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ハルへ  作者: はるのいと
43/43

最終章「ハルへ……」

 その日、如月と小夜は初風市内のとある霊園へと向かっていた。そこには彼の親愛なる家族たちが眠っている。

 随分とここには来ていない。全てを終わらせるまで近づかない、と心に決めていた。でもいま思うと、それはとても無意味な考えだったな……。如月は自嘲した笑みを漏らした。


「どうしたの?」


 隣にいた小夜が彼の顔を覗きこんだ。


「いいや、なんでもないよ」


 如月は静かにかぶりを振ると、溜め息を漏らしながら長く続く石段を見上げた。


「それにしても、まだ随分とあるなあ……」


「これだから文科系はっ。ほら、行くよっ!」


 小夜は強引に如月の手をにぎると、彼を引き上げるように石段を力強く上って行った。


「ちょ、ちょっとペースが速いよ」


「文句いわないのっ! こっちはリバウンドでベスト時よりも、2キロも体重オーバーしてるんだからっ! ここいらで挽回しとかないといけないのっ!」


「べつに気にするほど太ってないじゃないか……それにBMIじゃまだ低体重なんだから――」


「そういう問題じゃないのっ! 2キロは女の子にとっては驚くほどの数値なのよっ!」


 小夜は眉をひそめながら如月の言葉を遮った。そして非難の眼差しを浴びせると、更にこう続けた。


「一体、誰のせいでこうなったと思ってるの?」


 看病と心労のせいで痩せ細ってしまった小夜。そんな彼女の身を案じた如月は、ここ数日なにかにつけて、お得意の言葉(まほう)を巧みに使い、高カロリーな食事を小夜に勧めていた。


 当然のことながら高カロリーな食事といっても、小夜の健康状態と栄養バランスを彼が第一に考えていたのはいうまでもない。その結果、やつれていた彼女は数日後にはもとの……いいや、2キロ増しの健康的な体を取り戻していた。


「……分かったよ」


 如月はうんざりした表情を浮べながら、小夜の手をにぎり石段を上ってゆく。そして同時に彼は目覚めてからの日々を思い起こしていた。

 意識を取り戻すと、目の前には予想通り小夜の姿があった。そのやつれた様子から僕が数日、いいや恐らく数週間は昏睡状態にあったのだろう、ということはぼんやりした頭でもすぐに理解出来た。


 すると目の前の彼女は、栗色の瞳を大きく開きながら見つめてきた。目覚めの第一声は出来れば印象的なものにしたかったが、口から出てきたのはあり来たり以下の「やあ……」と、いう気の抜けたものだった。いま思い出してもそれが悔やまれてならない……。


