二番目 「デュオ。魔導士、自由人、不思議な目の男」
に−ばん−め 「魔導士0からの依頼」
デュオは現在の棲家に帰った途端、持っていた柘榴をそれに投げつけた。そして激しく後悔した。
「ああああ! もう! 掃除が大変なんだぞ、なんて事しやがる!」
柘榴の実は投げつけた机の上で潰れ、あたりに果肉や果汁が飛び散っている。
「投げつけたのは君自身だ、デュオ」
テーブルの上の手のひらほどのミゼンが言った。
よく見ると小さなミゼンは半透明で、潰れた柘榴を透かして立っていた。
魔力の強いもの同士や、魔導士同士が緊急で使う魔導通信だった。
「いきなり現れるからびっくりしたんだよっ。何の用だ、ミゼン」
「魔導書簡を送っても返事を寄越さないから、直接手段を取ったのだ。居所を確定しない君の魔素の痕跡を探すのに苦労した」
「セラスを追いかけるのが忙しかったんだ。観測地点が急に変わっちまって。で? 直接分身を寄越すなんて何があったんだ?」
二番目は灰色の髪を掻きむしりながら、魔導通信のミゼンに問いかけた。
デュオは変わった目を持っている。その澄んだ菫色の瞳は人や魔物が持つ魔素が見えるのだ。
人が内包する魔素は、その人物からゆらゆらと陽炎のように立ち上がり、或いは纏いつくようにデュオには見える。
綺麗だが、魔素が綺麗だからといってその人間の心根まで綺麗ということではない。あくまでそれはその人の持つ魔力の色にすぎない。それ故にその人間自体を見極めるのに邪魔になるので、普段は薄い色の入った、お手製の特殊な眼鏡を掛けている。
そんなデュオだが、世界に満ちるといわれる魔素が見えるということはなかった。自然界で唯一、万人が見ることが可能なのが、今デュオが追いかけているセラスと呼ばれるものだった。
セラスは大気中の魔素が可視化したもので、主に北の果てに集中して発生しており、デュオの最近の研究対象だった。それがここ数カ月で突然発生場所がころころ変わるようになり、デュオはそれを追っている最中だったのだ。
「至急王城まで戻り招聘者の見極めをして欲しい」
「城にはいけ好かないヘイスやトリアがいるじゃないか。ついでにくそ生意気なテッセラも」
デュオはその特殊な目を持っていたことから、ミゼンに成るまえのミゼンに、市井から見い出された、変わった出自の魔導士だった。
正真正銘の由緒正しい平民で、その為デュオは高位の魔導士であっても、他の魔導士に白眼視されていた。番号持ちになってからもそれはあまり変わらず、デュオは城にいる魔導士が嫌いだった。
その強い魔力のために図らずも二番目になってしまったが、デュオは魔道の研究の為と称して城を出て、世界を巡って自分の興味を引いたものだけを調べて回っていた。
半透明のミゼンは通信を続けた。
「彼ら自身が直接関わり、事を捻じ曲げてしまったのだ。招聘者は只人でふたりいたが、どうやら片方は魔物側についてしまったようなのだ。テッセラは今そちらと一緒にいる。城に残ったもう片方がどうなるのか、君が直接確かめて欲しい」
「魔物側に? 無能な只人の招聘者が魔物側についたからって何か問題が?」
「只人と思われていたその娘は、この世界のものではない力を使うのだ。失われた太古の力に近いものだ」
「なんだって?! なんでそんな良い物を魔物にくれてやったんだよ。こっちで調べれば『原初の0』の理以前の魔術のことが解明できるかもしれないのに」
「招聘者の選別を間違えたとしかいえない。城に残した方が正真正銘の只人だったのだ。しかしまだ確定はできない」
デュオはミゼンの言葉に考え込んだ。できるならテッセラに代わって自分もそっちを調べたいと思ったが、魔導士の中で唯一信頼の置ける、ミゼンの直接の頼みを無下にはできない。
「・・・分かった。とりあえず今から王都に帰る。城の只人を調べたら、魔物に盗られたほうの只人を取り返して、俺が調べてもいいか?」
「傷つけるのは困る。予言の魔女のお気に入りだ」
「王妃様のか? そりゃあまた、なおさら入念に調べたいな」
予言の魔女は先見ができるというその性質上、不確定要素があるものが大好きだ。彼女が気に入るということは、まだまだその只人は『化ける』ということだ。
魔導士というものは大抵、自分勝手で自分の興味あることにしか関心を示さない。魔導士が嫌いだと公言するデュオも、その例に漏れなかった。セラスよりももっと興味深いものを見つけてしまったデュオの頭の中は、もうそのことで一杯だった。
ミゼンとの魔導通信が終わった後、デュオは早速出発の準備を始めた。
今まで集めたセラスの資料を纏めて魔術で圧縮する。数枚のカード状になった物を、ベルトに付けた小物入れに突っ込んだ。
