苦楽 「くるしくて、でもたのしい」
く−らく 「苦しみと楽しみ。テッセラの決意」
伯爵邸に新しい客が増えた。
いつの間に自分の邸が宿屋になってしまったのか、とジークハルトは溜息を吐いた。
但し宿屋というのは正確ではない。利用料金が発生しているわけでもないし、いつまで、という宿泊期間も分からないからだ。テッセラに至っては、攻撃系以外の普通の魔術が使える事がわかった後も居座り続けて、客間は既にテッセラの巣に成り果てている。
あの後結局デュオは、こちらが城まで送るといったが、へらへら笑いながらも頑なに固辞した。その態度に若干、というかかなりむかついたジークハルトは、デュオを先住民のいる客間に押し込んだ。
「なんでデュオがこんなところにいるのさ?」
こんなところに棲みついているテッセラが目を丸くして言った。
「お前こそ何やってんだ、くそ餓鬼。ヘイスの腰巾着の癖に、こんなとこで油売ってていいのかよ」
デュオもこの発言である。
ジークハルトは今更ながら、魔導士という人種の無神経さに頭痛がする思いだったが、できるだけ平静にデュオに告げた。
「こんなところで申し訳ないが、ふたりとも俺の正式な客ではないからな。デュオ殿は魔力が回復次第速やかに城へ退去願いたい」
「え? テッセラはいいんですか?」
「テッセラにはシズルが仕事を依頼している」
ジークハルトの言葉に今度はデュオが目を丸くした後、テッセラに問いかけた。
「仕事? 依頼? お前が他人の頼まれごとを引き受けるなんて、なにがあったんだよ」
「なんでもいいだろ、デュオには関係ない。そっちこそ転移に失敗だなんて笑っちゃうね。名前返上した方がいいんじゃないの?」
「なんだとぉ!」
睨み合う魔導士ふたりを見て、ジークハルトは城のミゼンの話を思い出していた。同じ番号持ちの魔導士だというのに仲間意識もなければ、相手に敬意を払うこともなく両者とも正に個人主義の塊のようだった。
「とにかくうちは辺境で、居候をふたりも抱えるほど潤沢な資産があるわけではないんだ。ここにいる間はふたり仲良く客間を分け合って使ってくれ」
魔導士同士の痴話喧嘩をこれ以上見ているのも時間の無駄だと、ジークハルトが客間を辞そうとした時テッセラに声をかけられた。
「伯爵、後でシズルにザカリの毛を一房持ってくるようにお願いできませんか?」
「わかった、伝えておこう」
テッセラの目が期待と希望と、そういったもので輝いている。おそらく例の術で何か思いついた事があるのだろう。もしそうならザカリが喜ぶな、とジークハルトは薄い笑みを浮かべた。
テッセラはジークハルトが去った後、執念深くぶつくさ言っているデュオを放置して、新しい術の着想を書きなぐった紙を掻き集めた。
「奥の部屋の寝台を使っていいからさ、こっちの邪魔しないでよ」
「なんだよ、そんなにあの半人半魔の、混ざりものの女の頼まれごとが大事なのかよ」
デュオの言葉に、テッセラはなんだか変な気持ちになって思わず顔を顰めた。
何だろう、シズルは確かに魔物と混ざったが、デュオにあんな風に顔を歪めていわれることではないような気がする。そんなに魔物がいけないのか。
ふと、ザカリの顔が浮かんだ。
シズルと一緒にいると本当に幸せそうにしているあのけだものは、テッセラが今まで会ったどんな人間よりも心が綺麗だった。シズルが望むから、ただそれだけの為に大嫌いなはずの自分に願いを乞うた。シズルの望みはザカリの望みでもある。それに手懸りもくれた。
「大事だよ」
テッセラはデュオにはっきりとそう言った。
魔力を込められる銀糸も手に入れた。
魔物の毛も手に入れた。
違う素地のものを組み合わせ縒りあわせて、魔法陣のような文様を浮かび上がらせた細い紐状にする。これで容れ物は完成した。『原初のミゼン』の理に縛られない魔物のザカリなら、術を封じ込めたものにザカリ自身の魔力を流すだけで圧縮、展開の際の呪文は必要ない。
でもどうやっても銀糸に籠める衣類の圧縮が思うようにいかず、テッセラはもう二日、寝る間も惜しんで四苦八苦していた。
目の下にクマをつくって、なりふり構わず作業に勤しむテッセラを、デュオは最初は嘲笑しながら、最後には奇異の目で見るようになった。
徹夜の作業に突入して三日目の朝、客間の入り口でシズルがちょいちょい、とテッセラに手招きをしていた。日中はいつも人型のザカリが、今日は魔狼の姿でシズルの横にのっそり立っている。どうやらシズルはデュオの顔を見たくないらしく、部屋の中までは入ってこなかった。
テッセラはシズルが術の完成の催促に来たのかと暗い気分になったが、どうやらそうではないようだった。寝不足でふらつきながらも外に出れば、陽の光が目に刺さるようで思わず目を瞑ってしまった。
テッセラはシズルに庭園の一画に連れ出された。
今日はシズル曰く『もふもふデー』といって、魔狼姿のザカリの毛並みを堪能する日らしい。芝生の上に寝そべる魔狼を背当てのようにして座り、テッセラにも同じようにして座るように勧めた。寝不足で思考能力が低下していたテッセラは、何も考えられず言われるまま素直に、ザカリに背を預ける形でシズルの隣に座った。柔らかい毛並みと生き物の微かな体温がテッセラの眠気を誘った。