 その後、暫くして小夜からの連絡を受けた相良先生が、息を切らしながら病室に駆け込んできた。その様子から病院内を全速力で駆け抜ける、彼女の姿が容易に想像できた。


「おはようございます」


 如月は病室の入り口に佇みながら、肩で息をする琴音に声をかけた。


「おはようございます、って……どんだけ待たせれば気が済むのよ、この寝坊助がっ!」


 琴音は病室の外にまで響くほどの大声で叫んだ。

 すると驚いた看護師が「どうかしましたかっ?」と、いって慌てて病室に駆け込んできた。


「大丈夫です、ただの親子(・・)喧嘩ですから」


 小夜は看護師に微笑みかけた。


「親子じゃないっつうの……」


「いいえ、親子です。ねえ、そうでしょ?」


 小夜は微笑みながら如月に同意を求めた。


「さあ、どうだろう……」如月はゆっくりと首を傾げた。「でもまあ、僕をこれほど過保護に干渉してくる年上女性は、この人をおいて他にはいないだろうね」


「そう思うんだったら、今日くらいは素直になったら?」


「息子は常に母親に反抗するもんだよ。思春期、真っ只中の頃にはとくにね」如月はそういうと、琴音に視線を移した。「そうですよね? 相良先生」


「本当、ああいえば、こういうんだから……」


 琴音は静かに瞼を閉じると、俯きながら静かに微笑んだ。そしてすぐに如月を見据えると、眉間にしわを寄せながら彼のもとへと近づいてゆく。


「どうやら死にかけても治らないみたいね、その厄介な性格だけは」


 琴音はそういって、如月の頬を両手で力強くつまんだ。


「あ、あのう……かなり痛いんですけど、それ」


「だろうね。だって思いっきりつねってるもん」


「ちょ、ちょっと、止めてもらっていいですか?」


「無理、これくらい我慢しなさい」


「……ですよね」


 その後、如月の頬をつまみながら、琴音は10分程涙を流し続けた。いうまでもなく彼の両頬には、鬱血した彼女の指痕がくっきりと残った。

 まあ、相当心配かけたんだ、これで済むなら安いもんかな……。如月はそう思いつつ、痛みを絶えながら琴音の罵詈雑言に黙って耳を傾けた。


 翌日、早苗たちが学校をサボり病室へ見舞いに訪れた。彼女の隣には鼻水を垂らしながら、号泣している清水の姿があった。当然ながら今日は例のカチューシャはなしだった。


「散々待たせやがって……」清水は涙を拭いながら如月のもとへと近づいて行くと、彼の両肩にそっと手を置いた。「良かった、本当に良かった……もう、大丈夫なのか?」


「ああ、心配かけたね……そんなことより、取りあえずその鼻水をどうにかしなよ」


 如月はそういって手近にあった、テッシュBOXを清水に手渡した。


「おお、悪い……」


 清水はそういって豪快に鼻をかんだ。


 相変わらずだなあ……。如月はそう思いつつ、先程から黙りこくってる早苗に視線を移した。そこには眉間にしわを寄せた陸上女子の姿があった。


 これは参ったなあ……。早苗の鋭い視線を浴びながら、如月は静かに溜め息を漏らした。軽くて強烈なビンタ……最悪は腰の入った正拳突きだろう。如月は海底でくらった黒ヒョウの一撃を思い出しながら身震いをした。


 どうやら今回も鼻血は免れないようだ。まあ、不幸中の幸いなことにここは病院だ。鼻血の止血くらいはお手のものだろう。如月の予想通り、早苗は両の指をポキポキと鳴らしながら、準備運動を始めていた。


「ちょっと如月と二人きりにしてくれる?」


 準備運動を終えると、早苗は静かに呟いた。その言葉からは怒りのオーラが漂ってた。

 最後の防衛ラインは愛しき彼女だけだ。如月は静かに小夜へ懇願の眼差しを向けた。


「べつに良いけどさあ……病み上がりなんだから少しは手加減してあげてよ」


 小夜はそういって、あっさりと清水を連れて病室を出ていった。

 頼りの綱だと思っていた最後の砦は、もろくも崩れさった。小夜たちが出て行くと、二人きりになった病室に沈黙が訪れた。すると程なくして早苗が静かに口を開いた。


「久しぶり」


「ああ。といっても僕の中ではそうでもないんだけどね」


「だろうね……で、傷の方は?」


 早苗は冷めた声で尋ねた。


「おかげさまで」


「そう、それは良かった」早苗はそういって、如月のもとへと近づいてゆく。「バカ……相変わらず無茶ばっかりして」


「致し方なくだよ」


「な、なにが致し方なくよ……」早苗は俯き加減で声を詰まらせた。「待ってる人たちが、どんなに辛い思いをしたか、あんた分ってる?」


 いつもと違う早苗の口調に、如月は一瞬、戸惑いを覚えた。


「……今回の一件で嫌というほど思い知らされたよ」


「嘘、どうせあんたはまた皆に心配かけるのよ。こっちの気持ちも考えないで……」


 なにもいい返せなかった、いい返せるはずもなかった……。病室に再度、沈黙が訪れた。


「なんで黙んのさ? いつもみたいに減らず口を叩きなさいよ……」


「そうしたいのは山々だけど……」如月は俯き加減で苦笑いを浮かべた。「キミがいってることは正しい。だから反論の余地なんてないんだよ」


「珍しく素直に反省してるわけだ」


「いいや、猛省してる」


「猛省してるか……」早苗は独り言のように呟くと、静かに如月の顔を覗き込んだ。「っていうか、さっきから気になってたんだけど、どうしたのさ? その頬っぺた」


「まあ、一言で伝えるのはとても難しいんだけど……」如月はそういって一呼吸置いた。「あえていうなら過保護過ぎる母親……のような人からの過剰で歪な、愛情表現のすえに出来た内出血、といったところかな」


