくともあなたの気配を覚えた、ザカリだけでもあなたのところへはいけますね」
「なんて野郎だ」
「魔物ですからね、あなたの期待に応えただけです」
そう言ってザカリに抑えつけられたままのデュオの側にしゃがんだ。シズルはそのままデュオの菫色の瞳を覗き込むようにして、先程とはうって変わって穏やかな表情で静かに言った。
「調べてもいいですよ。約束が守れるなら」
ザカリに飛びかかられ眼鏡を何処かに飛ばしてしまったデュオは、そう言ったシズルを間近で見た。
透明な光に近いような銀光を放つ魔素はこれまでにないほど大きく、部屋全体に広がる絹布のようで、風に吹かれるように揺れながら夕焼けのような緋色が混ざり濃く淡く変化する。それはシズルに近くなる程色濃くなり、やがて何もかもを飲み込んでしまうような闇黒になる。その闇全体が時折雷光のように鋭く眩く輝く。
デュオは目眩がした。こんなものは見たことがない。
畏怖さえ感じるこれは明らかに人のものではない。恐ろしい。
でも。
「・・・綺麗だ」
シズルが眉間に皺を寄せた。




