姉弟 「国王夫妻と辺境伯」
し−てい 「きょうだい。辺境伯、王妃、国王」
ザカリと一緒にやってきたシズルが、何の前置きもなくいきなりジークハルトに言った。
「というわけなので給金を上げてください」
執務室で、ザカリのつけた『刻印』の話を聞いたジークハルトは頭を抱えた。
シルベスタが慌ててシズルに近寄り、その右手を自らの両手で包み込むように調べ始め、それを見たザカリが唸り声をあげ抗議している。我関せずな様子のシズルがシルベスタにされるがまま、隣のザカリががうがう抗議しているのも放置して、頭を抱えているジークハルトの前に突っ立っている。
執務室はなかなかに混沌とした状況になっていた。
「・・・本当だジーク。刻印が刻まれてる」
青くなったシルベスタに右手を取られたまま、シズルがジークハルトにさらに言う。
「というか、今まで使う機会がなかったから気にしてませんでしたけど、私って、お給金ってもらってませんよね? これまでの分も纏めてくださ
い、今。」
「お前が気にしないといけないのはそこじゃないんだが」
「何いってるんですか。お金がないと扶養使い魔のザカリを養えません。養えないと非常食の私が、ザカリに美味しくいただかれることになるんです。重要ですよ」
シズルはそのことに対して、危機感を抱いているとはとても思えない様子で金の亡者に成り果てて、今くれ直ぐくれとジークハルトに催促している。その様子に違う意味で頭を抱えたくなったジークハルトは、シズルの側でシルベスタを威嚇し続けているザカリに視線を向けた。
「まだそいつが、お前をえさとして刻印を刻んだのかどうかは確かじゃない」
「・・・違うの?」
シズルが隣のザカリに尋ねている。
「ガウ、ワウワウ」
「うん、わかんない」
危機感のかけらもないシズルとザカリのやりとりに、ジークハルトの眉間に深い皺が刻まれる。
「王城に行く」
「ジーク?!」
「これ以上事態が複雑になる前に全てを王に話す。魔物の刻印に関することはミゼン殿なら何かご存知かもしれん」
「しかし今の名代はルーデリック殿下だぞ。シズルに関係する事案で、陛下に面会など取り次いでもらえるのか?」
「心配ない、裏技を使うさ」
ジークハルトはにやりと笑った。
そんな主従の会話についていけない金の亡者は、もう一度自分の主張を申し立て、手のひらを上にしてジークハルトに差し出した。
「ジークハルト様、お金ください」
ジークハルトは青筋をたて、執務机から身を乗り出してシズルの頭を鷲掴んだ。
「全くお前は次から次へと・・・!」
「痛い!」
「ガウ! ガウガウ!」
シズルの悲鳴に、ザカリがジークハルトに向かって盛大に吠えたてて抗議した。
ジークハルトには年齢の離れた姉がいる。
その姉はルーデリックの実母で、エデル国王妃のオルタンシアという。ジークハルトがまだ十に満たないうちに王家に輿入れしたが、生まれた時に母を亡くしていた末子のジークハルトを、とても可愛がっていた。ジークハルトにとっては、時に母親のような存在でもあった。
王妃オルタンシアは幼い頃から、魔導士十番目に次ぐ魔力の持ち主であることを認められ、伯爵家の娘でありながら王家に嫁ぐことになったという経緯を持ち、名実ともに女性のなかでは最高位の存在だった。
だがその温厚な性格もあって強大な力を持ちながらも、名誉欲や支配欲といった事柄には全く興味を示さない、どこか浮世離れした少し変わった性格の持ち主として有名だった。
今も、病床の夫を見舞いに行くほかは、表舞台に立つことなく離宮で静かに暮らしていた。
オルタンシアは、短期間で相次いで家族を失ったジークハルトを今まで以上に気にかけ、月に一度の頻度で親書を送ってきていた。ジークハルトは今回それを利用して、オルタンシア経由で王に面会を試みようと思っていたのだった。
ジークハルトは今回、邸にシルベスタを残してきた。シズルだけでなく今は魔狼が邸内に居るからだ。いくら使い魔として主従契約を結んでるとはいえ、シズルもザカリも突拍子もない行動を取るので、いつも留守を任せるアディスだけでは手に負えないかもしれないと考えたからだった。
薔薇の香りが漂う離宮の庭園で、王妃オルタンシアはジークハルトを出迎えた。黒髪に碧い瞳はジークハルトと同じだったが、姿は対照的で小柄でほっそりとした貴婦人だった。
「顔を見るのは本当に久しぶりね、ジーク。お父様の葬儀以来かしら」
「ご無沙汰しております。殿下」
「ここはわたくしの離宮です。堅苦しのは止めてちょうだいな。それにしても大きくなり過ぎではないの、ジーク。見上げてばかりで首が痛いわ」