「全然、意味わかんねえし……」


「だろうね」


「それにしても痛そうね、それ」


「ああ。でもこれから僕はもっと痛い目にあうんだろ?」


「ええ、勿論。じゃあ、覚悟はいい?」


 早苗は両手首を軽く回すと、微笑みながら如月を見据えた。


「ああ、お手柔らかに」


 如月はそういって、歯を食いしばると静かに瞼を閉じた。すると途端にヒリヒリしていた両頬に、柔らかい手のひらの温もりが伝わってきた。


「目開けないで……」


 瞼を開こうとする如月に、早苗は小声で呟いた。


「なんのつもりだい?」


「小っちゃい頃……色々あったらしいね」


「まあ、それなりに……」


「私はあんたの辛さとか、悲しみとかは正直分かんないから、偉そうな事はいえないんだけどさあ……でもお願いだから、もうあんまり無茶しないでよ」


 早苗は声を詰まらせながらいった。


 参ったなあ……これは反則だろ? 如月はそう心の中で呟くと静かに瞼を開いてゆく。するとそこには予想通り、涙を流す早苗の顔があった。最近は不本意ながら、女性たちを泣かせてばかりだ。流石にこれだけは慣れるということはない。


「分かった、約束する」


「どうよ、ぶん殴られるよりも効いたっしょ?」


 早苗は涙を拭うと如月に背を向けた。


「確かに」


「滅多に見られないんだからね。私の泣き顔なんて……」


「ああ、僕はついてるよ」


「約束したんだからね」


「分ってる」


「もし破ったら次はこんなもんじゃ(・・・・・・・)済まさないから……」


「分ってるよ」


「そう? ならいいけど」


 早苗は静かに肩を震わせると、病室のドアに手をかけた。


「……じゃあね」


「荒川さん」


「……なによ?」


 早苗は如月に背を向けたまま呟いた。


「ありがとう」


「早く学校に戻っておいで……そんでさあ、また4人で昼飯食おうよ」


 そういいの残すと、早苗は静かに病室をあとにした。

 彼女は相変わらずの女前だ。如月はそう心の中で呟きながら、一人きりになった病室で小さく微笑みを浮べた。


 その後はクラスメイトや、彼と関わりのある人たちが病室に訪れた。自分のことを気にかけてくれていた人たちが、これ程いたとは……。如月は連日病室に訪れる人たちを、静かに見つめた。本当、僕には勿体ない……彼はそっと心の中で呟いた。


 それから数日が経過した頃だった、長倉刑事が病室へ見舞いにやってきた。相変わらずシャープなブラックスーツに身を包んだ彼女の手には、むき出しのマスクメロンがにぎられていた。


