表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハルへ  作者: はるのいと
39/43

第三十二話「加速する狂気」

 ”もう、大丈夫だ” あれってどういう意味だったんだろう……。小夜は遅めの朝食をとりながら、ぼんやりと昨夜の如月の顔を思い浮かべていた。明らかにいつもと様子が違った彼――なにかに怯えるように、震えながら抱きついてきた彼を思い起こすと途端に心の奥がざわついた。


 以前に比べて如月の心の壁が低くなったとはいえ、それがなくなった訳ではなかった。彼になにかあったのかは明らか。だがあれ以上踏み込むことは現在の小夜には荷が重かった。


「一体なにがあったんだろう……」


 彼女は頬杖をつきながらぽつりと呟いた。丁度その時だった、テーブルに置いていたスマートフォンが着信を告げてきた。小夜が気怠そうに画面に目を向けると、そこには珍しい名前が浮かんでいた。彼女はスマートフォンを手に取り画面をスライドさせた。


「大事な話がある。いきなりで悪いが時間を作って欲しい」


 受話口からは、いつもの余裕たっぷりな雰囲気など微塵もない声が聞こえてきた。

 ただごとじゃない……。小夜はそう思いつつ素早く着替えると、相手が指定した緑神駅前のカフェへと足早に向かった。




 待ち合わせ場所に到着すると相手は既に到着していた。小夜は軽く吐息を漏らしながら、彼の向かいに腰を下ろした。


「お待たせ」


「突然、悪かったね」


 権藤保はそういって、ウェイトレスに片手をあげた。すると小夜はメニューには目を通さずに、シナモンティーを注文した。


「それで、大事な話ってなに?」


 小夜が微笑みながら尋ねると、権藤は珍しく真顔で見据えてきた。


「その後、如月君とはどうだい?」


「相変わらず超ラブラブだよ。因みに昨日もミッキーと一緒に――」


「彼とは別れたほうがいい」


 権藤は静かに小夜の言葉を遮った。


「すみません。いま注文したシナモンティー、キャンセルで」


 小夜は片手を上げながらいうと、素早く椅子から腰を上げた。


「悪いけど、そんな話だったら帰る」


「いま帰ったら、キミは一生後悔することになる」


 権藤は独り言のように呟くと、小夜を静かに見上げた。二人の間に暫しの睨み合いが続く。そして一瞬、彼女が目を逸らした時だった、権藤が深く息を吸い込んだ。


「シナモンティー、キャンセルはキャンセル(・・・・・)だっ!」


 店内に彼の大声が響き渡った。そんな権藤の気迫に気圧されるように、小夜は静かに椅子に腰を下ろした。


「もう一度いう、彼のことは諦めるんだ」


 権藤は相変わらず真剣な眼差しを小夜に向けた。


「……権藤さんには関係ないでしょ」


「たしかに僕には関係ない。だけどね、キミが辛い思いをするのを黙って見てる訳にはいかない」


 権藤は溜め息を一つ漏らすと、さらにこう続けた。


「小夜ちゃん、残念だけど如月君はもう手遅れなんだよ」


「手遅れって、どういうこと?」


 俯いていた小夜は途端に顔を上げた。


「彼は12年前に起こった、とある事件の被害者だ」


「だからなに?」


 小夜は伏し目がちに呟くと、静かに権藤から視線を逸らした。


「やっぱり知っていたか……でもこれは知らないはずだよ」


 権藤はそういうと、小夜の目の前に一つの封筒を置いた。


 なにこれ? 小夜は訝しげな表情を浮かべると、すぐに封筒へと手を伸ばした。中には2cm程あるA4紙の資料が入っている。権藤がいうには、これはほんのごく一部ということだった。


 小夜はその資料にざっと目を通した。そこには恩田ナツを殺害した犯人の、行動記録が克明に記載されていた。当時未成年だった少年Aは更生施設を出所後、氏名を変えて別人として新たな人生を歩んでいた。


