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ハルへ  作者: はるのいと
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第二十七話「果てしなき闇への入り口」

 小夜が微笑みながら声の主に手をふると、マスダ精肉店の二代目女将は、コンビニのビニール袋を下げながら小走りで近づいてきた。

 相変わらずの恰幅の良い体型に、癒し系な柔和な顔立ち。そんな彼女の首元には、この時期の必需品である粗品で貰ったタオルが巻かれていた。


「こんにちは、咲子さん」


「今日も熱いわねえ。今から買い出し?」


 咲子は額の汗をしかめ顔で拭った。


「うん、これから商店街に。でも日曜だしこの時間ならまだ相当混んでるよね?」


「そうねえ……あっ、そうだっ! そこの公園でアイスでも食べながら、ちょっと駄弁(だべ)らない? あと2~30分もすれば客も引けるだろうしさ」


 小夜の返答を聞くこともなく、咲子は公園へと向かっていった。

 相変わらず、強引だなあ。まあ、そこがいいとこでもあるんだけど……。咲子の恰幅のよい背中を見つめながら、小夜は苦笑いを浮かべた。


 9月の中旬とはいえまだ残暑はきつい。二人は三角屋根のついたベンチに腰を下ろした。すると途端に涼しい風が、小夜の汗ばんだ額を通りすぎてゆく。彼女は瞼を閉じながら一時の涼を感じた。

 そんな時だった、突然ひんやりとした物が小夜の頬に触れてきた。驚いて目を開けると、咲子が悪戯っぽい表情で両手にアイスを持っていた。


「咲子さん、いいの? こんなとこでサボってて」


 小夜が受け取ったソーダアイスを袋から取り出すと、咲子もお気に入りの小倉アイスの袋を開けた。


「いいのよ。だってお義母さんが全部やっちゃうんだから、私はやることないもん」


「元気だもんね、おばあちゃん」


「ほんと、こっちが困るくらいにね」咲子は微笑みながらアイスに口をつけた。「あっ、それより見たわよ」


「見たって何を?」


「小夜ちゃんのこれ」


 小首を傾げる小夜に、咲子は親指を立てながら答えた。


「彼、また店に来たの?」


「うん。こないだ厚切りハムカツ弁当、2つ買ってったよ」


 あの後、やっぱり寄ったんだ。それにしてもまた厚切りハムカツ弁当か……他の物も試したらいいのに。小夜はそう思いつつアイスを頬張った。すると以前に如月から聞いた話を不意に思い出した。