「あれ、あの子は?」


「学校です。僕のせいで随分と欠席させてしまいましたから、今日は頭を下げて登校してもらいました」


「そっか」


 長倉は残念そうに頷いた。そして手近にあった椅子に腰を下ろすと、如月のベットの上に高級メロンを無造作に置いた。


「これ、見舞いの品よ」


「……ガサツだね、っていわれた経験は?」


「ないわよ、失礼ね」


「そうですか……」


 如月はむき出しのメロンを見つめながらぽつりと呟くと、独り言のようにこう続けた。


「辞表出したんですってね?」


「ええ。でも結局は受理されなかったけど」


「でしょうね。仕事の出来る刑事をそう易々と警視庁が手放す訳がない」


「美人が抜けてるわよ」


「ああ、そうでしたね。美人アラフォー独身ガサツ刑事を――」


「今度は永遠に眠らせてやろうか?」


「すみません」


 如月は苦笑いを浮かべると、静かに長倉を見据えた。


「今回は本当にありがとうございました」


「どうしたのよ、随分とあらたまっちゃって。なんか心境の変化でもあった?」


 長倉は怪訝な表情で顎を引いた。


「ええ、死にかければ多少は……」


「だろうね」


 長倉は納得するように頷くと、窓の外に目を向け独り言のようにこう続けた。


「それで、三枝のことは?」


「ええ、大まかには聞きました」


 三枝は医療刑務所に送致された。


「もう出てくるのはまず無理ね……っていうかそれ以前に、ここが完璧にぶっ壊れてるから」


 長倉はそういって自身のこめかみを人差し指で軽く小突くと、静かに如月を見据えた。


「やったのはキミでしょ?」


「ええ」


「因みにどうやって?」


「ちょっとした反則技を使って……」


 如月はそういって、自身の両手首を見つめた。するとそこには相変わらず、他人の目に見えない鋼鉄の手錠がかけられていた。


「そっか」


 長倉は静かに頷くと、なにかを思い出したようにパチン、と指を一つ鳴らした。


「それはそうと、今日は特別ゲストを連れて来てるのよ」


「特別ゲスト?」


 如月の問いかけに、長倉はニヤリと口角を上げた。そして一端、病室から出て行くと、暫くしてあの母娘たちを連れて戻って来た。


 ったくだから嫌なんだ、お節介な女刑事は……。

 病室に入るなり母親の香苗は、涙を流しながら如月に駆け寄っていった。


「ごめんなさい、私たちの為に……」


「べつに貴女たちの為じゃないですよ」


「素直じゃないわねえ」


 長倉は誰にいうでなく、独り言のように呟いた。


 ほっとけガサツ女っ! 如月は心の中で毒づくと、病室の片隅ではにかむ奈緒に目を向けた。


「娘さんは……もう、大丈夫そうですね」


「はい……」


 香苗は嗚咽を漏らしながら、何度も頷いた。すると彼女のもとに、顔を曇らせた奈緒が駆け寄ってゆく。


「ママ、大丈夫。どこか痛いの?」


「ううん、大丈夫よ。だってこれは嬉し泣きだから」


「嬉し泣きってなに?」


「奈緒は悲しいことや、辛いことがあると涙が出ちゃうでしょ?」


「うん」


「でもね、嬉しいことがあっても涙が出ちゃうことがあるの」


 香苗はそういって、娘の頭を優しくなでた。


「だからママは大丈夫よ」


 すると奈緒は安心するように微笑を浮かべた。如月はそんな母娘をベッドから静かに見つめていた。

 これは流石に目の毒だ……。如月がそう心の中で呟いた時だった、奈緒がゆっくりと近づいてきた。そして大きな瞳で彼を見据える。


「なんだい?」


 子供が苦手な如月はぶっきら棒に尋ねた。


「お兄ちゃんが ”ピピポロ族のメイ” ?」


 ピピポロ族のメイ――幼い頃に大好きだったアニメの主人公だ。彼は優れた武術を持っているにもかかわらず、決して相手を力でねじ伏せることはしない。誰も傷つけず言葉と緻密な作戦のみで、数々の争い事を解決してゆく。そんなメイの強さと優しさに、幼い頃の双子たちは心酔していた。


「どうしてそう思う?」


「私を病院に運んでくれたおじちゃんが、教えてくれたの」


「へえ。因みにそのおじちゃんは、キミになんていったんだい?」


「ママと私を助けてくれたのは ”ピピポロ族のメイ” だよ、って」奈緒はそういってにこやかに微笑んだ。「だからなにか困ったことがあったら、今度からはメイに相談しなさいって」