「……一体誰がこんな物を?」


 小夜は悲壮な表情を浮かべると、資料から素早く顔を上げた。


「分かってるはずだ」


「嘘よ、こんなの……」


「こないだ偶然、クライトンホテルで如月君に出会った。キミも知ってるだろうけど、優香ちゃんと最後のランチを楽しんだ、あの日だ」


 権藤は氷の解けかけた水に手を伸ばすと、一口含み更にこう続けた。


「その時、彼はある人物と一緒にいた。パッと見はなんの変哲もない、うだつの上がらないサラリーマン風の男性とね」


「それがなんなの、ただの知り合いでしょ?」


「ただの知り合いか……だとしたら如月君は僕と同じ闇の世界の住人ということなる」


 権藤は相変わらず小夜から視線を逸らさない。その瞳は酷く冷徹なものに変っていた。


「因みに僕が住んでいる世界では、その男は結構な有名人だ」


「有名人……どういうこと?」


「便利屋だよ」


「便利屋?」


 小夜は眉間にしわを寄せると、話の続きを無言で促した。


「でもただの便利屋じゃない。受けた依頼は必ず成功させる。依頼料によっては、口にはばかることも平気でやってのける。守秘義務なんてクソくらえ、の最凶で最悪な便利屋だ。現にこの資料も彼から買った」


 権藤はそういって指二本を小夜に示した。


「だ、だからってなによっ! 如月君がなにかしたわけっ?」


「いいや、なにもしてない。でもそれが異常なんだ」


 権藤は静かにかぶりを振ると、子供を諭すかのようにこう続けた。


「いいかい、想像してごらん? 彼は最愛の弟を殺害した犯人の居場所を、ずっと以前から知っていたんだよ。そして知っていながら、ただひたすら元少年Aを監視していたんだ」


「だ、だからって――」


「復讐とは……」


 小夜の言葉を遮ると、権藤は窓の外の景色に目を向けた。


「復讐とは対象者の大切なものを全て奪ったうえで、肉体的な苦痛を与えて殺す。要するに心的な苦痛と肉体的な苦痛を最大限に味あわせる、ということだ」


 鼓動が荒くなってゆくのが自分でも分った……。そんな小夜をよそに権藤はさらに続ける。


「事件の犯人である元少年A。彼は1年前にとある女性と結婚している。そして、その相手の女性には幼稚園児の連れ子がいた」


 権藤は抑揚なく淡々と語り続けた。


「その母娘が2日前から行方不明になっている」


 目の前の男がいっていることが、どこか現実離れしていて小夜にはとても信じられなかった。


「どうしてそんなことまで――」


「僕のような仕事をするうえで一番大切なのは、()を大勢飼うことだ。せっせと情報を運んでくる金の大好物な犬をね」


 小夜の言葉を遮ると、権藤は冷たい眼差しを彼女に向けた。


「勿論、警察関係にも僕の犬はいる」


 権藤の意味深な言葉――小夜はスマートフォンを取り出すと、慌てて如月に連絡を入れた。

 お願いダーリン、電話に出てっ! 小夜は心の中で叫んだ。だが受話器から聞こえてきたのは、無情にもガイダンスの機械的な音声だけだった。


「嘘よ……」


 小夜は呆然と自身のスマートフォンを見つめた。


「彼は長い間ずっと待ってたんだよ。あの事件の犯人が大切(・・)()()を作るのを」


 権藤は悲しげな眼差しを小夜に向けた。丁度その時だった、ウェイトレスがシナモンティーを運んできた。


「飲まないのかい?」


 権藤は椅子から腰を上げた小夜を見上げた。


「彼を助けに行かなきゃ」


「居場所は知ってるのかい?」


 権藤はゆっくりと冷めたコーヒーに手を伸ばした。


「分らない。でも必ず見つける」


「素人には無理だよ」


「そうかもしれないけど……でも彼と約束したの」


 暫しの沈黙のあと、権藤はゆっくりと口を開いた。


「僕に頼む、という選択肢は?」


「権藤さんなら彼の居場所が分かるの?」


 小夜が尋ねると彼は苦笑いを浮かべた。


「分かりはしないさ。でも伝手(つて)はある。さっきもいっただろ? これでも――」


「お願いっ、教えてっ!」


「まあ、これでも飲んで少し落ち着きなよ」


 詰め寄る小夜に、権藤はシナモンティーを勧めた。すると暫しの沈黙が二人の間に流れだした。程なくしてお茶の効果もあってか、小夜の心が落ち着いたのを見計らうと、権藤は彼女を見つめながらこう続けた。


