転移 「(簀巻きにされ)場所を移動すること」
てん−い 「邸に来た魔導士と領民宣言」
「ジーク! すぐこっちに来てくれ! オレじゃシズルを止められない!」
執務机の上の魔導通信が切羽詰まった様子で話している。シルベスタの声に混じって何やら他の者の声も聞こえてくる。
「てめぇなにしやがんだ! 魔術が使えるようになったらただじゃおかねぇぞ」
「全く喧しいですね。知ってます? そういうのを負け犬の遠吠えっていうんですよ」
「ちくしょう! 離しやがれ」
「あはは、面白い釣れたての魚みたい」
あいつは一体何をやっているんだ。
それに相手は誰だ。おそらくこの度塔に転移して来た男だろうが、随分と粗野な感じでとても貴族とは思えない。
ジークハルトが眉を顰めていると、シズルの声を聴き取ったザカリがシルベスタに飛びついた。が、魔導通信には実体がある訳ではないので、ザカリの手をすり抜けてしまう。そこには半透明の、手のひらほどのシルベスタの姿があるだけで、実際のシルベスタの周囲の状況を伺い知ることはできない。声のみ伝わってくるシズルが、通信元の塔で何をしているのかはこちら側からはわからない。その状況が益々不安を煽るのか、ザカリが酷く興奮している。
「シズル! シズル!」
「落ち着けザカリ。どうなってるんだシル、そこにいるのは誰だ。何が起こってるんだ」
魔導通信に顔を近づけ、必死でシズルを呼ぶザカリを制して、ジークハルトはシルベスタに尋ねた。
「塔に転移してきたのは二番目だ。シズルがそのデュオ殿を王城へ飛ばすと言って、あ! シズル待て!」
魔導通信が横を向いて何かを制する仕草をしている。
「今度は迷子にならないように荷物札をつけてあげますね。ああ、札がないから直接書きましょう、くふふ」
姿の見えないシズルの、不気味な含み笑いが聞こえている。さっきまで魔導通信のシルベスタを食い入るように見ながら、シズルを呼んでいたザカリが髪の毛を逆立て、それから離れジークハルトにぴったり張り付いた。
「駄目だ待ってられない。すぐそっちに帰るから転移陣の前で待っていてくれ! シズルよせって!」
そう言ってシルベスタの魔導通信は消えた。
気品を重んじる貴族は普通、全力で駆けたりしない。邸の中でならなおさらで、急ぐ時も精々早足だ。
今ジークハルトはなりふり構わず転移の間へ全力疾走していた。思えば領主になってからは全力疾走などしたことはなかったが、シズルと知り合ってからたった数ヶ月で、既に二回目を数えている。更にこの先どれだけこういう事があるのか考えて、ジークハルトはげんなりした。
黒い塊となったジークハルトが、異様な雰囲気を発しながら、疾風のように廊下を駆け抜けた。そのすぐ後ろから銀色の髪のザカリが共に駆け抜けて行った。それらを目撃した邸の者は何事があったのかと戦々恐々となっていた。
転移の間に到着すると、既に転移は終了していて陣の中央に三名の人物が、三者三様の姿でいた。
シルベスタは肩で息をしながらシズルを右手で抱えていた。
シズルは胴体に腕を回され、抱えるというよりは半ばぶら下げられて、憮然とした表情をしている。その手には灰色の三つ編みを握り締めていて、その三つ編みの先には、あのエイシカ村の村長宅でも見た記憶のある、縄でぐるぐる巻きにされたものが転がっていた。その顔には何やら落書きのようなものが描かれている。
「シズル!」
真っ先に声を発したのはザカリだった。ザカリはシルベスタに駆け寄ると、その腕の中からさっとシズルを取り返し、ぎゅうぎゅう抱きしめた。腕の中の荷物がなくなったシルベスタはその場にへたり込んでしまった。
「何が一体どうなってるんだ」
さすがのジークハルトも混乱を隠せなかった。シルベスタに近寄ると、足元の男が芋虫のようにもぞもぞと蠢いて声を発した。
「あのー取り敢えず縄を解いちゃくれませんかね?」
デュオが床の上からジークハルトに頼むと、シズルから即座に制止の声がかかった。
「駄目ですよ、それは王城行きの荷物なんですから」
「うるせぇ黙れ! この半人半魔の混ざりものが!」
その言葉にジークハルトの眉がぴくりと上がる。
「デュオ殿、言葉を慎んでもらおうか。シズルは俺の護衛官で、うちの領民だ」
「へ?」
シズルがザカリに抱きつかれたまま、すぐ側で素っ頓狂な声を出した。へたり込んでいたシルベスタも驚いた顔でジークハルトを見上げている。
「私、いつの間に領民になったんですか」
「今だ」
シズルは黙って考え込んだ。こういう時は大抵、ろくでもないことを考えているのをジークハルトは分かっていた。
「えーっと住民税、いや領民税? っておいくらですか? 使い魔にも税金が発生しますか?」
