暴風 「プレーステールと陳情書」【挿絵あり】
ぼう−ふう 「乗馬練習と寒村への出立」
シズルとシルベスタは馬場にいた。
「鞍は何とか自分で着けられるようになったな」
「プレースはブロンデほど大きくないですから」
シズルが乗るためにシルベスタと一緒に選んだのは芦毛の馬で、他の馬より少し小さい。といっても、馬の背はシズルの肩ほどの高さにあり、鞍を着けるのに苦労していたのだ。
シズルのこの馬は、やや小柄だが暴風の名前の通り気性も荒く、今まで誰も乗せなかったらしい。因みに、ジークハルトの馬は青鹿毛で名前は雷、シルベスタの馬は黒鹿毛なのに何故か吹雪という名前だ。
その暴風ことプレースは、シズルが近寄ると鼻を寄せ、匂いを嗅ぐようにしたあと嘶いた。そして嫌がる素振りも見せずに側に寄ってきたのだった。
シルベスタは奇妙な顔をして、女なら何でも良いのかと呟いて馬を見た。
何やら気になる発言だったが、シズルは自分の馬としてプレースを選んだのだった。
鐙に足を掛け、よっこいせと心の中で掛け声をかけ馬の背に乗ると、思った以上に目線が高かった。シズルを見下ろしていたシルベスタが、今はこちらを見上げるような格好になっていた。
いつも皆に見下ろされて、つむじに視線が刺さることばかりだったが、これなら野郎どもを見下ろせるではないかとシズルはほくそ笑んだ。
シズルがにやけそうになるのを何とか我慢していると、そこにジークハルトがのっそりやって来た。
「暴風か、よく乗せてくれたな」
「シズルが女だったのが良かったみたいで」
「呆れたな、なんて馬だ。女なら何でも良いのか」
ジークハルトもさっきのシルベスタと同じことを言っている。
しかしふたりの放言も、今のシズルにとっては些事だった。馬からの目線の高さの嬉しさで、弾みそうになる声を抑えてジークハルトに声をかけた。
「どうですか、ジークハルト様」
「おう、なかなか様になってるじゃないか」
そう言って、笑顔でシズルの乗った馬の側まで寄って来た。流石にジークハルトもシズルを見上げる格好になっていた。
シズルは我慢出来ずに、思わず含み笑いをしてしまった。
「何だ、気持ち悪いやつだな。馬に乗れたくらいでそんなに嬉しいのか」
「いつも上から目線の人には分からないでしょうね」
「なんか引っかかる言い方だな、おい」
「今日は言葉の裏は読まなくて良いです。単純に視線が高くて嬉しいだけなので。ジークハルト様やシルを上から見下ろせて、私は大変満足です」
「馬鹿め。俺が馬に乗ればいつもと変わらんわ、見てろ」
プレースの上で胸を張り、若干顎を上げて得意そうにするシズルに向かって、ジークハルトは鼻で笑ったあと、そんな風に言い捨てて厩舎へ行ってしまった。
「何ですあれ。大人気ない」
「シズルも大概だけどな。ジークはほっといて、そのままプレースを歩かせてみろ」
シズルは馬場をゆっくり歩き出した。
暫くそのまま歩いてプレースとの息が合ってきた頃、ジークハルトが愛馬に乗って厩舎からやって来た。
以前も感じていたが、でかい。
人馬一体となると異様なほどの巨大さに感じられた。こうして隣に並ぶと、プレースがポニーに思えるほどだった。悔しいがジークハルトの言う通りだった。
得意げなジークハルトに、シズルはまたもつむじを見下ろされ、悔しさに臍を噛むことになった。
シズルが馬で駈歩が人並みに出来るようになった頃、ジークハルトの下に一通の書状が届いた。
届いたのは、隣の子爵領と隣接する農村からの陳情書だった。
その村の名はエイシカといった。
村の住人がほぼ時給自足の生活をしている寒村で、村の東側にある森の恩恵で暮らしが成り立っていた。
恵み豊かなその森はアウレーの森と呼ばれ、村人たちは毎日のように森に入り、獣を狩り、野草を採取し穏やかに暮らしていた。
その森にも凶暴な魔獣はいるが、森の奥深くに入り込まない限りは安全で、エイシカ村の村人は魔獣と賢く住み分けをし、上手く共存共栄が出来ていた。
ジークハルトが知る限り今まで問題が起きたことはなかった。
ひと月程前、村に四人の男たちがやって来た。
その男たちは各地を転々と旅しながら、魔物を研究している魔導士とその弟子だと自称した。旅の途中で通りがかったアウレーの森の中で、恐ろしくも珍しい魔物を見つけたのだという。
そしてそれを研究する為に森を封鎖すると宣言した。そして村人たちに森への一切の立ち入りを禁じたのだった。男たちは魔導士の高尚な研究に協力するのは、平民なら当然の事だと言い張って聞かない。
あまりに身勝手な魔導士たちの言い分に、納得できない村の数人が森に入ろうとしたが、魔導士のひとりが誰も入れないように、村と接する森全体に結界を張り居座ってしまった。魔導士もその弟子たちも、魔力は村人たちより強く誰も逆らえない。
近隣の村にも助けを求めてみたが、魔導士の弟子たちに返り討ちにあい、一般人の農民では全く歯が立たない。
しかもあろうことか、その魔導士たちは自分たちの研究への協力と称し、生活の全てを村に依存しているという。
