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実験 「矛と盾、ジークハルトの憂懼」

じっ−けん 「憂懼(ゆうく)・心配し恐れること。」



 散歩の日から数日後アフセンからやっと許可が下り、寝台から解放されたシズルはさっそくいろいろなことを試してみることにした。

 魔物と混ざる前の『虚仮(こけ)の一念』で開眼した発火能力はそのまま健在だったが、シズルにはこの能力を使ってどうこうしようという気はなかった。ザカリ曰く『ゼンブナクナル』力だからだ。この能力(ちから)はせいぜい『使い捨てライター』程度に使えればいい、とシズルは思っていた。






「攻撃は置いといて、身体強化的な守りに力を入れたいですよね」



 早朝、まだ人気(ひとけ )のない鍛錬場に三人と一頭はいた。

 シズルの変化後の力がどうなっているのかをジークハルトとの手合わせでためすためだ。ザカリは寝室から慌ててそのままシズルについて来たらしく、魔狼姿であくびをしていてまだ眠そうだった。



「お前ならてっきり攻撃特化を目指すと思っていたが」



「何が嬉しくて、自分から進んで人間兵器にならなくちゃいけないんですか。守りが固ければ攻撃された時、攻撃した側が勝手に疲弊してくれるじゃないですか。それでもって相手が魔力切れをおこしたところで、優しく平和的に肉体言語で会話すればいいんです。省エネですよ」



 シズルはさも名案のように話しているが、最終的に拳に物をいわせるところの、どこが『優しく平和的』なのかジークハルトはきっちり問い詰めたかった。

 しかし『原初のミゼン』の(ことわり)に縛られない存在(まもの)になってしまった後では、シズルが攻撃よりも防御に力を入れたい、ということにジークハルトも賛成せざるを得ない。何故なら、シズルは感情によってその力の制御ができなくなる可能性があるからだ。



「それより本当にこれでやるのか?」



 ふたりが手にしている刃引きをした鉄剣を見て、シルベスタが不安そうな顔をしているが、以前一度木剣(ぼっけん)でシズルと手合わせをしているジークハルトは平然として、剣の感触を確かめるように軽く振り回している。一方シズルは、何故か鉄剣を持って不服そうな表情をしていた。



「むー・・・。せっかく半分魔物になったのに、腕力は以前のままです。大きくて重い剣が持てないとはがっかりです。てっきり変身して筋肉自慢のムキムキな身体になるかと思ったのに」



 ジークハルトは自分より小さい童顔のシズルが、筋肉ばかりを発達させた厳つい姿になったところを想像し、そのあまりの不均衡(アンバランス)な不気味さに顔を顰めた。



「あ、でも取り敢えず念のため身体強化しておいてください、ジークハルト様」



「やれやれ。プロスタシア・ティスキニ・アニヒネフシ・ディナミ」



 シズルの実力を充分承知しているジークハルトは簡単なものではなく、しっかりとした隙のない身体強化の呪文を唱えた。



「あれ? 以前兵士(コニス)が唱えてたのと違いますね」



「単純な皮膚だけの身体強化で肩を外されたらかなわんからな」



 ジークハルトがそう言うと、シズルはああ、と納得して質問を投げかけてきた。



「そういえば種類が色々あるんでしたね。それはどう言う種類(もの)ですか?」



「使うものの魔力量によって効果にばらつきはあるが、簡単に言えば体全体に魔力の鎧を纏うようなものだ」



「・・・魔力の鎧。鎧じゃ私には重いから、もっと軽くて強いものをイメージして・・・」



「おい、早くやらないと皆が起きる時間になるぞ」



 考え込んでしまったシズルをジークハルトが急かした。

 シズルがひとり納得したような顔をしたかと思うと、その身体のまわりに一瞬、銀と黒が混ざり合ったような何かが見え、すぐに消えた。

 シズルはその『何か』を確かめるようにあちこち身体を動かした。



「できました」



 そういってシズルはジークハルトと検証を始めた。







 またもシズルは防戦一方になっていた。

 そりゃそうだ、とシズルは冷静に考えていた。いくら魔物と混ざったとはいえ、自分は剣の達人ではないのだ。生まれた時からこの剣と魔法の世界で生きている、ましてや従軍経験もある大男(ジークハルト)と剣技で互角に戦えるはずは最初はなからなかった。

 一番最初の、ジークハルトとの町巡りが思い出される。あの時と同じくシズルはまたも浮かれていたのだ。


 それにしてもこの(ジークハルト)は本当に容赦がない。

 重い剣戟を受け続け、次第に剣を持つ手が痺れてきたところで、腕力勝負になりつつある手合わせにシズルはついにキレた。

 防御のために体全体に纏っている、魔力ではないシズルの意志の力の強化膜(よろい)。ちまちまと慣れない鉄剣を振り回すよりずっと楽な、思い通りに動く効率のいい自分の身体(けん)

 防御され剣より扱いやすい『自分自身(そのもの)』。



 これこそが自分の矛であり盾なのだ。



 躊躇なくシズルは剣を手放し、その腕でジークハルトの剣戟を受け止め、その勢いのまま弾き飛ばされた。



「シズル!」



 シルベスタが叫んだ。

 シズルがなんの前触れもなくいきなり剣を放り出したため、ジークハルトもさすがに剣を止めることができずにそのまま振り抜いてしまったのだ。弾き飛ばされて、少し離れたところに倒れているシズルを見てジークハルトは呆然としている。

