第三十一話「らしくない朴念仁」
「はい、あーん」
小夜は里芋の煮っ転がしを如月の口元に運んでいった。すると彼は珍しく素直に頬張った。
「煮物はあまり作らないんだけど、どうかな?」
「うん、味が染みてて美味しいよ」
「ほんと? よかった」
小夜はにっこりと微笑みを浮かべた。 っていうかなに? この素直な感じ……なんかいつもの彼と違う。小夜は目の前で里芋を頬張る恋人を見つめた。だがそこにはいつもの感情を読ませない彼がいる。
自分の思い過ごしだろうか? 彼女はそう思いながら味のしみた人参を頬張った。丁度その時、如月のスマートフォンからメールの着信音が聞こえてきた。彼は液晶画面を確認すると、素早くスマートフォンをジャケットに戻した。
「誰から?」
途端に小夜の左眉がひきつった。すると如月は干し椎茸に箸を伸ばしながら「知人からだよ」と、答えた。
「知人?」
「ああ。一応断っとくけど、相手は男性だよ」
如月は溜め息を漏らしながら小夜を見つめた。するとみるみるうちに、彼女の顔色が紅潮してゆく。
「べ、べつに疑ってないっ!」
ああ、またやってしまった……小夜は小さく溜め息を漏らした。
如月と付き合うようになり、自分が相当に束縛の強い女だということを、彼女は嫌というほど思い知らされた。現に幾度となく彼のメールやLINEの着信に反応して、いちいち目くじらを立てる始末だった。
ほんの少し前までバカにしていた女に私はなっていた……だがそれには少なからず理由があった。あの日以来、彼はマンションに誘っても来てくれない。やんわりと断られるのだ。
当然、こっちが如月家に行こうとしても即座に拒絶される。これだけ揃えば誰でも不安になるのは当然でしょ? 小夜は肩を落としながら小さく吐息を漏らした。そんな時だった如月が箸を止め、彼女を静かに見つめた。
「ところで、明日は週末だね」
暫しの沈黙の後、如月は独り言のように呟いた。小夜が小首を傾げながら頷くと彼は更にこう続づけた。
「気象庁によると天気は良くも悪くもない、曇り空だそうだよ。しかも都合の良いことに降水確率は10%ときている。晴天の日差しの中を歩くのよりも、肉体的にも精神的にも絶好の散歩日和だそうだ」
如月はそういい終えると、静かに押し黙った。
「へえ、そうなんだ……」
小夜はそう呟くと、向かいで食事を続けている恋人を盗み見た。他人から見ればなんの変哲もない、いつも通りの無表情――だが彼女には如月の微妙な変化が容易に感じ取れた。
具体的にいうと、いつもより瞬きの回数が幾分増えている。加えて味の薄いおかずに対して、お茶に手を伸ばす回数も普段より多い。そして一番の決め手は ”やつが素直すぎる” ということだ。彼と過ごした数カ月間で ”人間観察” という悪癖を私は受け継でしまったようだ。小夜は心の中で静かにほくそ笑んだ。
うん? それにしても散歩日和って……。小夜はもう一度、如月に目を向けた。そこには珍しく気まずそうに眉間にしわを寄せる彼の姿があった。もしかして、これってデートに誘おうとしてる?
小夜はそう思いつつ取りあえず相手の出方を待つことにした。
「人は歩くことで全身の筋肉が刺激され、心肺機能も活性化する。すると血流が良くなり、酸素と二酸化炭素のガス交換も活発化され、結果として体細胞が若返るんだ。また一人だけのウォーキングよりも、誰かと会話をしながらの歩行は交感神経や――」
また長々と下らない話を……。小夜は心の中で溜め息を漏らすと、如月の言葉を静かに遮った。
「それで結局、ダーリンはさっきからなにがいいたいのかな?」
小夜が頬杖をつきながら見つめると、如月は不機嫌そうな顔でこう答えた。
「だから……ウォーキングは人体に良い影響を与える万能スポーツだ、ってことだよ」
「あっそ」
小夜は先程と同様に、気のない返事で返した。この時点で彼女は確信した。この朴念仁が、自分をデートに誘おうとしてることに。そしていつもヤキモキさせられている彼に対し、小さな仕返しを思いついた。
「そういえばね、明日は久々に早苗たちと買い物ツアーに行くの」
「……へえ、そうなんだ」
「如月君、いうところの絶好の散歩日和みたいだから、街ブラには最適の日みたいだね」
「ああ、良かったじゃないか」
如月はぶっきら棒に返した。その表情は不機嫌そのものであった。
「うん、いまから超楽しみ!」
小夜が歓喜の声をあげると、二人の間に暫しの沈黙が流れた。
ちょっと、やり過ぎだったかな……。彼女はお茶に手を伸ばしながら、向かいに座る朴念仁を盗み見た。
「あっ、もしかして明日なんか用事でもあった?」
「いいや、皆無だ」
「そう、ならいいけど」