それと今回初めて捕獲に成功した、セラスの入った封印の術式が刻んであるガラスの小瓶も一緒に入れた。ガラス瓶の中のセラスは、薄く緑色の燐光を放ちながら煙のようにゆらゆらと揺蕩っている。
あとは僅かな身の回り品に纏めて圧縮をかけ、無造作に小物入れに入れる。行き先は王城なのでそれ以上の荷物は必要ない。
準備が済むと柘榴が飛び散ったままの机をそのままに、部屋の戸締りをし外へ出た。
デュオは雑草の生えていない、何もない土が剥き出しの地面に立ち呼吸を整えた。
「パレンゲリオ・イプシリオティリ・プロテレオーティタ・スト・バシリコカストロ・メタスターシオビギア」
詠唱を始めるとデュオの周囲に魔法陣が浮かび上がる。
強い魔力を持った本人が描いたその者にしか使えない、一度きりで一方通行の謂わば使い捨ての転移陣だった。これを使うと魔力消費が激しく、転移先で暫くは魔術が使えなくなる。長距離転移には転移先に転移陣があることが条件なので、行き先は大抵王城か貴族の邸になる。だから魔力が使えなくなったからといって、すぐに命に危険があるようなことはなかった。
「作動」
違和感は割りとすぐに感じられた。
行き先を王城の転移の間に設定して、自身の描いた転移陣に魔力を流したが、なかなか術が発動する気配がない。
やっと転移陣が光を帯びてきた時、ふと何かの視線を感じて上を見上げて愕然とした。
空いっぱいにセラスが拡がっていた。ただその色はいつもよく見る淡い緑色ではなく、血のような赤い色をしていた。
これはなんだかやばそうだ。
デュオはすぐに判断し、迷うことなく発動途中の転移陣の一部の、行き先指定を解除し任意指定に書き換えた。こうすることで、空きのある転移陣に無作為だが即座に飛ばされることになる。
魔導士や魔術に関することでの悪意に敏感なデュオは、とにかくすぐにこの場から離れなければ危険だと判断した。
幸いなことに、行き先指定を解除したことで転移陣はすぐに作動した。
一瞬の浮遊感のあと、デュオは転移に成功した。
しかし、発動途中の転移陣を無理矢理書き換えたことで、魔力消費が通常の時よりかなり多かったようで、デュオは転移先を確かめる間もないままその場で意識を失ってしまった。
ジークハルトは既視感を覚えていた。
あれから一年も経っていないというのに、またもや誰かが塔に飛ばされてきたようだ。
「また城からじゃないだろうな」
「まさか瑠花ちゃんじゃないでしょうね? もしそうならあの赤毛を全部毟ってやる」
ジークハルトがこめかみを抑えて溜息混じりな反面、シズルは魔物の本領発揮ですと鼻息が荒い。
今日はいつもシズルにへばりついているザカリの姿はない。ザカリはシズルに上手く言いくるめられ、例の着脱可能な魔術のために、自分が大嫌いなテッセラの実験に付き合わされている。
「今回は男だったようですが、ずっと目を覚まさないらしい」
「え、男の人ならどうでもいいです。間に合ってます」
シルベスタの言葉にシズルはなんとも薄情なことを言っている。
「薄情なやつだな、間に合ってるとはなんだ。お前と同じ境遇かもしれないんだぞ」
「私は魔物ですからね、べつに薄情と思われても平気ですよ。というか、何だか果てしなく面倒くさい予感がびしばしするので、放っておきましょう」
「お前、それは幾ら何でも人とし、言うな。ったく魔物を免罪符に使うんじゃない」
口を開きかけたシズルを片手で制すると舌打ちしたのが聞こえたが、ジークハルトは敢えて聞こえなかったふりをした。深い溜息をつくジークハルトにシルベスタが言った。
「オレが確認に行きましょう。もし貴族なら顔を見れば誰だかわかるかも知れない」
「はいはい! 私も行きたいです」
先ほどとは一転して元気に挙手をして直訴するシズルに、ジークハルトはうんざりした顔を隠せなかった。
「お前、さっきは見捨てる気満々だっただろうが」
「やっぱり本当は気になりますよ。だって今回もいきなりだったんでしょう? 犯罪者でもないのに、幽閉するための場所に飛ばされてくるなんて可哀想です。私ひとりでは転移陣は使えないんですから、シルと一緒に行かせてください」
そう言って、さっきの元気はどこにしまったんだ、と言いたくなるような表情で床に視線を落としてみせた。
そんなシズルをシルベスタは痛ましそうに見ているが、そんなものはどうみても演技で、ほかに目的があるに違いないとジークハルトには確信があった。
その証拠に、渋々シルベスタに同行する許可を出した途端、退出間際にシズルが悪い笑みを浮かべたのをジークハルトは見逃さなかった。




