交渉 「身分制度と只人の立ち位置」
こう−しょう 「相手と(本音で)話し合う」
シルベスタを介したジークハルトの監視に対する、シズルの牽制の効果は抜群だったようだ。
以前の散歩の時に「町に行きたい」とシルベスタに頼んでいたシズルに先触れがあった。だが翌々日に現れたのはシルベスタではなく馬を連れたジークハルトで、彼自ら案内してくれるつもりのようでさすがのシズルも驚いた。
仮にも伯爵様がほいほい気軽に出かけていいのかとシズルが問えば、よくあちこちに遊びに行くので構わないという答えが返ってきた。
為政者であるのに随分とフットワークが軽いな、とシズルは感心した。
ジークハルトが連れていた馬も彼に合わせたのか中々に大きく、シズルは某世紀末覇者を思い出して遠い目になった。もしかしなくてもコレに乗るのかワンピースでこの体高の高い馬に跨れというのか、などとシズルが逡巡していると、先に馬上にいたジークハルトが苦笑し、シズルをひょいと持ち上げ自分の後ろに彼女を座らせた。
「落ちないようしっかり掴まっているように」
言われなくてもシズルは勿論そうするつもりだった。
ぽくぽくと馬を進ませ暫く行くと町の端に着いたようだ。そのまま町に入ると悪目立ちするということで、町の入口の馬場に馬を繋いでそこからは徒歩で町の中心部へ向かった。
シズルが案内されたのは小さな町だった。
店舗兼住宅といった感じの建物が並んでいて、日用品や食料などを売っている。シズルの知る下町や外国の商店街のような雰囲気があった。
シズルは久し振りにリラックスしていた。
以前はちょっとしたことですぐにトラブルに巻き込まれ、喧嘩っ早い者にもよく絡まれた。強いものは大抵の場合自尊心が高く、いくらシズルが固辞しても簡単には見逃してくれないからだ。
異世界では当然そんなことは起こりそうもなく、何の心配もせず町歩きが出来てシズルは嬉しく思っていた。
彼女はちらりと隣にいるジークハルトを見上げた。
やっぱりでかい。
今日のジークハルトは全体的に黒っぽい装いなので、本物のドーベルマンを連れているようで用心棒にはうってつけだ。こんな大きな番犬を連れ歩いている貧相な小娘に、難癖つけようという猛者もいないだろう。ただこのドーベルマンは大層高貴なので、レンタル料がいかほどになるのか恐ろしい───。
などとシズルはくだらないことも考えていたが、ジークハルトにあれこれ質問し説明を受けつつ、表情は余り変わらないものの上機嫌で町の散策を楽しんでいた。
小さい。
つむじしか見えないのでシズルの表情は窺い知れないが、機嫌が良さそうだとジークハルトは感じていた。シズルはあちらこちらを指しては、ジークハルトに説明を求めている。
「貨幣価値は大体把握しました。これがアグリオス、ですか? 食べ物も特に違和感はないようです。あとは仕事と家の探し方でしょうか。仕事はどこかに登録して斡旋してもらう仕組みですか? それとも働きたいと思う所に直接交渉でしょうか。最初は住み込みとかできれば良いのですが。あ、これは豚肉っぽいですね意外とイケます」
シズルは串焼き屋の店先のテーブル席で、ジークハルトが買ってやった猪の肉を無表情のまま頬張っていた。
「手に職があれば商業組合に登録して仕事を紹介してもらえる。あとは師弟制度でどこかの職人に弟子入りするとかだろう。シズル殿は塔を出るつもりなのか?」
「そうですね近いうちにとは考えています。いつまでも施しを受けるのもどうかと思いますし。そもそも私を塔に留め置く理由はありませんよね」
「ならば私の邸に来ないか?」
「お断りします」
即答だった。
「……何故か聞いてもいいだろうか? シズル殿」
ジークハルトの問いかけに、シズルは先程までの無表情が嘘のように綺麗な笑顔を浮かべた。
「貴方相手に取り繕うのも今更な感じなので率直に言います」
あの黒い瞳がジークハルトを真っ直ぐに見つめる。と同時に、例の首筋がそそけ立つような威圧感が、目の前の小さなシズルから噴き出すのを感じた。
「聖女だか何だか知りませんが、他所の世界から有無を言わさず人間を拉致しておいて、挙句帰す方法がないからと処遇を持て余し厄介払い。人をまるで物扱いで、誠意のかけらも感じられない対応をする人間たちに嫌悪感しか感じないからですよ。それに貴方に関わっていると、貴方の甥っ子との遭遇率が跳ね上がりそうなのでとても嫌ですね。今度あの赤毛を見かけたら一発入れるのを我慢できそうにありませんから」
無表情で分かりにくいが、シズルの内面は苛烈で触ると火傷しそうだ。話している内容もシズルの立場からすれば当然のことで、ジークハルトはぐうの音もでなかった。
「というわけなので、今まで通り放ったらかしにしてくれていれば自力で勝手に何とかする予定ですので、今後監視は結構です」
「そうは言ってもなぁ」
ジークハルトは首筋を撫でながら、困ったように言った。
「お前がこっちに来る原因となった聖女召喚の事実は未だ伏せられている。直接関与した者以外では、ある程度地位の高い者しか知らない話だ。よって今お前はこの世界に存在しないという事になっている」
残酷なようだがジークハルトは今のありのままの事実を述べた。シズルは楽観的に考えているようだったが、状況はより複雑だった。