「そういえば厚切りハムカツ弁当って、どうして裏メニューなの?」


「単純に採算が取れないのよ。あんだけ厚切りだし、うちのは高級なハムを使ってるからね」


「なるほど、大人の事情ってやつだ」


「そういうこと。そんなことより、私が気になってるのはあのメガネ君のことよ」


「彼がどうしたの?」


「いっちゃあ悪いけど、あの大人しそうな地味っ子のどこがいいわけ? 一緒にいても退屈そうじゃん」


「ほんと、みんな同じこというなあ……」


 あいつの本性を知れば、絶対にそんな台詞は出ないわよ。小夜は心の中でほくそ笑んだ。


「そういえばそのメガネ君だけどさ、双子の弟さんとかっていたりする?」


「双子の弟? ううん、いないよ」


「そっかあ……じゃあ、やっぱり別人なのね」


「別人ってどういうこと?」


「昔ね、うちのお客の中に可愛らしい双子を連れた夫婦がいたらしいの。その双子のお兄ちゃんの方にね、小夜ちゃんのダーリンが似てるんだって」


「如月君が?」


「うん、こないだお義母さんがいってたわよ」


「そうなんだあ……」


 小夜は初めて如月とマスダへ行ったときのことを思い浮かべた。

 あの時、お婆ちゃんは ”どっかで会ったことあるかい?” と、彼に尋ねていた。あれはそういう意味だったんだあ……。


「それで、もうエッチはしたの?」


「ううん。キスもまだ」


 っていうかまだ付き合ってもいないんだけど……。小夜は心の中でそう呟くと、ソーダ

アイスの最後の一口を頬張った。


「あっ……ハズレだ」


「ふうん、奥手なんだあ」咲子はニヤリと卑下た笑みを浮かべた。「いっそのこと、無理やり押し倒しちゃえば?」


「そこまで切羽詰ってないんですっ!」


「あっそ」咲子は鼻で笑いながら、小倉アイスの最後の一口を頬張った。「あっ、私もハズレだ」


「あら、残念」小夜はそういうと、スマートフォンの液晶画面に目を向けた。「ねえ、もうお客さん引けた頃じゃない?」


「あっ、そうね。それにそろそろ戻らないと、うちの口うるさいババアの雷が落ちるわ」


「はははっ、確かに。そんじゃ、行きますか」


 二人はベンチから腰を上げると、足早に商店街へと歩みを進めた。




「ただいま、戻りやしたあー」


「遅いっ!」


「なかなか見つからなくて、お義母さんの好きなやつ」


 咲子はカップのかち割り氷を振りながら微笑んだ。


「別に探し回ることなんかないんだよ」タエ子は不機嫌そうに眉をひそめた。「そんなことより、早く夕飯の支度にとりかかんな」


「へいへい。それじゃあまたね、小夜ちゃん」


 咲子は小さく手を振りながら、店先の奥へと消えていった。


「相変わらず仲いいね」


「いまのやり取りを見て、よくそんな台詞が出てくるねえ」


「いまのやり取りを見たからだよ……」小夜の頭の中に一瞬、母親の顔が過った。「なんか実の親子、って感じだったよ」


「実の親子かい……なんかこそばゆいね」タエ子は照れくさそうに微笑んだ。「それで姫様は本日なにをご所望で?」


「豚肩かたまり300g」


「今晩のメニューは?」


「黒酢の酢豚っ!」


 小夜が人差し指を立てていうと、タエ子は微笑みながら頷いた。


「なら脂身の少ないところねがいいね。草食系のあの子にもうってつけだ」


「おばあちゃん騙されちゃダメよっ! あいつはね、羊の皮を被った……」


 小夜は口ごもると、宙に視線を彷徨(さまよ)わせた。


「……羊の皮を被ったなんなんだい?」


「羊の皮を被った、マルチーズというか……」


「それって()よりも可愛いんじゃないのかい?」


「……いいから早く豚肩300gっ!」


「はい、はい」


 タエ子は苦笑いを浮かべながら、ショーケースの豚肉を取り出した。


「そういえば、彼こないだ来たんだってね?」


「相変わらずの仏頂面で、厚切りハムカツ買ってったよ」


「はははっ、目に浮かぶ」


「でもねジャンボメンチ、サービスしてやったらね、薄っすらとだけどニコッてしてたわ」


「そっか……私も見たかったな」小夜は微笑みながら、仏頂面を思い浮かべた。「それはそうと咲子さんから聞いたよ。彼って昔きてたお客さんに似てるんだってね」


「ったくあのおしゃべり嫁め……」


「常連客のお子さんだったの?」


「いいや。この辺りに奥さんの実家があったらしくてね。盆暮れ正月、あとは夏休みとかに家族四人で訪れるくらいだったよ。可愛らしい双子の子たちを連れてね」


「ふうん、そうなんだ」


「でもね、急に顔を出さなくなっちゃったんだよ。あの子たちはいま頃、なにをやっているのかねえ」


 タエ子の話では双子の兄弟たちは、見た目こそそっくりだったが性格の方は正反対だったらしい。人見知りで物静かな兄。かたや人懐っこく活発な弟――。


 二人は散歩がてら両親と共にこの商店街を訪れるたびに、タエ子が揚げたハムカツを頬張るのを、いつも楽しみにしていたという。そんな彼らの笑顔を、両親は幸せそうに眺めていたそうだ。タエ子は遠くを見つめながら思い出すように語った。


「へえ……いい話だね」


「だろ?」タエ子は頷きながらニコッと微笑みを浮かべた。そしてビニール袋を小夜に差し出すと「へい、豚肩300お待ちっ!」と、威勢よくいった。


 小夜は代金を支払い品物を受け取ると、数分ほどタエ子と雑談を交わしたのちマスダ精肉店をあとにした。帰り際、タエ子は「あの坊やにもよろしく」と、小夜にいってきた。

 意外にも奴は年上受けがいいらしい。小夜はほくそ笑みながら商店街を歩いてゆく。そして緑神駅前通りに差しかかったところで、彼女に声をかけてくる人物がいた。振り返るとそこには見知った顔があった。


「久しぶり」

 