「そっか」


 あの守銭奴オヤジ……また余計なことを。


「ねえ、お兄ちゃんはメイじゃないの?」


 奈緒は曇りのない瞳で如月を見つめた。

 だから子供は嫌いなんだ……。如月は心の中で呟くと、目の前に佇む幼女を静かに見据えた。


「僕はメイじゃないよ」


「本当?」


「ああ、悪いけど別人だ。そうですよね、お母さん」


 如月が鋭い視線を投げかけると、香苗はなにかを悟ったように静かに頷いた。


「ああ、やっぱりお兄ちゃんがメイなんだっ!」


「いまの話をちゃんと聞いてかい? キミのお母さんは違うって――」


「だってママは嘘ついてるもんっ!」


「嘘? どういてそういいきれるんだい」


「ママの顔を見れば分るっ!」


「ふん、話にならない。これだから子供は――」


「それにあのおじちゃんもいってたもん。メイは恥かしがり屋さんだから、絶対に自分をメイだって認めないってっ!」


 相変わらず手際の良いことで……だが今回はあんたの思惑通りにはいかせない。


「もう一度いうよ、僕はメイじゃない」


「本当?」


「ああ、僕は嘘が嫌いだからね」


 これは嘘にはならないはずだ。まあ、屁理屈だけど……。


「じゃあ、私とママを助けてくれたメイはどこにいるの?」


「さあ、それは分らない。でもメイは恥ずかしがり屋なんだろ?」


 如月が尋ねると奈緒は静かに頷いた。


「じゃあ、キミの前に姿を現すことはないんじゃないかな」


「そ、そんなの……そんなの寂しいよ。だってメイに ”ありがとう” っていいたいもん」


「大丈夫だよ。キミがそう思ってくれてるだけで()は十分なはずだから」


「……本当にお兄ちゃんはメイじゃないの?」


「ああ。僕にはちゃんと如月ハル、という名前がある」


「ハル……変な名前」


「ほっとけ」


 如月は窓に視線を移しながら、吐き捨てるように呟いた。すると病室に暫しの沈黙が訪れる。そして程なくして奈緒が口を開いた。


「お兄ちゃん、ありがとう……ママと私を助けてくれて」


「だから何度いえば分るんだい? 僕はメイじゃないって――」


 如月は窓の外から、奈緒に視線を移した。すると幼女は先程と同様に、一点の曇りもない笑顔を彼に向けていた。

 これじゃ勝ち目はないな……。如月は心の中で溜め息を一つ漏らすと、奈緒を見つめながら苦笑いを浮べた。


「どういたしまして……これで満足かい?」


「うんっ!」


 奈緒は大きく頷くと、ベッドに飛び乗り如月に抱き着いた。

 勘弁してくれ……というか笑ってないで早く助けろっ! 如月の懇願する眼差しを、長倉は笑いをこらえながら病室の片隅で見つめていた。


 最悪だ……。抱きつく奈緒を見つめながら、如月は心の中で呟いた。でもまあ、こんなところを小夜に見られなかっただけでも、不幸中の幸いだな。彼は溜め息を漏らしながら、窓の外に視線を戻した。


 そういえば、唯一の肉親の姿が一向に見えないなあ……。厄介な母娘たちが病室をあとにして程なくした頃、如月はふと叔父の姿を思い浮かべた。あの変人のことだ、正直なにがあっても驚かないけど……。


 その後、小夜たちから聞いた話によると、叔父の敦夫は甥っ子の手術が成功し状態が安定したことを確認すると、相良先生に全てを丸投げして、そそくさと赴任先へと戻って行ったらしい。その際、ドン引きする小夜と相良先生に、叔父はこういい残して去っていったそうだ。


「まあ、僕がここにいてもなんの役にも立ちそうにないから、あとはお二人にお任せします」


 敦夫はそういって、如月に近寄ると静かに彼の鼻をつまんだ。


「ち、ちょっと、なにやってんですか、如月さんっ!」


 琴音が慌てて敦夫をいさめると、彼は悪びれる様子もなくこういい放った。


「いやあ、苦しくって目を覚ますんじゃないかな、と思って」敦夫は二人に真顔でそういうと、すぐに如月に視線を移した。「じゃあな、ハル。あんま寝過ぎると、体にカビが生えるぞ」


 叔父はそういい残し、颯爽と病室を去っていったという。

 相変わらずだなあ、全く変わっていない。恐らくあの人だけは、なにがあっても変わらないんだろうなあ……。如月は叔父の優しげな顔を思い浮かべながら、小さく微笑んだ――。