 ザカリが誰よりも早くシズルの側に駆け寄ると、むくりと起き上がったシズルは顔を顰めていて、ザカリがその顔を懸命に舐めている。



「・・・痛い」



 シルベスタがすかさずシズルの横に片膝をついて、ザカリを押し退け剣戟を受け止めた右腕を肩口から指の先まで調べている。



「怪我は?! 腕はついてるか?」



「ついてます。防御越しで、直接当たったわけではないので。でも衝撃で痛いです。ジークハルト様ってば、どれだけ馬鹿力なんですか」



 近寄ってきたジークハルトが、いつものようにシズルに拳骨も鷲掴みもせずに、初めて声を(あら)らげて怒鳴った。



「馬鹿者! 打ちあっている最中にいきなり剣を手放すなど死にたいのかっ!」



 そのあまりの剣幕に、自分が怒られてるわけではないのにザカリが耳を伏せ、シズルの後ろに隠れてしまった。



「私だってちゃんと身体強化の魔術並みに防護できてましたよ。防護越しに衝撃だけは受けましたが、物理的な傷は負ってません」



 むっとした表情で弁明するシズルを無視して、ジークハルトは深く息を吐き出すとシルベスタに命じた。



「シルベスタ、アフセンを起こしてくれ」



「すぐ呼んでくる。シズル、頭を打ってるとまずいから動かずそこでじっとしてろよ」



 シルベスタは絶対に動くなよともう一度念を押して、踵を返すと足早に本邸へ向かっていった。その後ろ姿を見送ってからシズルはジークハルトに話しかけた。



「本当に大丈夫ですよ、なんともないです」



「お前が判断することではない」



 固い表情固い声でジークハルトはシズルに視線も合わせなかった。







 アフセン医伯が夜着のまま、診察鞄を抱えてシルベスタと共に鍛錬場にやってきた。シルベスタに急かされたのか、息が切れている。



「シルベスタに事情は聞いたぞ。ちょっと診せなさい。気分は悪くないかの?」



 アフセンはシズルの手を取り自らの魔力を流し、全身を探ったが損傷を受けている様子はなかった。衝撃で内出血があれば痣ができるかもしれないが、取り敢えず内心でほっとしていたアフセンは、いつもとは違うジークハルトの様子に気がついた。


 シルベスタや魔狼姿のザカリは少しも視線を外さずアフセンの診察を見守っていたが、ジークハルトは固い表情のまま拳を握りしめ、こちらに視線を向けることなくその場に突っ立ったままだった。



「センセイ心配かけてすみません、朝早くに起こしてしまって。どこもなんともないです」



「儂は医者だから構わんが、シズル、お前さん儂より先に謝る相手がおるじゃろう」



 柔らかく微笑むアフセンの視線の先の、ずっと固い表情のままのジークハルトを見て、シズルはとても大事なことを思い出した。


 シズルはゆっくり立ち上がると、ジークハルトに向けて深く腰を折り、心の底から頭を下げた。



「軽率でした、すみません・・・ごめんなさい」



 時には傷つけられるより傷つけることの方が怖いと、シズルは誰よりも知っているはずだった。


 白くて細い首筋が見え、いつも見ているつむじが地面に向くほど深く頭を下げたシズルに、ジークハルトはやっと視線を向けた。シズルがゆっくり頭を上げると、ジークハルトが仏頂面のまま柔らかく頭を掴んだ。



「もう二度とするなよ」



 シズルはへらりと笑った。







 ジークハルトは心臓が止まるかと思った。


 以前の木剣での手合わせの時と同様、剣技で勝るジークハルトが一方的に押して、シズルはいつもの身軽さを封印されたかたちになり苛立っているのは感じていた。

 しかしまさか打ち合いの真っ最中に、剣を放り出すとは思ってもいなかったのだ。


 ジークハルトが横薙ぎにしたその瞬間、シズルは何の躊躇も見せずに剣を捨て、己の右の前腕でジークハルトの剣戟を受け止めようとした。

 ジークハルトは剣を止められなかった。止められるものではない。


 ジークハルトが振り切ったその先に、小さなものがうつ伏せに倒れていた。

 シルベスタが叫びザカリが駆け寄ったが、ジークハルトはその場に凍りついたように動けなかった。シズルはすぐに、何事もなかったように起き上がっていつものように悪態をついた。



 安堵と怒りと。恐怖。



 さまざまな感情が押し寄せ、シルベスタにアフセンを起こすように命ずるのが精一杯だった。


 ほどなく現れたアフセンの診察を受けどこにも異常はないと分かったが、それでも手の中に残った感触が、小さな身体がうつ伏せに倒れている光景がいつまでもジークハルトから去らなかった。

 深々と頭を下げ、ごめんなさいと謝罪をするその頭を、命を、確認するように掴むとシズルはいつかのあの夜のように、悪戯が見つかった子供のような笑顔を見せた。



 あの夜、シズルと約束をした。対立することがあっても命のやり取りになっても躊躇わないと。



 だが、それは今ではない。










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