生活の主な糧を奪われ、高飛車な魔導士たちの態度にも我慢の限界が来て、流石に困り果てた村の代表が、最後の手段として領主に助けを求めてきたという訳だった。
「旅の魔導士の一団とか、胡散臭さ満点ですね」
シルベスタが言った。
確かに森の深部には大型の魔獣はいたが、村人の行動範囲に出るのは野うさぎや猪などで、大した危険はなかったとジークハルトは記憶していた。
「森に入らせないための魔導士の虚偽とも考えられるが、何が目的か分からんな。領軍を動かすほどではないにしろ、森全体に結界を張れるほどの魔力の持ち主なのが少し厄介だな。これはどうも、俺が直接村へ出向いたほうが話が早く済みそうだな。仕方ない、留守はまたアディスにでも任せるか」
「また小言を言われそうですね。それよりシズルはどうしますか」
「連れて行くしかないだろうな」
「・・・ルーデリック殿下の件ですか」
「そうだな」
シズルを目の敵にしているルーデリックは、強力な魔力を持ち、炎の魔術を扱う。その強烈な火焔を本気で向けられれば、広範囲が焼け野原になり骨も残らない。幾らシズルが素早く、体術に優れていようとも、図書館で相手にした魔導士のようにはいかないだろう。
ジークハルトやシルベスタがいれば、ルーデリックを抑えられるだろうが、魔力のないシズルがどうにかできる次元の話ではない。
「今はルカにかかりきりで、それどころじゃないだろうが、ルークのシズルに対する敵愾心は相当強い。俺がいない間にまた乗り込まれたら、今度はどうなるか分からん」
ジークハルトは問題の村へ自らが向かう事に決め、シルベスタにシズルを呼び出すように言った。
シズルの最近のマイブームは乗馬になっていた。
以前は図書館に篭もってひたすら文字と格闘していたが、こっちの方が断然良かった。プレースもシズルの言うことをよく理解してくれるので、乗馬はとても楽しいものになっていた。
たまたま様子を見に来ていたアディス団長に褒められ、内心ニヤついているとシルベスタがやって来た。アディスと一緒にいる所を確認すると、丁度よかったと、アディスと一緒にジークハルトの元へ来るようにと言われた。
執務室でのジークハルトの話によると、領地のとある村で問題が起き、自ら現地に向かうのでシズルも同行しろとのことだった。
領主が出れば必然的に護衛騎士も随従する。この護衛騎士は側近も兼ねているので、邸の意思決定者上位二名が不在となる。そこで一緒に呼ばれたアディスが留守居を言い渡されたのだが、団長は、またですかと困惑の表情になった。やたらフットワークの軽いこの領主は、アディスに結構頻繁にこういう役目を言い渡しているようだった。
ジークハルトがシズルを同行させたいのは恐らく、ルーデリックの再びの突撃を警戒しているのだろうが、シズルは一応尋ねてみた。
「何となく理由は察しますが、何故私も同行するんでしょうか」
「お前をひとりにしておくと、何処でいつ誰と揉め事を起こすか分からんからだ」
「強ち間違いでないのは認めますが、人を危険人物扱いですか。ですがもう理由はそれでいいです」
「相変わらず察しが良くて助かる」
さすがにアディスもいるこの場所で、ジークハルトが王太子に対する危惧を話すわけにはいかないのは、シズルも理解していた。
行き先には何やら混み入った事情があるようで、今回も三人での道行きになるようだった。
これから向かうそのエイシカ村までは、着くまでに約丸一日かかるらしい。
シズルのいた世界では、小旅行に必要な荷物はそう多くない。お金さえあれば、行く先々で物品を調達可能だからだ。しかしここではそうもいかず、ありったけのキャンプ用品を揃える勢いで、その荷物だけを載せる馬が一頭必要なほどだった。
シズルはジークハルトに例の転移陣とやらで、ささっと行けないのかと聞いてみた。しかし転移には、転移元と転移先の両方に陣が必要で、発動にはかなりの魔力も必要となり、殆どが貴族間の移動手段なのだそうだ。
もちろんこれから向かう寒村のエイシカ村にはない。
「意外です。もっと使い勝手の良いものだと思ってました。テレポーテーションみたいにこう、思い描いた先に、一瞬でぱっと行けるものかと思ってました」
「テレ、何だそれは」
「瞬間移動です。考えただけで、好きな所に一瞬で移動できるという優れものです」
「お前の世界ではそんな事が出来るのか?」
「物語の中では」
「夢語りか。頭の中で描くだけで、何でも出来れば苦労はないな」
魔法の世界の住人が、何を言ってるんだかとシズルは思った。
呪文一つで身体を瞬時に鉄のように硬くしたり、何もないところから火の玉を出したりする方が、シズルにとってはよっぽど夢語りのようだった。
「何にせよ移動は馬だ。手綱を離すなよ、落ちたらそこに置いて行くからな」
「・・・落とさないでね、よろしくプレース」
シズルが撫でながら声をかけると、プレースが返事をするかのように鼻をぶるぶるいわせた。置き去り発言の薄情者のジークハルトは無視して、シズルは愛馬(予定)のプレースにしっかり頼んでおいた。
 