「もし仮に召喚が成功だったとしても、現時点でのお前は魔力を使えない只人で聖女ではない。聖女でない異世界人のお前に、只人以外の正式な身分が与えられることはない。只人というのはこの国では差別の対象になるんだ。お前の世界ではどうだったかは知らんが、魔力も身分も、もちろん金もだが、何も持たない人間がひとりで生きるのは生半可なことではない。この世界では命の危険さえあるんだ」
この世界は魔力の強さが全てを決めると言ってもいい。
事実、魔力の強い者は貴族がそのほとんどを占める。平民も魔力を持つが、貴族のそれとは比べものにならない。
この世界にもごく稀に魔力を殆ど持たない者がいる。そういった者は只人と呼ばれ、身分の最下層に所属することになる。平民よりもさらに下の扱いと行ってもいい。保護するものがいなければ、奴隷同然の扱いを受けることもあるのだ。
そもそも只人でなくても、この世界に根付いていない異世界人には身元を証明するものが何もない。身元の不確かなものを真っ当な職業のものが雇う事は稀だ。
ただし聖女ともなれば話は違ってくる。王家や教会が後ろ盾となり身元を証明し、『聖女』というのがその者の身分そのものになる。
シズルには当てはまらない。
「フロトポロス伯、貴方は敵ですか味方ですか」
黙って話を聞いていたシズルが、不意に改まってジークハルトに問いかけてきた。
シズルの置かれている状況は、彼女が考えているよりも厄介だった。
理解しているつもりだったが甘かったようだとシズルは溜息を飲み込み、町歩きで思った以上に浮かれていたようだったと反省する。
いつもいつも。望まないのに厄介ごとが向こうからやってくる。ほっといてくれれば、大人しく目立たないように生きていくのに。
全く腹立たしいとシズルは思う。
王や貴族が闊歩するこの世界では、しっかりとした身分制度が健在だ。しかも魔術とかいう、シズルにとっては未知の不確定要素もあった。
そんな世界で権力の中枢に近いものたちを相手にするなど、いくらなんでも無謀すぎる。それくらいはシズルにも充分理解できた。
苛立ちと焦燥感で感情が揺れ、今にもジークハルトに飛びかかって怒りをぶつけてしまいそうになるのを、シズルは必死で堪えていた。
俯いてテーブルを睨みつけ、そろそろ睨みすぎで目からビームでも出るかと思った頃、ジークハルトの答えが返ってきた。
「俺は、お前の味方で在りたいと思っている」
味方する、とか味方になってやるとか断言しないところは、さすが海千山千のお貴族様だ。言質を取られないような返答をするあたり、ジークハルトは冷静な上随分と用心深い人物のようだとシズルは判断した。
ジークハルトの言葉の意味をしっかり理解したシズルは、それを確認する為に彼に聞く。
「こちらが敵対しない限りにおいては味方である、という解釈でよろしいでしょうか」
「頭の回転が速い奴は嫌いじゃない」
ジークハルトはにやりと悪者のような笑みを浮かべた。
「そちらが本来のフロトポロス伯の姿ですか。顔面詐欺も大概ですね、どこの悪代官ですか」
「ジークハルトでいい。『アクダイカン』が何か知らんが、別に隠していたわけじゃないぞ」
シズルはもう一歩踏み込んでみることを決め、深呼吸をして正面からジークハルトに語りかけた。先程から、ジークハルトの口調が随分と砕けた感じになっているので、今ならいけるのではないか考えたからだ。
「では改めて自己紹介を。私は守山静流と言います。モリヤマは家名になりますが、元いた世界ではこちらと違って明確な身分制度はないので、平民と思っていただいて構いません。身分の問題はあるかもしれませんが、私は既に成人していますのでひとりでも大丈夫です。基本、争い事は好みませんが無抵抗主義ということではありませんし、向こうでも降りかかる火の粉は自分で払ってきましたからご心配は無用です」
ジークハルトはシズルが置かれている現状を包み隠さず話して聞かせてくれた。それを受けて、シズルも『時と場合によっては敵対する可能性もある』と正直に話したのだ。
「この際ですから、領主の強権で私をジークハルト様の領民にして下さい。領民という立場さえ頂ければ、後は市井で目立たず生きていきます」
「強権とは何だ、暴君じゃあるまいし。例え領民にしたところで、その辺で野盗にでも殺られて野垂れ死なれたら寝覚めが悪くて敵わん。無理な話だ」
なかなか承諾しないジークハルトに、シズルは何と言って納得させようか思案していた。
その時ジークハルトがふと思い出したように言った。
「お前そう言えば以前、実力行使がどうとか言ってたな。さっきの話もそうだが、女だてらに腕っぷしに自信でもあるのか?」
「まあそうです。自分の身は自分で守れるくらいには」
嘘ではない。但し普通の人間が相手の場合ではあるが。
シズルは敢えて口には出さなかった。
この世界で魔法を使う相手に対してはどうなるか分からない。しかし自分で言い出した以上、こうなったらもうやれることをやるしか無いとシズルは覚悟を決めていた。
「それならそれを証明してみせろ。俺が納得できるほどの腕前なら、市井で生活するのを認め領民にしてやってもいい。駄目だったら塔から出て俺の邸で下働きからでも始めればいい」
「では誰か見繕って下さい。勇者や達人とか連れて来られると困りますが、普通の相手なら問題ないと思います」
「よし」
かなり綱渡り感が否めないが、こうしてシズルは自由への機会を得たのだった。
2021.3.24改稿
 