「ちょっと、聞いてんの?」


 気が付くと、目の前にはふくれっ面の小夜の顔があった。どうやら回想に夢中で、また彼女の話を聞いてなかったらしい。


「聞いてるよ」


「じゃあ、どんな話してたかいってごらん」


「そりゃ……まあ、大事な話だよ」


「具体的にっ!」


「……ヒントは?」


「やっぱり聞いてなかったんじゃない……」


 小夜は大げさに肩を落した。どうやら彼女はよっぽど、大切な話をしていたらしい。


「悪かったよ、ちょっと考えごとをしてたもんだから……今度はちゃんと聞くから――」


「いまのままじゃ、私はあなたの家族に会えない」


 如月の言葉を遮ると、小夜は俯きながら呟いた。


「どうして?」


「私たち恋人同士だよね」


 暫しの沈黙のあと、小夜は静かに如月を見つめた。


「いきなりなんだい?」


「いいから答えてっ!」


「ああ、そうだよ」


「だったら隠しごとはして欲しくない」


「キミに隠しごとなんてないよ」


「本当に?」


「ああ、ないね」


「絶対?」


「しつこいな、ないって――」


「3回もチャンスをあげたのに……」


小夜はそういって、寂し気な表情を浮かべた。


「どうして ”皆無だよ” っていってくれないの? 口癖じゃない……それともいえない理由でもあるわけ?」


「悪いけど、話しが全く見えてこない」


 暫しの沈黙の後、如月は静かに小夜を見据えた。


「嘘つき……察し良いダーリンなら、とっくにもう分かってるはずよ」


「分からないから聞いてるんだ」


「じゃあ、分かるように説明してあげるわ」


「ああ、よろしく頼むよ」


 二人に間に暫しの沈黙が訪れた後、小夜が静かに口を開き始めた。


「私があなたの過去を調べに、浜崎家へ行った話はしたよね」


「ああ。それがどうした?」


「その時ね、帰り際におばあさんがこういったの。ハル坊は黒蜜たっぷりの、きな(・・)()餅が大好きだったから、作ってあげると喜ぶよ、って」小夜はそういって如月を見据えた。「きな粉……苦手だったよね?」


 ハルちゃん、強敵が現れたよ……。如月は心の中で微笑むと、小夜に鋭い視線を投げかけた。


「子供の頃に好物だったものでも、歳を重ねるごとに苦手になる、ということは往々にしてある。だから取り立てて不思議なことじゃないと思うけど?」


「確かにそうね……因みに如月君の弟ちゃんは、苦手だったらしいわね、きな粉が」


「ああ、大の苦手だったよ……」 如月はそういってニヤリと口角を上げると、さらにこう続けた。「それじゃ ”きな粉” 以外の話も聞こうか。まさかこれで終わりじゃないんだろ?」


「ええ、勿論です」


「ふん、僕をがっかりさせるなよ」


「分ってます」


 小夜はそういって如月のメガネを奪い取った。そして素通しだということを確認すると、彼を静かに見据えた。


「あなたは幼い頃から視力が悪かった。なのにどうしてこのメガネは素通しなの?」


 相変わらず小賢しい……。如月は心の中で微笑んだ。


「医学は日々進歩している。レーシック、キミも知ってるだろ? 目の表面の角膜にエキシマレーザーを照射し、角膜の曲率を変えることにより、視力を矯正する手術だ。なんとわずかか15分で終了する。僕はそれによって視力を回復した」


 如月は一気にまくし立てると、メガネを小夜から取り返した。


「手術で視力が回復したんなら、どうしていまもメガネを?」


「これは幼い頃からずっとかけてたからね。無くなるとなんとなくきまりが悪くて、落ち着かないんだ。だからいまでも素通しのメガネをかけてる、というわけだ。なにか異論反論などは?」


「苦しい訳ね」


「そうかな? 話の筋は通ってるはずだけど」


「確かに……でもその話は嘘よ」


「どうしてそういい切れる?」


「女の勘」


「話にならない。実に非論理的な答えだ」


「そうかも知れないけど、私の答えは正しいはずよ」


「僕がなにか嘘を吐いてるとでも?」


「ええ、とてつもない嘘をね……」


「なら僕が納得するように、その嘘を暴いてみせろよ」


「分ったわ」


 小夜は自信満々に如月を見据えた。


「あの日、教室で私があなたをハルちゃんっていった時のこと覚えてる?」


「……そんなこともあったかな」


「あの時、一瞬だけどあなたは凄く寂しそうな顔をした……ねえ、どうして?」


「さあ? 気のせいじゃないのか……」


「私にだけはそう呼ばれたくなかった、違う?」


 彼女のいう通りだった……。


「大した自信だな……で、その自慢の洞察になにか根拠でもあるのかい?」


「ええ、勿論。だって私の師匠(・・)は人間観察のプロだから、弟子の私が見誤るなんてことはありえません」


 小夜はそういって、微笑みながら如月を見据えた。すると暫しの沈黙が二人の間に訪れた。

 どうやら、もうここまでのようだな……。如月は心の中で呟くと、小夜の眼差しを静かに受けとめた。


「キミらしくもない。いいたいことがあるなら、はっきりいいなよ」


「じゃあ、遠慮なく……」


 小夜はそういって、如月にそっと抱きついてゆく。


「私の大好きな人はね、きな粉が大嫌いで、視力はお兄ちゃんと違ってとても良くて、本当は人懐こくって甘えん坊で泣き虫なくせに、それをずーっと隠して生きてきた、とっても不器用な人なの……」