皆無ですと? 額に血管が浮き出ているであろう、ことが自分でも分る。小夜は一瞬、時計に目を向けた。残り時間は神無月駅で別れるまでのおおよそ4時間……それまでになにがなんでもこの朴念仁から、デートの誘いを取り付けてやる。私のプライドにかけてもっ! 彼女はそう心の中で誓うと、里芋の煮っ転がしを豪快に頬張った。
こ、こいつあれからなんのリアクションも起こしてこねえ……。小夜は引きつった表情のまま、如月と一緒に神無月駅を目指し坂道を下っていた。あのあと、手を変え品を変え彼からのお誘いを導こうとした小夜だったが、その全てが無情にも空振りに終わった。
こんなことだったら意地悪なんかしないで、最初から素直に歩み寄ればよかった……。小夜は静かに溜め息を漏らした。いいや、ダメよ。こんなんで諦める訳にはいかないっ! 彼女はそう思い直すと鼻息を荒くさせながら再度、自分を奮起させた。
「ねえ、さだまさしの ”関白宣言” って歌、知ってる?」
「急になんだい」
「いいから知ってるの? 知らないの? どっち」
「知ってるけど、それが――」
「良い歌よね?」
如月の言葉を遮ると、小夜は微笑みながら小首を傾げた。
「ああ。でも随分と古い歌を知ってるんだね」
「名曲に新しいも古いもないわよ」
「まあ、そうだけど……」
「私ってね、ああいう亭主関白な人って大好きなの」
小夜は片目を瞑りながら、人差し指を立てた。
「こっちの予定なんてお構えなしで、ゴリ押しでデートに誘ってくるような、そんな自分勝手で自己中な男って最高だと思わない?」
「……随分と変わった好みだね」
如月は微妙な表情を浮かべると、いつものように口数少なく神無月駅へと歩みを進めた。要するに、小夜が放った起死回生の最後の作戦は見事に撃沈したということだ。
時刻は17時20分。神無月駅のホームには、いつものように弁当の入ったビニール袋をぶら提げた如月と、テンションのガタ落ちした小夜の姿があった。
策士、策に溺れる……昔の人は上手いこといったよなあ。小夜は到着した電車をぼんやりと眺めながら、静かに溜め息を漏らした。するとそんな彼女に如月が、俯きながら声をかけてきた。
「明日の買い物ツアーはキャンセルしろ」
「えっ?」
「明日は僕に付き合え、口答えは許さない」
如月はそういって顔を上げると、静かに小夜を見据えた。
「だから……♪~黙って俺についてこい~♪」
さだまさしの関白宣言?
「……音痴」
小夜は呆れるように、口元を歪めた。だがすぐに満面の笑みを浮かべると「でも……はいっ、ついていきますっ!」と、いって頷いた。
翌日は如月のいう通り曇り空だったが、とても過ごしやすい気候だった。
「で、今日はどこに行きますか?」
「僕は……キミの行きたい場所に行きたい」
如月はそういって、黙って小夜を見つめた。
「私の行きたい場所?」
どうせデートプランなんて考えてこないだろうから、彼が喜びそうな場所をネットでピックアップしてきたっていうのに……。小夜はそう思いつつ、如月を見返した。そこにはいつものと変らない無表情があった。
「……ほんとに私が行きたいとこでいいの?」
「ああ。今日はとことんキミに付き合うよ」
「そう……じゃあ、遠慮なく――」
小夜がまず目指した場所は、ディズニーランドだった。早速、タクシーに乗り込むと、彼女は大好きなキャラクターたちの話を始めた。そんな小夜に普段なら生返事で返す如月だったが、今日に限っては、彼女の瞳をしっかりと見つめながら相槌をうっていた。
珍しいこともあるもんねえ……。小夜はそう思いつつも今日は細かいことは気にせずに、純粋にデートを楽しもうと心の中で呟いた。
「ねえ、大丈夫?」
ベンチに体を預け青白い顔をしている如月に、小夜は心配げな表情でミネラルウォーターを差し出した。
「大丈夫、問題ない」
如月は頭を振りながらペットボトルを受け取った。
「どう見ても問題大ありでしょ……苦手だったらいいなさいよ」
如月の背中を摩りなながら、小夜は溜め息交じりで眉をひそめた。
いまから10分前、二人は数々のアトラクションを楽しんだ。その結果、如月は車酔いならぬアトラクション酔いを起こした。三半規管の強い小夜に対して、相方の如月はそうではなかった。だが彼の性格からして、弱音を吐くということは絶対にない。その結果、現在のこのような状況になった、という訳であった。
「さあ、休憩は終わりだ。次はどれに乗ろうか?」
「なにいってんのよっ、そんな青白い顔してっ!」
「僕なら平気だよ。なんの問題もない。さっきもいっただろ? 今日はとことんキミに付き合うんだ、僕はっ!」
如月はそういうと、当然のようにベンチから腰を上げた。
「ほんといいだしたら聞かないんだから……」
小夜は困り顔で、肩を落とした。
その後、二人は再びアトラクションのハシゴを決行した。その全てが小夜の大好きな ”絶叫系” のものだった。如月は最初こそは青白い顔をしていたが、数分後には幾分慣れてきたのか、顔色も落ち着き小夜との会話を交わすくらいの余裕は出てきていた。