「彼を探すにあたって僕の方から条件が三つある」


「なに? 条件って」


「一つ、キミは以前のように僕の仕事を手伝うこと。二つ、如月ハルとの関係を断絶すること。そして三つ目、これが最重要だ」


 権藤は鋭い眼差しで小夜を見つめた。


以前(・・)のような(・・・・)キミ(・・)に戻ること、それが条件だ」


「以前のような私……以前の私ってなに?」


 小夜は俯きながら静かに呟いた。


「それはキミが一番分かってることだろ?」


 氷姫――権藤の仕事を手伝い始めて程なくした頃、周りのバイト仲間たちからそういう渾名をつけられた。他人なんてどうでもいい。それどころか自分がどうなっても構わない。氷のように冷たい女。自分にはぴったりだと思った。でもいまは……。


「でも私は彼と出会っちゃったから……」小夜は瞼を閉じながらかぶりをふった。そして悲しげに「だからあの頃の私には、もう戻れない」と、呟いた。


 小夜は権藤の言葉を待たずに、カフェを出ていった。そしてスマートフォンを取り出すと、液晶画面をタップして、耳もとへと運んでゆく。暫くして受話口からは間延びした声が聞こえてきた。


「如月君が――」


 小夜はいましがた権藤から聞いた話を、琴音に伝えた。すると彼女は途端に声色を変え、いまから如月家に向かう、と端的に告げてきた。小夜も通話を終えると、近場に停車していたタクシーに乗り込み彼の自宅へと向かった。

 



 15分後――如月家に到着すると、小夜はつり銭も受け取らず慌ただしくタクシーから降りた。その瞬間、真紅のアルファロメオGT1300ジュニアが、タイヤを焦げつかせながら彼女の目の前で急停止してきた。そして車内からは、険しい表情を浮かべた琴音が素早く降りてきた。


「待った?」


「い、いいえ。いまきたとこです」


 焦げついたタイヤ痕を見つめながら、小夜は唖然とした様子でかぶりを振った。


「じゃあ、行くわよ」


 琴音はそういって如月家の門扉を潜ってゆく。すかさず小夜も彼女のあとに続こうとした。丁度その時だった、マルチーズを連れた老夫人が二人に声をかけてきた。近所の佐々木夫人である。


「あのう、如月さんなら法事でお家を空けてますよ」


「法事?」


 琴音は眉間にしわを寄せながら聞き返した。


「ええ、今朝早く喪服を着て――」


 佐々木夫人の言葉を待たずに、琴音は慌ててドアノブに手をかけた。だが案の定、鍵が掛かっていてドアは開かない。すると彼女はジャケットのポケットから、一つの鍵を取り出した。それは以前なにかあった時の為に、叔父の敦夫から預かっていた合鍵であった。


「ち、ちょっと琴音さん、靴、靴っ!」


 ドアを開けると、琴音は土足のまま二階へと向かった。小夜は玄関先で靴を脱ぎながら、不意にリビングのほうに目を向けた。するとそこには生活感のない寂しい空間が広がっていた。それはまさに如月ハル――彼自身そのものであった。


 暫しの間、寂しいリビングを眺めたあと、小夜は足早に二階へと向かった。恐らく彼の部屋がそこにあるはずだ、と思いつつ彼女は階段を足早にかけ上がってゆく。二階に上がると一番奥の部屋のドアが乱暴に開いていた。