「・・・姉上も相変わらずのご様子で安心しました」
もうすぐ四十に手が届く年齢だというのに、相変わらず少女のような物言いにジークハルトは苦笑した。王妃はお茶の準備のされたテーブルにジークハルトを座らせると、侍女を退がらせ手ずから紅茶を入れた。
「今日はひとりなのね、シルベスタは元気? それにしても、手紙も碌に寄越さない無精者のあなたがわたくしに会いたいだなんて、一体どういう風の吹きまわしなの?」
そこで一旦言葉を止め、悪戯を思いついたような顔をして話を続けた。
「もしかして、最近お邸に住んでるお嬢さんのことかしら?」
ジークハルトは紅茶を噴きそうになった。
浮世離れしていようが離宮に篭っていようが、仮にも一国の王妃、情報収集は抜かりないようだった。
オルタンシアは愉快そうにくすくす笑っている。
「とても愉快なお嬢さんらしいそうね。ルークにも困ったものだわ。未だに人を表面だけでしか判断できないんですもの。今手元に置いている可愛いだけの娘より、よっぽど聖女らしいというのに」
「姉上・・・!」
どうやらこの調子ではジークハルトが話すまでもなく、今回の一件は王に筒抜けのようだった。オルタンシアはジークハルトの考えを見透かしたように話を続けた。
「当然でしょう? 陛下のそばにはミゼンが控えているのよ。強力な召喚術の発動など隠せるはずもないわ」
「ではなぜ何もせず静観しておられるのです」
「まだその時ではないからよ」
オルタンシアは遠くを見るように目を眇めた後、ゆっくりとカップを置きジークハルトに視線を合わせて言った。
「この世界に偶然はないの。だからねジーク、そのお嬢さんがあなたの元に来たのも、魔獣がそのお嬢さんを選んだのもきっと理由があるのよ。あなたはそれを最後まで見届けることになるでしょう」
予言の魔女の異名を持つ王妃は言った。
黙ったまま僅かに眉間を寄せたジークハルトの頬を撫で、オルタンシアが言った。
「そんな顔しないで、ジーク。あなたやシルベスタが嫌ってないんですもの、そのお嬢さんならきっと何があっても大丈夫よ。この後、わたくしは陛下のお見舞いに出向きますから一緒に行きましょう、そこでミゼンとも会えるわ。さあ折角会えたんですもの、その時間まで、もっといろんなお話を聞かせてちょうだい」
オルタンシアは少女のように目を輝かせてジークハルトに話を強請った。
「・・・そうですね。彼女が来てからというもの、私やシルベスタは振り回されてばかりですが、考え方も行動もとても変わっていますから退屈はしてませんね」
「あらあら。ふふ。わたくし、そのお嬢さんとはとても仲良く出来そうな気がするわ」
ジークハルトとオルタンシアは少しの時間だったが、ただの姉弟に戻り和やかに談笑することができた。
半刻もした頃だろうか、王の準備が整いましたと離宮に知らせが届いた。オルタンシアはジークハルトと御付きのものを数名伴い、王の居る本宮へ向かった。
「バシレウス、お加減はいかが? 今日は珍しいお客様と一緒なんですよ」
案内された広い王の寝所には、燃えるような赤髪の大柄な壮年の男と、銀髪の純白のローブ姿の年齢不詳の男が居た。
赤髪の男の方は天蓋付きの大きな寝台の上に上体を起こして座り、銀髪の男の方は殆ど気配を感じさせず、まるで置物のように王の側に立っている。
寝台の上の男は、瞳は力を失ってはいないし元気ならばさぞ精悍な容姿だろうが、病床にあるためか疲労感が濃い。
エデル国国王バシレウスその人だった。
「ここ数日はとても気分が良いよ、シア。やあ、随分と久しぶりだねジークハルト。いや、もうフロトポロス伯と呼んだ方が良いのかな?」
「本日は拝謁いただき誠に恐縮です。ご無沙汰致しております陛下、不義理で申し訳ございません。お元気そうな御姿を拝見できて安心致しました」
「そんなに畏まった挨拶はいい、今ここに居るのは王ではなくお前の義兄だよ。それよりお前にはルーデリックの父親として、ずっと謝らなくてはいけないと思っていたんだよ。ルークが面倒かけてすまない、ジークハルト」
「そんな。勿体ないお言葉です」
「あれを甘やかしてしまったのは私たち親の責任だ。なまじ魔力が強いために、ルークを利用しようとするものが多いのが悩みの種だが、何より、それらの甘言を跳ね除けられないような人間にしてしまった私たちの罪は重い」
「バシレウス、あまり興奮しては体に障るわ」
「心配ない、だがそうだな。ミゼン、後の話はお前に任せて良いかい?」
「承りました」
ずっと影のように王の側に立っていたミゼンが静かに肯首した。