 小夜はそういって肺に空気を満たすと、如月を強く抱きしめた。


「ナツちゃん、みーつけたっ!」


 その瞬間、あの時から僕の心に重く圧しかかっていた、鋼鉄の手錠が一瞬にして砕け散った。

 ハルちゃん、僕らの悪戯バレちゃったよ……。如月は心の中でそう呟くと目の前の小夜を静かに見つめた。


「やっと泣かせてやった」


「……うるさいよ」


「いつもこっちばかり泣かされてるんだから、これはそのお仕返しよ」小夜はそういって如月の頬に、そっと手を当てた。「ほんと、賢いくせにバカなんだから」


「バカか……確かにキミのいう通りだ」


 如月は涙を流しながら微笑んだ。


「これからはどうするの? ナツ君に戻る、それとも――」


「キミはどっちがいい?」


「決まってるでしょ。私はいまのままの如月君がいい」


 小夜はいつもの優しい微笑みを彼に向けた。


「そっか……じゃあ、そういうことにしよう」如月も微笑みながら小夜の手を取った。「これで僕らに隠しごとはなくなったね?」


「うん」


「他になにか問題は?」


「ありません」


「僕になにか意見したいことは?」


「ありません」


「本当に?」


「ええ、皆無(・・)です」


「じゃあ、僕の家族たちに会ってくれるかい?」


「はいっ!」


 小夜が力強く頷くと、二人は手を繋ぎながら石段を登り出した。

 ねえ、ハルちゃん……。如月はこれから墓前で久しぶりに顔を合せる兄とは別の、もう一人の大切な片割れに声をかけた。だが当然ながらその応えは返ってこない。当たり前だよね……。


 彼は心の中で呟きながら、少し寂しげな表情を浮かべた。

 しかし、驚いたね。ハルちゃんもそう思うだろ? なんせ誰も見破れなかった僕らの悪戯を、こともあろうに彼女が見抜いたんだから。あれから12年か……やっと僕らはこの重たい手錠から解放されたね。


 彼女のおかげで僕は失くしていた自分というものを、ようやく取り戻せた気がするよ。突然で驚くかもしれないけど……僕はこれから少し前向きに生きて行こうと思ってるんだ。


 例えばそうだなあ……友人たちと放課後、時間を気にせず遊び歩いたりとか。いままで自分には無駄だ、と思って諦めてきたことに挑戦してみたりとか。そして……そして、彼女のくだらない話に一日中耳を傾けたりとか。こんな僕がおかしいかな?


 でもね、厄介なことに僕は彼女といると退屈しないんだよ。そして大嫌いだった未来が少しは……いいや、かなり好きになれるんだ。そういう訳で僕がそっちの世界に行くのは、当分先になりそうだよ。まあ、気長に待っていてよ。そっちは年を取ることもないだろ? 相変わらずその応えはなかったが、それでも黒縁メガネをした幼児が、微笑みながら頷いてる様子が、僕の瞼の奥にぼんやりと浮かんでいた。


 また性懲りもなく語りかけることもあるだろうけど、その時は鬱陶しがらずに耳を傾けてくれると嬉しいな……それくらいは良いだろ? 如月が心の中でそう呟いたとき、長かった石段を丁度登り終えたところだった。


「やっと着いたね」


 小夜は息を切らしながら如月を見つめた。


「ああ、そうだね」

 

 如月は軽く深呼吸をして頷くと、ゆっくりと空を見上げた。するとそこには雲一つない晴天が広がっていた。彼は静かに微笑みを浮かべると心の中でこう呟いた。

 それじゃ、またいつの日かどこかで……。


                                「ハルへ」完

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― 新着の感想 ―
素晴らしい作品でした。
[良い点] 「ナツちゃん、みーつけたっ」で大号泣でした
[良い点] 「ナツちゃん、みーつけたっ!」 [一言] ネット小説とは思えない完成度の素晴らしい作品をありがとうございます。 読みやすい文章に気付いたら一気読みしていました。 そして澄み渡るような読了…
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