相変わらず、順応が早いというか物怖じしないというか……。小夜はそう思いつつ如月の横顔を見つめた。すると彼は独り言のようにこう呟いた。
「記念撮影でもしたらどうだい? あのネズミと」
如月の目線の先を小夜は追った。するとそこには子供たちに囲まれた、ミッキーマウスの姿があった。
「ミッキーのことをネズミって……」
「だってあれはネズミだろ?」
「確かにネズミだけど……」
小夜は苦笑いを浮かべると、目の前で子供たちと戯れるミッキーマウスに目を向けた。
随分前に両親と来た時には、ミッキーとの記念撮影は結局出来なかったなあ……。不意に幼い頃の幸せな記憶が小夜の頭をよぎった。
「いまは子供たちに囲まれてるから、写真は無理っぽいよ……」
「でも、ほんとは撮りたいんだろ?」
如月はそういって小夜の顔を覗きこんだ。
「そりゃ、まあ少しは……」
小夜が頷くと如月は無言でミッキーマウスに近づいていった。そして周りにいた子供たちをよ
そに、ミッキーマウスの手を強引に引き彼女のもとへとつれてきた。
「強引ね……お子ちゃまたちが怒ってるわよ」
「そう思うなら、さっさと撮るぞ」
如月がそういうと、小夜は素早くミッキーマウスの隣に移動した。
「はい、チーズ」
如月はスマートフォンの中に収めた画像を小夜に見せた。ミッキーマウスとの2ショットはとても良く撮れており、彼女は満足そうに微笑んだ。そして仕事を終えたミッキーマウスは、子供たちのもとへと戻ってゆく。
「ああ、ちょっと待ってっ! 折角だから私たちも撮ってもらおうよ」
小夜はそういうと、ミッキーマウスに自身のスマートフォンを手渡した。そして如月の腕を取ると、寄り添いながら微笑を浮かべた。
「子供たちが怒ってるぞ」
「いいのよ、好きなだけ怒らせておけば」
「ふん、そうだな」
小夜は一瞬、如月に視線を向けた。そこにはいつもの無表情があった。彼女はカメラに視線を移すと、静かにこう呟いた。
「ねえ……笑ってよ」
小夜がそういった瞬間、カメラのシャッターは切られた。ミッキーマウスに礼をいって彼女は自身のスマートフォンを受け取った。液晶画面に目を向ける。するとそこには幸せそうに如月に寄り添う自分と、優しく微笑む彼の姿があった。
小夜はスマートフォンから顔を上げると、所在なさ気にしている如月に顔を向けた。その無表情から察するに彼が照れてるのは明らかだった。
「やれば出来るじゃん。ほら、超カワイイ笑顔いただきました」
小夜はスマートフォンの画面を如月に向けた。すると彼は不機嫌そうに「出血大サービスだよ」と、返した。
笑顔も良いけど、やっぱり個人的にはいつもの無表情な彼のほうが落ち着くかな。小夜は心の中でそう呟くと、次の絶叫アトラクションを笑顔が苦手な恋人と目指した。
「……泊まってく?」
楽しい時間はあっという間に過ぎていった。小夜はマンションの前まで来ると、如月に背を向けながら小声で尋ねた。
「いいや、止めとく」
「そっか……」
小夜は振り向きながら残念そうに微笑んだ。
「そんな顔されたら帰りにくいよ」
「ごめん……なんかめんどい女になっちゃったね」
今日の彼がいつもと違ったから、いままで見つめてきた彼じゃなかったから、だからどうしてもこのまま帰したくなかった……。
「それじゃ」
小夜はそういって、マンションの入り口へと向かってゆく。丁度その時だった、彼女は強引に腕を取られ如月に抱き寄せられた。
「……ど、どうしたの?」
小夜はきつく抱きしめられながら小声で尋ねた。いつもの如月では考えられないこの行動にも驚いたが、それ以上に小夜を驚かせたのは、彼が小刻みに震えていたからだった。
「なんかあったの?」
「ご、ごめん……」
「……答えになってません。なにかあったんなら――」
「あ、あと少しだけ、このままで……」
如月の声はとても弱弱しいものだった。
「……しょうがないなあ。どうせ理由を聞いても教えてくんないんでしょ?」
如月の無言の答え――。
「じゃあ、仕方ないわね……でも、これだけは覚えといて」
小夜はそういって、如月の華奢な背中に優しく腕を回した。
「あなたがピンチの時は必ず私が駆け付ける。どんなことがあろうともね……だから、安心しなっせ」
小夜が震える如月の背中を優しくさすった途端、不思議と彼の震えはピタリと止まった。
「ふん……生意気な」
そういった如月の顔はいつもの無表情に戻っていた。
「元気出ました?」
「ああ、思いのほかね。もう大丈夫だ」
如月はそういって珍しく微笑んだ。その笑顔はとても優しく、そしてどこか晴れ晴れとしたものだった。
「それは良かった。ではご褒美を一つ……」
小夜はほっとするように胸をなでおろすと、ねだるように瞳を閉じてゆく。人通りの少ない街灯の下、如月はそっと彼女の唇を塞いだ。