いつもの生意気さの欠片もない、言われるがままに行動するテッセラの憔悴した様子を見て、シズルは苦笑したあと静かに言った。
「テッセラ君もういいよ。アレは君の体を壊してまで叶えて欲しい事じゃない」
「でもそれじゃあ、攻撃魔術禁止の解除方法を教えてくれないんでしょ?」
「テッセラ君さあ、実はもう使えてるんじゃないの、全部」
シズルはそう言って緋色の瞳でテッセラの顔を覗き込んだ。
「え」
「あの後考えてみたんだけど、『原初のミゼン』が私の願いを叶えるのって、私の体を使うのと交換条件の契約みたいなものでしょ? 私が魔物と融合して『原初のミゼン』の手から逃れた時点で、その契約は白紙に戻ってるんじゃないかと思って。だったら魔術が使えなくなるっていう、あの時の事も『無し』になってるんじゃないかなって思ったんだけど」
違う? とシズルは凭れかかったザカリを撫でながらテッセラに聞いた。
「・・・うん。シズルの目が醒めたあと少しして、気がついたら全部元に戻ってた」
「だからさ、もういいよ。君は充分頑張ってくれたよ、本当にありがとうね」
テッセラが嘘がばれた子供のように俯いて、今まで使えなかった魔術の全てが元に戻っていることを認めると、シズルは笑って礼を言った。ザカリもふすんと鼻息だけで何かを言った気がした。
「ぼくが」
テッセラはそう言ったあと顔をあげ、その瞳に強い意思を覗かせてシズルに真っ直ぐ向き合った。
「ぼくが最後までやりたいんだ。シズルは初めて会った時言ったよね『魔術が使えるのがそんなに偉いのか』って。ぼく魔力が強ければそれでなんでも叶えられるってずっと思ってたんだ。でも本当は強い魔術は壊すばっかりで何も作れない。そんなのちっとも楽しくない。ものを作るのは苦しいけど楽しい、出来上がったところを想像するとわくわくするんだ。壊すばかりよりずっといい」
「そっか」
「だから見離さないで待っててよ。絶対やり遂げてみせるから」
拳を握りこんでそう宣言するテッセラに、虚仮の一念だねとシズルはそう言って笑った。
シズルにそうは言ったものの、どうやっても上手くいかない。テッセラは袋小路にいた。
そんな時窓枠に腰掛けて、持参していた圧縮解除済みの、セラスの資料を読み耽っているデュオが目に入った。デュオはとっくに魔力を回復して、すぐにでも転移陣を作動させられる状態にあるにもかかわらず、まだ伯爵邸に居座ったままだった。
「デュオは圧縮、得意だったよね」
「あん? 何だよ急に。そりゃあセラスを追いかけるのに必要な山のような道具を、そのままの大きさで持ち歩けないからな」
「ぼくに教えてよ。もう魔力は回復してるでしょ?」
デュオは目を丸くした。
魔導士は師弟関係でもない限り、ほかの魔導士に魔術を教えることも教わることも良しとしない。特に番号持ちとなるとその自尊心は神の山より高いといわれる程だ。その中でも殊更自尊心の塊のようなテッセラから発せられた言葉に、デュオは心底驚いた。
「嫌だ断る」
「頼むよ」
デュオに即断で拒否され、テッセラは俯いて聞こえるか聞こえないかの声で言った。いままで見たこともないテッセラの態度にデュオの悪戯心が頭を擡げた。
「人にものを頼む態度じゃないなあ」
デュオの言葉に身体を硬くした後、テッセラは顔を屈辱に赤く染め、若干涙目でデュオに頭を下げた。
「・・・お願い、します」
テッセラのその姿に、デュオは胸の奥がちりりと痛んだが気付かないふりをし、更に言い募った。
「そうだなぁ。俺の代わりに混ざりもののあの女に、一撃喰らわせてくれれば考えてやってもいいぞ」
「嫌だ」
先ほどの問いかけには躊躇をみせたテッセラが今度は即答した。
「ぼくはもうそんなことに魔力を使わないって決めたんだ」
生意気で頑固なのはいつものことだが、固い決意を秘めた力のあるテッセラその瞳が、なんだか無性にデュオの癪に触った。今までテッセラは気に入らないものは力づくで屈服させてきたし、攻撃されれば必ず反撃した。どうせ今回も口だけだとデュオは思った。
魔導士とはそういうものだ。
「・・・ふぅん面白い。カタプシクシィ」
途端にテッセラの足元がうっすらと白くなり、ぱきぱきと音を立てて凍り氷柱が立ち始めた。恐怖で震えながらもぎゅっと口をひき結んだまま、テッセラはデュオから目を逸らさなかった。
「俺に言うこと聞かせたいなら、他の奴にいつもやるみたいに力で捩じ伏せればいいだろうがよ。何いい子ぶってんだよ」
舌打ちをして更に呪文を唱えようとしたとき突然、デュオの目の前に男が現れた。
長身で鬣のような銀の髪、緋い目をした精悍な顔立ちの青年はデュオを上から見下ろしていた。その腕の中に黒い小さなものを抱え込んでいる。その黒髪の小さなものは、青年と同じ緋い目で下からデュオを睨めあげている。
「ぅおわ! どっから出てきたんだ?!」
デュオは驚愕のあまり窓にぶつかる勢いで後ろに飛び退った。男の正体がザカリとか呼ばれている魔物だとわかった時、その腕の中の半分魔物の女が口を開いた。
「そんなことはどうでもいいいです。痴漢行為だけでも最低なのに、今度は弱いもの虐めですか。人のことをとやかくいう前にあなたこそひとでなしですよね」
魔物の、四つの緋い目が危険な光を発していた。