 渋谷麻美は微笑みながらいった。綺麗に日焼けした肌にギャル風のメイク。加えて白いスキニ―パンツが褐色の肌と相まって、如何にもな雰囲気を醸し出していた。そんな彼女とはクラブなどでよく遊んでいた、いわゆる ”闇のバイト仲間” だった。


「おう、久しぶりっ!」


 小夜は片手を上げて応えると、麻美は微笑みながら近づいてきた。


「どうしてたのさ? 最近、全然NASにも顔出さないし」


「まあ、色々とあってね」


 小夜は曖昧に答えた。その歯切れの悪い答えに、麻美は小首を傾げながら彼女の顔を覗き込んだ。


「ふうん……色々とねえ」


「なによ、その嫌な眼差しは」


「別に。元々こんな目つきなのよ」麻美はそういって小夜が手にぶら提げている、買い物袋に目を向けた。「買い物?」


「うん、夕飯の」


「その(つら)で、しかも料理上手……嫁にするには申し分ないわね」


「自分でも、つくづくそう思うわ」


 小夜は苦笑いを浮かべながら、所帯じみた買い物袋をかざした。すると麻美は腕組みをしながら彼女にこう尋ねた。


「それで、これからの奥様(・・)のご予定は?」


「特にない、皆無よ」


「あはははっ、皆無って」麻美は屈託なく笑った。「そんじゃあ、久々だしちょっとお茶でもしない?」 


「あっ、いいねえ」


 小夜は微笑みながら頷くと、二人は緑神駅前に最近できたという、話題のカフェへと足を向けた。道中、麻美は相変わらずのマシンガントークを繰り広げてきた。

 変わらないなあ、この子だけは……。そう思いつつ小夜は相づちに専念することにした。っていうか聞き手に専念する、というのも結構しんどいものなんだなあ……。小夜はそう思いつつ苦笑いを浮かべた。


 店内に入ると休日の割には客数は少なく、好きな席を選び放題であった。二人は見晴らしのいい窓際の席を選んだ。席に腰を下ろすと彼女たちは早速メニューに目を向けた。

 暫し熟考したのち、小夜はシナモンチャイ。麻美は無難にカフェラテを注文することにした。更に飲み物だけでは寂しくない?、ということで、【3種のベリーのパンケーキ】なるものを二人でシェアしよう、ということになった。


「それで、最近はどうしてたのさ?」


「どうって? 別に普通だよ。学校行ってお勉強して、休日は街をぶらついたり」


「なんか変わったのと、つるんでるらしいじゃん?」


 麻美はニヤリと口角を上げながら、上目づかいで尋ねた。すると小夜は納得したように、軽く頷いた。

 なるほどね、先程の眼差しの意味がようやく分かったわ……。


「優香から聞いたのね?」


「うん。あの子、こないだうっとりした顔でいってたわよ。 ”超カッコ良かった、あの人” って」麻美は頬杖をつきながら苦笑いを浮かべた。「ねえ、一体どんな男なの?」


「べつに普通よ。地味でメガネでちょっと変わった子」


 ちょっとどころじゃないか……。小夜は薄く微笑んだ。


「ふうん、写真とかないわけ?」


「写真? 一応あるけど……」


 以前、カフェに行ったとき、無表情でパフェを食べる彼の姿があまりにも可愛かったため、スマートフォンで撮影したものがあった。


「マジで? 見たい、見たいっ!」


「べつに良いけど……悪口いったらグーで殴るわよ」


「いわない、いわない、いう訳がないっ!」


 小夜は静かに麻美を見据えると、暫しの沈黙ののち渋々といった様子で彼女にスマートフォンを手渡した。

 どうせ ”地味ね” だとか ”釣り合わないよ” っていうんでしょ? そう思いつつ、小夜はシナモンチャイを一口含んだ。だが麻美のリアクションは、彼女が予想したものとは大幅に異なるものだった。


「ねえ、彼の名前は?」


 麻美は画面を見つめながら尋ねた。その表情は先程までとは打って変わって、とても真剣なものになっていた。


「如月……如月ハルだけど」


「ああ、やっぱり」


「えっ、彼のこと知ってんの?」


「うん。小学校の時に一緒だった」


 麻美が小学校に入学して2か月程が経過した頃に、彼は転校してきたそうだ。見るからに不健康そうな青白い顔に、焦点の合わない暗い瞳――それはまるでどこかに感情を置き忘れてきた人形のようだった、と麻美はいった。