「……琴音さん?」


 小夜はゴクリと生唾を飲み込むと、近づきながら彼女に呼びかけた。すると琴音の震える声が聞こえてきた。


「小夜ちゃん、こっちに来ちゃダメ……」


「えっ……琴音さん、どうしたの?」


 小夜はもう一度尋ねた。だがその返答はない。彼女は訝しげな表情を浮かべながら、琴音がいる部屋のほうへと近づいていった。


「ねえ、琴音さん?」


 琴音の制止を無視して、小夜は恐る恐る部屋に足を踏み入れた。するとその瞬間、彼女の瞳に異様な光景が飛び込んできた。そして同時に声にならない悲鳴を上げた。


 小夜が驚くのも無理はなかった。なぜなら如月の自室は、ある一人の青年の写真で埋め尽くされていたからだ。柔和な顔立ちが周りに安心感を与える、そんな優しい微笑みを浮べる青年――それは先程、権藤に見せてもらった資料の中にいた少年Aであった。


「こ、これって……」


 口元を覆いながら、小夜は震える声で小さく呟いた。


「三枝時生……ハル君から全てを奪ったあの事件の犯人よ」


「ど、どうして、こんな写真を?」


「私にも分からない……でも最悪な状況ってことには変わりはないみたいね」


 眉間にしわを寄せながら、琴音は薬の束をかざした。


「あ、あの子……もう、何カ月間も処方薬飲んでない」


 行方不明になった母娘―― ”本当の復讐とは、対象者の大切なものを全てを奪ったうえで、肉体的な苦痛を与えて殺す” 先程、権藤がいった言葉が頭の中で駆け巡った。


「ね、ねえ、止めなきゃ。早くしないと如月君が人殺しになっちゃうっ!」


 小夜は悲痛な表情を浮かべながら、呆然とする琴音の両肩をゆすった。だが二人には彼を探す手立てなどない。あるはずもないのだ。

 どうすることも出来ずに、二人は如月の部屋で途方に暮れた。そして暫しの時間が過ぎた時だった、小夜のスマートフォンが着信音を告げてきた。画面に目を向けると、そこにはいま一番話したくない名前が浮かんでいた。


「如月君は見つかったかい?」


 スマートフォンを耳に当てると、権藤は間髪入れずにいってきた。一方、小夜は無言のまま、きつく奥歯を噛みしめた。


「だから素人には無理だ、といったんだ」


「そんなことをいう為にわざわざ――」


功刀(くぬぎ)埠頭の第三倉庫。恐らく彼はそこにいるはずだ」


 小夜の言葉を遮ると、権藤は機械的に伝えた。


「ど、どうやって、そんなことを――」


「随分と実弾(・・)を使ったよ」


 権藤は溜め息まじりで呟いた。


「まあ、氷姫の笑顔が見れるんなら安いもんだけどね」


「どうして、そこまでしてくれるの?」


 小夜の問いかけに、権藤は無言というかたちで答えた。


「……私みたいな女のどこが良いのよ?」


「まあ、僕にも色々とあってね……」


 暫しの沈黙のあと、権藤はがらにもなくしおらしい声で答えた。だがすぐにいつもの声色に変ると、力強くこう続けた。


「琴音に替わってくれ。そこにいるんだろ?」


 有無をいわせぬ言葉に、小夜はすぐさま琴音にスマートフォンを預けた。その後、彼女は権藤と暫しの言葉を交わした。小夜にはその内容までは分らなかったが、言葉数は少なくても二人が重要な話をしているのは明らかだった。


「――分ってる、あんたにいわれるまでもないわよ」


 琴音は吐き捨てるようにいうと、短い通話を終えた。そして小夜にスマートフォンを返すと、鋭い眼差しを向けてきた。


「それで、これからどうする?」


「勿論、行きます。彼を助けに」


「ふん、聞くだけ野暮だったみたいね。そんじゃいきますか」


「はい」


 力強く答える小夜に、琴音は頷きながらシニカルに口角を上げた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