ジークハルトは笑顔で、ザカリの腕の中のシズルの頭をがっしりと鷲掴んだ。
様式美というやつである。
痛いです離してくださいと抗議するシズルを無視して、暫く頭の握り心地を堪能したジークハルトは、シルベスタに縄を解くように言いデュオを客間へ、と思ったがあそこは今テッセラの棲家になっていると思い出した。
仕方なくデュオを応接室へ連れて行く事にした。
ジークハルトはよれよれになっているシルベスタと、シズルを離さないザカリ、それに顔に落書きされたままのデュオを伴って応接室までの道程を歩いていた。
邸ですれ違う者の痛ましそうな目を見るのは、ザカリを客間から連れ帰った時と現在とで本日二度目だった。
応接室に到着し、まず女中頭に命じて水の入った手盥と手拭いを用意させ、デュオに顔をきれいにするように勧めた。
「全く酷い目にあった。辺境伯、貴方はこれに一体どんなしつけ方をしてるんです? まるで野生のけだものだ」
先程からデュオはジークハルトの癇に触る言葉を発し続けている。
確かにシズルは凶暴だが、『人間』だ。半人半魔だのけだものだの、こうならざるを得なかった事情を知らない者が貶めていいものではない。
とはいうもののジークハルトも、デュオの言葉を完全に否定できないところがなんとも悩ましい。
「躾も何も、シズルはもういい歳だ。仕事以外の私生活を、俺がどうこういう必要は感じないな」
「ジークハルト様、なんか微妙に私を堕としてません?」
「自覚があるなら、もう少し女らしくしろ」
「女らしく、そこの痴漢野郎に反撃したんです」
腰に手を当て胸を張り自信満々に言ったが、背後からザカリがしがみついているので全く様になっていない。シズルの言葉にその『反撃』を思い出したのか、デュオと何故かシルベスタまで顔を青くした。
「チカン、ワカラナイ」
「痴漢っていうのはね、」
「説明しなくていい、シズル。寧ろするなよ、ややこしくなる」
顔を青くしたままシルベスタが言った。
デュオがいきなり、シズルに『綺麗だ』などと言いながら抱きついたなど、独占欲の強いザカリが知ればどんなことになるか分からない。魔術が使えない状態の今のデュオなど魔獣にかかればひとたまりもない。
事情を知らないジークハルトにはシルベスタの危惧は分からなかったが、どうやらデュオがシズルに何か悪さをして、その反撃を喰らったということは察する事ができた。
「王城へ行く予定だったということは、ミゼン殿からの頼まれごとか?」
ジークハルトからミゼンの名前が出たことで、デュオが警戒の色を見せた。
ジークハルトはその場にいる他のものには、城でのミゼンとの会話の内容の細部までは話していない。その為、ジークハルトがミゼンに頼まれた『見極め』の話を知らないデュオ以外の者は怪訝な顔をしている。
「俺はミゼン殿本人からそれについては聞いている。それよりも王城へいくはずの者が、何故塔へなど転移したのか説明をして欲しい」
「うーん。幽閉塔へ転移したのは本当に偶然なんですよ。転移元でちょっと問題が起きて、無作為に飛ばされて来たもんですから。そのせいで一時的に魔術が使えない状態になってまして、できれば魔力の回復までこちらで休ませてもらいたいんですがね」
「だから私がお城へ送って差し上げますって言ってるじゃないですか。早くお城へ行っちゃってください」
ジークハルトもシズルに同感だった。王への対応で大変だろうとは思うが、ミゼンに丸投げしたかった。
「ところでお前、転移陣を発動させられるのか?」
「丁度良い被験者が手に入ったので、できるかどうか試してみようと思ったんです。もし失敗しても、痴漢野郎がひとり消えるだけなので問題ありません」
ジークハルトは先程までシズルに同感していたが、即座にその気持ちを撤回した。失敗してこの国の二番目が消えるのは大問題である。
「デュオ殿、魔力の回復までどれくらいかかるんだ?」
「今回俺が使ったのは普通の転移陣じゃなくて、魔導士個人が使うちょっと特殊なやつなんですよ。普通の陣より魔力の消費が段違いで、大抵は丸一日は使い物にならないんです。で、そういうのを作動中に無理矢理書き換えたりしたもんだから、今回は回復までどれくらいかかるかわからないんですよー」
デュオはそう言ってへらへら笑った。
確かに魔力のないものでも転移陣で移動させることはできるが、本人の意思を無視して強制的に行うそれでは、城からシズルを放逐したやり方と同じではないか。ジークハルトが逡巡しているあいだに、
「というわけですから、少しやっかいになります」
デュオがそう言って、意味深な笑顔をシズルに向けた。