「隣の席になったことも何度かあったけど……結局のところ同じクラスだった3年間、一度も彼の声を聞くことはなかったなあ。まあ、色々(・・)とあったらしいから仕方ないだろうけどね」


「色々って?」


「あんた、彼からなにも聞いてないの?」


「なんのことよ?」


「彼ね……殺人事件に巻き込まれたらしいよ」


 麻美の言葉に小夜の鼓動は急激に跳ね上がった。そして不意に彼の暗い瞳が脳裏をよぎる。彼女は深呼吸を一つすると、友人に話しの続きを促した。

 今から12年前、初風市である殺人事件が起こった。被害者家族と麻美の祖父母が懇意だったことから、彼女もその事実を知ったそうだ。


「彼が殺人事件に巻き込まれたって、どういうことよっ!」


「そんな怖い顔しないでよ」


 詰め寄る小夜――麻美は驚きながら途端に身を引いた。


「ごめん……でもなんか知ってることがあったら――」


「私も詳しくは知らないんだって……」麻美は肩を落としながら溜め息を漏らした。


「だって、爺ちゃんも婆ちゃんも ”ハル坊には優しくしてやれ” の一点張りで、事件のことなんか一切教えてくれなかったんだもん」


「そっか……」


「私も子供だったからさあ、そのうち事件のことなんて気にもしなくなって……現に今日だって、その写真を見るまで彼のことなんかすっかり忘れてくらいだし」


 人は必要のない過去の記憶を消し去って生きてゆく。麻美が彼のことを忘れていたとしても別段、不思議じゃない。だが彼女にとっては、どうでもいい人の過去でも、私にとってはどうでもよくない。いいはずがない……。小夜はそう心の中で呟くと、麻美を静かに見据えた。


「あんたの爺ちゃんってまだ生きてる?」


「失礼ね、80過ぎだけどピンピンしてるわよ」


「じゃあ、住所教えて」


「……まさか爺ちゃんとこに行く気? いっとくけど初風市だよ? 新幹線で何時間かかると思ってんのさ」


「大丈夫、飛行機で行くから」


「出たあ……小夜のセレブ発言」


「ねえ、お願い」


 小夜は顔の前で手のひらを合せた。そんな彼女を麻美は微妙な表情で見つめている。


「あの氷姫(・・)がどうして他人のために、そんな必死になってるわけ?」


「大切な人なの」


 小夜は間髪入れずに答えた。その表情は真剣そのもであった。


「……そっか」


 麻美はそういうと、無言でジャケットからスマートフォンを取り出した。そしてどこかへ連絡を取り始めた。

 相手は恐らく母親だろう。鬱陶しそうに話す彼女を見つめながら、小夜は静かに微笑んだ。そして数分後、麻美は祖父母の住所が書かれたメモ用紙を小夜に手渡した。


「爺ちゃんにはあとで私から連絡入れとく」


「ありがとう」


「優香もいってたけど、小夜なんか変わったね」


 麻美はカフェラテに手を伸ばすと、静かに彼女を見据えた。


「そうかな……」


 ここ数カ月で自分が変わったことは、彼女自身が一番分っていた。


「私どんなふうに変わった?」


「なんかこう、角が取れて丸くなったっていうか……まえは冷めた目で他人なんて関係ない、って感じだったけど、いまは凄く優しい顔してるよ」


「優しい顔か……なんか照れるわね」


「まあ、私的にはまえのあんたも気に入ってたけどね」麻美は窓の外を眺めながらポツリと呟いた。そして興味なさげに「因みに変えたのは彼?」と、続けた。


 彼女の問いかけに小夜は照れくさそうに頷いた。

 すると麻美は「そっか」と、いって小さく微笑んだ。

 その後、二人は他愛もない会話を交わし久々の再開を楽しんだ。因みに彼女たちが注文したパンケーキはとても不味く、この立地でなぜ客が少ないのか? という二人の疑問はすぐに解決した。




「それじゃまた。あっ、早苗ちゃんによろしくね」


 別れ際、麻美はそういって緑神駅の構内へと消えていった。


「優しい顔してる……か」


 小夜は彼女をの背中を見つめながら小さく呟いた。

 それにしても、殺人事件って一体なんなのよ……。彼女はざわつく心を押し殺しながら、麻美から受け取ったメモ用紙をきつく握りしめた。

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